49.紙とペン (1)
起床。久々の野宿は背中が痛い。
ここへ来た当初は、ずっとこんな暮らしをしていたのだと思うと不思議だ。こんな暮らしというか、これよりもっとひどい暮らしだったな? いま同じことをしろと言われても、できる気がしない。
あの頃の私、よく生き残れたな。と思ったけど、特に生き残ってはいなかったな。すごい勢いで死んでた。
さて。一晩休んで、頭が少しすっきりした。
冬をここで越すにしても、海を目指すにしても、とにかく周辺の探索が急務。陽のあるうちに、ちょっと探し回ってみますかね。
探索結果報告。
うーん、森。どこもかしこも森、森、森。目印もなければ川もなく、ちょっとした泉が付近に湧いて出ているだけ。もちろん、帰り道の目途も経たない。
それにしても、久々の山林だ。雑草だらけで足元が危うい。旅行用に頑丈なブーツを履いているから、以前みたいに食いちぎられることはないけど。
もちろん長袖長ズボンで、手には革袋もつけている。木綿も絹も入手した今、昔の麻袋をかぶっていた時期とは、だいぶ文明レベルが上がっている。
鞄は背負うタイプのリュック。腰には革のベルトを巻いて、青銅の手斧を装備。ベルトにポケットがついていて、中には大豆も入っている。獣の解体や植物を刈るために、ポケットサイズの青銅ナイフも持っている。大抵のものは撃退できるスタイルだ。
……生活する分には困らんな?
初期アドバンテージが高すぎて、強くてニューゲームやってる気分だ。
でも、ここでずっと暮らすわけにはいかない。最低一年として、翌年には海の拠点に戻る必要がある。
ニワ子は海拠点で行方不明になったんだし、クロは根を張っているし、牛は死ぬ。
それにたぶん、私が孤独に耐えられない。もって十年。もたなくて三日くらい。正直、今時点すでに、戻れなかったらどうしようかと泣きそう。これまでの孤独って、なんだかんだで待っていれば復活する状態だったからね。これで戻れなかったら、完全にオサラバの可能性もあるからね。私のメンタルはボロボロ。
だからこそ、今は闇雲に動き回れないわけだ。きっちり冬を乗り越え、今度こそ間違いなく拠点へ戻る。そのために必要なのは何か?
しっかりとした道順である。ここからさらに迷ったら、今度こそ本当に帰れなくなる。
今いる場所をきちんと確立し、進行方向を見極めるのだ。
そういうわけで地図が欲しい。
地図といえば紙。紙に書くためのペン。あとインク。
むしろ、この百年以上を過ごして、よくぞ筆記用具なしで生きてきたものだ。
まあ、理由はなんとなくわかっているんだけどね。
筆記用具の目的。それは、情報の伝達である。
自分のための備忘録にメモをすることもままあるけど、一番に紙を必要とするのは、他人への伝達だろう。自分の得た情報を広めるため、後世に残すため、多くの人々は紙に書き残していった。
一方この私、死なない。死ぬけど生き返る。後世に残す必要がまずない。そして周囲への伝達、できない。だってニワ子も牛も字なんて読めないし。クロはクロペディアで、こちらから新規に伝える情報はないし。一緒に生活しているんだから、手紙のやり取りも必要ない。少人数だから、告知することがあれば口頭で十分。
となると、残る目的は自分のための備忘録だけど、この辺が生活に手いっぱいで残す余裕なんてなかった。
忘れるようなことは、つまり忘れてもいいことだ! サヨナラ!
えっ、紙は他に使い道がある?
トイレ? ティッシュ? うるせえ!
味噌といい、紙といい、人類の文明の進歩に則っているようで、微妙に則りきれていない。やっぱり数って大事だよなあ。横幅を広げて物量でカバーしないと、文明の発展がどんどんおかしくなる気がしてならない。
いやしかし待て。そこまで発展させる必要はあるのか?
大豆製品を作り終える程度の文明があればいいんだぞ?
などと考えながら、私は木々を切り倒し、森を切り拓いた。
近くの泉まで安全地帯を確保し、まずは簡単な家を建てる。今の時期は、大豆栽培が難しいので、代わりになる食料も見つけ次第かき集める。
この手の作業は何度も繰り返しているからね。慣れたもんよ。秋だから食料も豊富だし、人の手のほとんど入らない秘境の植物どもなんて、今の私の敵ではない。
海拠点付近の植物は、だんだん私の攻勢に慣れてきて、フェイントに引っかからなくなってきているからね。適者生存。これも一種の進化なのかもしれない。
家を建て、食料をため込み、翌年の植え付け用大豆を確保し、まんじりと越冬。
その越冬中に、筆記用具の作成にいそしんでみた。
やることないしね。
さて、筆記用具。
要は書ければいいんでしょ、の精神で、まずは木簡を作ってみる。
作ってみると言っても、こんなの板を薄くして表面を平らにすればいいんでしょう?
余裕余裕(舐めプ)。
はい無理。
手斧で薄くするの無理。
そのあと、表面を滑らかにするのも無理。
これはやすりがけが必要だなあ。拠点に戻ればかんながあるから多少はどうこうできそうだけど、木簡にそこまでの価値を見出せない。
どっちかというと、多少分厚くして、道端に立てる標識を作ったほうが役立ちそうだ。
ふーむ、道に立てる標識か。
そうなると、インクの方を考える必要がある。風雨を受けても色が落ちない、油性のペンキが欲しい。
油性……油脂……松脂とかかなあ。色を付けるなら、顔料が必要かな。海拠点に戻れば緑青があるんだけども。
…………いや、ここにもあるな。
赤錆の鉄鉱石。これってもしかして、赤い顔料になりません?
あとは刷毛。
獣の毛でもいいけど、ここにもおあつらえ向きの毛がある。
うん、私の髪の毛。もともとショートだったのに、この百年近くで腰くらいまで伸びたよ。割と化け物みたいだよ。
しかし髪の毛、どれほど放っておいても引きずるほど長くはならないのが不思議。なんだかんだで毎日髪が抜けているし、ある程度になったら成長が止まるものなのかもしれない。
ちなみに普段は、紐で一つにくくっている。切っても全く困らないけど、単に優先順位が猛烈に低かったのだ。
なので、ナイフでばっさり。一切の悔いなし。首回りもすっきり。冬なのでちょっと寒い(後悔)。
鋏があれば、前髪なんかも整えられたかもなあ。鋏、作れないことはなさそうだし、拠点に戻れたら作ってみようかな。
髪の毛は適度な長さに切りそろえ、数本ずつの束にしてまとめる。まとめる紐も髪の毛でいいや。これほど頑丈な繊維はないでしょう。
長さ五センチ、直径一センチくらいの髪の束を、だいたい五つくらい用意。その一方で、刷毛の持ち手になる部分も作る。
持ち手は、一枚の板だ。厚さ二、三センチくらいの板を切り出し、握りやすいくびれを作る。凸みたいな形にした後は、下の広い部分を、繊維に沿って半ばくらいまで縦に裂く。
裂いた隙間に髪の束を並べてねじ込めば、クリップみたいな感じで留めてくれる。
髪の毛がまだまだあるので、もう少しいろいろなサイズの刷毛もつくる。あ、当初の目的の、紙に書く用の筆も作ろう。これは髪の束を横並びにするんじゃなくて、ひとつの髪の束を、一本の棒にくくる。うん、それっぽい。
次は松脂、と思って外に出ると、すっかり雪が積もっていた。
今時分、何月くらいなんだろうなあ。
というか、今何年目くらいだ? 百を超えたあたりから、カウントがぼんやりしてきている。
クロペディアに聞けばすぐに答えが返ってきたから、昔やっていた日付のカウントも投げちゃったんだっけ。記録を取ることが億劫になってきているんだ。
でも、この百年ちょっとで、忘れたものもだいぶある。小中の友達の顔、山月記の冒頭文、ドイツ語の講義の内容に、今月のソシャゲ課金額。
ぼんやりしはじめている大学の友人たち。ネトゲのハンドルネームと、親の顔と、鶏も牛も喋らないという事実。
私の住んでいる場所は、こんなに雪は降らなかったということ。
そりゃ、まあ、普通の寿命より生きているしなあ。
頭の容量がもたなくなってるんだ。
超回復とリスポーン機能が搭載されても、私の基本スペックが強化されたわけではない。生きるために必要なことを詰め込んだら、それ以外のことが抜けていくのは当たり前だ。下手したら、そのうち元の世界に戻る理由すらわからなくなるぞ、これ。
あー…………だから、紙か。
今の私が紙を欲しがったのは、このためだったのかもしれないなあ。




