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第六章 国境と戦と奇策 その一


 ロイは茂みに隠れ震える己を抱き、身を縮めていた。


遠征軍に参加し何事もなく砦につくはずだと、昨日までは思っていた。しかし今日、国内で帝国軍の奇襲を受けた。そしてロイは振り下ろされた敵の剣から逃れるべく、無我夢中で逃げ出したのだった。


(僕は……僕は……)


 脳裏に映るは昨日会話をした同僚達が、血を流し倒れた姿。それを思い出しただけで、ロイは震える自分を止めることが出来なかった。


(僕には無理だったんだ……)


 王子の騎士に剣の扱い方を教えてもらっても無駄だった。生きたい、とは思う。だが生きる為に何をするかの覚悟が足りなかった。だから敵兵に殺されそうになった時も、剣を抜くことが出来ず、我先にと逃げ出した。


 あの時の恐怖と、自分の情けなさの感情が混濁し、涙が零れそうになる。


 ふと誰かがせき込む声が聞こえた。


(あれは……)


 隠れていた茂みから顔を出し、声がしたほうへと向ける。視線の先は川辺だった。確かこの川は王国の北の山脈から流れる川で、途中パルチェ公国とアトラード帝国へと枝分かれしていくとロイは思い出す。

 その川辺では小さな人影が座り込み、咳き込んでいた。


「……ああ、死ぬかと思った。今回は本当に死ぬかと思った。てか川に流されて酔った……うぷ。」


 幼い声だった。死ぬといいつつその口調はなぜか余裕があるように聞こえた。ロイは目を凝らしてその人影をみる。その人影は、ロイの知る人物だった。


「ハーシェリク殿下!?」


 隠れていることも忘れ、ロイは茂みから立ち上がる。

 ロイに呼ばれた小さな影は一瞬肩を震わせて、声のした方へと顔を向けた。


「はい?」


 茂みから転がる様に駆け寄ってきたロイに、ハーシェリクは目を丸くして驚く。そして彼が傍までくるとほっと安堵の表情をしてみせた。


「ロイさん、無事でよかった。」

「いえ僕は……」


 逃げ出してきた、と言えず口ごもるロイ。そんな彼をハーシェリクは察し、ぽんと彼の腕を小さな手でたたいた。


「生きていれば、なんとかなるよ。」


 その言葉にロイは少しだけ心が軽くなった気がした。ぎこちなく笑う彼を確認したハーシェリクは上着を脱ぎ出す。


「さて、ここはどこかな……んッ」


 だが上着を脱ごうとした時、左腕に痛みが走りハーシェリクは顔を歪める。


(さすがに無傷とはいかなかったか。)


 ハーシェリクは内心舌打ちをする。

 ハーシェリクは崖上で刺客に囲まれ追い詰められた後、崖下の荒れ狂う川へと転落した。普通の子供なら死んでいただろうが、ハーシェリクにはとても便利な道具があった。


(本当にすごいな、この懐中時計。)


 そうポケットに入れた懐中時計を意識する。


 この懐中時計は周囲の魔力を取り込み、魔法を発動できる、というのがハーシェリクの認識だった。だが、魔法士であり古代の魔法や自作できるほど魔法具にも精通しているシロが、この懐中時計がそれだけの機能ではないと発見した。


 その発見した能力の内、一つが複数の魔法式の記憶。もう一つが浮遊魔力の変換だけでなく、魔力の蓄えることが出来るという能力だった。普通の魔法道具には一つにつき魔法式一つという制約があり、またそれを起動する魔力は自前でなければならない。だがこの古代の遺産である懐中時計は、複数の魔法式を記憶することが出来、さらには魔力を一定量蓄えることが出来る。そしてその魔力を使用して、魔法式を展開できるのだ。


 まさに魔力なしのハーシェリクの為にあるような魔法道具である。ガラケーだと思ったらスマフォだった懐中時計である。

 シロには「なぜ気が付かない?」と呆れた顔をされたが、魔力のまの字もない、魔法に関してはからっきしの自分に無理を言わないで欲しい、とハーシェリクの弁である。


 ともかく懐中時計のおかげでハーシェリクは激流に流されながらも、シロが用意した結界魔法のおかげで死なずに済んだのだ。

 しかしすぐに魔法を使用しては追っ手にばれると思い、ある程度流されて魔法を発動させたのだが、それまでに左腕をぶつけて痛めたようだった。


(利き手じゃないだけ運が良かったか。)


 そう思い左腕を抑えるハーシェリク。

 怪我だけではない。運よく陸地に流れ着いたのも、流れついた場所も、ロイがいたことも運が良かったとハーシェリクは思う。

 もし陸地に流れ着くことが出来ず、流されたまま懐中時計の魔力が切れていたらハーシェリクは溺死していただろうし、もし向こう岸に流れついていたらこちらに戻ることは困難だっただろう。


(最初の賭けには勝てた。)


 改めてハーシェリクは自分の運の良さと勝負運の強さに感謝した。


「殿下? もしかしてお怪我を?」


 黙ってしまったハーシェリクにロイは心配そうに言う。


「うん、ちょっと腕をぶつけたみたい。悪いけど脱がすのを手伝ってもらっていい?」


 ハーシェリクは腕の痛みに堪え手伝ってもらいながら上着を脱ぐと、上着の背にあたる裏地の部分をロイに引っぺがしてもらう。するとそこには布で出来たこの近隣の地図があった。もちろんハーシェリクがクロにお願いして作ってもらったものである。防水加工を施してあったため、川に流され濡れていても、地形や文字、記号が読めなくなることはなかった。


「用意しといたんだ。」


 不思議そうに眺めているロイにハーシェリクは言いつつ、利き手の人差し指で地図の上をなぞる。


「奇襲された場所はこの辺り。私が川に落ちて流されたのがこの辺りだとすると……」


 そう独り言のように呟きながら地図上の川の部分をなぞって現在地に辺りを付ける。


「地形からしてこの辺り、かな。」

「たぶん、そうです。」


 ハーシェリクの問いかけにロイはやや不安になりながらも頷く。無我夢中になりながら逃げてきたが、方角や自分の移動距離を考えると、ハーシェリクの指示した場所だと思えた。


「よし、一番近いのはこの村だね。ロイさんもとりあえずは一緒に行こう。」

「……はい。」


 ハーシェリクの言葉に、ロイは頷くしかなかった。

 歩き続けた霧が晴れた頃、視線の先に小さな村が見えた。だがそこは村があったと過去形になる様となっていた。


「これは……」


 村の有様にロイは絶句する。

 人は一人も見当たらず、家々は破壊され、畑は踏み荒らされている。訪れた小さな村は壊滅していた。


「たぶん、帝国軍に襲われたんだろうね……痛ッ」


 ハーシェリクは地面に落ちたぬいぐるみを拾い上げようと屈んだが、左腕に痛みが走り顔を歪める。だがそれでも動く利き手を伸ばし、踏まれたのであろう綿のはみ出た兎のぬいぐるみを持ち上げた。


「殿下、やはり怪我が……」

「私は大丈夫。」


 ロイの気遣いをハーシェリクは首を横に振って答える。


 腕の痛みなんて、この村に住んでいた人々にしたら微々たるものだ、とハーシェリクは苦虫を噛みつぶしたような顔で思う。

 この場所は奇襲を受けた場所から考えると帝国軍の通り道だったのだろう。敵国の人間を見逃すはずはない。物資を略奪された上、家々は破壊されたのだろう。


「……い。」


 ポツリとハーシェリクは呟き、ぬいぐるみを抱きしめる。


「殿下?」


 ロイは屈んだまま動かない王子の隣に片膝をついて覗き込み、ハーシェリクの表情を見て目を丸くする。だがそんなロイの事を気にせず、ハーシェリクのぬいぐるみを持つ手に力が入った。


「戦争なんて、大嫌い。」


 そう再度呟いたハーシェリクの瞳は怒りと悲しみで満ちていた。


 そんなハーシェリクにロイはなんて声をかけていいか迷い、だが決意して口を開く。


「……殿下、お話ししたいことがあります。」


 それは奇襲を受けた時、セギン将軍が口走った言葉。そして自軍を置いて走り去っていた様子。


 ロイの言葉を聞き終えたハーシェリクは頷く。


「なるほど、セギン将軍が……」


 ハーシェリクはそう呟き口を閉じる。

 無言のまま頭を回転させているハーシェリクだったが、ロイはその様子を別の意味と捉えた。よくよく考えれば彼は王族なのだ。平民の自分が貴族の悪口を言ったとしても信じてもらえるか、むしろ罰せられるかもしれない、と思い至り青くなる。

 そんなロイを尻目にハーシェリクは考えを纏めるとロイを見る。


「ロイさん、悪いけど馬と馬車……あと食料とかを探してくれる? 少しくらいは残っていると思う。」

「え?」


 ハーシェリクの予想外の言葉に呆けるロイ。だがそんな彼にハーシェリクは言葉を続けた。


「今から国境砦に向かう。」


 その言葉に先ほどとは別の意味でロイは青くなった。砦へと向かっていた軍は、帝国軍の奇襲により瓦解した。では現在の国境砦はどうなっているのか、幼児でもわかるだろう。たった数千の兵士が守る国境砦と、万を超える帝国軍が対峙したら、陥落するのも時間の問題でしかない。そんな場所へみすみす王族であるハーシェリクが向かうのは自殺と等しい。それに、セギン将軍のあの言葉が引っかかった。


『閣下の話と違うではないか……閣下は王子を帝国に引き渡すだけだと……!』


 それはどういう意味なのか。だけど国境砦にハーシェリクが行った場合、彼が無事ですまされるとは考えがたかった。


「危険です! 王都へ戻ったほうが……」

「そうだね。そのほうが今は安全かもね。」


 ロイの言葉にハーシェリクは肯定しつつ、だが首を横に振った。


「だけど行かなくちゃいけない。」


 そういうハーシェリクの瞳にはさきほどあった怒りと悲しみではなく、決意の光が宿っていた。


「ロイさん、戦場に行きたくないならここで別れよう。」

「だけど……」


 真っ直ぐと見つめてくるハーシェリクにロイは狼狽える。その様子にハーシェリクは安心させるように笑ってみせた。


「大丈夫、今回の件で軍を離れたとしても罰せられないよう私が一筆書くよ。ここまで付き添って助けてくれたから。でも出来たら王都に戻ったらロイさんが見聞きしたこと全てを父や兄達に伝えて欲しい。」


 ロイを安心させるように努めて明るくハーシェリクは言った。本来なら軍を抜けることはご法度だ。時と場合にもよるが重罪で死刑になる可能性もある。だがそこはハーシェリクの一筆さえあれば、兄達がどうにかしてロイを守ってくれるだろうとハーシェリクは思った。


 だがそんなハーシェリクの言葉を、ロイはもろてを上げて受け入れることはできなかった。

 幼い王子が戦場へと向かおうとしているのに、震えているだけの自分が情けなくなった。もしこれで生きて戻ったとしても、自分の家族に胸を張ることが出来ない。それにハーシェリクを見ていると、少しだけでもできる事をやらねば、と思えたのだ。


「殿下、どうかご一緒させてください。」

「……ありがとう。」


 ロイの言葉に、ハーシェリクは多くの事は言わず、お礼だけを言って微笑んだ。


 すぐにロイは行動に移した。奇跡的に帝国軍に略奪されずに残っていた幌のついた馬車と、襲撃時に逃げ出しそして戻ってきたのであろううろついていた馬を見つけた。逃げ出さないようゆっくりと近づいて馬を捕まえると馬車と繋げる。そして複数の民家から食料をかき集めた後、轡を引っ張って馬を誘導し王子が待つ場所へと向かった。


 するとそこではハーシェリクが、踏み荒らされた畑を囲っている柵の前でもぞもぞ動いていた。


「殿下、馬車を用意してきました……殿下?」

「ん。ありがとうロイさん。あ、ロイさん馬車の操縦は出来る?」


 そう言って振り返るハーシェリク。彼がいた場所の柵にはハンカチが結ばれていた。


「はい、できます。あと残っていた食料や水も積み込みましたが……殿下、それは?」


 ロイは疑問に思い首を捻る。ハンカチは高そうな絹で出来たものだが、疑問はハンカチの素材についてではない。なぜその高そうなハンカチが、今にも崩れ落ちそうな柵に蝶々結びで結ばれているかだ。


「ちょっとね。」


 だがロイの疑問を曖昧な笑みで誤魔化したハーシェリクは、馬車へと近寄る。


「じゃあ行こうか。今から出て休憩挟まずに行って砦につくのは真夜中……悪いけど馬車の御者、お願い。」


 そう言って幌のついた馬車に乗りこむハーシェリクにロイは追及できず、頷いて自分も乗り込み馬車を走らせたのだった。





 彼らが去った後、小さな村に一つの影が現れる。その影は柵に結ばれたハンカチを見つける。そしてその結び方を見て大きくため息をついた後、その影も村を後にした。




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