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Tycoon1-呪われた王女は逆ハーよりも魔女討伐に専念したい-  作者: 甘酒ぬぬ
第六章 傷跡

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6-7 はじまりの泉

「サヴィトリさん! ついに僕と――」


 想像の範囲内。

 解呪の泉につくなり、アイゼンが飛びかかってきた。

 有事に備えてあらかじめユーリスの家で急造した釘バットが役に立った。

 サヴィトリのフルスイングが鼻っ柱ど真ん中を精確に捉える。

 アイゼンの身体は無慈悲な速度で飛び、激しく壁に打ちつけられた。


 問答無用。

 今は一秒でも時間が惜しい。カイラシュと同じで、どうせこれくらいでは死なないだろう。


(……こう考えると、カイが人間なのが本当に不思議だな。術法院あたりに精密検査してもらおうか)


 ひたすらどうでもいいことがサヴィトリの脳裏によぎる。

 普通の人間だという結果が出ても、人外だという結果が出ても、等しく驚くだろうが。


「ひどい、ひどすぎる……」


 すすり泣くアイゼンの声が聞こえる。

 当然の非難だ。いや、アイゼンの仕出かした数々のことを考えれば、この程度まだまだ生ぬるい。

 だが今はほかに優先すべきことがある。こんな奴など相手になどしていられない。


「私は泉に用がある。お前にはない」


 とどめに釘バットを投げつけ、サヴィトリは泉へと駆け寄った。ユーリスに貸してもらった容器に水を汲む。

 見た目はいたって普通の水だ。効果はすでに自分で実証ずみだが、多少の不安もある。


「天然資源をぉー勝手にぃー持ち出さないでくださぁーい……」


瀕死のアイゼンが何かうだうだ言っている。


「水代が必要だというのなら村に納めていく。お前の個人的なことならば忙しいから百年後にしてくれ」


(この水で治ってくれればいいが……)


 波紋で揺れる水面に、サヴィトリの顔が歪んで映った。サヴィトリの心の内を表しているかのようで、ひどく落ち着かない気持ちにさせられる。



「……この泉が、どうして『はじまりの泉』と呼ばれているか知っていますか?」


 泉に濃い影が差す。


 サヴィトリの背中に冷たいものが走る。

 アイゼンの声が囁かれたように近くに聞こえる。

 ほんの数秒とはいえ、物思いになどふけっている場合ではなかった。


「二つ、理由があるんですよ」


 振り返る間もなく、サヴィトリの背中に強い力がかけられた。

 ぐらりと身体がかたむく。

 引き寄せられるように、なす術もなく泉へと落ちる。

 サヴィトリはとっさに水を凍らせようと試みたが、氷の一粒すら発生しない。


「一つは、ここから僕らの始祖ヴァルナとクベラが生まれたから」


 水の中でもがく音にかき消されることなく、アイゼンの声は明瞭にサヴィトリに届いた。


「気の遠くなるほど昔、ここヴァルナの地は何も生まず何も住まない、毒と瘴気であふれた地獄のような所でした。ですがある時、ヴァルナの中心地にとても澄んだ泉が湧きました。それが、はじまりの泉。

 その泉から二つものが生まれました。毒と瘴気を身の内にため込むことができる蛇と、毒と瘴気に強い耐性を持つ金髪緑眼の赤子――のちにクベラと名付けられ、クベラを建国した初代タイクーン」


 何かに取りつかれたかのようにアイゼンは淀みなく語り続ける。


「そして二つ目の理由は、あらゆるものを全部まっさらな『はじまり』の状態に戻すから。すべてをはじまりに戻すから、呪いが解けたかのように見えるんです」


(クベラ、ヴァルナ、はじまり――一体何を言っているんだ!)


 サヴィトリの声は流れこんでくる水に押し戻された。

 決して広い泉ではないはずだ。にもかかわらず、伸ばした手足は水以外に触れない。

 目を開けているのに、見えるのは恐怖を具現化したかのような闇。


 サヴィトリの身体が震える。

 いつの間にか、アイゼンの声も水をかきわける音も聞こえなくなっていた。


 怖い。

 何が怖いかはわからない。

 だが確かに自分の中に恐怖がある。


 主観が薄れていく。

 言葉が、思考が、感情が、皮膚からじわりと溶け出していく。


 (私は……わたし? ――いや、まだちゃんと覚えている。サヴィトリ。大事な名だ。でも誰が、つけてくれたのだっけ? ……違う、そんなことより、水を、持ち帰らなければ。水。……みず? だれに? どうして? わからない。わからない? 何が、わからない??? ??????)


 頭の中に浮かんだ疑問符が一気に増殖した。

 破裂しそうなほど頭が痛む。

 サヴィトリは叫んだ。

 叫んだ分だけ、胃の中に水が流れこんでくる。


 痛い。

 いたい。

 苦しい。

 くるしい。

 くるしい。


(だめだ……戻ら、な……け・れば……)


 かすむ意識の中、サヴィトリは何かをつかもうと、出しうる限りの力で手を伸ばす。

 サヴィトリの手は、かすかに何かに触れた。


 次の瞬間、手首を強くつかまれた。

 大きな水音を立てて一気に引きあげられる。

 光に目がくらんで何も見えない。

 頭がくらくらする。脳味噌を揺すられているようだ。気持ちが悪い。

 サヴィトリはたまらず、咳とともに大量の水を吐き出す。


 胃の中の水を吐ききり、咳が治まった頃、ようやく視力が戻った。

 サヴィトリは疲労と安堵のため息をつき、服の袖口で口元をぬぐう。

 なんとはなしに顔を上げてみると、目の前には心配そうな顔をした誰かがいた。見覚えはあるが、はっきりとは思い出せない。


 記憶をたどるよりも先に、言葉がこぼれる。


「……誰?」

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