何か無いのか?
6月12日、午前八時十五分。行政高校、一年C組。
「まだ、誰も来てない、か」
どさりと鞄を机の上に置いて周りを見渡すと、伊奈瀬は安堵したように息を吐いた。
校内に生徒の影は殆ど見当たらず、教室は未だ静かだ。
窓から差し込む日差しを眩しそうに手で遮りながら、鞄を机の下に放置する。そうすれば誰の目にも鞄は映らず、伊奈瀬が既に出席していることを気付かれることもない。
あのVR事件のことで自分が噂されるようになってから、伊奈瀬はなるべく人目を避け、教室にも授業の開始直前まで姿を現さないようにしていた。
姿を見せれば自然と人の注目は己へと向き、思い出したように噂を広めるからだ。だから、伊奈瀬は必要以上に人前には出ない。
「そういえば、金城くんたちにもずっと会ってないな……」
ふと脳裏に浮かぶのは無邪気な少年の顔と、そんな彼を囲む面子。あの顔ぶれを思い出すだけで、口元が笑んだ。
吾妻はクラスメイトのこともあって、毎日のように顔を合わせている。挨拶はするし、会話もする。だが、周囲の悪意が彼女を巻き込んでしまう可能性を考えてしまうと、自然と避けるような形を取ってしまう。その度に悲しげな顔を見せる彼女に、もやもやとした感情が胸に渦巻いた。
普段から物静かな吾妻には自分以外の友人が居ない。この際に新しい友人を見つけて、少しでもクラスに馴染めることを祈りながら伊奈瀬は彼女と距離を取り続けていたが、そろそろ限界だ。自分も、彼女も。
徐々にクラスで孤立し始めていることに、伊奈瀬は薄々と勘付いていた。
それに対して三枝も何とかしようと成るべく二人に話しかけているが、効果はあまり見られない。恐らく伊奈瀬の疑いが晴れるまで、この現状が一変することはないのだろう。
だが、風紀委員による捜査は一向に大きな変化を見せておらず、難航しているようだった。
本当に、この事件が解決することはあるのだろうかと伊奈瀬は言い様の無い不安を覚えはじめた。
「図書館、にでも行こうかな」
はあ、と疲れたような息を溢しながら図書館へと避難しようと、教室の扉を開ける。
がらんどうとした廊下に靴底を鳴らしながら、伊奈瀬は思考した。
SNSサイトの、自分の個人アカウントから作られたと言われている、ヤギ型のアバター。ヴァーチャルエリアでウィルスをばら撒いた『其れ』は逃げも隠れもせず、堂々と現場に居残っていた――まるで、「自分を見つけてくれ」と言わんばかりに。
その行為から明らかに自分を嵌めようとしている何者かが居ることは、伊奈瀬にも分かった。そして、その罪を人に擦り付けようとする蛮行に怒りよりも先に、恐怖を覚えた。
「どうして……」
何度目になるかも分からない自問を伊奈瀬は繰り返す。
どうして、自分だったのだろう――。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
午後五時二〇分。第三訓練場、71番室前。
「誰も、居ないな……」
「あ、ああ……」
誰も居ない通路。その一角の柱の後ろから、コソコソと訓練室を覗き見る二人の少年。金城と高田は挙動不審な様子で周囲を確認した。
右よし、左よし。正面、よし。
訓練室へと突っ切るのならば、人の気配を全く感じられない今しかないだろう。
掌に収まるカードキーを睨みつけながら、金城は覚悟を決めようとしていた。
――何故、こんなことになっているのか。その理由は、雅が奴らに送ったメッセージにあった。
『明日の午後。第三訓練場の71番室を調べろ』
それは頼み事でも何でも無く、唯の命令だった。
昨晩、届いたメッセージに金城は肩を震え上がらせながらも、「見なかったことにしよう」とそっとメール画面を閉じた。
雅が差す訓練室は例のVR事件が起きた現場だ。其処は未だに調査の為か立ち入り禁止となっており、風紀委員以外の者が出入りされることは許されていない。もしも足を踏み入れたことがバレれば、取り調べは確定し、下手すれば容疑者として上げられかねない。それが無くとも、謹慎処分ものだ。
金城にも少なからず現場を調べたいと言う気持ちはあるが、どうもこの雅と言う女性が絡むと尻込みしてしまう。彼女と関わると、余計な厄介事が増えてゆく気がしてならないのだ。
「とりあえず、この件は保留にしよう」と金城はその日のうちにメールを削除した。
だが、翌日。教室の席に着いてみると、机の裏から膝を通して何やら違和感を覚え、下を覗いてみると、見知らぬカードキーがテープで其処に貼り付けられていた。
興味半分、嫌な予感を感じながらも其れを剥してじっと観察してみると、『71番室』と言う文字を見つけ、直ぐに訓練室の鍵だと言うことに気付いた。十中八九、雅の仕業だろう。
その事実が判明してからの金城の様子と言ったらもう、何と形容すれば良いのやら。捕食者に怯えるヒヨコのように毛を逆立たせるその様は、哀れ通り越して不憫だった。
隣に座る高田も同様で、同じメールを受け取っていたためか顔を大分青くしていたが、保健室を何度も勧められる金城程では無かった。
どうやら、段々と『玖叉雅』と言う存在に対して免疫が付き始めているらしい。
そんなこんなで意味も無く周囲にビクビクと反応する二人は、どうやら悩まずとも既に腹を決めていたようだった。
何の迷いも無く、むしろカードキーを手にした瞬間から二人は不安を抱えながら、訓練室への潜入を計画していた。
そのせいか、昼食時もずっと上の空で、吾妻の気遣わしげな様子にも気付かず、ペン太郎の『横取り粗食』にも目をくれなかった金城。本日もお目にかかれなかった伊奈瀬のためか、潜入計画に乗り気になっていたようだ。
多少引け気味だが、それでも柱の裏からソワソワと、目的の訓練室へと乗り出そうとしている。が、やはり不安があるのか、足が一向に前へと進む気配を見せない。
どころか、文句を溢し始めた。
「つかさ、なんで会長が自分で行かねーんだよ。こんなやばいモンまで用意してよ、自分で行きゃあ良いじゃねーか、自分でよ」
「俺に言うなよ……」
何度目になるか分からない問答に高田は胡乱気な顔を見せた。
「とにかく、何時まで此処に居ちゃしょうがねーし、行こうぜ」
これ以上は時間の無駄だ。いい加減、踏み出さないと校舎自体が閉まってしまう。訓練室に未だ潜入していなくとも、此処でコソコソしている時点でアウトなのだ。
さっさと誰かに見つかる前に行かなければ。
そうやって、腹を括りなおした高田が一歩、柱の影から踏み出した時だった。
「行くって、何処に?」
ぴしり。
ソプラノボイスが直ぐ傍から響いたことによって、高田の思考が体と共に停止した。
ぎぎぎと寂れた鉄のような音が鳴らしながら、振り返る。すると、其処には。
「し、篠田、副会長……」
「やほい! 昨日ぶり!」
瞬間、金城は高田を置いて一目散に走り出そうとした。
だが、そうは問屋が卸さず、背中から圧し掛かる体重によって、床へと押しつぶされる。
「ちょいちょーっと、レディに挨拶もせずに何処へ行こうってんのよ?」
「い、いや……べ、便所に」
じー、と後ろから視線をねめつける少女に、ダラダラと冷汗を垂らしながら金城は狼狽える。
「おトイレ?」
「お、おトイレです」
「小? 大?」
「え、えと……」
――いや、何だこの会話。
首を傾げながら少年に抱き着く美少女。少年が攻められているのは明らかで、それは観衆の野郎どもに妬み嫉み買われること間違いなしの光景ではあるのだが、何故か高田は奴のことを不憫に思った。
何故かというと、あれだ。
辱めという名の精神攻撃を、あのあどけない面差しで、あざとくも喰らわされているからである。
――すまん。俺にはどうしてやることも出来ない。
自分を置いて逃げようとした報いだ。大人しく逝ってくれ、と高田が合掌した瞬間だった。
そんなこんなでしばらくして、延々と続きそうな恥ずかしい質問の嵐と、背中から伝わる柔らかい感触に白旗を上げながら、金城は降参した。
「……それで、篠田副会長は、何故ここに?」
「うーん、何でだと思う?」
質問を質問で返されて、高田は口を引き攣らせる。背後で壁に手をつく金城は使い物にならず、なんとかこの場を乗り切ろうと必死に頭を回転させた。
絶対に彼女に自分たちの計画を悟らせてはいけない。「謹慎処分など真っ平御免だ」と内心毒吐く。
そうして愛想笑いを浮かべながら、言葉を探すわけだが、如何せん予想だにしなかった事態だから上手い言い訳が見つからない。
何故か篠田を前にすると、嘘を吐けないのだ。
そんな困った様子の高田を察してか、篠田はにんまりと意地悪な笑みを浮かべた。
「じゃあ、三つ選択肢を上げる」
「へ?」
ピッと彼女が人差し指を上げた。
「一、校内の見回り」
「え、えと……」
「二、君たちに捜査のための協力要請」
中指を次にあげる彼女が口にしたそれは、以前雅が自分たちに忠告した事柄である。
「そして、三」
まったく予測できない篠田の行動に目を白黒させながら、高田は冷静になろうと唾を飲み込んだ。
彼女のペースに巻き込まれてはいけない。下手に口を開けたら、要らないことまで溢してしまいそうだ。
だが、そんな高田の焦燥などお構いなしに、篠田はにんまりと口角をあげながら三つめの答えを口にした。
「訓練室に侵入しようとしている怪しげな人物二人を、捕まえに」
ぞくり。
上目づかいに此方を覗きこむ深淵のような瞳に、高田は呑まれそうになった。
目の前に立ちはだかる少女がまるで得体の知れない、死神のような存在と錯覚しそうで、足が竦む。
(この人、気付いてる……!)
確信の色を滲ませた双眸に、汗が吹き出る。
いけない。今ここで動揺してしまったら、彼女の言葉を肯定してしまうことになる。バレたら謹慎処分はもちろん、事件の真相を掴めなくなる可能性もあり、高田は焦った。
何か、何か誤魔化す方法は無いのか。
「あ、あの!」「なーんてね」
何か言葉を返さなければ、と声を上げた瞬間、篠田が掌を返したかのように肩を竦ませた。
「……え?」
「冗談だよ、冗談! 大丈夫、捕まえるなんてそんな物騒なことしないからさ、安心してよ!」
バンバンと高田の腕を叩きながら、笑う篠田。
先程までと違って、あっけらかんとしたその様子に、高田は呆気に取られた。
その後ろで何時の間にか立ち直っていた金城も、虚を突かれたような顔をしていたが、直ぐに怪訝な眼差しで目の前の少女を見つめ直す。
「けど、『怪しげな侵入者』って、所は訂正しないんスね」
「金城……!?」
核心を突くような発言を自分から噛ました金城に、高田は声を荒げた。
だが、確かに言われてみればそうだ。篠田の先程の口調は、『捕まえる』の部分を訂正していたが、同時に侵入者についてのことを強調させていた。
(この副会長は、間違いなく俺たちの目的に気付いてやがる。けど、捕まえる気は無いと言った……だったら、もう踏み込むしかない)
薄々と何かに感付いていた金城は、一か八かの賭けに出る。
篠田メイに意図があるにしろないにしろ、このまま誤魔化し切れても事が進むことは無い。むしろ、訓練場に忍び込むチャンスが無くなると言っても過言ではない。今、此処で彼女を帰せば、二度と捜査に関わることは出来ないだろう。根拠は無い、だが金城は薄々とそんな予感を覚えていた。
「へぇ……其処で、踏み込んじゃうんだ」
初めから、そうさせるつもりだったくせに。
彼女は雅と何処か似通ったところがある。外観ではそうは見えないが、彼女たちの言葉の端々には強制力を感じるのだ。
一見、優しく聞こえて、実際には拒否権も何も無い強引な言葉。
だが、この篠田メイと言う少女の場合、雅と違ってその小さなサインはとても見逃しやすく、態と自分たちに逃げ道を与えているようにも聞こえる。実際に逃げたら、容赦などしないくせに。まるで、獲物をいたぶることを楽しむサディストのようだ。
いや、実際にそうなのだろう。先日雅が申したように、彼女には随分な加虐心があるらしい。
篠田は自分たちを捕まえる気はないと言った。
だが、侵入者である自分たちを見逃すつもりがあるとも言っていない。この少女の言葉は見逃すとも、見逃さないとも、どちらの意味としても途絶えられるのだ。
そして、どちらかに傾くかはこれからの自分たち次第。
厄介な奴に捕まった。
下手したら、あの『銀髪のイカレ野郎』よりも厄介だと、金城は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「これだから死刑執行部隊は嫌なのだ」と、今、この場で吐き捨てたくなった。
「……それで、副会長は俺らを見逃してくれるんスか?」
此処でどこぞの漫画やドラマのように上手い言い回しが出来たらいいのかもしれない。だが、生憎と金城はそのような頭脳は持っていないし、やろうとするだけ己の要領の悪さを曝け出すだけである。
よって、直球で行くしかない。
腹を括ったような姿勢で挑む金城に、篠田は面白そうに目を細めると、こてんと首を傾げた。
「良いよ?」
「へ……?」
予想外の返しに、高田が声を漏らす。だが、此処で安心、ましてや舞い上がるようなことなどしてはいけない。した分だけ、この少女はきっと自分たちをどん底へと突き落とすのだろう。
「その代わり、何をお求めスか?」
「……察しが良いねぇ、君」
喜んだ様子も、動揺した様子も、見せない金城に篠田は益々楽しそうに声のトーンを弾ませた。
「うん、そうだね。別に特に何かは求めないよ」
「……」
「唯、その代わり。最初に言ったみたいに捜査の協力をしてくれない?」
簡単な提案をする彼女に金城は訝しげに眉を顰める。
その警戒した様子に篠田は、くつりと喉を鳴らすと、力を抜くように両手を広げた。
「そんな警戒しないでよぅ。別に取って食いはしないからさぁ」
そうは言っても簡単に信用することなど出来ない。高田も金城も依然としたまま、篠田を見つめた。
「本当に協力してくれるだけで良いからさ」
「協力って何スか?」
「えーと、取り調べって言うか……幾つかの質問に答えてもらって。あー、とは今から調査する訓練室に関して、何を思ったか教えてくれれば良いかな?」
その提案に金城たちは僅かに目を丸くした。
「良いんスか? そんな事して……三枝あたりだったらスゲぇどやされそうスけど」
「ああー、良いの良いの」
ひらひらと、どうでも良さげに手を振る篠田。その顔は何処か疲れたように、口角を下げている。
「まあ、確かに関係者以外立ち入り禁止だけど……私、副会長だしー。副会長の決定って絶対だしー。うん、別に良いんじゃない?」
「……」
――風紀委員の人たち、きっと相当、苦労してるんだろうな。
根拠も何も無い想像だったが、何となく風紀委員の苦労を彼女から見て取れた。いい加減な人間に振り回されているのは、どうやら自分たちだけではないらしい。
生徒会でも無い自分たちを良いように扱う美女を思い出して、金城たちはそっと目を伏せた。
「それにさ、ほら、あれだよ」
「あれ、っていうと……?」
何とも抽象的な表現をする彼女に、疲れたように鸚鵡返しをする。
「ブラッドの見解って、面白そうじゃない?」
「……」
にんまり。愛らしくも、油断の出来ない笑顔を浮かべる彼女に、金城が苦手意識を抱く決定的な瞬間だった。
何はともあれ、自分たちに拒否権はあるようで、無いのだ。
此処は大人しく彼女の指示に従うしかないだろうと、素直にその提案に同意した。
そうこうして、恐らく雅から送られてきたのだろう、カードキーで訓練室の扉を開き、室内へと入る。
現場は殆ど事件当時のままの状態を保っていた。流石に調査のために回収された機械などは移動しているが、それ以外のものはそのままにしてある様だ。
もっと緊張感のような空気が、糸のように張りつめているのかと思っていたのだが、意外とそんなこともなく、唯の散らかった空間に金城は肩の力を抜いた。
「そんじゃ、いっちょ調べてみますかね!」
「って!」
バチンと背中を叩かれて、よろめく。
叩いたのは目の前の桃色美少女だ。
「そんな身構えなくて良いよ」
「いや……」
別に、身構えてなどいない。そう返そうとした金城は、彼女の次の言葉に意表を突かれた。
「にしても、君たちも大変だねー。みやびんにこんな事頼まれちゃって」
「……え?」
訳知り顔で腕を組む彼女にぴたりと硬直する。
「なんで、」
そう零したのは高田だった。
「わかるよ。君たちが前みやびんに連行されたのは有名な話だし、それに」
相変わらず底の読めない笑顔を貼り付けたまま、彼女が視線で刺す先は金城の手に握られたカードキー。
「それ、みやびんでしょ?」
「……っどうして、そう思ったんですか?」
「だぁって、そんな合鍵みたいなカードキー作れるのってみやびんしか思いつかないもん」
本来、第三訓練場のような特別訓練室を開くには、教師のIDが必要だ。だが、篠田は知っている。玖叉雅が、違法にも教師のIDをコピーして電子カードへと移すことで、合鍵を作っていることを。
「前に、一回貸してもらったことがあるしね」
ぺろりと舌を出す篠田。その茶目っ気たっぷりの顔に、雅の事がバレた金城は内心恐々としていた。
――すみません、会長。あなたのこと、思いっきし筒抜けになってしまいました。
「みやびんも面白いことするよねー。自分で見に来れば良いのに、態々部外者の君たちに頼むって……バレたらどうするんだろう」
「は、はは……」
――全くだ。
話を聞いてみれば、この訓練室は風紀委員や生徒会ならば普通に調査のために出入りすることを許されているようで、金城はものすごく理不尽な扱いをされている気がしてならず、顔を顰めた。
こんな手を使わずとも雅なら幾らでもこの場所を調査できたのだ。それなのに、だ。何故、わざわざ部外者の自分たちをこのような所に放り込む必要がある。
「まあ、そうなったらそうなったで、切り捨てるだろうね」
――すみません。無邪気な笑顔でそういうこと言うの、やめてくれます?
もの凄くありえそうな未来予想図に、金城たちは口を引き攣らせた。
「あの、このことは……」
とにかく、この口の軽そうな美少女が余計な事を滑らしてくれる前になんとかせねばと、頭を回す。すると、何となく金城が言わんとしていることを察したのか、篠田は何でもないように笑った。
「あー、安心してよ」
「え?」
「私、『まだ』みやびんを敵に回すつもりは無いから」
『まだ』と零す彼女の目は嘘を吐いているようには見えず、金城は黙ってその言葉に頷いた。
(けど、そのうち喧嘩売るつもりなんだな……)
二重に聞える台詞の意図に軽く冷汗を垂らしながら、課せられた任務に戻る。
何処か好戦的にも見えた篠田の双眸に、ぞわぞわと鳥肌を立たせながら、室内を調べていた時だった。
「あれ……?」
「どうした、金城? 何か見つけたか?」
「あ、いや……」
一つの違和感を覚えると同時に、金城は浮かび上がった疑問を口にした。
「篠田副会長」
「ん、なぁに?」
「……この事件の犯行って、室内に居た奴には不可能なんですよね?」
「うん。洗脳用の機械か端末がないとウィルスは流せないし、現場にあった機械も被害者全員に使われてたしね。室内の誰かが端末を使っていた様子もない。それがどうかしたの?」
「いや……他に洗脳機械ってありますか?」
「此処の訓練場全室には、置いてあるよ」
「……」
何やら考え込む金城に、篠田は先回りするように言った。
「言っとくけど、当時の時刻では訓練室は全てロックされてたし、人が使った痕跡もないよ。実際、監視カメラにも誰も映ってなかったしね。異常は何一つ見当たらなかった」
「……じゃあ、やっぱり外部からの犯行では?」
高田の言葉に篠田は唸り声を上げた。
「うーん、普通に考えたらそうなんだけどねー」
「何か?」
「辻くんはそう思ってないみたい」
「辻本会長が?」
「そ。白井ちゃんも色々と調べてみたいだけど、何も掴めなくてさー。どっちかって言うと外からの侵入者の気がすんだけど、どうもねー。あの例のヤギくんからも、流した一部のウィルスデータ以外何も出てこなかったし……」
人差し指を顎に当てながら思考する彼女を横目に、金城は自分たちが座っていた一つ一つの座席を確認していった。
「白井さんって、あの眼鏡の……?」
「そ! 眼鏡のつめたーいお姉さん。プログラミングとかね、結構強いの」
高田の脳裏に蘇るのは、三年の明石を連行していった寡黙そうな女性。随分と厳格な印象を抱いたが、どうやら外見通り厳しい性格をしているようだ。
「こーんなの」と目を指でつりあげながら白井の真似をする彼女に苦笑しながら、作業を続けた。が、目ぼしいものは見当たらず、とりあえず訓練室の一か所一か所を写真として携帯端末に収めてゆく。元は雅に頼まれた仕事だし、彼女にもデータを送っておいた方が良いだろう。
「金城、何かあったか?」
「いや……」
先程から難しい顔をしながら床、壁、天井、そしてやはり生徒が座っていた席を確認しながら、金城は掠れた声を出した。
(駄目だ……)
――何も分からない。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「ただいまー」
訓練室の調査から凡そ二時間後。
結局、何の手がかりを得ることも出来ずに金城は自宅へと帰宅した。
外は既に薄暗く、もう随分と遅い時間になる。
へろへろと玄関の扉を開けて崩れ落ちる金城に、母――ほのかは何事もなかったかのように間延びした声で息子を迎えた。
片手におたまを握りながら、ひょこりと居間から玄関へと繋がる廊下に、顔を出す。
「おかえりー。今日は随分と遅かったわね? ご飯は?」
「食う……」
「はいはい。じゃあ、荷物置いて、手洗ってきなさい」
居間へとそのまま引っ込んだ母に弱い返答をすると、壁を伝いながら奥の階段へと進む。
「疲れた……」
二階の自室の灯を点け、ドサリと鞄を床に投げ捨てる。
手は既に洗面所で行儀良くも洗っていた。
此処で私服に着替えるべきなのだが、どうもこれ以上動く気になれず、「少しだけ」と自分に言い聞かせながら布団の上へと身を投げ出した。
「けっきょく、なんも分からなかった……」
枕に顔を埋めながら、数刻前の事を思い出す。
無力にも何も得ることを出来ず、それに対して篠田も何処かガッカリした様子を見せていた。
「伊奈瀬……」
もう一週間近く、彼女に会っていない。
(今、どうしてるんだろう……)
吾妻も「彼女に避けられているみたいだ」と、何度か溢していた。きっと自分たちを巻き込むまいと、彼女は距離を置いているのだろう。
それがとても寂しく、より自分の不甲斐なさを浮き彫りにされているみたいで、金城は悔しげに歯噛みした。
「ほんとうに、情けねー……」
好きな女の子一人を守れない自分が、情けなくてしょうがない。
――『伊奈瀬たちのこと、頼んだぞ』
それは伊奈瀬が風紀委員に呼び出されたあの時、不意に耳奥で蘇った言葉だった。
草地に託された言葉が頭の中で、勝手に何回も再生される。
草地巴――自分が反逆者としてテロを起こすきっかけとなった人物であり、何時だって自分を叱咤してくれた掛け替えのない友人だ。
伊奈瀬の弟を守るために自らを犠牲にしたあいつが、今になって自分の中で強く存在を主張する。
そうだ、自分は奴に伊奈瀬のことを頼まれたのだ。
今更思いだしたその事実が背中に重く圧し掛かり、身動きが取れない。
悔しい、悔しい、悔しい。何も出来ない自分が。伊奈瀬に何もしてやれない自分が、許せなかった。
能天気にも特に行動を起こすことが出来なかった自分。本当はそんな自分が歯がゆくて、悔しくて。雅にチャンスを与えられた今日、表面上は嫌がっているふりをしながらも、実際には何処かで舞い上がっていたのだ。「良かった、これで伊奈瀬を助けられる」と。
それが、どうだ。この様だ。結局手がかりも何も無し、進展も何もありゃしない。
「あー……」
考えても考えても答えが出ることはない。誰が犯人で、どうして伊奈瀬が巻き込まれたのか。
グルグルと頭の中で自問自答が繰り返される。
下から母の呼び声が聞えるが、未だに動ける気がしない。
そうしてそのまま、底なし沼のように眠りへと意識を引きずり込まれそうになった時だった。
『ピリリリ』
着信音が聞えた。
「……誰だ?」
「案外、玖叉会長だったりして」、なんて物騒な考えを半笑いで浮かべながら、重い腰をあげるとそれが自分の携帯端末からではないことに気づいた。
「机……?」
音の発信源は机の引き出しの中から。
不思議そうに首を傾げながら、金城は引き出しを開けた。すると、其処には。
「無線通信機?」
明石との模擬戦以来、ずっとしまいっぱなしだった無線通信機が振動しながら音を鳴らしていた。
それに些か驚きながらも、腕輪型の端末を拾い上げる。
そうしてかちりと通信ウィンドウを開くと、金城はますます訝しげに眉を顰めた。
「……誰かからの、通信?」
画面には『UNKNOWN』の文字と、見知らぬ無線番号が表示されていた。
――コレは、誰かの悪戯だろうか?
初めての事態に戸惑いながらも、好奇心で応答してみる。
どの道、唯の悪戯だったとしても即座に切ればいいだけの話だろう。
そうして、軽い気持ちで緑色の応答ボタンを押した瞬間――。
『ちょっと、由比ヶ浜! いい加減にしなさい! ほら、返して!』
『ええー、もう掛けちゃったよ?』
『はあ!? ちょっと何を勝手に……!』
――え?
その声を聞いた途端、金城は危うく端末を落っことしそうになった。
まさかの通信相手に逡巡しながらも、とりあえず通信機の音量を下げて、イヤホンを耳につける。
そして、静かに通信越しに聞こえる会話に耳を傾けると、「やはり」と確信付きながら、唖然と声を漏らした。
「なえ、セン……?」
ぽつりと落とされた呟きに、向こう側も反応を示した。
『え……、今』 『あ、出てた!?』




