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私は犯罪者ですか?  作者: 苗字名前
第3章――行政高校入学、知られざる光景
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高田匡臣

焦らすようですみません。

金城の逆襲撃(?)は次回から。

 高田匡臣にとって、“高田和人”は、誰よりも優しく、聡明で、思慮深い兄だった。


 五つ歳の離れた兄は何時だって背中を追いかけまわす高田を邪険にせず、相手にしてくれた。


 成績が良く、品行方正で、運動もそつなく熟せた兄は、高田にとって自慢の兄で、両親にとっても自慢の息子だった。


 記憶の中の兄は何時だって笑顔で、明るくて、真っ直ぐで、誠実な人だった。それこそ、不当な行為を絶対に許さない程に。

 

 兄は時折、ニュースで流れる事件に対して不満な顔をしていた。特に処刑判決を食らった罪人に向ける眼差しは厳しげで、高田は“犯罪者”に対して強い嫌悪感を抱いているのだと良く勘違いをしていた。


 その見解が間違っていると知ったのは小学生の頃、一度だけ興味半分で兄に疑問を投げかけた時だった。


――兄さんは、何でそんなに怒っているの?


 言うほど兄は険しい顔をしていたわけではない。それでも、その涼しげな顔の下に、黒い感情を燻らせていることを高田は見抜いていた。


 不思議そうに、何処か、怯えている様子で問いかける高田に、兄――和人は困ったように笑った。

眉尻を下げるその顔は何処か悲しげで、高田は途端に不安な感情を覚えた。

 

 そんな奴を宥めるように、和人は高田の頭を撫でてやる。


――怒っている、のかな……ごめん、怖かったか?


 フルフルとかぶりを振る高田。けれど、その表情はやはり怖がっているようで、和人は苦笑した。


――ごめんな。唯、何て言うのかな……納得できなくてさ、

――なっとく?


 首を傾げる高田。その時の兄の微笑は、不思議と奴の記憶へと鮮明にこびりついた。

 和人は決して怒っている訳では無かった。ただ、この国の常識と言うものに疑問を感じていたのだ。


 行き過ぎた罰は毒となり、人の精神を蝕む。和人は幼いながらも、その意味を理解していた。

 奴は子供にしては何処か成熟したような一面を持っていた。世界の常識に違和感を感じ、面と向き合うことで、その正体を突き止めようとしていたのを、高田は良く覚えている。


 その愚直とも言える精神を、高田は一つの美点として好ましく思っていた。

 和人は何時だって奴の目標であり、憧れであった。


 高田が生まれた家は、どちらかと言えば裕福な方で、幸せな暮らしをしていた。

 毎日学校へ行って、勉強して、友達と遊んで、兄と並んで家へと帰宅する。そんな日常を高田は愛し、ずっとこれが続くのだと、そう信じて疑わなかった。

 

 だが、それは早くも小学五年と言う年で、崩れ去った。


――“高田和人くん、君に殺人の容疑がかかっている。同行を願いたい”


 春休みのある日、自宅の玄関へと踏み込んだ刑事に、高田一家は唖然とした。

 何かの間違いだと、母が嘆いた。

 理由を教えてくれ、と兄は拒んだ。

 何が起きているんだ、と高田は呆然とした。


 あっというまだった。

 戸惑う和人を連行して、警察は去った。混乱する高田と彼の母を置いて――。


 まだ仕事中だった父は、母との電話を通して和人の事を聞いて、すぐさま警察と連絡を取るがどうすることも出来ず、彼が戻ってくるのを待つしかなかった。


 幸い、取り調べは早く終わり、和人はしばらくして、無事に戻ってくることが出来た。

だが、やはり事の一端を見逃す人間は居らず、この事件は既に近所の話題の餌として、住宅街のみならず、マスコミへと広まっていた。


 和人の疑いは晴れることなく、時は進み、高田家は冷たい目を向けられるようになった。腫れ物のように触る者、殺人鬼を前にしたような怯え方をする者、甘い汁を啜ろうと傷を突く者。偽善と悪意に包まれ、何時しか家は暗い空気を纏うようになった。


 母は病み、父は荒れ、兄は悲しげに笑うようになった。


 高田はそんな家族を憂いた。


 だが、再び皆が笑いあえるよう、健気に模索し、太陽のように明るく振る舞い、努力を続けた高田のお蔭か、一家は笑顔を忘れるようなことはしなかった。


――大丈夫。きっと、またすぐに元の日常に戻れる


 高田はそう信じて疑わなかった。

 兄は実際に何もしていないのだ。きっと彼の疑いは直ぐに晴れる。そう思い続けた。けど、兄は相変わらず苦しそうに微笑するばかりで、






――にい、さん……?



 “それ”は突然だった。否、高田が気付けなかっただけで、前触れはもしかしたら何処かにあったのかもしれない。


――にい、さ……


 ある日のこと、日常の中で唐突に起きたそれは、まだ11歳の少年が見るには、あまりにも残酷な光景だった。


 夕方。空が橙色に染まる中、ベランダの窓越しに差し込む光は部屋を淡く照らし、天井からぶら下がる“物”に濃い影を与えていた。


 幼い少年から見るそれは真黒で、硝子一面から寝室を蜜柑色に染める光は、教科書で見た、“イエス・キリストの磔刑”を連想させた。


――小さな手が必死に繋げ止めようとした日常は、簡単に、呆気なく途切れた


 それからは、酷かった。和人が死んだことで周囲の見解は悪化し、高田家は針の筵に苛まれた。「やはり、彼が犯人だったのではないかと」、と。


 高田は失望すると同時に、どうしようもない苛立ちを覚えた。民衆の理不尽な扱いに、調査の進行と結果を一切明かさない警察に、兄を犯人と決め付けようとする野次馬に、高田は憤怒した。


 だが、それ以上に母の苦悩は比べようの無いもので、彼女は悲観と後悔で覆われ、壊れそうになっていた。


 そんな彼女を懸念し、父は移住を決意した。周囲の悪意から逃げるために――。


 幸い、和人の名前は当時未成年だったこともあり、世間には“少年A”としか知られていなかったので、彼らが住んでいた街から離れれば住む話だった。

 色々と手続きや警察からの事情聴取などで多忙な日々は続いたが、何とか全ての問題を片付けることが出来た。


 逃げるように移り住んだ先の新宿には、己の事を知る者は居らず、高田家は無事、静かな生活を送れるようになった。

 理由は分からないが、警察は和人の死についてはまるで隠すように、外には触れまろうとせず、そのせいもあってか、例の事件は段々と形を顰め、何時しか世間の話題から遠ざかっていた。


 母も僅かにだが、高田が高校に入ってやっと笑うようになり、父も時々悩ましげな顔を見せながらも、仕事を日々頑張ってくれていた。



 高田たちはまた元の日常へと戻ったのだ。兄、和人を置いて――。






 それでも人はその口を閉じることを知らず、高田は時折、兄に対する勝手な推測に鬱憤を感じた。


 行政高校に入学した今でもそれは変わらない。

 その証拠に三年の明石の、不躾で、冒瀆とも表せる発言に、高田は等々堪忍袋の緒を切らした。

 許せなかった、奴の悪意を。見過ごせなかった、その不合理な言葉を。

 

 けど、例え己が許そうとも許さなくとも、そんなことは関係ないのだ。

 己のちっぽけなその存在など、結局他人からすればどうでも良いことなのだから。

 何故ならこの世界の正義は決まっている。自分が悪だという主観は既に確定している。

 自分の主張が、人の心に届くことは無い。


――事実、今でも人は皆、己を蔑み、見下し、嘲笑う。


 



 行政高校、第1訓練場、12番室。


 縁を切ったはずの元友人の模擬戦が行われているその会場で、高田は静観していた。

 人混みから外れたその位置は、誰にも気づかれることなく、黙々と時を刻んでいる。目の前の人の群れからはヒソヒソと雑音が聞こえてくるが、高田にとっては耳障りなものでしかなかった。

 話題の中心である自分に気付かず、囁き続ける観衆に、高田は皮肉を覚えた。




(……なんで)


 それは高田が最初に思考した単語だった。

 何故、縁を切ったはずの“あの少年”はこんな試合をしているのだろうか。何故、こうも人は自分を放っておいくれないのだろうか。何故、人は此処まで悪質になれるのだろうか。何故、自分たちは此処まで非難されなければならないのだろうか?

 

 己は何か悪いことをしたか?


(……なんで、)


「例え、犯罪者本人でなくとも、共に長い年月を凄し、同じ血を持つ弟なら十分に疑わしく、危険だ」


 高田が今苛まれている悪意の発単である、明石の声が嫌味なほどに空間に反響する。それはいつも以上にハッキリと、鮮明に高田の耳元まで届いた。



「同じ環境で育って、同じ教育を受けたんだ。人畜無害な顔をして、腹の中で何を考えているか分かったもんじゃない。これってさ、凄くやばくない?」



 ギリ。重なり合った上下の奥歯から、不穏な音が奏でられた。強く強く噛みしめられたそれを伝って、歯茎に鈍痛を届く。唇は一文に引き結ばれ、頬の筋肉がひきつるような感覚がした。


「だってさ、何を考えてるのか分かんないんだよ? 先生たちを疑っている訳じゃないけどさ、本当に高田くんは、健全な精神を持っているの? 本当は演技とかで誤魔化してるんじゃない?」



(なんでっ…)


 無情に、無邪気に紡がれる言葉の数々。それは高田の胸の奥へと厳重に仕舞われたはずの、感情の函を突き、こじ開けようと鍵を叩く。


「ブラッドだからね。幾らでも嘘なんて吐けるし、人を騙すことだって出来る。彼らは下等な人種だ。そう難しいことじゃないさ」


(っなんでだよ!?)


――高田は、悔しかった。


 兄を侮辱した明石に無様に敗したことが。奴の勝手な推察に反論できなかったことが。周囲の冷たく、腹立たしい蔑みの視線にひれ伏すことしか出来なかった自分が、何よりも悔しかった。

 奴は叫びたかった。


(お前らに、何が分かる? 兄さんの、あの人の何を知っている?)


 兄の和人は、誰よりも誠実で、誰よりも尊敬に値する人だった。

 幼くも聡明で、堅実で、実直で、本当に、優しい人だった。それこそ、誰かを傷つけることを嫌うほどに、


――あー、確かにありえるかも

――ブラッドって平気でそういうことやりそうだもんね……


(違う……! 俺は……俺は、兄さんは……!)


 ギリリ。深く握りしめられた拳は、血の巡りが止まってしまったのか、白く染まった。

 弁明一つ出来ない自分が不甲斐なくて、明石に同意する奴らに、高田は計りようの無い苛立ちを覚えた。


 囁きをやめない周囲を、明石の言葉に納得する彼らを、高田は怒鳴り散らしたい衝動で震えた。立場が悪くなったって良い、更なる悪意を向けられたって良い、この鬱憤を吐き出したい。


 だけど、怖い。再び冷ややかな視線を、この場で受けることを。更なる悪意をこのさき向けられることを、高田は恐れた。

 相反する心、矛盾した感情が胸奥で複雑に渦巻き、呼吸を浅くする。


「あー、でもあの実力じゃ無理か」


 さも今思い出したかのように、一層明るく轟く声。それは何処か高田を小馬鹿にしているように思えた。


「彼、弱いもんね。犯罪犯そうにも、対したことも出来ないわ。ごめん、早とちりだった」


 カアァ。留めを刺すような折り返しに、高田は羞恥を覚えた。顔は耳まで赤く染まり、不意に涙が込み上げそうになった。

 クスクスと零される観客の笑い声はその想いを助長させ、高田を俯むかせる。


 奴の存在を、下の会場に居る明石が知るはずはないのに、まるで高田が其処に居るのを認知しているかのように、奴を煽る暴言を吐き続けた。


「出来るとしたら精々万引きとかそれぐらいだろうね」


(……だまれっ、)


「いや、あの怪奇事件の犯人の弟だから、もっと凶悪で、知的で、厄介な人物を想像してたんだけど……」


(だまれっ、)


 何処まで人を馬鹿にすれば気が済むのだろう。

 閉じることを知らない口は、次から次へと軽やかに、高田を辱める言葉を吐き、高田はどうしようもない、筆舌に尽くしがたい感情を覚えた。


「拍子抜けって言うか、吃驚したね。まあ、害がありそうなことには……」


(だまれ、)


――もう黙れよ!!


 ブツリ。握りしめていた掌に、爪が食い込み、肌を突き破った。

 目の奥は熱を灯し始め、滴が溢れそうになった。

 感情は煮えたぎる血と混ざり、高ぶり、奴の頭の天辺まで上りあがる。腸は煮えくり返り、口の奥から何かが競り上がりはじめた。そんな時だった、





「もう、あんた。黙れよ」




 しん、

 たった一言で会場が静まり返った。思わぬ言葉に高田も硬直し、言葉を失う。


「……なに? 怒っちゃった?」


 反して、明石は未だに鼻にかかるような声で喋り続けており、その顔にはあの下賤な笑みが貼りつけられているであろうことを、高田は容易に想像できた。

 そんな奴らとは裏腹に、少年の声は冷然と空気を震わせる。


「……やめた」

「なに、やめるの?」


 試合を放り出すような発言に、明石は眉を上げた。

 観客スペースに居る生徒たちも驚いたように騒ぐ。だが、そんな観衆などお構いなく、彼らの戸惑いに気付いていないのか、声の主は淡々と言葉を紡いだ。


「もう、いいや……あんた、黙んなくていいよ」

「は?」


 重ねられる言葉。要領を得ないそれに明石は怪しげに顔を歪ませた。

 コンテナの後ろに隠れる姿は見えない。その顔も、表情も、何も。

 だが、何故だろうか……


「そのきたねークチ、二度と開けないぐらいブン殴ってやる」

 

――明石は金城と言う少年に、“違和感”を感じた。







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