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Tycoon1-呪われた王女は逆ハーよりも魔女討伐に専念したい-  作者: 甘酒ぬぬ
第六章 傷跡

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6-10 喧噪の夜

 クベラの夜は寒い。

 年間通して冷涼で、特に冬場になると雪に閉ざされ、ほとんど外界との接触を断たれるのだという。大陸で最も古い歴史を持つ理由の一つだ。

 逆に南国のカダルは常夏と称されるほど暑い。西のイェル地方は大地が干上がり、植物の生えない砂漠という地域もあるらしい。

 国ごとに別世界と呼べるほど気候が変わる。その原因は諸説あり、いまだ完全には解明されていない。


 王立図書館でふと手にした、気候についての書物の内容がサヴィトリの頭の中によみがえる。そんなことを思い出しても、今実際の寒さはどうにもならない。

 ヴァルナを出発したのが夕方ごろだったため、予想通り途中で野宿をすることになった。

 草の多く生えた場所にキスイとカイラシュが乗ってきた馬をつなぎ、サヴィトリはたき火の方に足早に戻った。


「二人きりですね、サヴィトリ様」


 サヴィトリがたき火に当たっていると、カイラシュがへばりついてきた。

 温かいからこのままでもいいかなと思い……すぐに後悔した。はぁはぁと息荒く、身体に手を這わされたので、結局は予定調和という名の暴力に落ち着く。


「余計な体力を使わせるな。夜が明けたらすぐに出立する」


 サヴィトリはほこりを落とすように手を払い、再びたき火に当たる。


「……ならば夜など明けなければいいのに」


 カイラシュがつまらなそうにたき火に小枝を投げ入れた。

 大きく火が爆ぜる。


「カイひとりの意思で天体の運行がどうにかなるものか」


 サヴィトリは意味もなく枝でたき火をつついた。

 ほんの少し、火の粉が舞う。

 天体の仕組みについても書物で読んだことがあるが、難解すぎて忘れてしまった。少なくとも人の思いで動くものではなかった。


「比喩にまでツッコミ入れないでください」


 カイラシュは子供っぽく口をとがらせる。

 また枝を投げ入れた。今度は爆ぜなかった。


「仕方ないだろう。そうでもしないと、なんか変な雰囲気になりそうだから……」


 サヴィトリは両膝を抱えこんだ。

 カイラシュと二人きりになったことなど今までに何度もある。しかし、今夜にかぎって無性に落ち着かなかった。はじまりの泉に落ち、一時的に記憶喪失になったことが尾を引いているのかもしれない。


「変な、とはどのような雰囲気のことでしょう?」


 カイラシュが妖しく微笑む。よこしまなことしか考えていない時の顔だ。


「変は変だよ。それ以上形容のしようがない」


 本当に、言い表すのに適当な言葉がなかった。現状を定義する言葉自体は存在するのかもしれないが、今のサヴィトリの中には存在しない。


「そうですか」


 カイラシュは何かを悟ったように目蓋を伏せた。笑みはまだ浮かんでいる。


「では、サヴィトリ様」


 カイラシュが手を伸ばしてきた。互いの指先だけが重なる。

 またそうやって変な雰囲気に持ちこもうとする、と思ったが口にしたところで堂々巡りになるだけだ。

 サヴィトリは重なった指先を見た。カイラシュの指はいつどんな時でも爪の先まで綺麗に整えられている。


「そろそろ、わたくしの想いに応えてくださる気になりましたか?」


 カイラシュはうながすように指先をゆっくりとくすぐった。抱きつかれるよりも頬ずりをされるよりも、こういう微妙な感触のほうが背中にぞくっとくる。


「想い……私に早くタイクーンになれとかいう話か?」


 サヴィトリは目線を地面に向け、たき火に投げ入れるのに適当な小枝を探した。カイラシュと向き合うのが怖い。意識を散らさなければ空気に呑まれてしまいそうだ。


「まさか、はぐらかしているおつもりですか?」


 とんとんとん、とカイラシュの指先が攻めるようにサヴィトリの手の甲を叩く。


「……質問に質問で返すな」


 サヴィトリは不機嫌な顔を作り、強く膝を抱えなおした。


「先に質問で返したのはサヴィトリ様ではありませんか」

「私はいいんだ」

「横暴ですね。まぁ、サヴィトリ様らしいですけど」


 カイラシュは息をつき、困ったように笑った。圧がやわらぐ。

 と思ったのも一瞬のことだった。


「サヴィトリ様がナーレンダ殿をお慕いになっていることは存じております」


 普段は「イェル術師長殿」と煽り目的で過剰に敬称をつけた呼び方をしているのに、今日のカイラシュは様子が違った。カイラシュの言葉が妙に鋭い。


「そりゃあ、家族だから……」

「本当にそれだけですか?」

「質問ばっかり」

「答えてください」

「どうして?」


 答えの代わりに、カイラシュはサヴィトリの左手をとった。親指の腹で指輪にはまったターコイズに触れる。


「たとえ二人でいても、これのせいであの人の影がちらつくのです」


 カイラシュに指輪を引き抜かれるような気配がし、サヴィトリはとっさに手を振り払って拳を握った。

 殴って強制的に話を終わらせることができないほど、サヴィトリの思考と行動力は鈍っていた。暴力での解決に思考が必要なのかと問われると返答に困るところではある。


「カイ、今日はもう休もう。さっきも言ったけれど夜が明けたらすぐに出発したいし」


 サヴィトリは座った状態のまま後ずさる。口にしたことは事実だが、この状況では逃げるための見え透いた言い訳にしか聞こえない。

 サヴィトリが後ずさった以上に、カイラシュは距離を詰めてきた。サヴィトリの右足首と左手首を押さえ逃げ場を奪う。はたから見るとカイラシュがサヴィトリに覆いかぶさっているように見えるかもしれない。


「嫌なら押しのけてください。いつもやっているのだから簡単なことでしょう」


 カイラシュの指が、サヴィトリの髪を耳にかけた。そのまま流れるように耳の裏側を撫で、顎に添えられる。中指が顎の下を押しあげ、緊張のせいで乾いた下唇に親指が触れた。

 爽やかなはずの柑橘の香りが、今は意識を絡めとるように官能的に甘い。


 嫌かどうかと問われれば嫌ではない。だからといってこのままでいいのかは疑問が残る。そもそも寒空の下というのはロケーション的にいかがなものだろう。

 それに先に身体の関係から入るのは絶対にダメだとクリシュナが言っていた。どの程度の期間が適正なのかは相手との相性やフィーリングによる、とか曖昧に濁していたのであまり当てにならないが。


『ぶっちゃけ本命はどなたですの?』


 以前ル・フェイにされた質問が脳裏によぎる。

 一番好きなのはナーレンダだ。ハリの森で暮らしていた時からずっと変わらない。ただ、その「好き」が恋愛感情とイコールかといえば少し違う気もする。いや、でも断言はできない。恋愛感情自体を正しく理解しているわけではないのだから。

 カイラシュに対しては、どうだろう。

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