女難とレオナード
幽閉塔に近づくにつれて、霧がどんどん濃くなってくる。
その後も何度か魔物に襲われた。
トカゲを大きくしたようなサラマンドル、巨大な蝙蝠の形をしたナイトルード、蠢く蔓の塊の姿をしたモールプラッド。
どれもマユラ一人では倒すことの難しい魔物である。
だが、レオナードやユリシーズ、リカルドの手によってそれらはすぐさま処理をされていった。
魔物を倒すたびに、イヌの背にのせてもらっている素材ボックスが膨らんでいく。
ほくほくしながら、マユラはイヌの隣を歩いている。
その隣でマルティナが、何かを本に書きつけている。
携帯用インク壺とペンと本と沢山の紙が、マルティナの鞄には入っていた。
「サラマンドルもナイトルードも、モールプラッドも、ここまで増えたのははじめてよ。魔物にも生態系があって繁殖をしていると考えているのだけれど、この増殖の仕方は妙よね」
「原初の森には多くの魔物がいるのではないですか?」
「いるにはいるけれど、ほら、森は広大でしょう。この短期間で、こんなに魔物に遭遇することってあまりないのよ。森の中を歩いていてウサギの姿を見るのって稀でしょう? 探し回らないと狩りをするための獲物はみつからないわ。それと同じで」
マルティナの説明を、マユラは頷きながら聞いた。
確かに彼女の言う通りなのだろう。森を歩けばすぐに魔物に遭遇するようならば、人の生活は立ちいかなくなってしまう。
「王国の魔物は増加傾向にある。以前よりも魔物の被害が増えているのは確かだ」
「王国全土で何か異変が起きているということでしょうか」
ユリシーズにリカルドが尋ねる。
レオナードが眉を寄せながら首を捻る。
「どうかな。原初の森に起こったような異変が起きたという話は聞かない。魔物の多さは、その年によって違うから一概には、今年が多いからといって来年多いとは限らない」
「なんだか小麦みたいですね」
「はは、そうだな、マユラ」
『魔物と小麦を同列に語るな』
レオナードは笑ったが、師匠が辛辣な声で注意をしてくる。
確かに師匠の言う通りだ。小麦は多ければ多いほど嬉しいが、魔物が増えて嬉しい者はいない。
確かに錬金術師は魔物を素材に使うが、だからといって魔物に沢山いて欲しいとは思わない。
「でも確かにそう思うと小麦みたいよね。魔物も、繁殖をするものと、個体数を増やさないもの、それから自己分裂をして数を増やすものと様々だわ。討伐個数や、その時の栄養状況なんかが個体数の変化につながるのかもしれない」
マルティナが研究者の顔をして言った。
その話を聞きながら、そういえばとマユラは思い出して、両手をぽんと胸の前で打ち合わせた。
「魔物というのは、人の魂の成れの果てだそうですよ。人が死ぬと魂が大地に還り、魔素になります。その魔素と人の悪意が交わると魔物になるって、幽霊のアンナさんが教えてくれて」
「ちょっと待って、マユラちゃん。情報量が多すぎるわ……!?」
慌てた様子でノートにマルティナが何かを書きはじめる。
アンナの話をもう一度説明して欲しいと彼女が言うので、マユラはできる限りゆっくりと話した。
大地に満ちる魔素。大地に還る魂。人の悪意が魔物になる。
苦しみながら亡くなった人や、強い恨みを持ち亡くなった人、そういう人の感情が魔物を産むのだと。
「こ、興奮してきたわ……っ、マユラちゃん、もっと落ち着いた空間で聞きたいわね、その話。できれば二人きりで……っ」
「二人きりの意味があるのか。興奮するな、研究者。マユラに興奮をしていいのは私だけだ」
「ユリシーズ、それもどうかと思うぞ……?」
はあはあしながら手を握りしめてくるマルティナを、ユリシーズが睨む。
いつものようにレオナードが注意をしてくれる。その様子を、リカルドが「にぎやかですね」と、無表情で眺めている。
表情筋が動かない彼は怒っているようにも見えるが、そんなこともないのだろう。
その口調は淡々としていて穏やかである。
「マユラちゃんと一緒にいると研究が捗りそうな気がするわね。アンナさんにも会ってみたいわね」
「はい、ぜひ。アンナさんは今、王都の錬金術店でお留守番をしてくれています。ルージュと一緒に。元気かな……なんだかずいぶん、帰っていない気がしますね」
「思いの外、遠出になってしまったからな。俺のせいで、すまない」
「レオナード君のせいなの?」
「レオナード殿、マユラさんとはもしかして、お付き合いをされているのですか?」
「レオナードさんは、私の依頼主なんです」
「依頼主……?」
その話も長くなるのだ。塔まではもう少しかかる。マユラがかいつまんで説明している間、師匠は『同じ話を何度も聞くのは退屈だ』と不満そうにしていた。
ユリシーズは「マユラの声ならどれほど聞いても聞き飽きない」とにこにこしていた。
「なるほど、そういったことがあったのですね。レオナード殿も不運ですね」
話を聞き終わったリカルドが無表情ながらも気の毒そうに言った。
マルティナも、マユラの話をノートにまとめながらそれを聞いて、ぱたんとノートを閉じて鞄にしまうと、肩を竦めた。
「悪名高いメルディ王女に気に入られるなんてね。噂はなんとなく届いていたけれど、そんなことがあったのね。レオナード君は皆に優しいから、女難に合うのよ」
「じょなん……」
「女性で苦労するという意味ね、マユラちゃん」
「できる限り、レオナードさんに苦労をさせないように気をつけますね」
「ふふ、それって、マユラちゃんはレオナード君に恋をしないという意味よ」
「そうなるのですか……?」
マユラは首を傾げる。
『辺境の田舎者は、愛だ恋だという不毛な話が好きなのだな。生産性のない』
そんなマユラの腕の中で、師匠が嘆息をした。心底嫌そうである。
もしかしたら師匠にもかつては恋人が──などと、思わなくもないが、この様子ではそれはマユラの妄想だけで終わってしまいそうだった。
レオナードは一瞬複雑そうな表情を浮かべたが、すぐに笑顔になって「気をつかわせてすまない」とマユラに謝罪をした。
ユリシーズが「まったくだ」と、吐き捨てるように呟いた。




