伯爵令嬢とグレープフルーツ
「はい、オリヴァー」
「ありがとう、イヴリン」
私自らシェイカーを振って作ったオリジナルカクテルを、婚約者のオリヴァーに手渡す。
「シンシアさんも」
「ありがとうございます、イヴリン様!」
続いて男爵令嬢のシンシアさんにも、カクテルを手渡した。
これで50名近くいるご来賓の皆様全員に、カクテルが回ったわね。
では最後に――。
「はい、セバスも」
「これはこれは、恐悦至極に存じます、お嬢様」
私の専属執事であるセバスにもカクテルを手渡すと、セバスはいつものように慇懃無礼に頭を下げた。
セバスは目が良いのに、「執事っぽいから」という理由だけで伊達モノクルをかけている変人だ。
私はご来賓の皆様のお顔をぐるりと見回す。
「本日はお忙しい中こうしてお集まりいただき、心よりお礼申し上げます。是非今夜はごゆっくり羽をお伸ばしになり、お酒と料理をお楽しみください。カンパーイ」
「「「カンパーイ」」」
私の乾杯の音頭と共に、皆様がカクテルをクイと一口飲む。
「うん、これは美味い! やっぱイヴリンの作るカクテルは格別だね」
「うふふ、ありがとう、オリヴァー」
「このカクテル、今度私にも作り方教えてください!」
シンシアさんが人懐っこい笑顔で私に訊いてくる。
「ええ、もちろんいいわよ」
「やったぁ」
こうして今日も夜会は、つつがなく幕を開いた。
我がスタンフィールド伯爵家では、定期的にこうして懇意にしている貴族の方々を家に招き、親睦を深めている。
貴族が繁栄していくためには、こういった横の繋がりが何より重要なのだ。
そしてこの夜会のホスト役は、一人娘である私の仕事。
私も一口カクテルを飲むと、程よい甘さと苦みが口の中に広がり、思わず口角が上がった。
うん、我ながら今日もよく出来てるわね。
さて、と。
「オリヴァー、行くわよ」
「ああ、うん」
私はオリヴァーと共に、ご来賓の皆様一人一人に挨拶に回った。
どなたからも、「二人は仲が良くて羨ましいね」と褒められたが、私はそれに対して「うふふ」と微笑み、オリヴァーは「アハハ」と苦笑いを浮かべていた――。
「あら?」
宴もたけなわとなった頃、オリヴァーの姿が消えていることに気が付いた。
よく見ればシンシアさんもいない。
……これは、いつものやつね。
「少し失礼いたします」
私はトイレに行くフリをして、そのまま自室にそっと入った。
程なくすると――。
「お嬢様、わたくしです」
ドアの向こうからノック音と共に、セバスの声がした。
「入りなさい」
「失礼いたします」
セバスが大仰に頭を下げながら、部屋に入って来る。
「今日はどんな感じだった?」
「はい、お二人は今夜も、歯がとろけそうになるくらいの、甘ぁい言葉を囁き合われておりました」
「なるほどね」
二人というのはオリヴァーとシンシアさんのことだ。
二人は大胆にも、たびたびこうして夜会を抜け出し、空き部屋で睦み合っているのだ。
セバスが壁の奥で聞き耳を立てているとも知らずに。
「ただ、今回は若干不穏な会話も交じっておりました」
「不穏な会話?」
セバスが伊達モノクルをクイと上げながら、無言で頷く。
ふうん。
「それはどんな内容だったのかしら?」
「では、不肖ながらわたくしめが、お二人の会話を再現させていただきます」
そう言うなりセバスは、オリヴァーとシンシアさんを模したパペット人形を左右の手に嵌めた。
いつの間に作っていたのかしら、こんなもの?
『オリヴァー様ぁ、私早く、オリヴァー様と正式な夫婦になりたいですぅ』
『僕も君と同じ気持ちだよシンシア。……でも、それが口で言うほど簡単じゃないってことは、君だってわかるだろ?』
腹話術が始まったわ。
しかも声真似が結構上手い。
こんな特技を隠し持っていたなんて。
まったく、本当に面白い男ね、セバスは。
『……僕は婿養子だ。知っての通り僕の実家は財政が苦しくてね。僕がスタンフィールド家の婿になることを条件に、スタンフィールド家から莫大な援助を受け、何とか家計が成り立っているのが実状なんだ。もしも僕がイヴリンとの婚約を破棄したら、当然援助も断ち切られてしまうし、外聞も悪くなる。そうなったら、君に苦労をかけてしまうよ』
私に対する申し訳なさは微塵もなさそうなところは、如何にもオリヴァーっぽいわね。
『あっ、それだったら、私にいい考えがありますよぉ』
『いい考え?』
ほう?
『次の夜会でも、またイヴリン様はいつも通り、オリジナルカクテルを振る舞うはずです。で、私が受け取ったカクテルに、こっそり「ニャポリア」を入れるんです』
なるほどね。
そういうこと。
ニャポリアは毒の一種で、服毒すると5分ほどで全身を激しい痛みが襲う。
とはいえ、すぐに痛みは治まるので、命に別条はない。
『え!? 何のためにそんなことを!?』
ここまで言われてピンとこないなんて、オリヴァーは本当にオリヴァーね。
『つまり、イヴリン様が嫌がらせで、私のカクテルにニャポリアを入れたことにするんです。カクテルを作って配り回るのはイヴリン様ですから、疑いの目はイヴリン様に向きます。これでイヴリン様は晴れて犯罪者です。当然オリヴァー様との婚約も白紙になるでしょうし、スタンフィールド家からたっぷりと慰謝料ももらえるでしょうから、当分遊んで暮らせますよ』
『な、なるほど! その手があったか! それなら僕らは被害者側なんだから、世間への面目も立つ。……でも、君は大丈夫かい? ニャポリアの痛みは、相当なものだと聞いたことがあるよ?』
相変わらず、シンシアさんに対しては優しいのね。
私は一度もオリヴァーからそんな言葉かけてもらったことはないけど。
『大丈夫です! オリヴァー様との未来のためだったら、私、どんな痛みでも耐えられます!』
『嗚呼、シンシア……! よし、やろう! 僕たちの輝かしい未来のために!』
あらあら、随分感動的なシーンだこと。
「以上でございます。ご清聴ありがとうございました」
セバスがパペット人形と共に、ペコリと頭を下げた。
ふむ。
「ブラボーよセバス。とても面白かったわ」
私はそんなセバスに、パチパチと賞賛の拍手を送る。
――さて。
「どうなさいますかお嬢様? 何でしたら、わたくしのほうで事前に対処することも可能ではございますが」
セバスが伊達モノクルをクイと上げながら、獲物を狩る直前の猛禽類みたいな目になった。
うふふ。
確かにセバスなら、秘密裏に対処してくれるでしょうね。
「気持ちだけ受け取っておくわ。――私に考えがあるの。せっかく二人が私のためにショーを開いてくれようとしてるんだから、私も相応のお礼をしなくちゃね」
「左様でございますか。これはこれは、差し出がましい真似をいたしました」
セバスが慇懃無礼に頭を下げた。
さてと、次の夜会が楽しみだわ――。
「はい、オリヴァー」
「ありがとう、イヴリン」
そして訪れた夜会当日。
例によって私自らシェイカーを振って作ったオリジナルカクテルを、オリヴァーに手渡す。
「シンシアさんも」
「ありがとうございます、イヴリン様!」
続いてシンシアさんにもカクテルを手渡した。
その際、シンシアさんがカクテルにこっそり白い粉を入れたのを、私は見逃さなかった――。
とはいえ、これでご来賓の皆様全員にカクテルが回った。
では最後に――。
「はい、セバスも」
「これはこれは、恐悦至極に存じます、お嬢様」
セバスにもカクテルを手渡すと、セバスはいつものように慇懃無礼に頭を下げた。
私はご来賓の皆様のお顔をぐるりと見回す。
「本日はお忙しい中こうしてお集まりいただき、心よりお礼申し上げます。是非今夜はごゆっくり羽をお伸ばしになり、お酒と料理をお楽しみください。カンパーイ」
「「「カンパーイ」」」
私の乾杯の音頭と共に、皆様がカクテルをクイと一口飲む。
「いやあ、いつもながら、イヴリンの作るカクテルは美味いね!」
「うふふ、ありがとう、オリヴァー」
まだ一口カクテルを飲んだばかりなのに、オリヴァーの顔が紅潮している。
もうじき自分たちの計画が成就するかと思うと、興奮が抑えられないのだろう。
「このカクテル、サッパリしていてとっても飲みやすいです、イヴリン様! どんな材料を使われてるんですか?」
それに反して、シンシアさんの表情はいつもとまったく変わらない。
なかなかの役者だわ。
大したものね。
「ええ、今日は隠し味に、グレープフルーツを少しだけ絞ってみたの。どう? 飲み口が爽やかでしょ?」
「「………………え」」
途端、二人の顔が絶望で染まった。
さもありなん。
グレープフルーツには、ニャポリアの効果を数百倍にする特性があるのだ。
その痛みは、とても常人が耐えられるものではない。
単独では微毒なニャポリアも、グレープフルーツと併用することによって、致死率100%の猛毒へと変化するのだ――。
「そ、そんな……!! き、君はまさか、僕たちの計画を知っていたのかッ!?」
あらあら、その発言は、自白ということでよろしいのかしら、オリヴァー?
「あ、あぁ……!! 嫌ああああああ!!! 死にたくない死にたくないいいいい!!!!」
シンシアさんも今回ばかりは平静を装えなかったのか、頭を掻き毟りながら頽れた。
うふふ、そうよね。
あと5分で、文字通り死ぬほどの痛みが襲ってくると思ったら、無理もないわ。
ちなみにこの際、シンシアさんはカクテルグラスを手放して落としそうになったのだけれど、それはセバスがキッチリとキャッチした。
このカクテルは物的証拠だ。
後で鑑識に回さなくては。
「どうしたの二人とも? その慌てよう、まさかとは思うけど、このカクテルにニャポリアを入れたりしてないわよね?」
「「――!!」」
二人は奥歯をガタガタと鳴らしながら、涙目で私を見つめる。
今の二人には、私は死神に見えているかもしれないわね。
「仮にそうだとしたら大変だわ。今すぐ処置しないと命に関わるわね。こんな時のために、念のため『エクフーラ』を用意しておいてよかったわ」
「「っ!?」」
私は懐から、小瓶に入ったエクフーラという液体を取り出した。
エクフーラは大抵の毒を中和してくれる万能薬で、ニャポリアにも効果がある。
今すぐシンシアさんがこれを飲めば、ニャポリアを無効化できるのだ。
「どうする、シンシアさん? もし飲みたかったら、お好きにどうぞ」
「あ……あぁ……」
シンシアさんは震える手で、私からエクフーラを受け取る。
「シ、シンシア……!」
オリヴァーはそんなシンシアさんを、不安で揺れる瞳で見つめる。
シンシアさんがエクフーラを飲むということは、ニャポリアを入れたのを認めることと同義。
そうなれば自分たちは犯罪者だ。
オリヴァーは今、保身とシンシアさんの命、その二つを天秤にかけている――。
さあ、あなたはどちらを選択するの、オリヴァー?
「シンシア、まさかそれ、飲まないよな? 僕たちは、カクテルにニャポリアなんか入れてないもんな?」
「――!!」
どうやら天秤は保身のほうに傾いたようね。
このままシンシアさんがエクフーラを飲まずに死ねば、カクテルにニャポリアを入れたのは私だということにできるかもしれないものね。
そうなれば少なくとも、自分だけは助かる。
――まったく、オリヴァーは本当にオリヴァーね。
「クッ! う、うわあああああああああああああああああ」
「シ、シンシアッ!!?」
だが、当然シンシアさんはオリヴァーのために命を捧げるような女ではない。
シンシアさんは血走った目をしながらエクフーラの蓋を開け、それを一思いに飲み干したのだった――。
「あ、あぁ……、シンシア……」
オリヴァーは糸が切れた操り人形みたいに、その場に崩れ落ちた。
さて、これで二人が私を陥れようとしていたことが証明されたわね。
「ああ、そういえばさっき私、言い間違えていたことがあるの」
「「………………え?」」
二人同時に、キョトンとした顔になった。
うふふ、本当に息ぴったりね。
「グレープフルーツを入れたって言ったけど、そういえば入れたのはレモンだったわ。同じ柑橘系だから、うっかりしていたわね」
「「――!?!?!?」」
二人は大層面白い顔になった。
うふふ、イイ顔するわね、二人とも。
レモンにはニャポリアの効果を数百倍にする特性はない。
つまり二人が私の脅しに屈せず、終始ノーリアクションを貫くことさえできていれば、計画は成功していたかもしれないのだ。
まあ、その時はその時で、セバスが何とかしてくれたでしょうけど。
「「あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」」
はい、これにて一件落着。
私はご来賓の皆様のお顔をぐるりと見回す。
「皆様、大変お騒がせいたしました。この件はこちらで対処しておきますので、どうぞ引き続きお酒と料理をお楽しみくださいませ」
「ふう」
あれから1週間。
オリヴァーとシンシアさんは逮捕され、当然私とオリヴァーの婚約も白紙になった。
オリヴァーの実家は、これから我が家に莫大な慰謝料を支払うことになる。
ただでさえオリヴァーの実家は財政が苦しいのに、お気の毒ね。
「うふふ」
私は自室の窓から流れる雲を眺めながら、数年ぶりに訪れた開放感に酔いしれる。
やっと私は自由になれた。
オリヴァーと婚約していたこの数年間は、本当に苦痛だったわ。
オリヴァーとシンシアさんの浮気が発覚した時点で、婚約を白紙にするよう訴えようかとも思ったけれど、そうなったら保身を第一に考えるオリヴァーのことだ、シンシアさんを捨ててもう一度私とやり直すと言ってくる可能性が高いと踏んだ。
だからこそ、こうして婚約を白紙にせざるを得ない状況を作る必要があったのだ。
そういう意味では、あちらが勝手に自爆してくれて正直助かった。
他にもいくつか策は用意していたけれど、使わずに済んで何よりだわ。
――これで私はやっと。
「お嬢様、わたくしです」
ドアの向こうからノック音と共に、セバスの声がした。
「入りなさい」
「失礼いたします」
セバスが大仰に頭を下げながら、部屋に入って来る。
「紅茶をお持ちいたしました。本日のお茶請けはマカロンでございます」
セバスが持つトレイの上には紅茶ポットとカップ、そして色とりどりのマカロンが載っている。
このマカロンはセバスの手作りね。
セバスの作るスイーツはどれも絶品だから、思わず口角が上がる。
「ありがとう、そこに置いておいて」
「はい」
セバスがトレイを置くと、私はセバスにそっと近付き、そして――。
「――セバス」
「……! ……お嬢様」
私はセバスに、ギュッと抱きついた。
「これでやっと、私はセバスと結婚できるわ。――子どもの頃から、私が好きなのはセバスだけだったもの。セバスも、私のことが好きよね?」
私はあざとく、セバスに上目遣いを向ける。
すると――。
「フフ、はい、わたくしもお嬢様のことを、お慕いしております」
セバスもそっと、私を抱きしめてくれたのだった。
伯爵令嬢の私と執事のセバスの結婚は、そう簡単には認められるものではないかもしれない。
でも、私は必ずセバスと結婚してみせるわ。
――どんな手を使ってでも、ね。
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