事件の全貌、深まる不安と疑念
「……あの、」
じっと、こちらを凝視する少女に何らかの違和感を覚え、金城は彼女に声をかけた。
気のせいか、まるで綱渡りをしているような緊張感と危機感が足元から競り上がり、自然と息が詰まりそうになる。
珍しくも大人しくなった少女――篠田に三枝は、不思議に思ったのか、彼女に問いかけた。
「副会長? どうかしましたか?」
「んにゃ、ちょいちょーっと見覚えのある顔だったから気になっただけ。サエくんのお友達?」
朗らかに話す彼女に変わった様子はなく、先ほど感じた妙な空気は気のせいだったか、と三枝は苦笑した。
「いえ。伊奈瀬さんの件で少し話を」
「伊奈瀬さん? ああ、重要参考人の」
伊奈瀬と言う名に少し首を傾げると、すぐに思い至ったのか、納得したように篠田は声を上げた。
それにぴくりと金城は反応を示すが、此処でまた奴らにつっかかるのは得策ではない、今は大人しく帰ろう、と口を紡ぐ。きっと伊奈瀬や事件のことを探る方法は、他にもあるはずだ。
「初めまして。風紀委員会、副会長の篠田メイでっす。宜しくね?」
華やかに笑う彼女は、何処かあざとさを感じる。だが不覚にも、愛らしい笑顔を向けられた金城は思わずどきりとしてしまった。高田も気のせいか、僅かに頬を赤らめている、というか明らかに緊張したように固まっていた。それに、僅かに目を見開いている様子が、何故か困惑というよりも、驚いているよう様に思えて、金城は首を傾げる。
「ど、ども……」
「い、いえ。こちらこそ」
口籠る二人にニコニコと笑みを浮かべる篠田。未だに背中に圧し掛かられたままの黒崎は迷惑そうな顔で、事を見守っていたが、そろそろ限界だったのか口を挟んだ。
「すいません、副会長。下りてもらえませんか?」
「あ、ごめんごめん」
黒崎の存在を今思い出したかのような態度を示す篠田に、三枝も微かな呆れを覚えながら、金城たちへと振り返った。
「引き止めて、すまなかった。そろそろ会議が始まるから、僕たちは戻るよ」
「え? あ、ああ」
先程の一触即発な雰囲気は何処へ行ったのか、勢いを削がれた三枝は何時もの外面を向けると、そのまま黒崎たちを伴って校内へと足を引き返そうとした。だが、すぐに何かを思い出したかのかのように立ち止まると、金城たちへと忠告を送る。
「ああ、それと。君が何をどう思っているのかはよく分かった。今回の件に関しては我々も不注意な所もあったし、それに関しては君たちにも、伊奈瀬さんにも申し訳なく思っている。だが、」
最後のその一言は、恐らく夏目が最も言いたかったことなのだろう。口角は上がっていると言うのに、細められる目は笑っていない。
「あまり不用意に行動しないでくれ。君たちは些か目立ちすぎてしまうところがあるし、それが何時、何処で、問題に繋がるか分からない。特に、‟生徒会”に関してはね」
少なからずカチンと来るような口調だったが、何とかそれを拳を握りしめることで耐える。は?と思わず強い剣幕で突っかかりそうになったのは、仕方がないだろう。だが、三枝の言っていることはある意味的を得ている気がして、反論は出来そうにない。
それじゃあね、と軽く手を振って足を進める夏目。その後ろ姿を呆れたように眺めていた黒崎は、何故か篠田に連行された。
「またねー!」と、元気溌剌に叫ぶ篠田に、形容のしがたい感情を覚えながら、金城たちは三人を見送る。
消化不良となってしまった苛立ちを腹の奥底に押し込めながら、正門へと足を速めた。珍しくも鬱々とした金城の様子を横目に、高田も少し疲れたように溜息を零しながら、学校用では無い、個人用端末の電源を入れた。
「……金城、」
「なに? なんか食ってく?」
そういえば腹が減ったな、と先程の出来事を忘れるように腹を摩る金城に、高田はそうだな、と冷汗を垂らしながら、ある提案をした。その双眸は以前と己の端末に張り付いたままで、気のせいか口が引き攣っているように見える。
その横顔を目にした金城は、不思議と嫌な予感を覚えた。
さっきの今で、新たな面倒事が己の背後から迫ってきているような気がしてならず、ごくりと喉を上下させながら、高田の言葉に耳を貸す。
「……一丁目のカフェで、美女とお茶なんて、どうだ?」
ひくひく、と顔面を痙攣させながら、端末のウィンドウをこちらに翳す高田。青白く光る画面に記された文名を目にして、金城は顔面どころか、全身が痙攣しそうになった。もちろん、未知なる恐怖で。
「……まて、高田。お前、それ」
白い背景に記された文面はこうだ。
――西新宿一丁目26-6、カフェ「アンティーク」にて待つ。
拒否権も何も無い。有無を言わせぬ文章は、唯の文字の羅列のはずなのに、不思議な強制力を漂わせていた。黒い文字は見る者すべての意識を引きずり込むような引力を持ち、とても唯のメールとは思えない。むしろ、何か黒魔術的な何かが込められているのではないかと、疑ってしまうような力強さを強調していた。何故だろう、手書きではないのに、そのメールを書いたお方の性格というか、覇気が纏って見える。
そんな末恐ろしいメールの差出人の名は、
「せ、生徒会長じゃねーかぁあ!?」
「だ、だよな……俺、目可笑しくなってないよな? ついでにメルアドも何も教えた覚えないんだけど、俺、どうされちゃってもないよな?」
意味不明な自問自答を繰り返す高田。その眼球には薄い涙の膜が張っていた。
「いや、どうされちゃったっていうか……え、は、え? えと、」
待て待て。目どころの話ではない。そのメール自体、全てが可笑しい。何故、高田が雅に呼び出されたのかという問題ではなく、いや、それも問題なのだが、それ以前に何故あの生徒会長は彼奴のメールアドレスなどを知っている。何処で知った、学生名簿とかか? いや、それはプライバシーの侵害で、というか、もう職権乱用だ。
そもそも、何故高田は呼び出された? 伊奈瀬の件か? いや、むしろ今まで散々聞かれてしまった自分たちの失言の数々が原因か? しかも呼び出すって、何故そんな学生も碌に通わないような場所を指定したのだ? あれか、リンチか? 或いは脅しか? いや、どちらにしても面倒事プラス爆弾臭いのが、プンプン匂って来ていることには変わりない。
きっかり十秒。とりあえず己を落ち着かせて、ありとあらゆる事態を思考した結果――金城は高田を見捨てることにした。
「じゃ、お疲れ様。健闘を祈る」
しゅた、と無駄に様になっている敬礼をして、回れ右をする金城。だが、そうは問屋が卸さない。
まさかな、と恐々としながらも己の端末を起動させながら帰路を進もうとした金城の元に、ピロリンなどとやけに明るい着信音を立てながら、一通のメールが届いた。
「……」
ポチリ。無題のそれを開くと、軽い衝撃と恐怖が自分を襲った。
――アンティークにて待つ。
たった一言。高田と違って随分と雑な文に、金城は雷が落ちたのではないかと言うほどのショックを覚えた。
灰と化しそうなその肩に、高田は憐れみと微かな喜色を滲ませながら、手を置いてやった。その顔はまるで仏の様だったと、見たものすべてが語るほどには、穏やかだった。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
金城たちと別れて、数分。風紀委員会室へと向かって歩く三枝と黒崎は、何処か胡乱気な瞳を篠田へと向けていた。
「副会長……俺は風紀委員ではないのですが」
「えー、いいじゃーん。一緒に行こうよー」
「いや、駄目でしょう。風紀委員では無い黒崎は部外者。会議に加わることは禁止されてます」
まいったように息を吐く黒崎に不満気な顔をする篠田。そんな彼女を嗜めるように三枝が口を出すが、そんなもの何処吹く風。篠田は軽く「はいはい」と流すと、鼻歌を歌いながら、軽い足取りで廊下を進んだ。
「……ねぇ、サエくん」
「三枝です……何でしょうか?」
溜息を零しながら、無駄だと分かっていても一応己の名を訂正しながら、篠田の声に答える。相変わらず掴めないような言動を繰り返す彼女に三枝は、頭を抱えそうになった。
「あの男の子さー、なんて名前だっけ?」
「えーと……金城理人、のことですか?」
「あー、それ、かな?」
その疑問形は何だ。
さいごに首を傾げる彼女に、三枝は思わず突っ込みたくなったが、あえてスルーをした。なんなのだ、唐突に。
「いやー。あれ、どっかで見た気がすんだけどねー……」
「三年生ぶっとばして、噂になったからじゃないっすか……?」
答えをくれてやったのは、後ろで面倒臭そうに歩いていた黒崎だった。奴も奴で、この人は何を言っているんだ、と言いたげな顔をしている。だが、篠田はそれに気づいているのか、気付いていないのか、「あー!」と合点が言ったように、大声を上げると、大袈裟に手を叩いた。
「そっかー、あの噂の一年ブラッドはあの子だったんだー。へー、そっかー」
感動しているような、そうでないような、微妙な声色でうんうんと頷く彼女に、黒崎たちは困惑したようにお互いに顔を見合わせた。どういうことだ。今の口ぶりからすると、彼女はその一年ブラッドが先ほどの少年だったと気付いていないどころか、知らなかったように思える。
その殊に対して三枝は、同じ風紀委員の者として今迄と比べ物にならない呆れを覚え、黒崎は何かしらの違和感を感じた。
「ふーん、へー。そっかー、あの子、そんなことしてたんだー」
「副会長……?」
その言葉に三枝も引っかかりを覚えたのか、彼女に呼びかける。
「……もしかして、彼のこと、知ってるんですか?」
「うーん。まあねー、初対面ではないよー」
くるり。薄紅色のツインテールを翻しながら、篠田は三枝たちに問いかけた。
「ねえ、二人とも。あの噂の模擬戦、実際に見たんだよね?」
「……あ、はい。まあ」
まるで己の微かな感情の揺らぎまでも、全て見透かしてしまいそうな双眸で、こちらを上目づかいに覗きこむ彼女に、どくりと心臓が跳ねるのが三枝には分かった。何もやましいことはないのに、その双眸を前にすると、境地に立たされたかのような心地にさせられる。
「二人から見てさ、どうだった? ね?」
「どう、と言われても……」
「黒崎くんは?」
好奇心と興奮で瞳を輝かせる彼女に黒崎は、疎外感を覚えながらも正直に答えてやった。
「……能力面では、些か荒いところもありましたけど、策を講じる能力や、実行力には目を見張るものがあったと思います……と、言ってもあくまでも俺の意見なんですが」
淡々と自分の感じたことを口にはするが、それはあくまで自分の意見なので、正確な分析ではない。だが、篠田は黒崎が言うのならば間違いないと、頷き、喜色満面の顔で笑った。
「そっか!」
「……会長」
爛々と、今にも軽やかなステップで廊下を駆け回りそうな彼女に、黒崎はやはり違和感を持ち、彼女に問いかける。
「彼が、どうかしたんですか?」
何時もと様子が違う。日頃から陽気で、能天気な彼女の瞳の奥に、初めて残虐に近い、恐ろしく純粋で無邪気な色が見えた気がした。
「んーん。ちょいちょーっと、面白いことになったなーって」
愛らしい声色は、何処までも楽しげで、彼女の好奇心を表しているように聞え、黒崎は我知らず難息を溢した。
――面倒なことに、ならなければ良い。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
午後五時二〇分。カフェ、アンティーク。
店の名前通り、物静かなアンティーク基調を整えたその店内は、高校生には些か大人っぽすぎる雰囲気を醸し出しており、学生には少々入りにくい場所だった。仄かな明かりで照らされた店内には一組の高校生以外は誰も居らず、正に秘密の相談ごとには持ってこいの場所ではあるのだが、子供には合わないようだ。
そんな店の奥、窓からは離れた壁際のテーブルで、金城たちは顔面蒼白になっていた。
「此処は言わば隠れた名店でね。珈琲は特にお勧めだ、飲んでみると良い」
「……は、はひ」
目の前に並ぶ、小さなカップに金城と高田は、震える手を伸ばす。それをあの何時もの、獣を連想させるような笑みで、一人の美女――雅は静かに見守った。
白状すると、正直この目の前の玉座に坐する美女が金城は恐ろしくて堪らないのだが、このまま大人しくコーヒーだけを啜っても、帰れないのはよく解っていたので、味噌っかすのような勇気を振り絞った。
ぐっと、震える手を握りしめながら、口を開く。
「それで、生徒会長……その、今回、俺たちが呼び出されたのって」
「ああ」
自分ももう一口、と洗練された動作でコーヒーを啜り、再びソーサーへとカップをカチャリと戻す。
つい、と本人は何気なく金城たちへと視線を向けたつもりだったのだろうが、金城たちにとって其れは、とてつもない緊張感とプレッシャーを与える動作だった。
「なに。あのVR事件で実際に何が起きたのか、説明しておいてやろうと思ってね」
「え?」「は?」
思わぬ返しに、面を喰らった。
「君たちも知っておいた方が何かと、都合も良いだろう」
「都合、ですか……?」
何やら企んでいるように聞こえるその口調に、金城たちは顔を顰めた。
それに対して、雅はくつりと喉を鳴らすと、しかたがない、と言ったように肩を竦めた。
「このまま黙っておけば、他に探る方法は無いかと逆に無茶をやらかすのではないかと思ってね」
「……」
ある意味的を得ているその言葉に高田も金城同様、喉を詰まらせる。
「それに糸は張り巡らしておくと、何かと便利だ」
「糸……?」
やはり、自分たちに話をただ聞かせてくれるためだけに、呼び出したわけではないらしい。だが、このまま茶々を入れるよりは、彼女から情報を得た方が自分たちにも何かと利益を齎すだろうと、なんとなく察した金城は、黙って彼女の言葉に耳を傾けることにした。
高田も少し身構えているようだが、黙って話を聞く気でいるようだ。
「さて、VR事件、つまりあの時、ヴァ―チャルワールドで実際に何が起きたか、と言う話だが」
ごくり。続く言葉に金城は息を飲んだ。
「ウィルスが流されていた」
「ウィル、ス……?」
「と言っても、単純なマルウェアだったがね」
まさかの事実に高田は動揺した。ウィルスなど何処のネットにも必ずある問題ではあるが、だが、そんな事が行政高校が管理している場所で起きたのが、信じられなかったのだ。
行政高校の管理システムは完璧だ。学内のインターネット、ましてや人間の精神が関わるヴァーチャルワールドに、外部からの侵入を許すなどありえない。そんなことが起きれば、それは学校どころか、行政機関の失態へと繋がることにだってなり得る。
だが、この瞬間、金城は思った。外部からは無理でも、内部からは?
「……まさか、内部に流した奴が居るなんて、言いませんよね」
いやな予感がする。それも最悪の奴だ。
がんがんと脳内で鳴り響く警報に、頭痛を覚えながらも、否定の意を求めた。だが、無情にも、雅は平然と、金城の言葉を肯定した。
「そのまさかだ。内部、というより、その事件現場に、逃げもせずに流した根源が居残っていたよ」
「馬鹿な……!!」
あまりの真実に高田は、我知らず立ちあがった。
「ウィルスを流したなんて……下手すれば大きな被害になってたかもしれない! 起きた被害次第では死刑判決になりかねない犯罪を起こした人間が、逃げずに現場に残るわけないじゃないですか!?
しかも伊奈瀬さんですよ!? 彼女がそんなことをするなんて有り得ない!」
唾を飛ばすような勢いで怒鳴る高田に、雅は一息つくようにカップを手に取ると、素知らぬ顔で口を開いた。
「有り得ない事象など、存在しないのだよ。高田くん」
「なっ……!」
あっけらかんと言葉を返す彼女に絶句する。だが、金城は反して落ち着きを取りもどし、高田に座るように足す。
「落ち着け、高田」
「けど……!」
「会長は、伊奈瀬が犯人だとは言っていない。犯人がその現場に残っていたって言ってるんだよ。それにもし伊奈瀬が犯人だっつーなら、既に処罰対象になり、なんなりなってたはずだ。だけど、あの風紀委員の人も、伊奈瀬を重要参考人扱いをしていた」
結果的に、意識不明者は出たがそれも一時的なもので、すぐに全員意識をを取り戻していたし、その場に居た教師たちの迅速な対応のお蔭で、被害は最小限で済んでいた。だが、だからと言って処罰を免れるわけでもなく、犯人が学生ならまず間違いなく退学を喰らっているはずだ。もし、本当に伊奈瀬が犯人だったのなら彼女は強制的に退学させられ、そのまま牢屋行きにだってなっていたかもしれない。
だが、事態はそんな事にはならず、伊奈瀬は未だに学校に登校してきているし、おまけにあの篠田と名乗る少女は伊奈瀬を重要参考人扱いをした。重要参考人となると、事件について深い関与をしている、または重要な情報を持っていると考えられる人物になるが、少なくとも犯行を起こした犯人だとは捉えられない。
金城の意見を耳にした高田は少しの空白を置くと、そのまま大人しく腰を戻した。
対する雅は、愉快そうに笑うと手に持っていたカップを下ろす。
「随分と冷静だね。金城少年」
「……どうも」
冷静とは称したが、実際の金城の顔にも、焦燥の色が伺えた。それに笑みを深めながら、雅は金城たちに視線で足されるがままに説明を続けた。
「調査と監査の結果、現場のヴァーチャルワールドに残っていた白ヤギ型のアバターが、ウィルスを運び入れた根源だということが分かった」
「白、ヤギ……?」
そういえば、そんなのも居たような、と言葉を漏らす高田の横で、金城は目を見張った。
白ヤギ、と聞いて最初に脳裏、イヤ、脳内を埋め尽くしたのは、あの講習室のスクリーンで最後に見た白ヤギだった。黒いニットのジャンパーに、大きな眼鏡で飾られた金色の眼。その双眸を目にした瞬間、得体のしれない恐怖に襲われたのを、金城はよく覚えていた。
気持ち悪い。それが金城が抱いた最初の感想だった。
「心当たりがある、と言ったような顔だね。金城くん」
「……講習室の電子ボードが切れる瞬間、そんなアバターが見えました」
「え!?」
「見たのか!?」と驚愕する高田に、逆にお前は見ていなかったのか、と金城は突っ込みたくなった。だが、確かにあのヤギがこちらを振り向いたのはほんの一瞬であったし、注意を向けていなければ、然程気付かない位置に立っていたな、と思い返してみた。金城があのアバターに気付いたのは偶然だ。偶々、生徒たちが追っていた犯人役のアバターの傍に居た奴が、目に入ったのだ。
「……それで、そのアバターは」
「監査の結果、伊奈瀬優香の個人アカウントから作られたアバターだと言うことが判明した」
「……そんな、」
信じられない、とでも言うかのように瞳を揺らす高田。その隣で、金城は眉を顰めた。
「……けど、風紀委員会は伊奈瀬を犯人と断定はしていない」
「まあ、そうだね。そもそもアバターを使うには、実際に機械を使って潜脳をする必要がある。あの場で後ろで待機していた彼女には無理な話だ。
内通者、の可能性もあったが、風紀委員会の副会長殿からも、伊奈瀬君は‟やっていない”とのお墨付きがついたので、そのような疑いも一切無い」
「へ?」
ふう、と物憂げな溜息を零す雅。対して、金城たちは予想外の言葉に目を丸くしていた。
「あの、お墨付きって、あの篠田副会長、からですか?」
「ああ、間違いない、とのことだ」
確かめるように問いかける高田に、雅は頷いてやった。
「そう、ですか……良かった」
「いや、まてまて」
安堵したように肩の力を抜く高田だったが、それに何かが可笑しいと、金城は全力で頭を振った。
「何で、副会長がお墨付き? 何で、それで伊奈瀬が犯人じゃないって断定? 何か可笑しくないか? どうやって分かったの、その人? てか、今更だけど、副会長ってあれだよね? あの、ピンク美少女ちゃんだよね? え、何? 何者なの、あの人?」
伊奈瀬が助かった、と言うにはまだ早いが、なんとか難を逃れたことに金城もホッとした。だが、同時にそのお墨付きをくれた副会長とやらに、妙な胡散臭さを感じて、困惑する頭を抱えながら、今まで溜まっていた疑問を一度に吐露した。
そもそも、副会長、とあの三枝も何やら敬っていたが、あの人は幾つだ? あんなのが風紀委員会の副会長なのか? 中学生にしか見えなかったのだが。
今更、としか言い様がない金城の言葉に、高田は唖然とし、たちまち怒鳴った。
「お前は、阿保か!?」
「……え、」
「前の時もそうだったが、なんでこんな重要な、しかも皆が知ってるようなことを知らない!?」
「え、いや……すんません」
まさかの剣幕に言葉を失う金城。反して雅は何事も無かったかのように珈琲のおかわりを注文していた。完全に達観視している。
「篠田メイ! 高校三年の十七歳! たったの十五で二年前、機関士試験に異例の合格を果たし、瞬く間に特殊部隊へ抜擢! その異才と異例な経歴から学校中の注目を集め、学生でありながら既に機関士としての仕事を全うし、同時に風紀委員会の副会員長を務める‟神童”だよ!」
「……へ、へぇ」
捲し立てる高田の勢いに、多少引き気味になってしまった自分は悪くない。上体を仰け反らせながら金城はなんとか返事を返した。
「へえ、ってお前……解ってるのか」
「いや、解ってるよ……」
なるほど、確かにそれは凄い、というか凄すぎて少々信じがたい。まさか、そんな神童が実在するとは思わず、何処か非現実的に感じている自分がいる。けれど、何故高田が、初めてあの少女と対面した時、何処か緊張したようにしていたのかは分かった。
だが、しかし、と疑問を抱く。
「なんで、既に機関士になってんのに、学校来てるんだ?」
もっともな質問だった。行政高校は機関士を目指すための育成機関だ。それなのに、既に機関士として仕事をしている者が、学校に登校してくるのは可笑しい。
そんな金城の疑念に答えてやったのは以外にも、今まで黙視していた雅だった。
「素行に問題があるからだよ」
「へ……?」
「能力面では文句なしの一流なのだが、あの加虐的な性格でね。悪戯好きな一面が仕事に少々の難を来すとのことで、学校で協調性を高めるため、通わせているそうだ」
加虐的って、何ですか。
今、最も危険なキーワードを軽く片付けられた気がして、金城は今まで以上の、不安を覚えた。
(いやいや、待て俺……可憐なロリ美少女ちゃんだぜ? あんな無垢な顔をして、そんな加虐ってねー。いやだなぁ、俺。大丈夫、わざわざ再教育が必要なほどのアレじゃなくて、ほら、アレだ。まだ15なのに、青春とか、高校生生活を過ごせないのは可哀想だっつーことで、きっと学校に通わせてんだよ。うん、そうだ。間違いない。
俺には見えるぜ、女神のような可憐女子がキャッキャッうふふと高校生活を、ただ純粋に楽しんでいるのが……)
「ちなみに、その篠田副会長が務めてる部隊って……」
「死刑執行部隊」
しん。あっけらかんと溢された爆弾に、金城は笑顔のまま固まった。
数秒か、或いは数分か。静寂が空間を支配する。
「よりにもよって、残虐部隊ィィィィィイイ!?」
悲惨な叫び声が店内に木霊した。
その大声にカウンターでカップを磨いていた店主は片眉を上げ、高田はビクリと肩を跳ね上がらせた。
だが、そんな奴の様子に構う余裕も無く、金城の顔が青ざめる。
(女神どころか、死神来ちゃったよぉぉぉおおお!? キャッキャッうふふどころか、ギャッギャッと思わず叫んでしまう逝瞬を罪人共に送ってる人来ちゃったよぉぉおお!!
え、なに? 加虐って何? あれか? 人の苦痛を楽しむイかれ性質のことだよね? ってか、あれ? 俺、あの子の声、どっかで聞いたことある? え、何? 俺、知らずのうちに死亡フラグ立てちゃった?)
出来れば知りたくなった事実を前にして、思考がパンクした。訳の分からぬ言葉の羅列が頭を支配し、無意識にその場で床に崩れ落ちそうになる。
「し、死刑執行部隊って、あの……」
どうやら高田も初耳だったらしい。新たに露見した真実に、気のせいか奴の血圧が通常よりも下がっていた。
「ああ……そういえば、他言しては良い内容では無かったね。執行部隊は恨みつらみを買いやすい、本人の安全の為、今のは聞かなかったことにしてくれたまえ」
「……」
ひくり。高田の目元が再び痙攣し始めた。
そんな大事なことを頼むから、ポロリと自分たちに零さないでほしい。出来ればその事実は知りたくなかったので、自分も聞かなかったことにしたい。そして、貴方は何故それを知っている。あれか、生徒会長だからか。自分たちのメールアドレスを何故か知っているように、他のことも全て熟知しているのか。
改めて、この女性は危険だと認識した高田は、自分の今迄の軽率な行動を悔いた。関わるんじゃなかった、と。
「金城、大丈夫か……?」
「もう、いやだ。俺、もういやだ」
めそめそと顔を両手で覆いながら、現実を拒絶する金城。いやいやと首を振るその様は、気色悪い通り越して、哀れだった。
ああ、俺も同じ気持ちだよ、と高田は無言で奴の肩を叩いてやる。
まさか、あんな可憐な美少女が、あの噂の曲者だらけの処刑部隊と聞いて、高田も少なからずショックを受けていた。別に死刑執行部隊が危険、と言われているわけではないが、問題を起こしまくる一部のエリート集団と聞いていたので、品行方正だった神童のイメージがボロボロと崩れたのだ。そして、ついでにあの愛らしい少女が、加虐的な性格なことに少なからず悲しみを抱いた。
噂でしか、篠田のことを知らなかった高田は、彼女に勝手な淡い幻想を抱いていたのだ。
「なに、確かに死刑執行部隊は何かと血が盛んな部署ではあるが、戦闘好きというわけではない。篠田君とて、肉体的な刺激は必要が無ければ与えん」
――いや、今、あなた、軽く危険なワードをさりげなく混ぜ込みましたよね。
「血が盛んな」て、なんだ。其処は「血の気が盛んな」ではないのか。どういうことだ。それはつまり、あの部署では「血をよく見る」という事なのか?
そして肉体的な刺激ってなんだ。その単語の意味も知りたいが、「は」と言う文字を間に挟んだと言うことは、精神的な刺激は必要が無くとも与えるということ意味なのか。
出来れば深く考えたくない、けれど考えずには居られない。その悲しい矛盾を金城たちは抱えながら、静かに話の軌道を修正させた。
「……とりあえず、VR事件のことなんですが。それで、なんで」
「ああ。まあ、とりあえず、そうだな。伊奈瀬くん本人も、容疑を否定していたし、あのアバターには覚えがないとも言っていたしな。嘘発見器のような機械を使って、彼女が何一つ嘘を吐いていないことも分かった」
「……」
その嘘発見器とやらは恐らく、篠田メイの能力なのだろう。草地が以前そのようなことを話していたのを覚えている。
(よりにもよって、あのイかれ銀髪の仲間が傍に居たとか……)
まさかの地雷に、金城は今まで鳴りを潜めていた大きな不安が煽られるのが分かった。伊奈瀬のこともあるのに、それよりも篠田と言う存在に果てしない恐怖を覚え、雅の話に集中できそうにない。
「だが、それで犯人が分かったわけではない。
伊奈瀬くんが犯人でも内通者でもないということは分かった。だが、それは同時に彼女のアカウントをハッキングした何者かが他に居るということを指しており、それが誰なのか皆目見当もつかない事態になっているのだよ」
「……それで伊奈瀬を重要参考人扱いしてるわけですね」
「その通り」
肩にかかりそうな髪を後ろに払いながら、雅は足を組み替えた。
「一応ね、彼女の身の周りの人間のことを調べてみた訳だが、結果は惨敗。まあ、そもそもあの事件現場に居た伊奈瀬くん含む、君たち全員、犯人と言うには些か無理があるのだがね」
「……まあ、そうですね」
「とりあえず、全校生徒の当時のアリバイや、その裏も篠田君がざっと、調べてみたが結局またもや惨敗。そして其処で、何とも面白そうな可能性が出てきた……」
くつり、と本当に心の底から楽しんでいるかのように笑う彼女の次の言葉に、金城たちは身構えた。
「外部からの、侵入者だ」
「……冗談、ですよね」
断じてありえない、と思っていた事態が現実となりえそうになった。鼻で笑いたいのに、何故か笑えない自分に、高田は戸惑いを覚える。
「そもそも伊奈瀬優香のアバターがハッキングされ、そこからウィルスが流された痕跡以外、見つからなかった時点で相手が相当なプロだということには間違いないのだ。そして、高田少年」
ピ、と人差し指を天に差す雅は、心底愉快そうに、口角を上げた。
「どうして、外部からの侵入を、ありえない、と言える?」
「……っ」
「確かに行政高校のセキュリティーシステムはそこらの学び舎より、強固で、破りがたいものと言えよう。だがね、決して完璧なものなど無いのだよ」
それは高田がつい最近まで信じていた物を覆すような発言だった。だが、奴には何故かそれを否定することが出来ない。確かに行政高校のシステムやセキュリティー能力は基本の水準より高い。だが、だからと言って完璧な訳ではないことを、高田は頭の何処かで理解していたのだ。
「去年の‟反逆者事件”なんて、覚えてるかい?」
「……」
「あれとて、そうだ。ありえない、と思うどころか、あんなテロを企てる者が居ると、誰が想像できた?」
行政機関に喧嘩を売る輩は、過去にも何人か居たし、今でもそのような者たちは存在する。だが、今まで一度もあのような奇天烈な方法で処刑を阻止しようなどと企む者は一人も出てこなかったし、そもそも出てくると、誰が思った。誰に、そんな馬鹿なことを予想することができた。当たり前だ、目先の常識に囚われて、考えようともしなかったのだから。
「ありえないなどと言う事象は、存在しえない。可能性は無限に存在するのだよ、高田くん」
ぎらぎらと向けられる眼光は、猛禽類を連想させるほど鋭く、猛攻的で、高田は自分の身体が竦むのが分かった。
だけど、金城は問う。
「……会長は、外部の者の犯行だと、思ってるんですか?」
ひたり。突然横やりを入れられたような気分で、雅は金城へと視線を向けた。僅かに探るようにその瞳の奥をじっと、覗くように眺めるが、しばらくすると興が削がれたのか、椅子の背凭れに深く寄りかかって、答えを返した。
「そうだねぇ。先程はああは言ったものの、可能性はあるが、実際には限りなく低い。あのような犯行は、内部からしか普通は出来ないだろう。今の所、容疑者を一人も見つけることは出来ていないが、必ず何処かに居るはずだ」
「その根拠は?」
「……この事件は、そもそも何故起きたのだろうね?」
「……?」
彼女が何を言いたいのか、よく分からず、金城は眉を顰めた。
「犯人は、何が目的で事件を起こしたと思う?」
「それは……」
分からない。そもそも、この事件は自分にとっては突拍子もなく、謎だらけだった。何故、犯行が起きたのかなんて、学校を撹乱させるためだったとしか思えない。
だが、何故撹乱を? しかも、ヴァーチャルワールドでは偶に起きえる事故のような、小さな事件――犯人は一体どういう意図であんな事件を起こしたのだ?
「私はね、その理由がとても些細で、何ともくだらない事柄のような気がしてならないのだよ」
「ささい……?」
「何故、使われたアバターが、伊奈瀬優香の物だったのだろうね?」
「……!」
弾き出された疑問に、金城たちはハッと我に返った。
その様子を満足げに眺めながら、雅は目を細める。
「何か、とてつもなくくだらなく、面白いものを感じないかい?」
三日月のように綺麗に狐を描くをの唇のせいか、金城は得体の知れない不安を覚えた。
形容のしがたい、難しい顔をする少年二人に、雅はほくそ笑むと、「そろそろ時間だ」と言って伝票を手に席を立った。
「ああ、そうそう。もしかしたら近いうち、風紀委員の者が君たちに捜査のため、協力を願うかもしれない」
「……え、」
「この‟茶会”は、他言無用だ。よく覚えておきなさい、坊やたち」
釘を刺すような強い眼光に、こくりと無意識に頷く。それに、にっこりと笑みを返すと、彼女はそのまま颯爽と、お札と伝票をカウンターに置いて、店内を後にした。
(……なんか、疑問が解消するどころか、不安事が一気に増えた気がする)
――数分後、再び雅からの着信を受け取り、金城たちは膝をつくことになった。




