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高校受験、決めました

――夢をみた。


 それはとても暖かい夢だった。草地が居て、伊那瀬が居て、爽太くんが笑っている、そんな夢だった。自分が相変わらずのように馬鹿をやって、それを三人が笑う。それは懐かしいような、切ないような気持ちを金城に味わわせた。

 晴れやかな笑顔を見せる爽太くんが此方へと駆け寄ってくる。伊那瀬も一緒だ。


――草地?


 だが、あの仏頂面の幼馴染が此方へと近づく気配は無い。金城は怪しげな表情を見せた。すると


――草地!


 奴の体が、透け出した。金城は焦った。消える、このままでは奴が消えてしまう。

 金城は急いで手を伸ばす。だが、それは間に合いそうになく――


――草地!


 ブワリ。今にも消滅しそうな草地を闇が襲う。それはそのまま金城の視界さえも覆って、金城は恐怖した。だが、次の瞬間、


「くさぢいいいいいい! って、……あれ?」


 真っ暗な視界が開けた。目の前には染み一つない真っ白な天井と、丸いライト。そして伸ばしたままの自分の腕。


「……ゆめかよ、」


 金城は大きくため息を吐いた。「なんだ」、とベッドの上で寝返りを打つ。そうして、フカフカの布団に包まって思考した。


(……もう、一週間は経つんだよな)


 あの事件から一週間、正確には八日。金城はずっと家に籠っていた。学校は既に夏休み期間に入っている。通学する必要も無く、友達との予定も無く、金城は一人、何もせずただボーっとしていた。草地を助ける際に己の全てを使い果たしてしまったような気がして、何かをする気力を無くしてしまったのだ。家の店番などはしているが、客の数は疎らで、特にすることも無い。


「理人―! ご飯よ!」


 部屋の外、下から母の声がする。金城は未だに回らない頭でベッドから降りた。向かいのクローゼットの鏡に自分の姿が写って、目を少し細める。


(髪、すっげぇボサボサ……まあ、いいか)


 大口を開けながら欠伸をする金城。ボリボリと腹を掻くその様はまるでオヤジの様だ。ぼんやりとした顔で部屋を出る。トントンとゆっくり階段を下りて、すぐ傍の居間へと顔を出した。入ると其処には仁王立ちした母が居た。


「ちょっと、何その格好? もう11時よ?」

「今は夏休みですう。別に寝てていいんですぅ!」


 拗ねた様に口を窄めながら講義する金城。その格好はだらしなくも、シャツにトランクスと言う出で立ちだ。その様を見て金城の母親は困ったように息を吐いた。スタスタと台所のカウンターへと戻り、息子へと振り返る。


「まったく……とりあえず、ほら。こっちに来て食べなさい。もう用意できてるから」

「……はい」


 草地の死刑執行日から八日。処刑に関しての情報はニュースでは一切流れていなかった。理由は不明だが、何処のテレビ局も電子新聞もそのことに関しては触れなかったのだ。プッツリと切れた話題に国民も困惑している。「一体何が起きたのだ」と。

 金城も他同様、怪しんでいた。あれ程大規模な事件を起こしたのだ、何故、報道されていない? 行政機関の方が何か一枚噛んでいるのか?


 金城はずっと不安だった。草地と別れを告げた時は強気でいられたが実際は、この先の生活のことを危惧していた。警察に見つかってしまったらどうしよう、と。

 何故なら暗闇の中とはいえ、玖叉には己の顔を見られてしまったのだ。もしかしたらモンタージュ写真を作り上げられて、指名手配されてしまうかもしれない。それが怖くて金城は外に出れなかった。自室に篭もり、食事の時だけ顔を出し、殆ど動こうとしなかった。だが、母はそんな自分を咎めるようなことはしなかった。必要以上に口を出さず、毎日普段通りに自分と接してくれた。それは、金城にとっては有難くもあり、申し訳なかった。


(ありがとな……母さん)


 スゴスゴと台所と隣接した居間の食卓へと向かう金城。テーブルの上には既にお味噌汁と白米、鯵の塩焼きが置いてある。それの芳しい香りを嗅いだ金城の腹が途端に鳴きだす。じゅるり、口から漏れそうになる唾を啜って、席へと着いた。

 すると珍しく母が嘆息を漏らす。


「まったく、あんたはこんな大変な時に……」

「大変……? 何が?」


 突拍子もないことを言われて金城は首を傾げた。本の在庫はまだ沢山あるし、客だって忙しいと言えるほど来ていない。母は一体何を大変だと言っているのだろうか?

 金城は眉を顰めた。

 そんな金城を母は何処か複雑そうな顔で見つめ、次にリモコンでテレビのスイッチを入れる。


――ポチ


『尚、反逆者リベルの正体及び行方は未だに見つからず、警察は苦戦しているようです。

 犯人は男性で間違いないとのことで、爆弾などの類を使う凶悪犯――テロリストして』


「……」


 目の前のフィルムスクリーンには金城好みの大和撫子なアナウンサー。その秀麗な顔の真横には可笑しな仮面を被った男の写真が映っていた。黒いフードに異様な仮面。気のせいか角のようなものが生えているように見える。

 ダラダラダラ。汗が次々へと流れる。

 

「……お、」


(おっれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?)


 思わず喉からスペインの闘牛言葉が飛び出そうになった。


――からん


 箸が手から滑り落ちる。

 唖然とスクリーンを見つめる金城。そんな彼を見て母は憂い気に言葉を零した。


「草地くん執行直前に攫われたみたいなの……びっくり、したわよね。

 行方が分からないみたいで……でも、死体は見つかってないって! 大丈夫よ、きっと! だからあんたも元気出しなさい理人!」


 励ますように言葉をかける母。拳をぎゅっと握って金城の肩を叩く。どうやら彼女は金城が草地の身を案じていると誤解しているようだ。


「……」


 金城の口がタコのように更に窄められる。眼球は血走り、今にもその瞼から飛び出そうだ。


(いやぁ生きてますよ!? 超無事ですよ!? ってか、何ィィィ!?)


 突然の事態に金城の肩が跳ね上がった。心臓は早鐘を打ち、思わず胸元のシャツを握る。


(何、等々来ちゃったわけ!? てか、何でその写真出すのォォォォォォお!?)


 目の前へと付きつられた事実に金城の頭はパンクした。


(いや、予想はしてたけどさぁあ? けどさぁ……え? マジ? もう完全大放送? てか、“反逆者リベル”って何? 誰だよそんな格好いい名前つけたの……)


 無茶苦茶だ。要領を得ない言葉の羅列が思考の中で組み立てられ、金城は更に困惑した。


(あれ、でも……あの写真使ってるってことは、俺の顔、バレてない?)


 その事実に気付いた金城の視界に光が差した気がした。自然と体から力が抜け、金城は椅子の背へと凭れ掛かる。


(……おれ、まだ首つながってる?)


 はあぁ。潔く理解した己の現状に金城は長い息を吐いた。助かった、俺はまだ日常を生きられる。不覚にも涙が出そうになった。


「……理人」

「わるい母さん。大丈夫だから」


 顔を上げて母に笑いかける。自分はまだ大丈夫だ。

 その意味が伝わったのか、母はホッと安堵の息を漏らし、次に微笑んだ。


「そうね……草地くんなら大丈夫よね」


 どうやら母も随分と草地のことを心配していたらしい。金城は今更ながらも彼女の目の下に小さな隈が出来ていることに気付いた。


(……馬鹿か、おれ。母さんだって気にしてないわけが無いのに……)


 金城は己を恥じた。本当に親不孝な息子だと自分を叱咤しながら、気分を入れ替えるように再び箸へと手を伸ばす。


「あー、と、じゃあ……いただきます」

「はい、どうぞ」


 太陽が眩しく窓を照らしつける中、金城は一人、朝食に手をつけた。







♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢


「……はあ、」

 

 朝食を食べ終え、ソファで寛ぐ金城。調子に乗って、白米を5杯もおかわりしてしまった。げふり。口から下品な吐息が漏れる。


「あー……」


――しかし、これからどうしよう。

 いや、確かに己の正体はバレていないし、こんな大騒ぎを起こしている中下手な行動を起こさない方が良いのだが、何もしないのもどうかと、金城は思った。長らく何もせず、ベッドに籠っていたせいもあるのだろう。体が妙にソワソワしてして落ち着かない。


(……そうだ、伊那瀬)


 ふと、大切な彼女とその弟の存在を思い出して金城は腕輪形の端末で今日の日付を確認する。


(……会いに行った方が、良いのかな)


 脳裏を過る彼女の最後の姿。チクリ、胸を小さな針で刺されたような気がした。


(……草地のこともあるし。でも、急に押しかけてもな)


 もう一週間も会っていない彼女。優しく、繊細な彼女はどうしているのだろうか。草地に仄かな想いを抱いていた彼女はこの事件をどう思っているのだろうか?

 知らず知らず、金城はその答えが知りたくて、端末へと手を伸ばしていた。フィルムスクリーンを展開し、彼女のアドレスを開く。指は自然と動き、気が付けば一文だけのメッセージが送信されていた。


 件名:今度会えませんか?


 それだけしか書かれていないメールを見て、金城は呆れの息を吐いた。


「阿保か……おれ、」

(普通、お元気ですか? とか、 具合はどうですか? と労りの言葉とかいれるだろう……いや、敬語じゃなくても良いんだけどさ)


 だが、送ってしまったものはしょうがない。後にその不躾なメールに関しての謝罪をしておこう。金城は思考を放棄するようにソファへと背中から倒れこんだ。


「あー……」

「ちょっと、理人。だらしないわよ……暇なら店番手伝ってちょうだい」


 いい加減、金城のそのだらしなさに飽きてきたのか、母親が居間のドアから顔を覗かせた。それに対して金城は何もすることないし、別に良いかと彼女の言葉に従って、ソファから降りた。








 からからと窓の引き戸を開けて、空気を入れ替える。蝉の鳴き声が外から響いてきた。夏だな、なんて金城は感慨深く思いながら、自動ドアを通って、熱く焼けるアスファルトの地へと踏み出した。外はやはりジメジメとしていて、蒸し暑い。


 店の名前は“KANAGI BOOKSHOP”。金城の姓をただ取ってつけただけの安易な名前だ。特に他意はない。外装は昔の本屋と大差なく、KINOKUNIYAのようにシンプルだ。特に何の工夫もされていない、白抜きの文字の看板が入口の上に飾られている。


「理人」


 ボーっと金城がそれを見つめていると目の前の引き戸が開いた。同時に店内のひんやりとした空気が流れ出て、金城は思わず息を吐く。


「なに?」

「悪いけど幾つか本の整理するの手伝ってくれる? 今朝入荷したんだけどあまりにも多すぎて」

「分かった」

「参考書とか入ってるから必要だったら持っていきなさい」

「……いや、必要ねーよ」

「夏休みの補習があるくせに?」


 金城は思わずげっ、と声を漏らした。正直そのことは忘れていたかったのだが、どうやら母は目ざとくも覚えていたらしい。呆れたように視線を投げる彼女に金城は目を泳がせた。


「……あんた、ちゃんと進学できるの? お願いだから高校に上がれなかったとか、そういうのはやめてね?」

「……あい、」


 金城が通う世田谷中学は付属中学なので自然と高校に上がれるはずなのだが、金城自身あまりにも成績が悪いため、このまま上げさせるのはどうかと教師の間で問題視されているのだ。つい先日、そのことで母は電話を貰っていた。


「ちょっとでも良いから勉強しなさいよ 」

「イエス、マム。とりあえず百均の本を何とかしてきマス。」


 力無さげに敬礼をして、トボトボと店内へと戻る金城。そんな奴を見て金城の母は嘆息を漏らした。


「まったく……どこで育て方を間違えたのか、」


 最近やたらと奇行が増えてきた息子を見て、金城の母は頭を抱えそうになった。


 KANAGI BOOKSHOPは普通の店よりも広く、他所とは少し変わっている。というのが、紙媒体の書物が多いのだ。

 店内には幾つかの書架があり、其処にはズラリと紙媒体の本が並んでいる。此処にある本は殆ど古書だ。100年から90年もの書物が沢山ある。それは今でも古書を好む物好きな人間や、歴史を学ぶ学者のためにある。幾つかの本は綺麗に状態を保ってはいるが、やはり古い紙特有の湿った匂いは隠せない。これらの本は金城の祖父やお得意先の業者からいただいたものだった。


 古本屋に近いものにはなりつつあるが、書店にはちゃんと最近出版された電子書籍も紙媒体の書物もある。その証拠に店の入り口近くには宣伝用のホログラミックスクリーンや、Bshuffleに小説をインプットできる機械も設置されている。機械はセルフサービス方式で、その台の上にBshuffleの端末を置けば自分の欲しい書籍を勝手に購入できる。

 あと、他にもカバーデザインが施されたスクリーン型の書籍が手前の書架に並べられている。こちらはもちろんのことセルフサービス式ではないので、カウンターまで持ってこないと駄目だ。



「よっ、と……」


 百円均一の本が詰まったワゴンを外の軒下に設置した後、金城は店内の通路に積まれた書籍を拾い上げた。


「これか、入荷したってのは……」


 軽く200冊ほど積み上げられたそれを見て、金城は肩を落とした。


「……めんどくせー」


 スクリーン型のそれのカバーを確かめて、ジャンルを分けていく。


「これは、恋愛もので、これはホビーで……これは参考書か……」


 出来れば目を背けたいが、参考書たちに目を通す金城。気のせいか段々とその目は虚ろになって行っている。


「……やっぱ、留年しちゃ……だめだよな」


 それはかなり恥ずかしいことだ。後輩と同じクラスになるのは苦痛であり、ある意味屈辱だ。最悪の未来を想像して金城は頭を振った。そんな時だった。

 かたり。拾い上げたスクリーンの下から姿を現した参考書。それは、


「……行政高校ぎょうせいこうこう、受験対策?」



 行政高校――正式名を「国立行政機関付属高校こくりつぎょうせいきかんふぞくこうこう」。毎年、行政機関へ最も多くの卒業生を正式な職員として送り込んでいる高等行政教育機関として知られている。それは同時に、誰もが憧れる“行政機関士ぎょうせいきかんし”(警官や、検事を差す名称)を最も多く輩出しているエリート校を意味している。行政高校の卒業試験は、行政機関士試験と同等のもので、結果次第ではそのまま機関に所属することが出来るのだ。

 この学校に入学を許されたということ自体がエリートということであり、それを知らぬものはこの国には居ない。もちろん、金城も含めて――。


「……あいつらみたいなのが、此処にも居んのかな」


 あいつら、それは恐らく死刑執行部隊のことを差しているのだろう。彼らもまた紛れもない“機関士”だ。国を守り、民を救い、秩序を作り上げる者たち。それはこの国の憧れであり、また数多くの者が目指す場所である。何故なら機関士こそが国家の力であり、顔そのものなのだから。


(……もう、俺にあんな無茶は出来ない)


 玖叉と戦ったとき、犯行を起こした時の記憶が脳裏を過る。自然とスクリーンを握る手が震えた。


(草地にはこの国を変えるって言ったけど……もう、あんな思いをするのは御免だ)


 ぎゅっ。瞼に力が篭もり、目が固く閉じられる。情けない。金城は己を恥じた。あれ程啖呵を切っておいて、この様とは、なんと情けない男なのだ、自分は。


(……でも)


――“消えねーんだよ。思い出も、想いも、この感情も、全部。もし、それが本当に全部消えてしまうのなら、残るのは後悔だけだ”


 あの日、草地を助けに向かおうとした時、金城は己が言った言葉を思い出した。


「……俺は、もう後悔したくない」


 もう自覚している。己は“ブラッド”だ。この国の法を受け入れることのできない為らず者。この先それを抱えて生きてゆけば、己はきっとまた“同じ思い”をするだろう。その時、今回のように誰かを助けられるとは思えない。何故なら金城にはその力が無い。知性も体力も権力も、何も彼は持っていないのだから。


(……それでも俺は後悔をする。今度こそ誰かを失ったら、俺は間違いなく自分の無力さを責める。あーしておけば、こうーしておけば良かった。

 絶対、そう言うんだろうな……俺は)


 自分のことだからこそ分かる。また誰かを失ったとき、金城は己の過ちを悔い、責めるだろう。


(そんなのは、絶対いやだ)


 ギリ、知らず上下に重なった歯が鳴る。思考するのは、この国を変える方法。自分が選べる最も安全で、最善な道。リスクはある、だが


(この国は、内側から変えるしかない……)


 パキ、握りしめたスクリーンが不穏な音を立てた。それでも構わない。どうせ之は売り物にしないのだから、


「理人? どうしたのそんなとこでボーっとしちゃって? って、作業終わってないじゃない……」


 背後から母に声をかけられた。その声色には呆れの感情が見える。だが、金城はそれに構うことなく、口を開いた。


「母さん」

「何?」


 様子の可笑しい息子。腹でも壊したのだろうかと金城の母は表情を曇らせた。今朝、賞味減の切れた鯖を入れたのがいけなかったのだろうか。腕の中のスクリーンの山を抱えなおして、息子の言葉を待つ。すると、


「俺、上には上がらない」

「……」


 沈黙。静寂が空気を支配した。母親の顔は曇ったまま、固まっている。


「……え?」


 数分か、或いは数秒か。潔く息子の言葉の意味を理解した母は戸惑い、困惑した。


「……あんた、そんなに成績が悪いの?」


 やっとの思いで出た感想はそれだった。


「……駄目よ、諦めちゃあ」「違ぇよ」


 段々と濁り始めた母の瞳を見て金城は突っ込んだ。確かに己の成績は今の所酷くはあるが、そう言う理由ではないのだ。金城は長時間下ろしていた腰を上げ、痺れ始めた足を延ばした。すくり、と立ち上がって母と向き合うように振り向く。琥珀色の瞳とオニキスの視線が交わる。


「俺、行政高校を受験する」



――カシャアン


 瞬間、スクリーンの壊れる音がした。





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