二度目の夢
◆
アルゼイラの閉じ込められていた塔は、高名な魔導師によって封印を施されていた。
十歳になったアルゼイラは封印をといて外に出た。
塔の石造りの床ばかりを踏みしめていた靴底が、さくりと土を踏む。
その感触に対しても、アルゼイラは無感動だった。
吹き抜ける風が僅かに癖のある黒髪を揺らす。頭からはえる二本の羊のような角は、成長するにつれて大きくなっている。
邪魔な髪をかきあげて、眩しさに目を細めた。
閉じ込められたときには邪魔なほどに長かったローブは、今では裾が少し短いぐらいだ。
「……行くか」
緊張も、怒りも悲しみもない。淡々とアルゼイラは呟いた。
アルゼイラの望みはこの退屈から抜け出すこと。それだけだった。
退屈から抜け出す方法は二つあると、アルゼイラは考えていた。
一つは、死だ。
生きているから苦しい。生きているから退屈だ。生きることを望むから、今あるものでは足りなくなる。
だとしたら、死こそが、救いたり得る。
二つ目は、生だ。
塔の中で生きているのか死んでいるのかわからないような暮らしを送るのをやめて、外の世界に出て生きる。そこにはアルゼイラの退屈を紛らわす何かがあるはず。
どちらを選ぼうかと考えて、アルゼイラは後者を選んだ。
自ら選択した死など、自分には相応しくない。まだ──知りたいことがある。
それは例えば。
自分が、何者なのか。
なぜ人とは違う姿で生まれてきてしまったのか。果たして自分は魔物なのか。魔物とは、何なのか。
塔の中にいて、あふれるほどの本を読んでも、わからないことは多くある。
アルゼイラが一歩踏み出すと、森がざわめいた。
鳥たちが逃げるように飛び立っていく。
その森は、アルゼイラの魔力の影響でか、変質をしていた。
元々は生息していなかった強い魔物たちが闊歩しはじめて、人々はそこを恐ろしい場所だと言って近づかなくなっていた。
もとより、王国の北の端である。忘れ去られたような場所だ。
森から出るために歩き続けていくアルゼイラの前に、目を爛々と輝かせた真っ黒な体の巨体が現れる。
大きな翼に、太い獅子のような足。鱗一枚一枚が青い炎を纏い燃えている。
「……黒竜か」
冷めた目で一瞥して、アルゼイラは軽く片手をあげた。
何もない空間から唐突に現れた血のように赤い鎌が二本。黒い竜の体をあっさりと切り裂いた。
断末魔の唸り声とともに吐き出した青い炎のブレスが、アルゼイラの体を焼き尽くそうと襲い来る。
けれど炎はアルゼイラの正面に辿り着いた時に、二つにぱっくりと開いた。
青い炎が森を燃やす。それはまるで、アルゼイラの前途を祝ってくれる祝福の炎のように。
「──アルゼイラ・グルクリムと申します。陛下、お初にお目にかかります」
「お前……あの塔を出たのか……!?」
アルゼイラは王城に入り込んだ。王の寝室に唐突に現れた己の息子の姿に、王は共に眠っていた王妃の体を抱きしめてぶるぶると震えた。
「さて。陛下と私は、初対面。あの塔と、もうしますと。何のことでしょうか」
「とぼけるな、お前は……」
「初対面ともうしました。私は孤児。そして、魔導師です。陛下、土産があります。私はあなたに忠誠を誓いましょう。きっと、あなたの役に立ちます」
アルゼイラが指をはじくと、何もない場所からどさどさと、このごろ王国を悩ませていた他の土地から流れて王国に住みつき悪行を繰り返していた異民族の首が大量に落ちてくる。
そのおそろしさに王妃は悲鳴をあげた。
王は──己の息子の有能さに、そこではじめて気づいたらしい。
その瞳は野心に燃える。
乾いた喉を潤すように、喉仏が上下に動いた。
「そなた、アルゼイラと言ったか。まだ子供だろう。どうやってその者たちの首をとった?」
「私には、類い希なる魔法の才があります」
「そうか。そうか……儂にはお前が異形に見える。だが」
「たとえ姿形が異形だとしても、有能でさえあれば、使うべきかと。あなたが私を取り立ててくださるつもりがないのならば、私は他国に向かいましょう」
「いや、待て。アルゼイラ。お前を、我が国が……買いあげよう」
王はアルゼイラを自分の子として扱うのをやめた。
あくまでも一人の人間。有能な人間として、雇うことに決めた。
そうしてアルゼイラは、城に研究室を与えられて、筆頭魔導師として城の中で暮らし始めた。
◆
「……うーん」
マユラはぎしぎし痛む体を身じろがせて、欠伸をひとつついた。
次の目的地まではあと三日。途中に街がない場所では、野営をしなくてはいけない。
焚き火を囲んで、木陰で眠る。レオナードが見張りをかってでてくれたので、マユラは早々に眠らせてもらった。
地べたに寝転んで眠るのは慣れている。
だが、レオナードがマユラが作ったふさふさのマントを外して、地面に敷いてくれた。
ありがたく師匠を抱いて丸くなった。
なんだかまたもや──師匠の夢を見た気がする。
この間の夢の続きだ。師匠を抱いて寝たからだろうか。
それにしては、妙にあたたかい。視線をあげると、兄がマユラを抱きしめて眠っている。
どうりであたたかいはずだ。
マユラは再び目を閉じた。
師匠はマユラの腕の中で静かにしている。十歳の師匠は可愛かったなと、夢の中の彼の姿を思い出す。
まだ──夜明けは遠い。




