カトレアと老師
マユラは緊張を解すように小さく息をついた。
アルヴィレイスは傷つくだろうか。だが──伝えなくては。
「ティターニアさんは、この森でなくなりました。彼女の義父がやってきて、彼女の子を奪うといって……ティターニアさんは、赤ちゃんを守るためにこの森に。そこで、軍隊蜂に襲われて」
「──ティターニアは、死んだのか」
「はい。……クイーンビーの巣は、彼女の記憶をみせてくれました。最後の瞬間まで」
アルヴィレイスは一瞬泣き出しそうに顔を歪めた。
それから軽く首を振ると、マユラの手を握る。
「……それは、辛いものを見せた。口にするのも、苦しかっただろう。教えてくれてありがとう、マユラ」
「私のほうこそ、ごめんなさい。聞きたくないことだったかもしれないのに」
「そんなことはない。知ることができて、よかった。知ることができなければ、暗闇の中を、見つかることのない真実を探してさまよい続けて、人生を終えていただろう」
その言葉の持つ優しさに、マユラは頷いた。
じわりと瞳に涙の膜が張る。
だから師匠は『厄介な力』と言ったのだろう。魔物を討伐したことに後悔はないが、ティターニアが辿った運命を思うと苦しいぐらいに胸が痛んだ。
「妹も、亡くなったのだな、きっと」
「それは、わかりません。私が見たのは、軍隊蜂に襲われるティターニア。そして、同じく襲われる彼女の義父。ティターニアは最後まで、赤ちゃんを抱きしめていました。魔物から隠すように」
「それ。私」
唐突に、ぽつりと、カトレアが言った。
皆の視線が一斉にカトレアに向く。
カトレアは目深に被ったフードからのびる金の髪を、指に巻き付けながら口を開く。
「私。多分ね。多分だけど、私。……私、この森で師匠に拾われたの。師匠って、錬金術師の師匠ね。すごく優しいお爺ちゃんだったわ。赤ちゃんの私を、この森で拾ったって。お母さんの話は知らないけど。言えなかったのね、お母さんが軍隊蜂に襲われていたなんて」
眼鏡を外し、フードをとる。そこには、マユラが見た記憶の中のティターニアにどことなく似ている女性がいた。
「……カトレアさん」
「そんな顔しないで、マユラ。あのクイーンビーが、私のお母さんのなれの果て? だったんでしょう」
『なれの果てではない。お前の母は死んだ。母の苦しみや悲しみや憎しみが、魔素と結びついたものが、あのクイーンビーだ。生前の記憶など残っていない。もし感情があるのだとしたら、そこにあるのは妄執だけだ』
師匠の説明に、カトレアは安心したように深い息を吐き出した。
「そう。よかった。そうだと思った。だってお母さんなら娘のことがわかるはずだものね。あの蜂、私に普通に攻撃してきたもの。……あれは、人間とは違う」
カトレアは「だから、そんなに泣きそうな顔をしないの、マユラ。別に私は大丈夫よ」と明るく言った。
「カトレアさん……やっぱり、僕の妹だったのか」
「伯爵は気づいていたんですか?」
アルヴィレイスが僅かな驚きと、それから納得を声に滲ませる。
マユラが尋ねると、深く頷いた。
「そんな気が少し、していてね。カトレアさんを雇ったときに、村の者たちに話を聞いたんだ。年老いた錬金術師が村には住んでいたが、その老人は変わり者だった。あまり村人とは交流をしなかったが、ある日──」
その老人は、流れ者だった。偏屈で、変わり者と評判だった。
村人が錬金魔法具を作って欲しいと頼みに行っても、断られることのほうが多かった。
老人は、ある日突然赤子と暮らし始めた。
皆が、錬金術で赤子を作ったのではないかと噂したが、人のいい村人たちは赤子に乳を分け与え、老人を助けた。
やがて老人が死ぬと、その子は老人家を継いで錬金術師になった。
それが、カトレアである。
「そんな話を聞いて。ちょうど、僕の妹が生きていたらカトレアさんぐらいの年齢だと思ったんだ。カトレアさんは僕に素顔を見せてくれないから、顔では判断ができなかったけど」
「女好きに見せる顔なんてないですし」
「カトレアさんは……確かに、ティターニアに、似ている。僕の妹、か。会いたかった」
アルヴィレイスはカトレアを抱きしめようとして手を広げる。
カトレアは美しい顔を心底嫌そうに歪めた。
背後からルーカスに抱きつくようにして、アルヴィレイスから隠れる。
「……マユラの話が本当なら、もしかしたら私は伯爵の妹なのかもしれないけど。でも、私の親はおじいちゃんだけだし。おじいちゃんはもう、死んじゃっていないけど。今はルーカス様がいるから寂しくないわ。だから、伯爵は割と、どうでもいいっていうか……」
身も蓋もないことを言うカトレアに、アルヴィレスは心底寂しそうな顔をした。
師匠とユリシーズは『確かに』「確かに、突然兄と言われてもな」と同意している。
「カトレアさん、大将はずっとあんたを探してたんだぜ。感動の再会ってやつじゃねぇのか?」
「そうはいっても、知らない人だし、私のお母さんと浮気した男の子供でしょ、伯爵って。そんなに感動的でもないわよ。そんなことよりも私はルーカス様に会えたことのほうが嬉しいわ」
腰にぎゅうぎゅう抱きつきながらカトレアが言うので、ルーカスは困り顔で頭を搔いた。
ルーカスは強面の男だ。髪はヤマアラシのようにツンツンしていて、体格がいい。いかにも腕っ節の強そうな見た目をしている。
表情が豊かで、喋るととても愛嬌があるが、黙って立っていると近寄りがたい雰囲気がある。
どうしてそんなにルーカスが好きなのだろう。
人には好きなタイプというものがあるが、カトレアは強面の男が好きなのだろうかと、マユラは不思議に思う。
「なんでまた、俺なんだ。俺はさ、カトレアさん。王都のごろつきだったんだ。王都劇場に盗みに入ったところを、伯爵に見つかってさ。伯爵は俺を衛兵に突き出さねぇで、護衛として雇ってくれた。だから、カトレアさんが惚れるような、いい男じゃねぇよ」
「いい男です! ルーカス様はいい男だわ。だってわたしのおじいちゃんに似てるもの」
「おじいちゃん……?」
「そう。おじいちゃんも、やんちゃな人だった。そうじゃねぇカトレア! その混ぜ方じゃ駄目だ、カトレア、そっちに行くんじゃねぇ、危ねぇだろ! なんて、よく怒られたのよ。ルーカス様そっくり」
「……おじいちゃんに似てるのか、俺は。まだ三十歳なんだが。そうか……」
「そういえば、アルヴィレイス様が私のお兄ちゃんだと、一ついいことがあるわね」
「いいことって何だ?」
「合法的に、キリア伯爵家を乗っ取って、私とルーカス様のものにできるわ」
「──カトレアさん。そういう悪巧みは、僕のいないところでやるんだよ」
困ったような顔をしてアルヴィレイスが呟く。
カトレアはひとしきり笑うと──。
「冗談よ、お兄ちゃん」
と、ほんの少しだけ震える声で、恥ずかしそうに言った。




