レオナード、怒る
レオナードの石像が、人間らしい色味に戻っていく。
石肌がパリパリと剥がれ落ちるように金の髪がさらりと風になびき、少し日に焼けた肌が露わになる。
マユラは──安堵から僅かに笑みを浮かべた。
走ったせいだろう、軍隊蜂に噛みつかれた傷から血が噴き出す。緊張の糸が切れてしまったように、突然痛みが体中に襲いかかり、地面にがくりと膝をついた。
マユラに向かい、無数の針が降り注ぐ。あの針は──石化の針。刺されても、石になるだけ。
でも、本当に? クイーンビーは今、殺意に満ちている。
無数の針に体を貫かれて、ここで死ぬ。そんな未来が脳裏を過ぎる。
『マユラ、起きろ!』
「はい……っ」
師匠の声にマユラは歯を食いしばって立ち上がる。逃げる暇はない。杖を構える。杖で針を叩き落とせばまだ助かるかもしれない。
でも、気力はあるのに。力が、入らない。針が目の前に迫っている。刺される。貫かれる。痛みを想像してきつく目を閉じた。
「マユラ!」
怒りに満ちた声だ。低く、吠えるような。
それはレオナードのものだった。いつもは穏やかな彼の声とは思えないほどに、殺気に満ちている。
マユラを庇うようにマユラの前に体を滑り込ませたレオナードが、無数の針を剣を風車のように振り回して叩き落とした。
呼び声に目を開いたマユラが見たのは、頼りになる背中だ。
だが──。
「マユラ、怪我を……ひどい、怪我をしている……」
「レオナードさん、大丈夫ですよ。治療のポーションがありますから、怪我なんてすぐなおります」
「すまない、俺は……君を守れなかった」
「レオナードさん、大丈夫ですから」
「あの蜂が、君をこんな目に……!」
レオナードはマユラの姿を見て目を見開いた。悔いるように、強い悔恨と共に自責の言葉を呟く。
それから、怒りに満ちた瞳をクイーンビーに向ける。
その空色の瞳が、どういうわけか血のような赤色に変わっている。
「レオナードさん、どうしたんですか……?」
『呪い男は、様子がおかしい』
「許さない、蜂め……!」
まるで、マユラの声さえ届いていないように、レオナードはクイーンビーに向かっていく。
アルヴィレイスとルーカスがマユラを軍隊蜂の襲来から守る。そこここで、カトレアの投げた錬金魔法具が炸裂して、軍隊蜂を散らした。
「あなたの、恋人、変だわ……」
音もなくマユラの背後にやってきたカトレアが言う。
「そりゃ、恋人が怪我すりゃ、誰でもああなるだろ、カトレアさん。それが男気ってもんだ。ぶち切れて見境なくなるのは普通だろ?」
「そうよね、ルーカス様! ルーカス様もカトレアのために、ぶち切れてくれるものね!」
「カトレアさんのためにか……大将が怪我をしたらキレるかもしれねぇが」
「アルヴィレイス様なんて嫌いよ……」
カトレアはルーカスの返答が不満だったらしく、小さな声でぶつぶつ呪詛の言葉をはいている。
マユラは皆が守ってくれている間に、治療のポーションを薬缶から取り出して口に入れる。
カリッと噛んで飲み込むと、傷がみるみるうちに塞がっていく。
「よし!」
「おぉ、すごい。ポーションか、それ」
「はい。ルーカスさんも怪我をしています。一粒どうぞ」
「ありがてぇ」
「調子に乗らないで、女……っ、ルーカス様に気に入られようとしないことね……!」
マユラはルーカスにポーションを渡す。カトレアが怒っているが、今はそれどころじゃない。
レオナードが心配だ。あんな風に、怒る人ではなかったのに。
「マユラ、あれは君と共に風呂にいた男だな。大丈夫だ、君に恋人がいようがそんなことは関係ない。僕は人妻も好きだ」
「最低、死ね」
「大将、そりゃ大きな声で言うことじゃねぇですよ」
クイーンビーの煙がレオナードを包み込んでいる。
だがレオナードにはもう、幻覚の煙は効かないようだ。煙などものともせずにクーンビーに斬りかかる。
クイーンビーは素早く避けるが、レオナードの剣はそれよりも早い。
『守って、子供たち! 殺して、子供たち、こいつを殺して!』
クイーンビーの前に、軍隊蜂が一斉に寄ってきてひしめく。
盾のように折り重なる軍隊蜂を、レオナードは切り裂いた。
無数の針がレオナードに降り注ぐ。その針を、レオナードは剣ではじき返す。一瞬のうちにクイーンビーの間合いに入り込んで、そして──。
「……凍れ、貫け、雹雨よ」
冷静な声と共に、無数の氷粒が、マユラたちの周囲を埋め尽くすほどの魔力を帯びた氷粒が唐突に現れる。
その氷粒は放たれた矢のように軍隊蜂やクイーンビーを一気に貫いた。
『いや、いやよ! 死にたくない……!』
氷の粒に体を貫かれた途端、その体にあいた小さな穴から魔物たちに霜がおり、凍り付きはじめる。
魔物たちは氷の彫刻のように凍り付き動きを止めた。
羽ばたくことのできなくなった蜂たちは、次々と地面に落ちた。
「おい。何をしている、レオナード」
たった一人で全ての魔物を氷漬けにした──ユリシーズが、ひどく呆れたように呟く。
振り向いたレオナードの瞳は、赤から、青に戻っている。
マユラはレオナードに駆け寄ると、剣を持つ両手を包み込んだ。
「マユラ……」
「レオナードさん、怖い夢を見ましたか? 大丈夫ですよ、ほら、私は無事です。怪我も治りました。心配かけてごめんなさい」
「あ、あぁ……俺は、何を……?」
「何をもなにも。唸り声をあげながら魔物を切り捨てていたが。お前は獣か何かか」
「……すまない。よく、覚えていない。マユラの血を見たら、目の前が真っ赤になって……」
『呪い男。……冷静になれ。マユラは生きている。お前が守らずとも生き残った、食欲の強い女だ』
「今、食欲は関係ないのでは……?」
兄の石化がどうしてとけたのだろうと、マユラは記憶を巡らせる。
おそらく、レオナードの頭に降りかかった毒針のセラムが、すぐ傍にいた兄の元にまで流れ落ちたのだろう。
なんにせよ、クイーンビーも軍隊蜂も綺麗に氷漬けになってくれた。
マユラは大きく伸びをすると「討伐完了ですね!」と、明るい声で言った。




