死刑執行部隊

　7月23日、草地巴の処刑日まであと3日。

　法務省の一角は不穏な空気で包まれていた。

　ヒョロヒョロとした少し細身の刑事――まだ今年入ったばかりの新人――菊池は不思議そうに所内（オフィス）を見渡した。廊下を歩いている彼には、デスクに座ってパソコンに向かう者、電子書類を読みながらコーヒーを啜る者が壁の硝子越しに見えた。皆いつも通りのルーティーンをこなしていたが、どこかピリピリとしているのが肌で感じられる程に、殺伐とした空気を生み出していた。その様子に首を傾げた菊池は、隣に居る巨漢――高津に問う。

「高津さん。今日は皆さん、なんかピリピリしてますね。何かあったんですか？」

「あ、あー。そっか菊池、お前初めてか 」

「初めてって？ 」

「聞いてるだろ？処刑の話」

「……世田谷中学校の男子生徒のことですね」

　菊池は高津の言いたいことを即座に理解した。処刑の話と言えば一つしかない。30年ぶりに処刑判決くだされた未成年――草地巴（くさぢともえ）。彼のことを知らない人間はこの法務省にはもはや居ないだろう。もうすぐ大きなニュースとして日本全国に報道される事件、そしてその結末。きっと日本、いや、もしかしたら世界中が騒ぐことになるかもしれない。

「それがどうかしたんですか？」

「…処刑を行う際、何処の部署が其れを取り仕切り、行うか、お前は知ってるな？」

　その言葉に菊池は息を呑んだ。気のせいか、冷汗が首元に流れる。

「……まさか」

「そう、今日来たんだよ。“死行隊(しっこうたい)”がよ」

　死刑執行部隊(しけいしっこうぶたい)、通称、死行隊。法務省で唯一、捜査権と死刑執行権を持つ部署だ。死刑囚の身柄確保と刑の執行を主の仕事とし、また刑執行を妨げる人間への攻撃も認められている。全ての執行官は凶悪犯を相手に任務を遂行するため高度な戦闘訓練を受け、殺傷能力の高い武器の携帯、及び機械（マシン）と言う名の特殊武装を許可されている。法務省含む行政機関では“特別捜査本部”の次に最も付きにくい仕事であり、最も恐れられている部署である。

　圧倒的な強さを誇っているというのもあるが、そこは何でも“クセ”の強い者たちが多いことで他部署から恐れられているらしい。

「まあ、実際会って話してみれば真ともな奴は居るんだが、とんでもないのが何人か居てな…」

「そうなんですか」

「ま、問題を起こさないでくれることを祈るよ」

　高津が目立ち始めてきた白髪まじりの髪をガシガシと掻き毟ると、けたたましい音を立てながら後ろのドアが吹っ飛んだ。大砲が撃たれたかのような激しい音だ。

「な、なんだ！？」

「…噂をすれば、か」

　音の発信源は法務省の相談室――法務省内の全部署が使う共同スペースだ。そこはまだ改装されたばかりで、ドアも新しいはずだ。なのにその肝心の扉は見るも無残な物に成り果てており、かろうじて原型を留めてはいるが、もう使えそうに無い。廊下には木屑や、幾多もの壁の欠片があちこちに散らばっていた。

　菊池は恐る恐る、カーペット張りの床から視線を上げる。

　そこには銀髪の男が片足をあげたままの状態で立っていた。どうやら、ドアを吹っ飛ばしたのは彼らしい。菊池はゴクリ、と唾を飲み込んだ。

――　一体、どれだけ鍛えれば片足だけでドアを吹っ飛ばすことなんて出来るんだ。

　男は足を下ろしてダラリと体制を崩す。まるで弛みきった猫を連想させる動きだ。

「りィ……」

「へ……？」

「だりい……何だよソレ。久々のいかれサイコ野郎か、殺戮万歳の凶悪犯野郎かと思ったら、盗みやっただけの高校生かよ。やりがいのねー……」

どうやら、この“死行隊”の男は処刑対象の青年に不満を持っているらしい。なるほど、確かに発言からして真ともな男ではない。そして気のせいか、彼の額に青筋が浮かび上がっているように見える。

「不謹慎ですよ。玖叉(くざ)、口を慎みなさい」

　銀髪の男――玖叉の背後からもう一人、男が部屋から出てきた。見るからにまだ若く、菊池の少し上くらいだろうか。銀髪の男と言い、死行隊は若いのが多いのかと菊池は少し疑問を抱く。だがこの男は言動や振る舞いからして、恐らく高津の言っていた真ともな部類なのだろう。ノンフレームの眼鏡に黒の短髪からしてとても真面目な印象を受ける。キリリと引き締まった顔つきのせいで厳しそうな性格をしているようにも見えた。

「うるっせぇんだよ……“長官”さまよ。こっちは気が立ってんだよ。ただでさえ、あの“ウザ長”に大量の始末書書かされたってのに…やっと仕事が来たと思ったら人を殺したこともねー僕ちゃん青年って……っざけてんじゃねーぞ、コノヤロウ！！」

――ガン！

「ひっ」

――今度は壁が拳で減り込んだ！？

　玖叉の突然の暴挙に菊池の肩は震え上がった。アソコまで行くと最早人間業ではない、凶器だ。生きた凶器が歩き回っている。

　クビ元まで長く伸びた銀髪の間からは琥珀色の瞳がギラギラと光っており、鋭いその目つきは野生の獣を連想させた。異様な空気（オーラ）が今、この男から発せられている。

　だが、隣の眼鏡――“長官”はその空気、もとい殺気を物ともせず、むしろ呆れたようにため息を吐いていた。

――異質だ。

　菊池は直感した。この男たちは異質の者だ。普通とも、“エリート”ととも違う、規格外、あるいは、別次元の人間。菊池は肌でそれを痛感した。背中に流れる冷や汗が止まらない、足も床にへばり付いていて一歩も動けない。

ただ立ち竦むことしか出来なかった菊池の方をポンと叩き、高津は二人に声をかけた。

「よう、釘崎(くぎざき)。元気そうだな 」

――高津さアアん！？

　菊池は恐れ戦き、高津にマッハ20の速度で顔を向けた。

――何やってんですか何やってんですか何やってんですか！？　殺されますよ！？

　だが、悲しいかな。菊池の心の叫びはどうやっても高津には届かない。

高津はそんな菊池の様子に気づかず、“長官”と呼ばれた眼鏡の男――釘崎へと歩み寄った。

「高津さんもお元気そうで何よりです。仕事のほうは宜しいんですか？」

「ああ、忙しくなるほどの事件は此処に入ってから一度も無ーよ」

「それもそうですね」

――あれ？何か親しそう。

　どうやら二人は知り合いらしい。先ほどまで渋い顔をしていた釘崎はその表情を取りさらい笑顔で高津に対応していた。高津は豪快に笑うと玖叉に目を向ける。

「そっちは…大変そうだな。玖叉だったっけか？お前の噂は良く聞くよ」

「…ああ？誰だテメー」

　凄む玖叉に釘崎は疲れたように息を吐いた。

「玖叉は一度も此処に顔を出そうとしませんでしたからね。

　この方は高津明さん。法務公安課の大ベテランですよ。私たちの大先輩なんですから少しは口を慎みなさい」

「ぐわっはっはっは！良いさ良いさ。お前らの大先輩でも、立場はお前らの方がある意味上だ。気を使うような必要は無いさ。気にするな」

「すみません…」

「はっ…」

　せせら笑う玖叉を咎めるように睨んだが、どうでも良さ気に肩を竦められて、釘崎は諦めるように嘆息を漏らした。どうやら相当の苦労人の様だ。

　高津も眉を八の字にして笑いながらも釘崎に声をかける。

「今日は手続きか？」

「はい、三日後には刑を執行するのでその準備と、被告人の様子見をかねて……」

「どうだった？」

「特に何も。検察庁の”特務班”が何やらうるさかったですが、被告本人はしっかりと自分の現状を受けて入れているようで、抵抗は愚か口を開きさえもしませんでした」

「そうか……」

　高津は少し悲しげに目を伏せた。恐らく草地に同情しているのだろう。だが、罪は罪だ。法を犯したからには罪を償わなければいけない。

「何の問題も無くこの事件も終わりそうだな……」

「ええ……そろそろ時間なので、これで失礼しますね」

「ああ、引き止めて悪かったな」

　玖叉はもう用は無いとばかりに黙って立ち去り、釘崎は丁寧に会釈してからその後を追った。その間逆な態度に高津は苦笑を溢す。そこに空気と化していた菊池が感嘆の息を吐いた。

「……すごいですね、高津さん。“死行隊”の方と知り合いだったんですか」

「あ？ああ、知り合いというか、釘崎がまだ死行隊に入る前、法務省に入りたてのペーペーの頃に教育係として付いていたんだよ」

「へー、それで……」

　キラキラ、菊池の瞳が星のように輝きだす。高津に向けるその眼差しは眩しく、純粋な光を灯していた。

――高津さんって、やっぱり凄い。

　一方、世田谷中等学校。

　午後4時00分。3年I組。

　殆どの生徒は部活、或いはすでに帰宅しており、教室はガランと空っぽになっていた。

　そこで金城理人（かなぎりひと）は一人、なえセンこと土宮香苗（つちみやかなえ）の前で正座をしていた。まるで飼い主と犬ような構図だ。土宮香苗はその長い髪を鬱陶しそうに払い、腰に手を付いて金城を見下した。対する金城は居心地が悪そうに足をもぞもぞと擦り合せる。

「それで、金城君？　ココ最近の態度は一体何？　何か部活、あるいはバイトでも始めたのかしら？」

「いえ……特に何も」

「それじゃあ毎回、あんなにも熱心に、さようならの挨拶、及び号令を忘れてしまうほど、走って教室を出るのは何故かしら？」

「それは……」

（もう良いだろ！？　お前は何でいつもいつも、教師でもないまだペーペーの実習生のくせに説教かましてくんだよ！？　あと、化粧臭い！！）

　もごもごと口篭りながらも、金城はしっかりと土宮香苗に内心では罵倒を浴びせていた。自業自得と分かっていながらも、彼女のそのしつこい説教にうんざりしていたのだ。実際、その心情は顔に表れており、目は虚ろに濁っていた。心なしか頬もげっそりと痩せこけている。相当疲れているらしい。

　金城は気付かれぬように小さく息を吐いた。

　いい加減、長時間正座しすぎて痺れてしまった足が辛い。何故、自分は正座などさせられているのだろうかと頭を抱える。「本当にこの女は意味の分からないことばかりをする」と金城は土宮香苗のことを鬱陶しく思い始めていた。

――こっちはまだ“準備”が残っているというのに。

　二度目の溜息を漏らす。そろそろ開放してほしいのに、彼女は未だに自分を厳しく叱咤（しった）してくる。本当によく動く口だと少し感心すると同時に呆れた。

　土宮香苗も疲れてきたのか、聞こえよがしに長嘆息する。

「あなたと言い、伊奈瀬さんと言い、なんで最近の子はこうなのかしら」

　その言葉に、金城はピクリと反応した。伊奈瀬は此処さいきんずっと休んでいる。長い間溜まっていたストレスと過労が原因で高熱を出しており、中々引きそうにないのだ。此れは仕方の無いことだと金城は思っている。色々な事柄が怒涛のように彼女に押し寄せてきたのだ。あまりのことに身体がオーバーヒートして倒れてしまうのは彼女のせいではない。それなのに何故、土宮香苗は此処で彼女の名を出すのだろうか。金城の中で不穏な感情が芽生え出す。

「何を思い悩んでいるのかは知らないけど、今あなたたちが優先するべきことは学業よ。ほかの事に現を抜かしている暇があるのなら勉強しなさい」

「あの、すんません……」

　恐る恐る、ゆっくりと手を上げた。そんな自分に土宮香苗は嘲りの眼差しを向ける。けれどそんな視線に怯まず、金城は言葉を紡いだ。

「なに？」

「現を抜かすって……なんで伊奈瀬が倒れたのか、先生は知ってるんですか？」

その言葉に彼女は目を細める。

「草地くんのことでしょ。チラチラと彼のことを見る伊奈瀬さんをよく見かけたから知ってるわ。

家のことは仕方が無いと私も思っているから別に良いわ。でも色恋沙汰は別よ。そんな事に現を抜かすことは彼女のためにならない。あなたも良く考えて行動しなさい」

その言葉で、自分の中の何かが切れるのが分かった。

――なんだよ、それ。

そんな事？この女は今、“そんな事”と言ったのか？草地のことを？奴の命が関わっているのに？

腹の中が煮え繰り返る様な感覚がした。心臓と肺の間に何かがグルグルと渦巻いているような気がしてならない。気持ち悪い、吐き気がする。こんなに何かを不快に感じたのは初めてだ――。

膝の上で握った拳は震え出し、口からは勝手に言葉が滑り出す。

「そうですね。先生の言うとおりです、ご心配なく。ちゃんと考えて此れからは行動します。」

「……良い心がけだわ。もっと早くに素直になって欲しかったけど」

「ああ……」

　金城は横に放置していた鞄を手に持つと、痺れる足を押さえながらのろのろと立ち上がった。一歩一歩、踏みしめるように前へ進む。そして、3、4歩ぐらい先の距離に居た土宮香苗の目の前へと辿り着くと、ゆっくりと彼女を睨み上げた。

「あんたみたいなクズに成り下がらないようにな」

「んなっ……！？」

　絶句する土宮香苗。彼女が初めて表情を崩す瞬間だったが、金城にとってそれはもはやどうでも良いことであった。口をだらしなく開けて、唖然とする彼女の横切って校舎を出る。

――もう二度と、あの女の顔は見たくない。

そんな悪態をつきながら、苛立ちを吐き出すように嘆息する。

「眩しいな、糞っ……」

　空を見上げる。草地や伊奈瀬たちが大変な想いをしているというのに太陽は憎たらしいほどに輝いていた。手を翳して光を顔から遮断する。すると携帯が鳴った。ポケットから取り出して、相手の番号を確認する。

「タイムリミットまであと三日、」

――駒は揃った。

あとは罠を張るだけだ。