答えへと、動き出す
6月13日、第三訓練場71番号室。
「……やっぱ、なんもねぇな」
再確認をするように高田は呟いた。
麻薬を嗅ぎ分ける探知犬のように、椅子の下を這いずり回るが、結局なにも見当たらず腰を上げた。
事件当時から数日は経過している訓練室には、当然変わったものは特に見つからず、高田は嘆息をした。
(まあ、当然っちゃ当然か)
何かが見つかったのであれば、報告はすぐに上がっていたはずだし、玖叉雅が自分たちに調査協力をした意味がない。
「でも、これで再確認は出来たか」
――やはり。この現場には何も残ってはいない。
「うっし、じゃあ行くか!」
踵を返して、訓練室の扉へと向かう。
これで、ここでの用は済んだ。時間は有限だ。高田にはまだまだやるべきことが沢山残っていた。
その仕事を片付けるためにも、此処でのんびりするべきではない。
訓練室を後にしながら、高田の脳裏に今朝がたの記憶が蘇る。
『――高田。頼みがある』
真剣な顔をして現れた友人の様子は、昨日と比べるとどことなく違っていた。
たった一晩の間に、奴に何があったのかは知らない。だけど、その双眸には常時と違う光が宿っており、高田は一瞬だけ目を見張った。
(金城、やっぱお前は普通じゃねーよ)
人目のない、校舎の階段隅で話された内容は、高田の意表を突くものであると同時に信じられないものでもあった。
もしも、金城の推測が当たっていたのだとすれば――。
(盲点だったとか、そういう話じゃない。その発想は)
高田が生きてきた日常の中では、あるようで無いようなものだった。
果たして金城の推測があっているかは分からない。だが、言われてみれば『確かに』と思うような点があったのだ。その答えに辿り着いた金城も金城だが、もしも、本当に金城の考えが当たっているのならば、犯人も――。
♦ ♦
所かわって、行政高校、東練――生徒会長室。
高田がなにやら捜査のようなものを進めている間に、金城はある人物と顔を合わせていた。
「――やぁ、よく来てれたね。金城君」
相手は言うまでもなく――行政高校生徒会長、玖叉雅だ。
豪奢なソファに深く腰を沈めながら、足を組んで、背凭れに背中を預ける姿は女王か、或いは獅子を連想するものだった。
相対する金城は「どうも」と返しながら、静かにソファに腰かけ、座卓越しに雅へと視線を合わせた。
真っすぐに彼女を見つめる瞳には相変わらず戸惑いのような色が滲んでいるが、どこか堂々ともしていた。雅と顔を合わせていない間に、一体なにがあったのか――その変化を雅は面白く思った。
すぅっと、キレイな形をした瞳が、うっすらと三日月型へと細まった。
用意していた書類を、隣から二人分の紅茶と共に現れた柳から受け取る。
封筒にしまっていた中身を自身で確認をしてから、雅はそれを金城へと、座卓の上に差し出した。
白い指先が辿る紙束の文字を、桐人は静かに視線で追った。
一センチほどは厚みのある紙束をとんとんと、指先で叩きながら雅が口を開く。
「君が、望んだものだ。今回の事件の被害者たちの基本情報に、事件発生当時の彼らの容態、検査結果、事件当時の調査報告に、現場の鑑識結果だ」
「……あ、りがとうございます」
それは、間違いなく金城が先日電話越しでお願いしたものだった。
あの電話から、まだ一晩しか経っていないはずなのだが……随分と仕事が早い。金城が要求した書類は簡単に持ち出せるものではなく、そもそも捜査関係者以外は目にすることも出来ない代物だ。
それを、一体、どうやって手に入れたのか。
自身で要求しておきながら、金城は目の前へ差し出された書類に、僅かに口をひきつらせた。
いや、藪を突くのはやめておこう。この生徒会長のことだ。絶対に碌なものが出てこない。
素直にお礼だけを口にして、金城は大人しく書類を受け取った。
「――君が気にしていることについても、調査しているよ」
そっちもか。そっちの話はしても、調査を願った覚えはないだが。
どうやら気を利かせて、調査を始めてくれたらしい。
金城は、ありがたいような、恐れ多いような――いや、何か大きな借りを作ってしまった気がしてならず、複雑な心情を抱きながら、掠れた声でお礼を言った。
「……ありがとうございます」
頬杖をつきながら雅はただ笑い、話題を次へと移した。
「――それで? 君が何を考えているのか……残念ながら全てとまではいかないが、大体のことは私も察しをつけることが出来た」
わかったんかい。
金城は自分の思考を容易く読まれた気がして、釈然としない気持ちで雅を見た。
自身の推理を高田以外にはまだ一度も口にしたことはないのだが、本当に彼女には分かってしまったのだろうか。
「いや、まったく面白い発想だ」
爛々と輝く瞳に、金城は苦虫を嚙み潰したような顔をした。
あ、これ、多分読まれてる。雅のその表情を見て、金城の勘が静かに囁く。電話では、断片的にしか事の話をしていなかったのだが、雅は其処からパズルのピースを合わせるように、金城の考えを察したようだ。
「けど、君の推測が合っていたとして、――犯人はどうする?」
問いかける彼女に、金城は今考えていることを素直に吐露した。
「まだ、俺の推測が合っているとは限りません。……ので、一旦《《それ》を横に置きながら、伊奈瀬について調べたいと思います」
そう。それをしないと、肝心のピースが見つからないような気が、金城はしたのだ。
だからこそ、金城は伊奈瀬のことをもう一度見つめ直さなくてはならない。彼女を陥れようとした犯人を見つけるために――。
探すんだ。徹底的に、それこそ、
「――彼女の生い立ちや人間関係、すべてを……」
伊奈瀬のプライベートを掘り返すようなことはしたくない。彼女が今まで苦労してきた経験を金城は知っている。けれど、今は生半可な気持ちで、そんな悠長なことを言ってる場合ではないのだ。
覚悟を決めたような顔をした金城を、相対する雅は楽しそうに呟いた。
「いいねぇ」
――結末が楽しみだ。
閉じた口の先には、そんな言葉が続いているような気がした。
「困ったことがあったら私たちがいつでも協力しよう」
そう言って、喉を潤すように紅茶のカップを手に取った。
強引で、豪胆な性格をしている割には、カップを口にする動作は流れるような上品さを伴ったものだった。
それに金城は軽い違和感を感じながら、大人しく雅の言葉に耳を傾ける。
「今回、君はコレを取引だと言ったが、それは無しだ」
――え、まじで。
驚愕を顔で語るように、あからさまに目を剥き、顎を落とす。
失礼だと取られかねない金城の態度に、だが雅は気にした様子もなく朗らかに微笑した。
「対等な関係を君と築きたい。何かあれば、また連絡してくれ」
実に友好的な発言だった。まるで、こちらの立場を重んじてくれるような言葉だ。だけど、金城は元来の疑り深い性格故か、あるいは雅の出来すぎた笑顔のせいか、彼女の言葉を心から信用することは出来なかった。
いつだって裏に何かありそうな言動の数々を、この生徒会長は繰り返してきたのだ。
この胡散臭い言葉を、真に受けるようなことは絶対にしてはいけない。
金城はひきつりそうな表情筋を必死にコントロールしながら、下手くそな笑顔を浮かべた。
「ありがとう、ございます」
声が微かに震えていたのは仕方がないだろう。お礼を言えただけでも及第点だ。
というか、ここに来てから「ありがとうございます」しか、殆ど言えていない気がする。
とにかく、だ。これで用事は済んだ。
見れば、雅の方からもこれ以上言うことは無さそうだし、此処はお暇させてもらおう。
今回の件に対する謝礼を、向こうから変な条件を付けて要求される前に、必ず用意することを念頭に置いて、金城は生徒会室を後にした。
♦ ♦
「――金城」
「おう、」
生徒会室から教室へと戻る道中、タイミングよく高田と鉢合わせた。
訓練室の捜索を既に終わらせ、金城に頼まれたことを調べていてくれたようだ。
「そっちはどうだ?」
「ああ、お前の言う通りだ。確かに、これはありえるかもしれない」
高田の報告に金城は頷くように顎を引いた。
どうやら、金城の予測に該当する点をいくつか見つけてきたようだ。
「そっか、分かった。悪いけど、高田は引き続きそっちの方を頼む」
「わかった。お前は?」
「俺は、伊奈瀬について調べる。家のことや、学校でのこと、人間関係全て――伊奈瀬には悪いけど、洗い直す」
「……そうか」
金城の指示に大人しく従いながら、高田はじっと金城を見つめた。
観察するような、凝視するような強い視線に、金城がわずかにたじろぐ。
「――何?」
「いや、お前……なんか、ときどき雰囲気ががらりと変わる瞬間あるよな」
「は?」
身に覚えのない発言に、金城が顔を顰めたのは仕方のないことだろう。
だが高田には覚えが沢山あるようで、過去の記憶に思いを馳せながら腕を組み、言葉をつづけた。
「いやぁ、前に生徒会長室に乗り込もうとした俺も俺だけど、お前も十分、あれだよ。……よく、あの人に取引なんざ持ち込もうとしたな。しかも一人で会いに行くとか――」
いや、思い出せばそれだけではない。
高田の脳裏に、金城が先輩の明石と対決した時の光景が蘇った。あの時の金城は頼もしくもあると同時に、別人のような気迫を携えていた。
金城はその時の話題を避けている節があって、高田は敢えてそのことに関しては触れなかったが、あの試合には確実に高田の中にある金城の印象を変える、《何か》があった。
今もそうだ。生徒会室から堂々と歩いてくる姿は、生徒会長に怯えていた頃と比べると別人のようだ。きっと、伊奈瀬のことがあってそれどころではないのだろうが、それでも金城の態度には見違える何かがあった。……いや、ちゃんと思い返してみればその気配は、雅と喫茶店で密会した時にも、節々とあったのだ。
どこか探っているようにも見える高田の瞳に、金城は気まずそうに頬を掻いた。
「……いや、まあ」
一拍の間を置いて、口を開く。
「柳先輩も居たし……理不尽な目に合わないかなって」
零れ出たのは、なんとも頼りなさげな声だった――。
♦ ♦
「みーやびん」
一方、その頃。
金城が立ち去ってから数分後。紅茶セットを片付けにいった柳の居ない生徒会室で、雅は静かに何かの書類を捲っていた。
そこに、聞き覚えのあるソプラノボイスが室内へと滑り込む。
いつの間に開いていたのか、重厚な扉の前に、桃色の髪を揺らす少女が居た。――篠田メイだ。
風紀委員である彼女が、生徒会室へ報告書やら何やらを渡すために訪れることは度々あるのだが、今日の彼女の手元には何かがあるようには見えなかった。
どうやら、遊びに来たらしい。
珍しいような、そうでないような客人に雅は気を害した様子もなく、笑って迎え入れた。
弧を描く口元が、雅の機嫌の良さを表している。それに篠田は目を瞬かせながら、雅の前へと腰かけた。ふかふかの黒いソファは誰も知らないが、篠田のお気に入りだ。
「随分と、面白そうなことやってるね」
「ああ、そうだな。面白いよ」
ぷらぷらと足を揺らしながらくつろぐ篠田に、雅は書類から視線を外すことなく答えた。口元には相変わらず微笑を携えている。
雅が笑うことは別に、珍しくない。笑顔は彼女の標準装備であり、実際、愉快な性格をしているために何時も嗜虐心が滲み出るような微笑みを見せているのだ。ただ、今日の笑みはいつもと一味違うことに篠田は気づいていた。
今日はいつもより、興奮している。
「――それで? 何か分かったのかな?」
雅の心を覗き見るかのように凝視する篠田の意識を、雅が引き戻す。
現実へと戻った篠田はため息を零しながら、現在の捜査状況をポロリと明かした。
「とりあえず、面倒くさいけどクラス全員の『色』を確かめることにはなりそうだよ」
「ほう――それは、また随分と」
大掛かりな捜査になりかけているなと、雅は口にしようとして、やめた。
突然降って湧いた刺激を楽しみすぎてうっかりと忘れてしまっていたが、今回の事件は行政高校にとっても、行政機関にとっても、重要な案件だ。
捜査に良い進展が見られないのなら、篠田が引っ張り出されるのも仕方がなかろう。
「……まあ、実際ちょっと手こずっちゃってるしね。生徒会も、上も」
「厄介な案件ではあるからな」
愚痴るように唇を尖らせる篠田に、雅はまた笑った。
話の内容の割には、二人の態度は随分と軽いものだった。まるで、そこまで真剣に捉えていないかのような――。
「ほーんと、それ。てか、みやびん何か知ってるの?」
「いや?」
「ふーん」
篠田がさりげなく事件について探りを入れた。雅は本当に何も掴んでいないのか、からかうような声色で否定の言葉を返す。
その反応に篠田は一瞬目を細めるが、すぐに何でもないように肩を竦めた。
「まあ、いいんだけどさ」
答えを諦めたような、言葉だった。
「――でも、みやびん。実際に何か掴んでるでしょ?」
だけど、そう簡単に流さないのが篠田だ。いや、気分によっては感じた違和感を、面倒くさいという気持ちでそのまま流す時もあるが、今日は違ったようだ。
隠された玩具を探すような無邪気な子供の目で、篠田は膝に頬杖をついて、下から雅を見上げた。
「なぜ、そう思う」
「視れば分かるよ。さすが兄妹だね。似たような色してる」
兄妹、という言葉に雅は一瞬目を瞬かせると、くつりと喉を鳴らした。
「ふふ、それは嬉しいねぇ」
「……」
本当に嬉しそうだった。少なくとも、篠田の目に映る雅の炎はそんな色をしていた。篠田の知る彼女の兄には、無い『色』だ。
似ているような、そうでないような、不思議な兄弟だと篠田は思った。
目の前の女が、笑う。
「別に大したことじゃないさ――ただ」
赤い眼に宿る輝きの種類が変わった。ただの愉悦に、わくわくと疼く感情が加わった。
「面白い着眼点を見つけてね」
そう言った雅の表情は非常に楽しそうなものだった。
「何か分かったら、いや、気が向いたら報告するわ」
それはつまり、今は篠田に話すことは何もないということだ。いや、まだそういう気分じゃないということか。
可笑しなことに体格も顔つきも、タイプが全く違う女性は、どこか似通った中身を持っていた。だからこそ、篠田にはこれ以上探りを入れても何も出てこないということが分かった。
諦めて大人しくソファから立ち上がり、突然邪魔した謝罪と、部屋に迎え入れてくれたお礼を言う。
それに雅はひらひらと手を振り、篠田は少し拗ねながら風紀委員室へと戻った。
「――着眼点?」
しかし、疑問が残らなかったわけではない。
今回のVR事件に対して、自分たちとは全く別の着眼点があったという事実に、篠田はうずうずと好奇心を覚え始めていた。
数日後、事件の全貌を暴くのは、誰か――彼女たちは知らない。




