原初の森
マルティナとリカルドと、明日の朝、原初の森入り口で待ち合わせをした。
散々飲み食いをしてお腹がいっぱいになったマユラは、師匠を抱きしめながらうつらうつらしはじめる。
規則正しい生活をしているので、夜が来ると眠くなってしまうのだ。
そんなマユラを兄が抱きあげてくれる。
マルティナたちに「仲良し兄妹ね」「ユリシーズ殿は妹君には甘いのですね」と言われながら、宿に戻った。
レオナードが途中で何度か「俺が変わろうか?」と言っていたが、兄は頑なにマユラを降ろさなかった。
宿につく頃には、マユラは酒に酔ったこともあり、完全に夢の中だった。
翌朝スッキリ目覚めたマユラは、基本的には睡眠を必要としていない師匠を連れて、保存食の買い出しに出た。
どんな街でも早朝から市場が開いているものだ。
活気あふれた市場には、森の恵みが多く売られている。キノコや木の実、そして川魚、パンやジャムなども多い。
栄養価が高く保存がきくナッツ類、ナッツがふんだんに練り込まれたパン、チョコレート菓子などなどを鞄いっぱいに購入した。
多めに購入したのは遠征に何日かかるかわからないこともあるが、もしかしたら遭難している人々がお腹を空かせているかもしれないからだ。
保存用の水はさほど購入する必要がない。これは、兄がいつでも水を作り出せるからだ。
魔導師とは便利なものである。師匠も同じだったので、水を生み出すような錬金魔法具は開発しなかったそうだ。
宿に戻り朝食をとったあと、原初の森に向かった。
緊急事態のために原初の森は閉鎖しているとリカルドは言っていた。だが、何事にも例外はあるようで、辺境伯が侵入を禁止しているとはいえ中に入っていく無謀な者はいるらしい。
原初の森は果てしなく広いために、全てを見張ることは難しい。
辺境伯としては、街から舗装された道を進んだ先にある正規の入り口に見張りを置くことぐらいしかできないと、昨日リカルドは悩まし気に言っていた。
確かにリカルドの言う通り、マユラたちの前方には水平線を埋め尽くすように深い森が広がっている。
森全体にはよく晴れているのに靄がかかり、なんとなく不気味な雰囲気である。
『この森は、私がいた時代も霧がかかっていて薄暗かった。この景色は、変わらないな』
「師匠の時代と同じ景色……なんだか浪漫を感じますね」
『お前は、なんというか、間が抜けた感想を言う女だな』
そんなことはないと、マユラは師匠の腕をみよんと伸ばした。
遠くに、木々の中から背の高い塔が突き出しているのが薄っすらと見えるが、靄がかかっているせいかはっきりとその姿を確認することはできなかった。
「原初の森は、不気味な雰囲気がありますが、自然の恵みの宝庫でもあるのですよ。原初キノコや、原初のクルミなどが採れますし、それらは辺境の地に生きる人々の糧になります」
「原初キノコのオイル漬け、買いました。原初のクルミのキャラメリゼも」
「マユラさん、お目が高い。どちらもとても美味しいです。食の好みが同じというのは、結婚生活において大切なことだといいますね」
街からの整備された道から、木々の合間に道が続いている。
リカルドやマルティナの姿を確認して、警備兵はすぐに道をあけてくれた。
幽閉塔を目指して歩きながら、リカルドが説明してくれる。
「おい。マユラを口説くな。凍らせるぞ。全く貴族どもは、目を離すとすぐにマユラを口説こうとする。確かにマユラはこの世の中で一番愛らしく気立てもいい女ではあるが」
「お兄様、妹を女といわないでください」
「可愛いな、マユラ」
兄はいつも通りである。
いつも通りすぎて、かえって安心できる。
レオナードが迷わないように、マユラは片手でレオナードのマントを掴んでいた。
なんとなくレオナードにプレゼントしたマントだが、掴むのにちょうどいい。
「ユリシーズ、妹とは結婚できないのよ?」
「その話はもう終わっている」
「そうなの?」
「勝手に終わらせないでください……お兄様とは結婚できません、お兄様ですから」
マルティナに覗き込まれて、マユラは困った顔で笑った。
マユラはだんだん慣れてはきているものの、やはりはじめて兄の態度を見る者たちは驚くだろう。
妹に優しい兄──というには、いささか言動がいきすぎている。
師匠やレオナードは完全に慣れているせいで、もはや何も言わない。付き合いの長さである。
といっても、そこまで長い時間一緒にいるわけではないのだが、マユラにとってはアルティナ家で過ごした年月よりもよほど師匠と出会ってからの時間のほうが密度が濃く感じた。
「原初の森の手前は、安全なのですね。皆にとっては安全、レオナードさんにとってこれほど危険な場所はありません。私から離れてはいけませんよ」
「あぁ、ありがとう……なんだか照れるな」
「照れるな、レオナード」
『迷子の子供扱いされているのだぞ、呪い男』
ユリシーズと師匠はレオナードに厳しい。
マルティナは笑いながら「仲良しねぇ」と言った。
そんなことを話しながら森の奥へ奥へと進んでいく。
霧が濃くなる。
この霧は──濃密な、魔素であると、マユラは肌で感じた。




