直接対決
多少の残酷描写が入ります。
午後6時01分。江田処刑場、中央広場。
室内には何とも微妙な空気が漂っていた。
広場の中心には一人の少年と男が居る。少年は床の上で膝立ちしており、そこから2、3歩離れた所では、男が呆気にとられた顔で立っていた。
少年の唇が震える。複雑な表情をしていた。怒っているのか、泣いているのか、その口は何かを言いたげにハクハクと開く。
(なに、やってるんだよ……馬鹿野郎)
二人の視線の先にはもう一人、黒ずくめの男が立っていた。黒いフードに黒いズボン、バッシュ、そして手袋。右手に握られているエアガンも黒い。今にも闇に溶け込んでしまいそうなその格好は、異質な顔によって引き留められている。とても目立つ顔、否、仮面だった。それもそうだろう。あの顔は“歴代もっともインパクトのあるキャラだらけの話”として知られる昔の漫画から来ているものなのだ。それが際立って見えるのは当然のこと。
だが、問題はそこではない。
この漫画は随分と昔、それこそ90年以上も前の物だ。今ではそれを知る者は昔人だけで、他には居ない。居るとすれば少年――草地以外にあと一人だけ、
(金城……)
誠の阿呆である。幾ら顔を隠すためとは言え、その面は些か目立ちすぎる。ふざけているのかと草地は僅かな苛立ちを覚えた。そもそも何故彼奴は此処にいるのだと顔をひきつらせる。
だがそんな草地の気持ちなど露知らず、金城は左手に握っている鉄パイプを掲げた。目を凝らしてみるとそれには導火線が付いており、爆弾に見える。草地の側に立つ男――玖叉はその鉄パイプと床に散らばる硝子の破片を交互に見て納得した。なるほど、どうやらアレと同じ爆弾を利用して窓(防弾ガラス)を破壊したらしい。
じゃり、破片を踏みしめる音がした。仮面越しに金城の口が開く。
『その男をこちらに渡せ。さもなくば、これを爆発させる』
変声期を使っているのだろうか、機械的なその声は本気の様で右手には小さなエアガンの他に、火の点いたライターが握られている。どうやら脅しているようだ。
「くくっ……自分が死んでも良いってかぁ?」
『今、此処で目的を果たせなければ死んだも同然だ。変わらない』
「ほう……?」
狂気的な笑みが玖叉の顔を飾る。
「なるほど、自滅型って奴か……わかった」
両手を上げて降参の意を示す玖叉に不覚にも金城の気がホッと緩るんた。それがいけなかった。
一瞬だ。たった一瞬で玖叉は金城の目の前まで迫り、拳を振り上げた。風圧を感じて思わず横へと金城がよろけたその瞬間、轟音と共に後ろの壁が吹き飛ぶ。そこは金城が先ほどまで立って居た場所だ。穴の開いた壁、パラパラと落ちる壁の粒子、その残骸を見て金城と草地は唖然とした。
壁を殴ったにも関わらず玖叉の拳は多少擦り傷がついている程度で、それも次の瞬間、見る見る内に消えてゆく。ゴクリ、金城の喉が鳴った。
(どんな、力……いや、手ぇしてんだよ)
金城の頬に一筋の汗が流れる。やはりこの男は化け物だ。
じりじりと後退してなるべく玖叉と距離を取る金城。目を奴から離すことは決してしない。奴の脚力なら一瞬でここまで攻め入られるからだ。
エアガンの引き金に指を伸ばす。
「おいおい、まさかその玩具で俺とやりあうつもりじゃねーだろーな?」
そのまさかだ。金城には最初から玩具しかない。こんな大事件を起こしてはいるが奴は一般人だ。本物の武器など持っていない。
素早く玖叉に照準を構えて引き金を引く。5mm程のプラスチック弾が連射された。玖叉は顔を庇うように腕を翳す。その隙に金城は壁際の柱へと走った。
「ああ……?」
素早く柱の後ろへと回り込み息を吐く。くそ、と金城は思わず舌打ちしたくなった。
(まじで化け物かよ。くそ、草地からますます遠くなっちまった)
あのまま草地を連れて外へと逃げ出してもよかったが、あいにく金城にはそんな余裕は無かった。二人で逃げようとしても背を向けたその瞬間、先ほどみたいに体に穴を開けられるのがオチだ。金城の中で焦りと恐怖が再び芽生え始める。
(どうすればいい、どうすればいい? 脅しが効かなければこんな玩具も効くわけが無い……いや、幾つかの“凶器”はあるが……駄目だ。俺の運動神経じゃ奴に当てられない)
正に八方ふさがりだ。此処まで侵入する策は立ち上げられたが、金城にはどうしても玖叉と対抗する手段が思い浮かばなかった。己の不甲斐なさに唇を噛む。そろり、と柱の後ろから顔を出して現状を確認した。二人とも先ほど居た場所から一歩も動いていなかった。
「おいおい、隠れてどうすんだよ。そんなんじゃ目的果たすどころか、此処からも出れねーぞ。Idiot」
(余計なお世話だよちくしょう。お前があっち行ってくれればこっちはすんなりといけんだよ!)
無茶なことを金城は毒づく。
(とりあえずこのままじゃ、あっさり見つかって捕まっちまう。他の柱に移ろう)
幸い、柱は両隣に幾つも並べられており、敵を錯乱するには丁度良かった。こそこそと音の鳴らないバッシュで柱の後ろを移動する。玖叉は其れに気付いていないのか一向に先ほど金城が居た柱から視線を移さなかった。
「……移動してんのか」
(ぎっくうぅ!)
実際にそんな音がしたわけではないが、金城は思わず心の中でそんな擬音語を発してしまった。
(っどんだけ鋭いんだよ!? 野生の獣かテメーは! ……いや、あながち間違ってはいないか)
切羽詰まった状況に居るくせに随分と余裕のある思考だ。だが、実際には足は震えていた。奴の心中で走る言葉は全て虚勢でしかない。それでもやるしかないんだと金城は再びエアガンを構えた。柱の後ろから男に照準を合わせる。
「んなことしたって、意味ねーよ。良いからさっさと出てこいId…!」
「!」
(あ……)
命中した。それも男の急所、目にだ。金城はその事実に形容し難い感情を覚えた。
玖叉は体の中で最も弱い膜、眼球に小さな弾を当てられ、とっさに手でそれを覆う。ポロリ、赤く染まった弾が男の手と目の間から零れ落ちた。片目を覆いながら前屈みになる奴を見て草地も金城も、顔を顰めた。
草地を連れて逃げるチャンスではあったのだが、金城にはそれが出来なかった。初めてだったのだ、誰かを傷つけたのは。急に手の中の玩具がズシリと重くなった気がして金城の手は自然と下に垂れ下がる。エアガンが本物の銃の様に恐ろしく思えた。初めての経験に金城は戸惑う。
草地も似たような気持ちで居るのか、それとも友達が自分のために引き金を引いてしまったのが辛いのか、悲痛な表情をして居た。
「……やってくれたな、Idiot」
静かな声が響く。それに温度は感じられず、金城が使っている変声期よりも無機質に聞こえた。ゆらり、男が仰け反る。潰れたと思ったその眼には何の異常も見当たらなかった。血も、何も。金城と草地は己の目を疑った。男は確かに目を怪我したはずだ、それなのに何故何も無い?
(……まさか、)
――ESPみたいな物だよ
メイの言葉が草地の耳奥で蘇った。そして瞬時に理解する。
(再生能力ってやつ、か)
まだ、信じられない気持ちでは居るが既に現実として見ているのだ。受け入れるしかない。男は異常な再生能力を有している。草地の背にじわりと汗が滲んだ。対して金城は困惑顔だ。だがやはり馬鹿なのか、
(もしかして当たってなかった? いや、でも。うん……化け物だし、うん。ありえるよね、なーんて)
と阿呆なことを考えていた。
そんな二人の思索など知るはずもなく、玖叉は構わず拳を構えた。
「良いぜ。Carry on with your hide and seek(そのまま隠れんぼし続けてろ)」
――ガン!
奴の傍にあった柱が歪んだ。
「それはそれで面白ぇ。引きずり出してやるよ」
(……まじでか)
金城の顔から血の気が引いた。
男は宣告通り、次から次へと柱を破壊していく。金城は何とか逃げ惑うが1分も経たないうちにを見つかってしまった。目の前の柱が歪な形へと変形する。
「よう。待ったか?」
(っなわけあるかぁぁぁぁあ!?)
金城は叫びたい気持ちでいっぱいだった。仮面の下から次から次へと汗が噴き出す。そのせいで顔は蒸れ始め、呼吸が荒くなった。
だが、そんな金城の様子などお構いなしに玖叉は拳を再び繰り出す。
(ちょっとまったぁあ!)
ブオン。現実的にありえない風音が金城の耳元で響いた。次から次へと飛んでくる拳を金城は命からがら躱す。男の表情は楽しげだった。口は狐を描き、目はギラギラと光っている。
(遊ばれてるのか!?)
一撃一撃、拳を突き出す瞬間、一呼吸の間を置いているのが分かり、男がわざと自分に躱させていることに金城は気付いた。
(どういうつもりだ?)
その意図を理解しようとした瞬間、鳩尾に打撃を感じた。
「っ……」
固いものが腹に減り込み、そのまま反動で後方へと吹き飛ばされる。体が宙を飛んだのが分かった。どさり、コンクリートに肩から叩き付けられ、そのままゴロゴロと数回金城は壁際へと転がっていく。鳩尾に重い衝撃を食らったことから、一瞬息が止まった。次に胃液が喉までせり上がり、金城の口から何かが吐き出される。口の中で酸味が広がった。息を吸い込もうとするが逆に咽てゴホゴㇹと急き込んだ。ズキズキと腹や腕の肉が鈍く傷みだし、金城は苦い顔をした。エアガンは手の届かないところまで床の上を滑っていってしまった。
「よお、大丈夫かぁ?」
気にかけているような言葉ではあるが、玖叉は笑っていた。その後ろでは草地が焦ったような顔をしている。今にも金城の元へと駆け寄ろうとするが、男に足で転ばされて前倒になる。無様に倒れこんだ草地を無視して玖叉は金城の元へとゆっくり歩み寄った。
苦痛に耐えながらも金城は背中のリュックから転がり出た冷却スプレーに手を伸ばす。そうして、男が1メートル内に入ると金城はヨロヨロと立ち上がった。男は金城の前へと辿りつき、手を伸ばす。すると、金城はスプレーを男に向けて構えた。
「おいおい、そんな物で何をするつもりだ? 爆発でもさせる気か? そりゃ、!?」
「っ……」
スプレーの中身が噴き出す瞬間、金城は手の内に隠し持っていたライターに火を点けて、そのままスプレーの口に当てることで大きな炎を起こした。不意打ちの攻撃に玖叉の視界が眩む。炎が奴を焼き尽くすことは無かったが、手に火傷を負ってしまった。
「くっそ、何だ今のは!?」
吹き出る炎に玖叉が目を白黒させているうちに金城は後方の柱へと再び逃げ込み、そこから別の柱へと移って行った。これで元の状況に戻ったわけだ。
その殊に玖叉は煩いを覚えた。
「おい、Idiot。テメー正気か? また隠れんぼを始めようってか? あぁ?」
(……うるせぇ)
金城の息は荒くなっていた。心臓はバクバクと鼓動を打ち、体がみっともなく震える。
痛む腹を抑えた。骨は折れていないと思うが、
(……内臓を潰されたかと思った)
恐らく男は自分を本気で殴ってはいないのだろう。でなければ壁を破壊したあの腕力を直に受けて、無事で居られるわけが無い。
(……間違いなく“俺で”遊んでやがる。ゲーム感覚ってわけかよ。やっぱ……)
可笑しいだろ、と金城は小さく吐き捨てた。少なくとも自分はこの戦いに命をかけている。だというのに、だ。あの男はそれをまるで娯楽の様に楽しんでいる。それに金城は怒りを覚えると同時に恐怖を感じた。何故ならあの男には“絶対的な強さ”があるからだ。どんなに頑張っても埋められない力の差、それは正に弱肉強食の世界を体現していた。弱い者は強いものにじゃれるように狩られる。それが金城の現状だ。
(……どうすればいいんだよ)
柱に背を預けて瞳を堅く閉じた。肌は栗立ち、足は竦み、手は震えていた。仮面のせいか息苦しい。思考が行き詰って金城は歯ぎしりする。
(……もう、このまま)
「なあ、Idiot。知ってるか? 腕を切断されるのと折られるの、どっちが痛ーか?」
「っ……!」
その言葉に金城は息を飲んだ。
(今度は、腕をやるってか……?)
はは、と金城の口から渇いた笑いが漏れる。そして次の瞬間、
「教えてやるよ、答えは」
「えっ…?」
――ボキリ、
プラスチックが折れるような音がした。
「!!」
「っあ、う、あ……」
「“やりかたによるだ”。 ああ、でも一瞬でやるんなら切断するほうが痛-かな」
(いまの……)
嫌な予感がした。
金城は柱の後ろから僅かに顔を覗かせた。視界の向こう側では男が悠々と、草地を見下ろしていた。金城は男の視線をそのまま辿った。すると其処には、
――関節がありえない方向へと曲がっている腕があった。
「…なん、で」
時間が止まったような気がした。頭が真っ白に染まり、視線を食い入るようにその腕へと向ける。見れば見るほどその腕がありありと、可笑しなことになっているのが分かった。右の下腕が何時もと真逆の方向を向いているのだ。床の上に蹲る草地はその腕を抑えて、必死に痛みに耐えているようだった。見事に左へと直角に曲がった下腕には骨が突き出ている様子は無い。だが、二つに別れた骨がテントの様にその浅黒い肌の下で盛り上がっているのが分かった。青紫に変色したその部分は普通に折れた腕より、より痛々しく見える。草地の額には脂汗が滲み、苦痛にもがく目と唇は強く閉ざされていた。眉間の皺は二重にも三重にも寄せられており、顔の険しさを際立たせる。
金城は、思考を放棄した。
「っ…あ?」
柱から飛び出してそのまま男の元へと一直線に駆け出す。何時もより力強く踏み込む足は気のせいか金城の普段の走りより数倍早く見えた。
1秒にも満たなかったかもしれない。実際にその走りはそんなに早いものではなかったが、それでも玖叉には一瞬に見えた。金城は一息で奴の懐へと潜り込むと拳を振り出す。
「くはっ!」
それを躱して玖叉は笑った。飛んでくる拳はどれも奴にとっては軽いものだったが、少年から発せられたその威圧感は不思議と奴の胸を高揚させたのだ。
(……良い)
快感にも似たそれを感じて、玖叉は思わず足を出す。それは見事に金城の鳩尾に当たるが、それでも金城は止まることを知らなかった。一瞬崩れ落ちそうになった体制を右足で踏ん張ることで立て直し、背中の懐から鈍色に光る獲物を取り出す。
「お?」
顔へと突き出された物をすんでのところで玖叉は避けて、視線をその獲物に向けた。
包丁だ。
金城は息切れしながらも狂ったかのように包丁を振り回す。玖叉はそれを初めは愉快そうに眺めながら往なし続けていたが、しばらく続くと段々と飽きてきたのか、つまらなそうに眼を細めた。
バチン、手首を軽く叩かれて包丁を落とす。その次の瞬間、右から衝撃を感じて、気が付いたときには金城は蹴飛ばされていた。床の上をまた転がりはしたが、嘔吐することは今度はなかった。どうやらまた手加減されたらしい、それもかなり。
「……つまんねぇな。テメー、それ以外に芸は無えのか? まさか本当に一般人かぁ?」
玖叉のその言葉にピクリと反応したのは未だに床に蹲る草地だった。だが、玖叉はそれに気づくことなく、コツコツと靴音を鳴らしながら随分と遠くへ飛んだ金城へと近づく。
「力も無ぇのに何でここに来た? 下らねぇ友情ごっこや家族愛か? それとホモかテメぇ?」
「……んなわけあるか」
「ああ?」
もがきながらも痛みで震える腕を支えに金城はもう一度立ち上がる。けれどやはりダメージは大きかったようだ。大きく前屈みになって腹を抱える金城。頭と肩の下で腕が隠れて見えた。金城はそのまま口を開く。
「……そいつなんざのために動いた覚えなんぞこれっぽっちも無ぇーよ」
「じゃあ、何でだ?」
「決まってんだろ」
にやり、仮面の下で金城が笑ったような気がした。
「自分の為だよ!」
玖叉が金城と草地の間、丁度10メートルずつお互いから離れた所で、金城は袖に隠しもっていたあるものを奴に投げつけた。例の爆弾だ。導火線は既に点けられており、あと5㎜で火薬に届くところだった。そして次の瞬間。
――ドン!
男の前でそれは爆発した。それだけではない、中には何やら釘などの鋭いものが一緒に詰められていたようで、それは爆発によって勢いよく拡散し、男を襲った。
「がっ……」
体中に異物が刺さるのが男には分かった。その衝撃で床へと崩れ落ち、揺れる視界の中、焦点を必死に合わせようとする。
男に大きな隙が出来た。
金城は急いで草地の元へと駆け寄り、無事な方の腕を肩に担いで奴を立ち上がらせた。
「いくぞ!」
「……おまえ、」
驚愕した顔でこちらを見上げる草地を無視して金城はそのまま奴の腕を引く。
「時間が無ぇ! 急ぐぞ!」
自分が侵入してきた窓から出ようとするが、その途中で玖叉が居ることに気づき、何時また再生するか分からない奴に捕まらぬよう、自分たちの居る位置から最も近い広場のドアへと走りだした。
何とか広場から脱出できた金城たち。だが彼らは今だに"籠"の中。
――追いかけっこという名のデスゲームが始まろうとしていた。




