錬金術師カトレアと護衛騎士ルーカス
軍隊蜂の群れがマユラの腕や足に歯を立てる。マユラは痛みに呻いた。
アルヴィレイスも同じように襲われているのだろう。
準備不足だった。もっと、色んな可能性を想定して動くべきだった。
マユラの腕の中で師匠が『離せ、私は死なない! お前に守られるほど落ちぶれていない! 私に構わず逃げろ、馬鹿者!』と怒鳴っている。
「駄目、です……師匠は、私の大事な師匠なので……!」
マユラが、見習い錬金術師になれたのは師匠がいたからだ。
口は悪いが案外世話焼きで、優しくはないが、それなりに指導はしてくれる。
今のマユラにとって師匠とは、家族よりもずっと家族のような存在だ。
ぬいぐるみの体がぼろぼろになってしまったら、それは師匠の死ではないのか。
中身はどこかに消えてしまって、二度と、会話ができなくなってしまうのではないか。
「私は……アルゼイラ様に教えていただきたいことが、まだ沢山あります……!」
『私は死なないと言っているだろう、馬鹿者! 離せ!』
肉が、えぐりとられる。生きたまま、食べられる。
最悪の想像に、マユラの背筋に冷や汗が伝う。なんとかしなければと思うのに、いい考えが思いつかない。握りしめた杖を我武者羅に振る。
軍隊蜂の攻撃が──止んだ。
「……え」
「アルヴィレイス様!!!!!」
威勢のいい男性の大声が、森の木々を揺らすほどに響く。
背丈ほどの鉄の塊のような剣を持つ逞しい体の青年が、空から落ちてきて、ドン! と地響きを立てて着地した。
大剣を振り回すと、その大剣に潰されるように軍隊蜂がぼろぼろと地面に落ちる。
見あげるほどの偉丈夫である。逆立った黒髪に、鷹のような鋭い目つきをした青年だ。
「まったく、探しまくりました! 助けに来ましたぜ、大将! ほら、正気に戻って! 美女の夢を見てる場合じゃありませんぜ!」
軍隊蜂を散らした青年が、未だうずくまっているアルヴィレイスの両肩をがしっと掴んで揺り動かした。
はっとして目を見開いたアルヴィレイスが、揺さぶられ過ぎてやや青ざめる。
「る、ルーカス……」
「ルーカス、参上しました! 蜂どもなんてさっさとやっちまいましょう!」
「あ、あぁ、マユラ! マユラは無事か!?」
「は、はい、なんとか……」
「あぁ、マユラ、なんていう姿に……っ、それもこれも僕を守ろうとしてくれたためだ……僕の運命のファムファタル、なんて心の優しき女神か……!」
「おぉ、そこのお嬢ちゃんは、大将を守って怪我を! そりゃ、いい人だ! ちょっと休んでな、ここは俺に任せな!」
マユラは唖然としながらなんとか起きあがる。
両手や足から、生暖かいものが流れるのを感じる。
「……あなた。ルーカス様に守られたからと、いい気にならないでね」
背後から、ねばっと背中に張り付くような低い女性の声がした。
視線を向けると、いつの間にかマユラの後ろに黒いローブを着てフードを目深にかぶった、丸眼鏡をかけた小柄な女性が立っている。
分厚い丸眼鏡のせいで素顔がよくわからないが、魔導師か錬金術師かという姿だ。
「あ、あなたは……カトレアさん……?」
「よく私の名を知っているわね」
「伯爵の、護衛騎士の恋人……と、聞いています。ルーカスさんは、伯爵の護衛騎士のように見えますので」
「やだ! 恋人なんて! そうなのよ、恋人、なのよぅ」
カトレアは体をくねらせた。
アルヴィレイスとルーカスが軍隊蜂を散らしながら、クイーンビーに向かっていく。
『私の、子供たち! なんてこと、死ね、人間、死ね! あなたたち、ご飯よ、食べてしまえ!』
森全体が蠢いているように、ぶんぶんという羽音が森の奥から響き始める。
木々を揺らしながら、軍隊蜂の大軍がマユラたちを取り囲むように四方八方から現れた。
「まだこんなに残っていたのか」
「まだまだァ! こんなもんじゃ、俺の剣は折れねぇぜ!」
アルヴィレイスは肩で息をしている。ルーカスは気合を入れなおし、大剣を振り上げた。
「お嬢ちゃんたち、隠れてな!」
「きゃああルーカス様、素敵!」
「カトレアさん、その声援は気合が抜けるからやめてくれ」
「私も、戦えます」
マユラとカトレアを背に庇うルーカスに、カトレアが黄色い声をあげる。
マユラはお腹から綿の飛び出している師匠を鞄に入れて、杖を構えた。
師匠は、動けない。綿がとびだしていて、両足がぶらんぶらんしてしまっている。すぐになおしてあげたいが、しばらく我慢だ。
「……お二人とも、お願いがあります。あそこにある石像までの道、切り開いてください。お兄様とレオナードさんがいれば戦力も倍になります。あの二人を、助けます」
「おう、わかったぜ、お嬢ちゃん!」
「わかった。マユラ、道を開こう!」
「そこの女、ルーカス様と気楽に喋らないで……」
マユラのお願いに、ルーカスとアルヴィレイスが前に出る。
ルーカスの脇腹を軍隊蜂の毒針が掠めた。わずかに滲む血を見て、カトレアが悲鳴をあげる。
「よくも、よくも私のルーカス様に! 蜂の分際で! 許さない……!」
カトレアはローブの長い袖に隠れていた片手を突き出した。
その手には、いくつかの小石ほどの大きさのビー玉に似た何かが握られている。
赤く輝くそれを投げつけると、軍隊蜂たちの間でその玉はボン! と弾けた。
爆発に巻き込まれた蜂たちが、一斉にぼとぼと落ちていく。
「いけ、炎玉! 蜂を殺せ!」
「カトレア君、協力感謝する!」
「伯爵のためではありません。ルーカス様、カトレアの活躍、見ていてね!」
「強いな、カトレアさんは。頼りになる!」
「きゃあ、褒められたわ! でも本当はか弱いのよ、私……!」
「そうだな、女性だからな!」
「ルーカス様、素敵~!」
果たしてカトレアとルーカスは本当に恋人なのだろうか。
カトレアはルーカスに心底惚れているように見えるものの。
──なんて考えている場合ではない。マユラは、杖で軍隊蜂を叩き落としながら、レオナードたちの元に駆ける。
『させない』
マユラの前に、クイーンビーが立ちふさがった。
クイーンビーの周囲に、百本以上はありそうな、太い針が浮かぶ。
『マユラ、撤退しろ!』
「まだです! レオナードさん……!」
師匠の命令をきかず、マユラは毒針のセラムが入った瓶を取り出すと、蓋を開いて、振りかぶってレオナードに投げつけた。
瓶は──流線型を描きながら、レオナードの頭の上に落ちる。
毒針のセラムが、びちゃっとレオナードの頭からふりかかった。




