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私は犯罪者ですか?  作者: 苗字名前
第3章――行政高校入学、知られざる光景
37/53

僕らに平穏など無い

 

 伊那瀬とやっと食事(と言っても学食だが)の約束を取り付けることに成功した翌日、金城は食堂の入り口前で、彼女の到着を待っていた。


 昼食時の食堂は相も変わらず雑然としており、騒がしい。金城は灰色の壁に寄りかかりながらボーっ、としていた。


 脳裏を過るのは昨日のこと、放課後に鉢合わせた、あの殺伐とした空気だった。高田と三年生の一人である明石と言う男を中心に、ヒソヒソと囁くクラスメイト達。問題の渦中に居る高田は難しい表情で明石を睨み上げていた。対する明石の顔は何処か悠然としており、その目には嘲りの感情が見えた。


 そうなった事情も過程も未だに知る由もない金城は、誰かに聞こうとしたが、触れにくい空気を察して、出来なかった。解散の意を告げられ、皆がバラけると同時に、高田へと勇気を振り絞って声をかけてみたが、苦笑で誤魔化されるだけだった。


(……結局、なんか用事があるっつって、断られちまったし)


 今日のお昼は伊那瀬やその友達の吾妻と共に、高田も参加させようとしたのだが、断られてしまった。どうしても外せない用があると、今朝も申し訳なさそうに眉尻を垂らしながら、謝る高田を思い出して、金城は息を漏らす。


 

――悪い金城。先に他の人と約束してたのを思い出しちまって、今日は一緒に食えねーんだわ。


(……たく、何考えてんだよ。あいつは)


 考えるのも面倒くさくなって、憂鬱な気分を振り払うようにガシガシと頭の後ろを掻いた。そんな時、ふと気になる単語が耳元まで流れ着く。


『――怪奇事件の犯人である可能性を認められていた少年は、既に3年前に亡くなっていたことが、判明しました。今迄、行政機関によってこの情報が伏せられていたのは、恐らくまだ確証となる……』


「……そういや、そんなこともあったっけな」


 金城が見つめる先は廊下の壁に設置されたフィルムスクリーン。其処には先週から報道されているニュースが、再度アナウンサーの口によって繰り返されていた。


 怪奇事件――それは6年も前に起きた連続殺人事件だ。証拠も手掛かりも残されていない、突然死を迎えた数々の被害者たち。半年に及ぶほどの捜査で、一人の少年を加害者の可能性として発見したわけだが、確証となるものは見つからず、それは有耶無耶とされていた。もう既に4年も、この事件に関しての情報は一切流されていなかったわけだが、注目の的であった少年が事件から3年後と、早くに死亡していたことが今になって分かって、世間はそれなりに騒いでいた。と言っても、反逆者リベル事件の方が民衆にとっては衝撃的だったようで、然程注目されているわけではない。



「金城くん、お待たせ!」

「あ。伊那瀬と吾妻さん……」


 こちらへと手を振りながら寄ってくる伊那瀬と吾妻を見て、金城は不意に頬を緩ませる。


「ごめんね、待った?」

「いや、全然」


 走ってきたのだろう、二人の呼吸は僅かに荒れていて急いで来てくれたのが分かる。


「あれ、高田くんは?」

「あー、悪い。今日は来れないって……」

「そっか、残念」


 少し、寂しそうに眉を八の字にする伊那瀬。金城はそんな彼女に困ったように笑いかけながら、言ってやった。


「また、今度誘うよ」

「うん、ありがと」


 ちゃっかりと次の食事の約束を取り付けている金城。その意図に気付かず、伊那瀬は嬉しそうに頷いた。

 吾妻の手をさりげなく引いてやりながら、歩き出す。


「じゃあ、二人とも行こう!」


 笑顔で食堂へと入る伊那瀬に続いて、吾妻、金城の順で、三人はカウンターへと向かっていった。

 

 




「さて、席は、と……」


一番最初に注文の品を受け取った金城は、キョロキョロと三人が座れそうなテーブルを探す。すると、丁度昨日と同じ席が空いているのを見つけて、其処へと足を踏み出した。


 カタリ。テーブルの上にトレイを置いて、一番奥の座席へと向かうように、尻を長椅子の上で滑らせる。今日の定食は鯖の味噌煮だ。セットとして、サラダと茄の味噌汁とお漬物、それからデザートにとみたらし団子が付いていた。


 それを横目で楽しそうに見つめながら、席を取られないようにと、向かい側の椅子に自分の上着を一応置いておく。


「っし、ナプキンも全員分あるな」


 先ほど、伊那瀬たちのためにと余分にナプキンとコップを取っておいた金城。珍しく今日は紳士的だ。


(……しかし、男一人に女子二人か)


――ハーレムじゃねーか。


 それを言うなら両手に花である。たった二人の女子をハーレムとは言えない。

 ニタニタとちょっと嬉しそうにだらしなく口角を緩ませる金城。悲しいかな、奴を引っ叩いてくれる人間は生憎と傍には居なかった。


「金城くん!」

「おー、伊那瀬。こっちこっち」


 吾妻と二人並んで此方へと向かってくる伊那瀬。どうやら彼女はハンバーグ定食にしたらしい。吾妻はオムライスと言う、なんとも可愛らしいチョイスを選んでいた。


「ごめんね。席取りさせちゃって、コップとナプキンまで……」

「いいって、ほら。二人とも座って。吾妻さんも」

「あ、有難うございます」


 申し訳なさそうに眉尻を下げる二人に金城は朗らかに笑いかけながら、腰掛けるよう足した。

 コップに近くの水差しから、氷の入った水を注いで二人へと差し出す。


「ほい、どうぞ」

「あ、ありがとう」

「す、すいません」


 にこやかにコップを受け取る伊那瀬とは対照的に、後妻は挙動不審にオドオドとしながらコップへと手を伸ばした。どうやら本当に、人見知りをするタイプの人間のようだ。

 あまり目を合わせようとしないその様を、金城は少し勿体なく思った。


(……結構可愛いのに、)


「あれ? 金城くん」

「ん?」

「その子、お友達?」

「は?」


 きょとり、と小首を傾げながらこちらを伺う伊那瀬に、金城は呆けた。その子、とはどの子だ?

 彼女の視線の先へと顔を向けると、真横の白い物体が目に飛び込んだ。


「うォ!?」


 驚いたように後ずさる金城。奴の隣にはいつの間にか一人の少年が、ちょこんと座っていた。錯覚か、その少年は金城の鯖を突いている。長い袖から食み出ている箸は何処か異様だ。


「……お、お前」


 はくはくと口を開閉させる金城。明らかに戸惑っているその様子を見て、少年は平然と鯖の一切れを咥内へと運んだ。もっきゅもっきゅ、と不自然な音を立てながらそれを咀嚼する。

 一頻り噛み終わったのか、ゴクリと鯖を飲み込むと、その形の良い唇を開いた。


「これ、中々良い魚だね」


――スパン!


 小気味良い音が食堂に響いた。

 気が付けば金城の左手には丸まったナプキンを握られており、少年の銀髪は所々乱れていた。

 その頭を見て、金城は思考を何処か遠くへと飛ばしていたのか、はっ、と我に返ったように息を漏らした。しまった、と己の思いがけない行動に躊躇したが、それも即座に目の前の小憎たらしい少年の反応によって、吹き飛ぶ。

 

「……痛い」

「いや、痛いじゃねーよ!? 何やってんのお前!? ってか、あれだよね!? お前、俺のクラスのあの中二くんだよね!?」


 何故だろう、とてもイラッとする。

 ゴシゴシと長い袖の先端で旋毛を無表情で撫でる少年。金城の記憶違いでなければ、奴は同じクラスのあの残念な美少年だ。


「僕は中二じゃなくて、ペンギンだよ。動物虐待だよね、コレ」

「うるせぇよ!? 阿保かテメぇ!? こんなキラキラの銀髪に緑目のペンギンなんか居るわけねーだろ、馬鹿じゃねーの!?」

「当たり前でしょ。ジョークに決まってるじゃない。馬鹿じゃないの、君?」

「おいィィィィい!?」


 あどけない顔つきとは真反対の毒舌的な発言に金城は目をひん剥いた。


 だが、気にしていないのか、無視することにしたのか、少年は再び金城の鯖へと箸を伸ばした。もっきゅもっきゅ、と再度頬袋を動かすと、コクリとまた飲み込んで、呆気に取られた様子の二人の女子へと、頭を下げた。会釈のつもりなのだろうが、その動作は深く頷いたようにしか見えない。まるで鳥のような動きをする少年だ。


「どうも初めまして。僕はキング・ペン太郎です。突然お邪魔してすみません」

「え、いえ……」

「あ、初めまして。私は伊那瀬優香です」


 マイペースと言えば良いのだろうか。周囲の当惑に構うことなく、少年は自己紹介をつらつらと始めた。伊那瀬に続いて、吾妻も途中で口ごもりながらも何とか名乗り返す。どうやら、とても印象的な容姿をしている少年、ペン太郎に戸惑っているらしい。


 その二人のやりとりを見て、ようやっと放心状態から舞い戻って来た金城は急いで突っ込んだ。


「い、いやいやいやいや! え、富堅とがしペン太郎くんだよね? え、何? ちょっと、君何してんの? それ、俺のサバ味噌……」

「惜しい。富堅ではなく、キング。僕は魚が大好物、というかそれぐらいしか食べれないので、粗食させていただきました」

「……は?」


 初日と変わらず意味不明な単語を並べるペン太郎に、金城は言葉を失った。悪びれた様子も見せない、この少年は一体何なのだ。そして何時から此処に居た。


「……粗食って、いや、お前……俺の鯖味噌」

「はい、どうぞ」


 スッと、差し出されたのは野菜だらけのトレイ。肉、と言うよりタンパク質は大匙一杯のツナしか無く、とても午後の授業を生き残れるほどのエネルギー量では無い。


 ひくり、金城の口がひきつった。


 そんな奴とは対照的に、天然なのか、伊那瀬は興味津々と言ったようにペン太郎へと話しかけた。


「えと、キングくん? は、金城くんのクラスメイトなのかな?」

「キングでは無く、ペン太郎と呼んでください。そうですね。もしかしたら、貴方の言う金槌かなづち君とは同郷かもしれません」


――イラッ


 そのふざけた内容に金城は、静かに手のナプキンを構えた。

 大きくそれを振りかぶって、少年へと容赦なく鉄槌を落とす。が、その二度目の攻撃はあっさりと躱され、金城はテーブルの縁へと小指を打った。


「っっっっっっ……!」


 口を窄めながら悶絶する金城。タコのような表情で、長椅子の上で蹲るその様は哀れに思えた。それは悍ましい光景に見えたのか、吾妻が怯えたように肩を揺らす。金城はそれに気付くことなく、プルプルと震え続けた。


「か、金城くん」

「だ、大丈夫ですか?」


 可哀想に思ったのか、吾妻にまで気遣わしげな声をかけられ、金城は何とか返事を返そうとする。


「あ、ああ……」


 涙を浮かべながら上半身を起こす金城。奴が顔を上げた先には変わらず鯖を“咀嚼”し続けるペン太郎が鎮座していた。


――この、糞ペンギン

 

 最早人間扱いをされなくなったペン太郎。その顔は相変わらずのように能面だ。金城の目には、ペン太郎は完全に己の食事を横取りする、憎たらしい鳥としか映らなくなっていた。


 だが、忘れてはいけない。現実の彼は人間だ。それもかなりレベルの高い美少年。例え、どんなに毒舌的な性格をしていようが、残念な思考をしていようが、少年はどちらかと言えば年上の女性にちやほやされそうな、決して敵に回してはいけない、ショタ系美男子である。


 げふり。下唇を少しだけ突き出しながら、ペン太郎は息を零す。


 綺麗に身一つ残さず鯖“だけ”を間食したペン太郎。口周りに味噌を少し散らしているその顔と仕草は赤ん坊のように思えた。


――その唇を本物のくちばしのように無理やり伸ばしてやろうか、


 怒りに染まった双眸をペン太郎へと向ける金城。その熱い視線に気づいたペン太郎は奴へと振り返って、礼の言葉を口にした。


「有難う、見知らぬ人。魚定食がもう残っていなかったもので絶望していたけど、見つけられてよかった」

「えっと、ペン太郎くんってペンギンが好きなの?」


 ずれた質問をする伊那瀬。金城の気持ちを総無視しているのはワザとか、無意識か、それは誰にも与り知らないことだ。


「肯定です。けど少し違う。

 My only love(僕のたった一人の愛しい君)、僕はペンギンを愛している、ペンギンが居なければ僕は生きていけない」

「ペンギンが、本当にお好きなんですね……」


 感心したように息を吐く吾妻。その態度が自分に対するものと、多少違うように思えるのは金城の気のせいだろうか。


「Si, me encanta pingüino(ああ、僕はペンギンを愛している)」

 

 何処までも盲目的にペンギンを愛す少年、ペン太郎……一体何が彼を其処まで鳥への愛へと駆り立てているのか。


「確かに、ペンギンって可愛いものね」


 納得したように頷く伊那瀬。そんな彼女を見てペン太郎は目を光らせた。


「確かに彼らは可愛い。けど、それだけではない。彼らは同時に美しさと逞しさ、そして筆舌し難い魅力を持っている」

「そ、そうなんですか……」


 圧倒されたように言葉を漏らす吾妻。ペン太郎は畳みかけるように口をまくし立てた。


「Ja, sie sind die besten(そう。彼らは最高だ). 

 彼らは何よりも強く、また、聡明だ。僕は彼らを同時に誰よりも尊敬している、だから僕は彼らのようになりたい。なれるように、日々……」

「うるせぇよ!」


 己の存在を無視して、繰り返される鳥の名前にいい加減うんざりしてきたのか、金城は堪忍袋の緒が切れたように声を荒げた。憤怒のあまり、思考は碌に回ることをせず、金城は投げやりに言い捨てる。


「さっきから訳の分からねー言葉喋りやがって!

 そこまで好きならもうずっとペンペンペンペン言ってろ! いっそ口癖にすればいいだろが!?」

「………………それ、良いペン」

「使っちゃったぁああ!?」


 金城のその提案(?)をすっかり気に入ってしまったのか、その後、二人の会話が途切れるまでペン太郎は、ペンと言う口癖を使い続けた。




「つ、疲れた……」

「お疲れ様だペン」

「か、金城くん」


 脱力したようにテーブルへとへたり込む金城。その顔には疲労の色が見えた。


「今日は本当に有難うだペン。金槌かなづち君、君のことを僕はもう決して忘れたりはしないペン」

「だから、違-っつってんだろが……」


 どうやらペン太郎はやっと金城の名前を覚えたらしい。若干誤りがあるようには聞こえるが、ペン太郎は親しげに金城の名を呼んだ。


 もう本当に勘弁してくれ。


 金城はズキズキと疼く頭を抱えた。少年ペン太郎(正式名、富堅誉)の言葉によって、金城は己の神経がガリガリと薄皮一枚になるまで、削られてゆくのが分かった。出来ればこの中二病、或いはペンギンオタクとはもう関わり合いたくない。吐息を零しながら、切実にそう願った時だった。


――ねえ、聞いた!? 三年生と一年生が模擬戦やってるって! しかもブラッド一年!

――え、まじ? 何、模擬戦じゃなくて喧嘩じゃないのそれ?

――わかんないけど、とりあえず行ってみようよ


 一人の女子が大きな声で聞えよがしに食堂へと駆けこんできた。それに反応した幾人かの生徒が野次馬根性でテーブルから立ち上がって、外へと軽い足取りで出かける。


「……金城くん」

「……悪い、伊那瀬。気になるから俺、席外すわ」


 ガタリ、空のトレイを持って立ち上がる金城。それを見て伊那瀬も腰を上げようとしたが、ふと吾妻の存在を思い出してやめた。


「あ、あの伊那瀬さん。気になるなら私も……」

「ううん、大丈夫。それに、吾妻さんは人ゴミ苦手でしょう?」

「で、でも」

「私もあんまり混んでいる場所には行きたくないから……金城くん、気をつけて行って来てね」

「ああ、」


 伊那瀬の気遣いの言葉に微笑し、金城はまずトレイを片付けるために歩きだした。

 伊那瀬の言う通り、恐らく訓練場は野次馬で混んでいるのだろう。もしかしたらギュウギュウ詰めになるほどの人が居るかもしれない。


(胸騒ぎがするのは、何でだ……?)


 ドクドクと忙しない鼓動を打つ心臓。それを抑えるように金城は胸元のネクタイを握りしめて訓練場へと足を速めた。






「……思ったほどじゃねーな」


 第5訓練場の一角、廊下には何人かの生徒が屯しているが、耳元まで流れ着く騒音から夥しい数でないのが分かる。多くても50人か、それくらいだろう。

 

 カツリ、102と掘られた黒いプレートが飾られた扉へと近づく。昨日、金城が授業で使っていた部屋だ。此処は一階なので、あのバルコニーへの入り口では無く、模擬戦を行う空間へと扉は直接繋がっている。ドアは開けっ放しにされており、金城はソロソロとその入口へと近づいた。


 室内を覗くと観戦用のスペースで騒ぐ多少の人混みが見えた。その隙間を通して中心の戦場である空間へと、必死に目を凝らす。二人の人間が視界に入った。一人は床に膝をついており、もう一人はその相手を見下すように踏ん反り返っている。


「……高田?」


 荒い呼吸を零しながら、高田はその冷たそうなフロアに跪いていた。顔には痣と、薄らと浮き上がる赤線が見え、何時も丁寧にセットされていた髪は乱れていた。


「高田、ね……」


 ポツリ、高田と相対する男の唇から冷然とした声が落とされる。その男には見覚えがあった。昨日、己らの実技の授業を任された三年の明石だ。


「なるほどな、合点が行ったよ」

「……取り消せ」


 一人納得したように嘲りの笑いを零す明石の言は、耳に入ってこないのか、高田は憎々しげに言葉を吐いた。


「なんで、昨日あれ程俺に食いついてきたのか」

「うるさい、黙れ! 良いから、昨日の言葉取り消せよ!」

「取り消す? 馬鹿を言うな。今回の模擬戦でお前はこの俺に負けたんだ。賭け事に勝った俺に意見する権利はお前には無い」

「……っ、」


 喉を詰まらせる高田。どうやら、事の発端は昨日のあの最終授業だったらしい。金城は未だに上手く事情を呑み込めていないが、恐らく明石は何か、高田の勘に触るようなことを口にして、奴の反感を買ったのだろう。それならばあの重たい空気にも納得がいく。


(でもって、今日の模擬戦で、勝ったらその暴言を取り消すっつー感じのやりとりが行わられたわけだ)


 スッ、と周囲に視線を走らせてみると、野次馬の数多くが己のクラスメイトだと言うことに金城は気付いた。


(……なんか、嫌な感じだな)


 苦い思いを噛みしめながら、金城は再び問題の主柱である二人へと注意を戻した。金城は疑問に思った。普段、あんなに朗らかで寛大な高田を怒らせたものは何だ? 食堂の、あのブラッドに対するマナー違反の時でさえも、あいつは何も言わなかったのに。


「それに、別に俺は何も間違ったことなど言っていないだろう。友達とのちょっとした世間話に何故お前が口を挟む?」

「っお前が、言っちゃいけない事を言ったからだろっ……」


 苦虫を噛み潰したような顔で明石に噛みつく高田。悔しげに自分を睨み上げる奴を、明石は鼻で笑った。


「言っちゃいけない? 何処が? 俺は当然のことを言っただけじゃないか。あの”怪奇事件”の犯人が死んで良かった、と」

「っ犯人って決まったわけじゃないだろ!?」

「馬鹿かお前。容疑者の可能性として挙がってる時点でもう十分疑わしいんだよ。それに、どうやら彼はブラッドだったらしいじゃないか……その時点で彼はそういうことが出来るクズと証明されている」

「っ兄さんを侮辱するな!」


 しん、騒然としていた空間が一瞬で静まり返った。皆が皆、固まったように停止した。呆然自失と、金城も息を飲む。


 その突然の周囲の変化に高田は瞬時に我に返って、しまった、と言うかのように己のの口を塞いだ。挙動不審に視線を泳がせる奴に、明石は口角を吊り上げる。三日月のように歪む唇を見て、金城は理解した。高田が自ら告白するようにと、明石はワザとあの様な下種な台詞を紡いだのだ。


「兄さん、ねぇ……」

「っ……あ、」

「高田ってのはよく聞く苗字だから、あんまり気にしていなかったけど、なるほど」


 たらり、高田の頬を一筋の汗が伝った。


「お前、“高田和人たかだかずひと”の弟か」

「……っ」

「こりゃ、驚いた。犯罪者の弟がどうやって此処に紛れ込んだんだ?」


 ざわり、人のさざめきが再び空間を支配し、辺りは混乱に陥った。


「おいおいおい、勘弁してくれよ? お前のようなクズと一緒に高校生活を過ごさなくちゃならないなんて、どんな拷問だ? 

 クラスメイトの子達も特に気をつけないとなぁ?」


 声高らかに、全ての人間の耳元まで届くようにと、言葉を発する明石。肩を竦めて両手を上げるそのジェスチャーは大袈裟で、どこぞの大臣の演説を連想させた。眉を八の字にしながらこちらへと視線を投げる奴に、金城の心臓がドキリ、と跳ねる。恐らく奴は自分が高田と仲が良いことを知っているのだろう。


「何時、何処で、ブラッドが犯罪を起こすから分からない。君たちも気をつけなさい」


 そう言って閉める明石の唇は、チェシャ猫ような顔をしていた。奴の視線を怯えるように追う高田。その目は自然と金城へと行き着いた。涅色の双眸が大きく広がり、「何故」、と言うかのように少年の唇は震えた。食堂で食事していたはずの友の存在に驚いているのだろう。揺れる瞳に幾人かの生徒が金城の存在に気づき、奴へと不思議そうに視線を移す。

 ドクン、金城の心臓が早鐘を打ちだし、背中に悪寒が走った。錯覚か、その幾つかのに目には疑心の色が見える。


「……あっ、」


 聞き逃してしまいそうな程に、小さな声。それが含むのは失望か、諦めか、悲しみか、高田は無様にも涙を零しそうになった。何故なら、


――金城が目を逸らしてしまったからだ。


(……何やってんだ、俺)


 己が起こした咄嗟の反応に、金城は唖然とした。


 其処は力強く反論すべきところだろう。ちゃんと、明石の偏見的な発言に異論を唱えるべきだろう。友である高田に手を差し伸べなくては駄目だろう?

 今更、何を恐れる必要がある。このような悪質な視線も発言も、金城自身、中学の頃に嫌と言うほど受けてきたものだ。それを乗り越えて、自分は此処まで来たではないか。それなのに、何故ここで其れを避けようとする? 何を、そんなに怖がる?


(動けよ……)


 己の足元を睨みつけ、体を叱咤する。動け、顔を上げろ。もう一度高田に視線を合わせて、安心させてやれ。だが、己の理性が、その想いに従うことは無い。


(……怖がってる場合かよ!)


 震える手が示唆するのは、脳裏の記憶。己が犯した罪、“見つかってしまうかもしれない”と言う危惧。


 金城は目立つことを避けてきた。下手に尻尾を出さぬよう、周囲に怪しまれぬよう、奴は己の“ブラッド”としての感情を表に出さないようにしていた。その疑心暗鬼に包まれた警戒心が、恐らく目前の“危機的状況”に対して、働いてしまったのだろう。


 金城の心中で罵倒が渦巻く。動け、ふざけるな、助けに行け、と。だが、悔しいかな。体がその指示に従ってくれることは無かった。


 周囲の悪意が空間を満たし、それが高田を襲おうとした時だった。


「其処で何をしているのです」

「久京先生!」


 薄茶のスーツを身に纏った壮齢の男性が、訓練場の入口近くに佇んでいた。小皺の刻まれた顔が、呆れたようにこちらを向いている。


「既に昼休みは終わっていますよ、まったく……早く授業に戻りなさい。欠席にされたいんですか? 君たちは」


 面倒くさそうに、疲れたように息を吐く久京。その顔にはありありと、“どうでもいいんですけどね”、と言う感情が現れていた。教師としてそれはどうなんだ、と生徒一同は思わなくもなかったが、欠席は避けたいので、大人しく其々己の教室へと歩き出す。だが、やはり何人かは先ほどの高田に対する内容が気になるようで、久京へと疑問の声を投げかけた。


「あの、久京先生」

「何ですか?」

「高田くんが、怪奇事件の犯人の身内って聞いたんですけど……」


 その言葉を聞いて、久京は記憶を辿るように頭上を仰いだ。


「……ああ、そういえば、そうでしたね。高田くんは“高田和人”の弟でしたっけ?」


 確認するように、高田へと視線を向ける久京。高田は戸惑ったように、ビクリと肩を震わせた。


「せんせーい。何故、犯罪者の弟が此処に居るんですか? 内申書で落としているでしょう、普通」


 明石は当然のことのように、軽い声色で久京へと問いかけた。それに対して久京はうんざりしたかのように、大きな嘆息を漏らした。


「落とすわけないでしょう? 内申書はあくまで精神的な面を見るためのものです。身内にどんな輩が居ようが、その本人の性質が悪い方へと変わるわけでもない。まあ、確かに心理学的にそういう物も影響すると言う説はありますが、

 我々、行政高校はあくまでその“生徒自身”を見つめるのです。過去がどうであろうが、家族がどうであろうが、関係ない。

 大事なのはその人自身の精神と力。君たちは一体何度私たちにこれを言わせれば気が済むのですか?」

「……けど、高田くんはブラッドですよ?」

「だからと言って、犯罪を犯すわけではありません……実際、過去の履歴からも試験の記録からも、彼からそういう類の物は一切感じられませんでした。だから、此処に入れたのでしょう?

 思想が違くとも、良心と善意はあるものですよ。それに彼は機関士としての適正はありましたし、入試試験の上位成績者です。此処に居るのは当然のこと」

「……」

「あと、付け足すようですが、“高田和人”は容疑者の疑いがあっただけで、犯人と確定していたわけではありません。それに、“ブラッド”などという単語は此処では禁じられているはずですよ?」

「……すみません」

「次また同じような発言をしたらそれ相応の注意をさせていただきますので気をつけなさい。

 ほら、君たちもさっさと教室へと戻る!」

「は、はい」「すいませんでした!」「失礼します」


 最後の叱咤で、外へと走り出す生徒たち。

 その中で、今にも舌打ちしそうな顔へと一瞬、明石は表情を歪ませた。どうやら久京の正論とも言える答えに苛立ちを覚えたらしい。他の教師は分からないが、久京は“中立”の立場を保っている男だ。明石の求める言葉をくれてやるわけがない。奴は何時だって、あるがままの真実を語るだろう。


 渋々と久京の命令に従って、明石も訓練場を出る。もちろん、高田へと嘲りの笑いを送るのを忘れずに。


 ああいったものの、久京の言葉に全員が全員、納得したわけではない。高田に対する“犯罪者の弟”と言う主観は消えないし、奴に対する恐れと軽蔑が拭い去られるわけではない。例え真実がどうであろうと、ブラッドと言う認識をされた時点で、その人間は必ず誰かに蔑みの目を向けられる。おまけに高田が纏う事情は、ちょっとやそっとで解決されるものでは無い。


 高田匡臣がこれから厳しい立場に置かれることになるのは、誰の目から見ても明らかだった。


「高田くん、君はまず保健室へ行って、怪我の治療と着替えを済ませてきなさい。次の担当には私から伝えておきます」

「……はい、有難うございます」

「金城くん、君も何時までボサっとしているつもりですか」

「あ、すんません……」

 

 俯いたまま、床に座り込む高田を複雑な感情で見つめていた金城に、久京が刺々しい言葉を投げかける。それにハッ、と正気に返った金城は焦って教室まで駆け出した。


(……ちくしょう)


 結局、何も出来なかった。

 救うどころか、高田に痛い仕打ちを結果的に向けてしまった金城。後悔、罪悪感、不甲斐なさ。その胸には消えそうにない、不穏な感情が渦巻いていた。






――平穏が、崩れ去る音がした。

 


 


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