No.28 旧地下訓練施設③
――駆ける。
階段のようになった立ち見用の観客席、その客席を縦へ横へと空を翔けるように駆ける。背後からひっきりなしに聞こえてくる、盛大な爆発音の元凶から逃れるために。
部下の魔術師から魔術による身体能力強化の恩恵を受け、現在フリウスの身体的パフォーマンスはかなり高い。つまり、両手に持った短剣を駆使しての近接戦闘――スピード主体の戦闘スタイルであるフリウスは、一度相手の懐に入ってしまえば並大抵の敵には負けはしない―――のだが。
しかし。
戦闘で強いことイコール勝てるかどうかなんて単純な等式ではないのだ。”格下が格上を潰す”という言葉に示される通り、勝敗を決めるのは力の強弱ではないのである。
「っ、クソ!噂に聞いた以上の化け物ぶりですね、第二階梯は!?」
ッドン!と、フリウスの背後で爆炎が起こる。
それに背を押されるように一層足の回転を早めるフリウス、その頭上へ不意に影がさす。
「――ッ!?」
チリッとうなじの辺りに焼け付くような感覚を覚え、フリウスはそれに従い即座に全力で横へと跳ぶ。着地など考えていないその跳び方で空中へ浮いたフリウスの体――直後、寸前まで居たまさにその場所へ、炎が落ちた。
いや、違う。
その炎は、人の姿をしていた。揺らめく炎のような朱色の短髪に、黒いコートの上からでも分かる鍛え抜かれた体、そして両腕に装着された赤銅色のガントレット。極めつけに、そのガントレットを付けた拳は、燃え盛る炎を纏っている。
「ハハッ、なかなかやるじゃねぇか。第一階梯だって団長からは聞いてたんだが――お前……アレだ、スゲェよな!」
適当に褒めたのかもしくは適切な語彙を持ち合わせなかったのか――恐らくは後者だろうが、炎を纏う青年ことユグドラシルは、フリウスをそう評して地を蹴る。
ゴォッ!と冗談抜きに空気を引き裂いて連続で迫る拳を、フリウスは強化された身体能力に任せてアクロバティックな動きで回避していく。もちろんそう連続で躱せるわけではないが、そこは部下の魔術師が飛ばす雷閃やら風刃の魔術によるサポートによって出来た隙を見て、適度に距離を取って対処する。
「それはどうも。……まあ、逃げ足を褒められているようであまり嬉しくはありませんがね」
「いいじゃんか、逃げ足。人生逃げることも大切だ――ってウチの団長が言ってたぜ?」
「なるほど、一理あります。ですが、逃げられない状況があるのもまた人生というものですよ?」
見事に言い負かされたユグドラシルは、「うぐっ……」とうめいて圧されたように仰け反る。そんな様子を滑稽なものを見るように笑いながら、フリウスの思考は冷静に相手の情報を分析していく。
(あの魔法――接触と同時に拳に纏った炎を解放・爆発させ対象を破壊する、といったところですかね。冗談抜きに一撃が致命傷になりかねませんが……さて、どうしたものか)
一見してフリウスが完全不利な状況。だがしかし、それは単純な戦闘力でのみ見た場合。この戦闘の本質は、もっと別の場所にある。
簡単な話。
フリウスとユグドラシルでは互いに勝利条件が違う、というただ一点が、この戦闘の根幹にあるというだけだ。
ソラミアを救いに来たユグドラシルは、解除方法が不明な以上迂闊に魔法陣へは手を出せない。下手に手を出せば状況を悪化させかねないのだ。かと言って、解除方法を知る可能性がないとは断言できないフリウスへ過剰なダメージを負わせることも出来ない。
(さて、この状況下であなたは一体どうするんでしょうね……?)
直撃はおろか掠っただけでも致命傷になりかねないユグドラシルの拳を避けながら、フリウスは右手の中で短剣を回す。まるで余裕を見せつけるような行為だが、その狙いは他にある。
あえて自分の得物を相手の視界に入れておくことで、そちらに注意を引き付ける。目を逸らした瞬間、もしくは背を向けた瞬間。その隙に一撃を喰らうのではないかと、そしてフリウスにはいつでもそれが出来るのだと、そう思わせるのが重要なのだ。
よって、フリウスは回避行動だけには留まらない。
「――ふっ!」
ダンッ、と。今まで通り後ろに下がるのではなく、あえて一歩、相手の間合いへ踏み込む。迫る剛腕を身をよじって避け、そのまま自然な動作で、右手に持った短剣をユグドラシルの胸元へ突き込む。
「は、その程度――!」
鼻で笑い、瞬時に短剣の軌道上へガントレットを装着した左腕を滑り込ませる。これで相手の動きが止まるならば良し、そのまま次の攻撃へ繋げてきてもまた防げば良いだけ。そんな後先考えない、まさしく脳筋思考で防御を選択したユグドラシルは――見た。
突き込まれた短剣の刀身、その鈍色の刃が、なにやら透明な液体のようなもので濡れていることに。
「――ッ!?」
瞬間、ユグドラシルの脳裏に『毒』という単語がよぎる。その単語が出てきたのは恐らく、仲間のとある少年が使う手だから見慣れていた、という理由と関係があるはずだ。
防御という選択肢を即座に放棄、ユグドラシルはならばどうすると自問し――その疑問へ被せるように答えを出す。すなわち、回避一択。
「くっ――!?」
上体を思い切り後ろへ逸らす。だが、真っ直ぐに迫る刃を避けるには、致命的なまでに間に合わない。せいぜいその凶刃が胸へ突き立つのを一瞬遅らせる程度――だが、そのユグドラシルには一瞬で事足りる。
ボッ!と、唐突に靴裏から炎が噴き出す。その炎の勢いが、ユグドラシルの体を後ろへと大きく飛ばす。
「よっ――とぉ!」
円形の観客席――その形状に沿って十メートルほど飛んだユグドラシルは、空中で体を捻ってそのまま地面へ四点着地。完全に衝撃を殺したユグドラシルは、即座に意識を切り替えて前方に見えるフリウスへと再び突撃する。
(もし、あれが毒でも――喰らう前に速攻で倒せばいいだけだ!)
ユグドラシルは、人間と龍の混血である龍人族だ。いかにフリウスが身体能力を強化しているとは言っても、それはあくまで人という括りの中での話。その外側――いわゆる『人外』にカテゴライズされるユグドラシルとは地力の差に開きがある。
そもそも、龍――古龍族と呼ばれる種族は、数多くの種族が存在するファトランタスの中でも”最強”の一角に数えられる種族。半分だけとはいえ、その血はただの人間風情を遥かな高みへと押し上げるには十分すぎるのだ。
よって、ユグドラシルは再びその拳へ炎を纏う。理想なのは一撃必殺、殺さない程度に無力化する”峰打ち”にも似た攻撃だが、破壊一極化の魔法を操るユグドラシルにそれを求めるのは酷だろう。
だから、普通に殴る。倒す。無力化する。
十メートルなんて距離、ユグドラシルにとっては5歩で事足りる。最初から最速を叩き出し、最短ルートで一直線にフリウスの顔面へ狙いを定めた拳がうなる――
が、その拳がフリウスへ届く間合いへあと三歩といったところで、体の周囲へ黄色に輝く光点を四つ侍らせた白ローブの魔術師が割って入った。
「《紫電の雷撃もって・敵を穿て》!」
その詠唱式に反応した黄色の光点――雷属性の下位精霊は、即座に魔術を起動する。そして放たれるのは、的確にユグドラシルを狙う計四発もの雷閃。
「ええい――邪魔、だッ!」
ズダン!と炎を纏った拳を強く床へ叩きつける。途端に炸裂した爆炎に粉々になって吹き飛んだ床の破片が、迫る雷閃と衝突して跡形もなく消し飛んだ。だが、それは雷閃も同じ。床の破片という的を射抜いてしまった雷閃は、そこで役目を終えた。
その破片の雨をすり抜けて、ユグドラシルは魔術師へと駆け出す。
「な――くっ、《我・水精との契約――」
「退いてろォッ!」
口早に新たな下位精霊を召喚しようとする魔術師のアゴへ、アッパー気味に放たれた拳が届く。ズドンッ!と凄まじい音が響き、衝撃で中へ浮いた魔術師の体を、ユグドラシルは体を捻って蹴り飛ばす。
背中で地面を滑っていく魔術師を意識から除外した瞬間、前後左右全ての方位から複数名の魔術師が踊りかかる。それに対して、ユグドラシルは目も向けずに、ただ無造作に片手を天へ掲げるだけ。
「しつこいんだよ、失せろ」
まさに瞬殺。掲げられた手から生まれた巨大な炎球が爆発し、無数の火山弾のごとき炎を周囲へばらまく。それは一切の抵抗を許す暇もなく敵を穿ち、なぎ倒していく。
紅蓮の爆発が連続し、途端に立ち込める煙にユグドラシルが思わず顔をしかめて――ボッ!と勢いよく煙のカーテンを突き破ってきた白刃を、その右腕に装着したガントレットで受け止めた。
「チッ――の、野郎!」
「はあ――あぁぁぁぁぁッッ!!」
咆哮にも似た叫び。それに続けとばかりに白刃が乱舞する。斬撃、斬撃、突きからの斬撃。続けて斬撃、斬撃、突きと見せかけての蹴り――まさしく、嵐のような密度の連撃を、ユグドラシルはその場で両腕を交差させて受け止めていく。
一方的な攻撃を受け止め続ける中、ユグドラシルにはひとつだけ懸念があった。それは、たった今、目の前で攻撃を繰り出している敵が短剣の刃に仕込んでいた毒――らしきもの。
いくら人間よりも素での防御力が高く自然治癒も速い龍人族とはいえ、毒を喰らえばもちろん効く。最悪、毒のレベルによってはかすり傷ひとつで即死してもおかしくはない、それが毒の恐ろしさだ。
(クッソ!こんな時、団長なら毒喰らっても戦えるっつーのに!)
この場にはいない少年を羨ましく思いつつも、ユグドラシルは瞬く白刃へ意識を集中させていく。
ギギギギギン!と、連続して火花が散る。まさしく手も足も出ないとはこのこと、防御に徹するユグドラシルへ苛烈な連撃を繰り出しながら、フリウスは人知れず笑う。
(短剣に塗られた毒――に見せかけてその実態はただの水!しかし、あなたはそれを警戒し迂闊な行動に出られない。所詮第二階梯といってもこの程度ですか!?ならば、勝てる――この僕があなたを殺せば、アイツらへの証明になるッ!)
フリウスの魔法は水属性。短剣の刃を常に濡らし続けるなど、朝飯前どころか寝起きでも出来る。そんな簡単な小細工ひとつで格上を翻弄する快感に比例して、連撃の速度が否応なく上がっていく。
かつて、フリウスを裏切った”アイツら”。フリウスが今この場に身を置く全ての元凶を作り出した”アイツら”へ、自身の強さを証明してみせる――そんな目的意識に眠っていた暗い記憶が呼び覚まされ、淀んだ感情がフリウスの心へ忍び寄る。
向けられる侮蔑の視線。憐れみ、嘲笑、拒絶、裏切り。そんなどうしようもなく堪えようもない幼い頃の記憶が、湧き水のように絶えることなく浮上してくる。
もっともっと。
過激に苛烈に、殺せ、殺せ、殺せ。そんな狂気に染まった声が耳元で囁く。その声は、間違えようもなく自分の声だった。醜く歪んだ心の淀みにたゆたう、紛れもないフリウス自身の本音。
「おおお――ああ、はあああぁぁぁぁぁッッ!!」
「ぐうっ……!?」
刻一刻と速さを増していく剣閃に、ついにユグドラシルが気圧されたように一歩後ずさる。だが、それはフリウスにとって勝利を確信するに値する何よりの価値を持った一歩。
だから、そのまま押し切ってしまおうとさらに限界のその先目掛けて体を動かすフリウス――だが、フリウスはひとつだけ間違えていた。その事に、遅まきながら、今更ながらに気づく。
仮に、もしもの仮定の話。ユグドラシルは魔法陣へ”手を出せない”のではなく、”手を出さない”のだとしたら。仮にそうだとしたら、どうなるか。
――ふたりの間にある勝利条件が、根底から覆る。
そして浮かび上がるのは、当然の疑問。ならば何故、ユグドラシルはフリウスを倒そうとしないのか。
その答えを、既にフリウスは持っている。簡単な話だ。”時間稼ぎのため”に決まっている。まさに今、フリウス自身がそうしているように――
「――ッ、まさか……」
思わずフリウスの口から言葉が漏れる。だが、それは自らが気づいた可能性に対してではない。見たからだ。明らかに防戦一方になっている――いや、そう演じているユグドラシルの口元に、確かな笑みが刻まれていたのを。そして、今も無慈悲に起動し続ける魔法陣の傍らへ立つ、ひとりの少年の姿を。
その少年は、夜闇色の黒いコートを纏い。その茶髪を無造作に伸ばし。目元に色濃いクマを浮かばせ。口元にふてぶてしくも飄々とした笑みを貼り付けて。ただ、そこに立っていた。
「あ、あの少年は――!」
「ったく、おせぇんだよバカ野郎!」
フリウスの驚愕とユグドラシルの不満が入り混じった声を背中に受け。少年は、ため息ひとつ、誰ともなく静かに宣言した。
「――さあ、ゲーム・スタートといこうか」




