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初心者マークの僕ら 〜Q.男女間の友情は成立するか〜  作者: やご八郎


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終章 初心者マーク

 午後の風が、掲示板の角に貼られた紙を揺らしていた。

 夏の光が反射して、文字が少し滲んで見える。


 ⸻合格発表。十六時。


 その文字の前で、四人が並んでいた。


 更紗は、ハンドルを握るように両手を組み、親指で親指を押し合っている。

 美玲は、ベンチの端に腰を下ろし、つま先を揃えてゆらゆらと動かす。

 麗央は、日陰に立ち、掲示板の影の伸び縮みを静かに見ていた。

 俺は、呼吸を整えるふりをして、ただ空を仰いでいた。


 試験場の向こうで、青い空に雲がひとつだけ浮かんでいる。

 形を変えずに、流れもしない。まるで誰かの心のように、そこに留まっていた。


 ◇◇◇


「今度は、“わたしのペース”で行くね」

 更紗がそう言って、短く息を吐いた。

 その声に、迷いはなかった。

 試験車へ歩く足取りが、少しずつ大人のそれに変わっていくのがわかった。


 美玲はスマホの画面をオフにしたまま、膝の上で両手を重ねている。

「大智、結果見るときは一緒ね。走らないで」

「走らないよ」

「約束」

 その言葉に、微かな安心と、少しの不安が混じっていた。

 友情はときに、約束という名の静かな信号を灯す。


 麗央はタオルの端を結び直し、俺の方を見た。

「黄の時間、ちゃんと使えた顔してる」

「誰が?」

「全員」

 その一言が、風よりも優しく響いた。

 俺は、胸の奥で“ありがとう”と呟いた。声には出さずに。


 ◇◇◇


 やがて、赤城教官と青木教官が戻ってきた。

 赤城は地図の交差点を、指の第二関節で軽く叩く。

「赤は止まれ。黄は考えろ。青は進め。でも、進むときは他人も動く。だから確認」

 その隣で、青木がマーカーの蓋を回して頷いた。

「歩行者の青点滅も同じ。始めない勇気と、渡り切る責任。途中で立ち尽くすのがいちばん危ない」


 言葉が風に溶ける。

 誰かの教えが、これほど穏やかに胸に残ることを、初めて知った。


 壁の時計が、十六時を指す。

 事務員が紙を貼る。

 更紗の指が、宙でわずかに止まり⸻次の瞬間、胸の前で小さく握られた。


「……合格」


 声は出さなかった。

 けれど、目尻がふっとほどけた。


 ◇◇◇


「おつかれ」

 俺は、更紗の肩に手を伸ばしかけて、空中で一瞬止めた。

 そして、軽く触れた。

 更紗は短く会釈し、手を胸の前で合わせた。

 その動きに、“ありがとう”の線が見えた。

 それを尊重できる自分でいたいと思った。


「ねえ、写真撮ろ」

 美玲がスマホを掲げた。

 指が少し震えているのを見て、麗央が笑った。


「焦るな。黄だ」

「うるさい」

 美玲の唇の端が、照れくさそうに上がった。


 ⸻この温度を、急がせないで守りたい。


 ◇◇◇


 校門の前。歩道の青が点滅を始めた。

 ピッ、ピッ⸻音のあいだで、四人とも足の親指にだけ重心を乗せて立っていた。

 音が止まり、赤に変わる。


「青は二人で出す、覚えとく」

「黄のあいだは並走。赤のときは止め合う」

 麗央の言葉に、俺は静かに頷いた。

 止め合う⸻それが、友情のもう一段向こうなんだと思った。


「また、みんなでどっか行こう。……更紗の“好き”の話、ちゃんと聞きたい」

「うん。誰かの彼女候補じゃなくて、わたしの言葉で話す」

 更紗は髪を耳にかけ、視線だけで応えた。

 その“わたし”に、俺はうなずいた。


「ここ卒業しても飯、一緒に食おうぜ」

 美玲がスマホの角で俺の腕を小突く。

「可哀想だから……じゃなくて。いいわ。けど合図忘れたら罰金ね」

「高い?」

「そりゃもう」

 靴紐をちらりと見て、彼女は笑った。

 友情は、きっとこの笑いの時間に宿る。


 ◇◇◇


 写真を撮る前、誰からともなく胸に初心者マークを当てた。

 四人の息が、ほんの一瞬だけ揃う。

 事務員の「はい」という声。

 シャッター音の直前、風が制服の裾を揺らした。


 その瞬間、俺は確信した。

 好きは、直進だけじゃない。

 赤で守り、黄で考え、青で一緒に進む。

 ウィンカーの等間隔な音が、友達の心拍みたいに、静かに残った。


 ◇◇◇


 帰り道。

 俺のリュックには、まだ剥がしていない初心者マークが入っていた。

 光にかざすと、緑と黄色が重なって見える。

 ⸻止まる色と、進む色。


 その中間にある境界線が、

 今の俺たちみたいに見えて、少しだけ笑えた。


 きっと人生も、友情も、まだ練習中だ。

 それでも、ハンドルを握っている限り、進める。

 青になるまで、待ちながら。


 最後までお読みいただきありがとうございました。

 もし気に入っていただけたらブクマ、評価等何でも良いのでレスポンスをいただけますと大変励みになります。


 ◇◇◇


本作『初心者マークの僕ら』は、

 「友情とは、相手の速度に合わせて進む技術である」という命題を、運転教習のモチーフを通して描いた群像劇です。


 赤は他者を守るための停止。

 黄は自分の判断で立ち止まる猶予。

 青は、合意のもとで進む信頼。


 人は誰も初心者です。

 友情もまた、免許のように⸻試験に合格して終わるものではなく、

 路上で何度も確かめ、擦り減らしながら覚えるものなのでしょう。


 そして、止まることを恐れない人だけが、

 本当に“進む”ことを知るのだと思います。


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