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魔物の森から巨大な魔物が姿を現すと、私めがけて爪を振り下ろそうとする。
「シャルロッテ嬢!」
アズール様の背に私は庇われる。
「!?」
恐ろしい魔物の瞳と視線が交わされる。
しかし、虹色の透明の壁によって魔物は吹き飛ばされ、そしてこちらを睨みつけながら飛び去って行く。
私はしりもちをつき、心臓がドキドキとして、呼吸を止めていたことに自分でも気づかなかった。
アズール様はほっとした様子で私のことを軽々と抱き上げる。
「大丈夫か? ゆっくりと深呼吸をして」
「あ……はっ……」
私はゆっくりと息を吸い、吐き、それから小さく息をついた。
「……びっくりしました」
「あれはかなり弱い魔物だ。だが、やはりシャルロッテ嬢を狙っていたな。魔物には、シャルロッテ嬢の力がわかるのだろうか……」
以前、私を狙い、一直線に飛んでくる魔物がいた。
あの時、アズール様が助けてくれたからこそ私はいまもここに居られる。
先ほどもそうだったが、魔物は、私を狙っていた。
「……魔物と目が合いました」
「そうか。大丈夫か?」
「はい……」
そう答えながらも、魔物の目が忘れられない。
恐ろしいぞっとするものであった。
私は身震いした後に、もう一度、魔物の森の方へと視線を向けた。その時、森の葉が微かに揺れる。
―――――動物?
何かがいる。ただ、魔物ではない気がした。
「シャルロッテ嬢?」
「あ、はい。あの、アズール様、あそこ」
「ん?」
指を指すけれど、すでにそこいは何もいないようだ。
「何か、見えたのか?」
「はい。何かがいたような……」
「ふむ。この先には誰も入ったことがないからな。どのような生き物がいるのか、誰にもわからないのだ」
「そう、なのですね……魔物とは一体、なんなのでしょうか」
私は疑問に思っていたことを口にする。
アズール様も森の奥を見つめた。
「……考えたこともなかった。私にとっては昔からそこに、“いる”ものだったからな」
ずっと魔物の存在の傍で生きてきたアズール様。
私は、じっとアズール様を見つめた。
その瞳は今、何を想っているのだろう。
「……アズール様、あの……」
私の呼ぶ声に、アズール様はハッとしたように顔をあげると笑みを浮かべた。
「さて、シャルロッテ嬢。渓谷を見たのだ。そろそろ帰るか?」
「え? 今来たところです! もう少し、調べさせてください」
「ははは。腰を抜かしていたというのに、大丈夫か?」
「大丈夫です! アズール様、下ろしてください!」
「ふふっ。シャルロッテ嬢は勇敢だな。だが、次にまた魔物が現れたらすぐに帰ろう」
こちらを心配するような表情で見つめられ、私はしぶしぶうなずいた。
「わかりました」
「ありがとう」
私はその後、渓谷と、見えない壁の様子を調査していく。
色や、様子、花の分布、土の変化、そうしたものを出来る限り記録して、その日は帰ることとなった。
定期的に様子を見に行き、その変化を記録し、そして次の祭事までの様子を見ることにする。
何かがわかるかもしれないし、分からないかもしれない。
ただ、絶対に記録はとっておいたほうがいい。そう私は考えていた。
その後魔物が出現することもなく、その日は無事に調査を終えることが出来たのであった。
馬を走らせて王城へお帰ると、広間にてアズール様の弟のダリル様が待ち構えていた。
「お帰りなさいませ。少し急ぎの話があるのですが、よろしいですか」
ダリル様の様子からして、緊急性の高いものなのだろう。
アズール様は私へと視線を移す。
「シャルロッテ嬢、すまない。少し行ってくる」
「はい。お仕事頑張ってくださいませ」
「あぁ、ありがとう」
ダリル様は焦った様子でアズール様と話をしながらその場を歩き去っていく。
出迎えてくれたローリーは残念そうにアズール様を見送る私の肩をぽんっと叩くと言った。
「せっかくの二人きりでしたのに、残念でしたね」
「まぁ、ローリー。からかわないでちょうだい!」
「ふふふ。最近、アズール様も変わり始めたこの国の為に、大変そうですものね」
「そう……ね」
国が変わり始めているからこそ、アズール様もダリル様も、毎日忙しそうだ。
「アズール様、お疲れのところだったのに……私の為に時間を割いてもらって、申し訳なかったかしら」
そう呟くと、ローリーはにやにや笑う。
「そんなことありませんよー。むしろご褒美でしょう」
「ご褒美?」
「そうですよ。アズール様、シャルロッテ様と一緒にすごす時間すごく楽しみにしておられたんですよ」
「そうなの?」
「えぇ。そりゃあ、机に向かって難しいことを考えるより、シャルロッテ様と一緒に過ごした方が何倍も楽しいでしょうからね!」
「まぁ。ふふふ」
「早く正式に結婚が出来れば、もっと一緒にいる時間を取れるのですがね」
その言葉に、私はドキッとする。
結婚。
私も、早く、アズール様と結婚したいなぁと、そう思っている。
だが、実際には私とアズール様の結婚式は、未だ日取りが決まっていなかった。
本当は早々に結婚式をあげたい思いはあったのだけれど、以前の魔物の侵入によって傾国の警備の見直しや、対魔物戦ではなく、対人戦の見直しなどもすることになり、アズール様がお忙しくされていた。
「……一度アズール様とお話をしなくてはね」
私がそう呟くと、ローリーは嬉しそうに微笑む。
「そうですねぇ。アズール様も本当は早く結婚したいと思っているでしょうしねぇ」
「そう、かしら?」
アズール様もそう思ってくれているのだろうか。
少し心配でそう私が呟くと、ローリーは至極まじめな顔でうなずいた。
「そりゃあそうだと思います。アズール様の方がきっと、シャルロッテ様よりも結婚したいとずっと思っていると思いますよ」
「そうだと、いいわねぇ」
「そうですよ」
そんなやりとりをシャルロッテとローリーがしていた頃。
アズールは届いた一通の手紙に唸り声をあげていた。
「レジビア帝国より、使者の派遣……か」
ダリルも難しそうな表情でうなずく。
「はい。レジビア帝国は現在、若き国王が継いで五年。国としては安定しているようです」
「……レクス殿か……」
アズールの両親が生きていた、十五歳の年に、一度だけ国交の際に関わったことがある。
あの時はまだ、お互いに若かった。
彼は今、どのように成長しているのだろうか。
「使者は何名だ?」
「数名で来られるとのことです。国交と銘打っていますが、おそらくこちらの状況を探る為のものでしょう」
ため息をダリルは深くつく。
「早々に、シャルロッテ様とご結婚した方がいいかもしれませんね」
「……あぁ。それは分かっている」
「あの力、他国にとっても魅力的でしょう」
「……」
シャルロッテはリベラ王国との一件があってからローリーとダリルには自分の能力について明かした。
アズールはうなずきながら、ソファにぐっと背中を預ける。
その様子のアズールを見て、ダリルは言った。
「兄上。何を悩んでいるのですか」
「……結婚すれば、この王国にシャルロッテを縛り付けてしまいそうで、怖いのだ」
「縛り付ける? はぁ。何を言っているのですか。結婚はシャルロッテ様を守る盾にもなります。他国に気付かれないようにしなければ!シュルトンには彼女が必要です!」
アズールはダリルを真っすぐに見つめる。
「……ほら、お前ですら、すでにシャルロッテをシュルトンの道具として見ている」
「あ……それは……」
アズールは姿勢を正すと立ち上がる。
「王国の為を想うならば、すぐに結婚し、シャルロッテ嬢を出来るだけ外に出さず、大切にするのがいいのだろう」
「そ、そうです。そうすれば」
「だが、シャルロッテ嬢は、まだ十七の、少女だ。これまでリベラで感情を押し殺し、国の為に生きてきた。そんな彼女がやっと、心のままに笑えるようになったのだ……」
窓の外へとアズールは視線を移す。
夕日を見つめながら、アズールは言った。
「……難しいな。とにかく、しばしシャルロッテ嬢との結婚は時期を見る」
「……兄上がそう、言うのであれば」
「あぁ。ダリル。心労をかけてしまいすまないな」
「いえ。先ほどは、失礼な物言い、申し訳ございませんでした」
「王国の為を想えばこそだろう。ありがとう」
ダリルは部屋を出ていき、アズールは息をつく。
「……シャルロッテ嬢は、私が守る。……だが、魔物よりも人の方が恐ろしく感じる日がくるとはな」
魔物であれば切り伏せればいい。
だが、人であればそうはいかない。
「難儀なものだ」
アズールはそう小さく呟いた。
アズールの包容力が私は好きです(●´ω`●)






