No.17 悪意の拍手③
はあ、と走りながら吐いた息が白くなる。
まるで雪降る中にいるような錯覚を覚える程に肌を突き刺す冷気が、確実に体温を奪っていく。だが、そんな中にあっても、2人の足取りは一向に止まらない。
「おいルーナ、次どっちだ!?」
「そこの左の角を折れて!でもまた居るよ!」
「うげ、マジかよ……!笑えねぇなクソったれ!」
「はわっ、わわ、ちょっ!ドレスの裾が……!見えるっ、見えちゃってませんかこれ!?」
「ゴメンねソラミア、我慢して!」
身の丈に迫るほどの長さの杖を片手に持ち、もう片方の手で薄緑色のドレスを危うげにはためかせたソラミアを肩に担ぐルーナが先頭を走る。そして、ユグドラシルを従え左の曲がり角へと勢いを殺さずに突入する。
すると。
申し訳程度に備え付けられた魔晶灯の白い光が、そこにいる人の影を映し出す。しかも、一体ではない。そして、明らかにただの人間でもない。
ぐずぐずと全身の至る所が不自然に溶け、腐敗したそれは――言うなれば、死者の骸。それが十を優に超える群勢で襲いかかってくる。
「ぎゃああああああ!?来んな来んな〜ッ!」
「ユグドうるさい!いい加減慣れなよ!昔っからホラー系ダメなのは変わんないよね!」
「違うわ、オレが苦手なのはホラー系じゃなくてグロ系ですぅ!あっ、でもちょい待ち、やっぱオレ怖いのも無理だわ。生理的に無理っぽいです嘘吐きましたごめんなさぁい!」
涙目で情けない悲鳴を上げるユグドラシルに一喝し、ルーナはすかさず右手に持つ杖を振り上げる。その杖に魔力を通せば、一瞬にして通路全体が白く凍りついていく。
「行くよ!」
「いやぁもうウソだろ!?ええい、男は度胸だコンチクショウッ!?」
床に氷で足止めされ、その場から動くことを許されない死者たち。その頭上を、壁を蹴って飛び上がったふたつの影が飛び越えていく。
「うおわああぁ!?見てるっ、アイツらこっち見てるよぉ!」
「うわわ、腰がグッキリ曲がって――!?ちょ、なんなんですかアレ!」
「あれはただの『アンデッド』だよ!ソラミアもこの国で暮らしてるなら見たことあるでしょ!?あの『漆黒の害虫』と同じくらいのレベルでその辺にいるもの!」
「私の家のキッチンにはあんな得体の知れないの出ませんでしたよ!?あの『疎まれしキッチンの申し子』はよく出現してましたけどね!」
「なあお前らのその呼び方なんなの!?普通にカッコイイ2つ名付けてんなよ!つか本名で呼んだ方が早いだろ、ゴキブ……」
余計な名前を口走ろうとしたユグドラシルの腹にルーナの杖の先端がめり込む。それも、みぞおちにクリティカルヒットだった。
「ぐふうっ!?テメ、何しやがる!」
「ダメよユグド、その名をそれ以上口にしちゃ!いつどこでヤツらが聞いてるかわかんないんだから!そう、ヤツらは常に物陰で暗躍しているのよ……」
「そうです、一匹出現したが最後、一匹から三十匹……みたいにどんどん増えてくのがオチですよ!そんな地獄を見るくらいだったら舌噛んで死にます!」
「なんだよお前ら、ゴキ……に前世で親でも殺されたのか?」
確かに部屋のすみを高速で動き回る例のアレが嫌いな人間は多いだろうが、それにしたって尋常じゃない拒否感だった。苦々しげに唇を噛み締める彼女らの脳内には、きっと何か切っても切れない因縁があるのだろう。
特に、ハイライトの消えた瞳で「根絶やす……絶対根絶やす……駆逐だわ……」と呪詛を呟くソラミアはかなり重症のご様子だ。過去のトラウマでも見てるのだろうか、その視線は虚空を見つめている。
とまあそんなくだらない会話をしつつ、しかし走る足を止めない一行の目の前に、やがて十字路が見えてくる。しかも、今まで通りのアンデッドのおまけ付きだ。
「うっげ!なんだありゃ、多くねぇか!?」
「もしかしたら、アンデッドを召喚か何かしてる魔術師がいるのかも!ユグド、どっち曲がる!?」
「ハッ、オレの辞典に『曲がり道』という言葉はねぇ!直進一択で決まりだぜ!」
猪突猛進を地で行くユグドラシルの脳筋思考。その直感に従い、一直線にアンデッドの群れへと突っ込む。
バキパキッ!と硬質な音を立てて凍てつく通路を駆け、足を床に縫い付けられながらも腕を振るうアンデッドたちの魔の手をくぐり抜けていく。
「くそ、邪魔だこの野郎!キモイんだよ!」
「数が多いわね!こんな時、団長がいれば正面突破できるんだけど……!」
「《執行部》でアンデッド倒せんのは団長の魔法だけだもんな!ったく、つくづくアイツの万能ぶりを思い知らされるぜ……」
悔しそうに吐き捨てつつなんとかくぐり抜けたユグドラシルたちは、そのまま直線通路へと突入していく。
すると、魔晶灯の明かりに照らされて、暗闇に行く手を阻むように立つ1人の白ローブ姿が浮かび上がる。その魔術師の周囲には、濃い紫色の光がいくつも漂っていた。
「闇属性の……素因子!?」
その白ローブの魔術師は、すっと右手を掲げて詠唱を開始する。
「《常闇の死に沈む者・我はその死を覆す・体は今ここに在り・空虚な遺志よ力持て》」
その言葉に応じ、周囲を漂っていた紫の光点が床に複雑な紋様を描き出す。それは、濃い紫の輝きを放つ魔法陣だ。そして、その魔法陣から這い出でるように、無数のアンデッドたちが出現してくる。
「――ッ!あの詠唱、闇属性の『デッドマン・コール』!?やっぱりアンデッドを召喚してる人間がいたのね!」
「ちぃ、面倒な!ぶっ倒す!」
ゴアッ!と右手から炎をほとばしらせ、ユグドラシルが吼える。それを脅威と見たか、アンデッドたちが徒党を組んで襲いかかっていく――
「喰らいやがれッ!うおお――りゃあああぁ!」
威勢のいい叫び声を伴って放たれた業火は、通路を埋めつくしアンデッドたちをことごとく焼いていく。
だが、目の前に気を取られたユグドラシルは、気づかなかった。炎という煌々と明かりを撒き散らすものの傍にいれば、当然足元に伸びる影は大きくなると。
そして、燃えるアンデッドを見つめるルーナは知らなかった。クリストが足止めしているはずのフリウス・レイズ、その半分を占める異形の正体を、その能力を。
そして、危機は音もなくまるで暗殺者のごとし挙動で迫っていた――というより、無音で浮上してきた。
「っ――え?」
実際、被害にあった張本人のソラミアにすら何が起こったか分からなかった。それは、一瞬の出来事だったというのもあるし、自分の常識を上回る出来事に脳が追いつかなかったとも言える。
だから、悲鳴をあげることも出来なかった。
干された大きな洗濯物ような格好でルーナに担がれていたソラミアの足を、がっしりと足首を握りつぶさんばかりの力で何かが掴んだ。そして、力づくでソラミアを引きずり下ろす。
それに一瞬遅れて気づいたルーナが慌てて引き戻そうとするも、遅い。そのまま地面に落下したソラミアの体は、ユグドラシルの炎に照らされて長々と伸びるルーナ自身の影へと沈んだ。
ルーナはしゃがみこんで自分の影を叩くが、そこから返ってくるのは床の硬い感触だけだ。決して、水のように沈む感覚は無い。
「くっ、やられた……!」
「おい、どうした!?……って、ソラミアちゃんどこいったんだよ!ルーナ、何があった!?」
ドォン!とオレンジの爆炎でよたよたと迫ってくるアンデッドを吹き飛ばしながら訊ねてくるユグドラシルに、ルーナが言葉を返そうとした――その時。
「おや、どこを見ているんですか。あなたたちの探し人はここですよ?」
「「――ッ!?」」
バッ!と揃って声が飛んできた方向へ――ユグドラシルの炎に包まれあちこち炭化しながらも、なおぎちぎちと壊れかけの人形のように動き続けるアンデッドたちのさらに向こう側へと目を向けた。
そこに居たのは、アンデッドを召喚した魔術師。そしてその背後に、先ほどまでは確実に、それこそ影も形も無かった男が一人。
脇に気を失っているのかだらりと脱力したソラミアを脇に抱え、空いた手で胸の中央、まさに心臓の上辺りを押さえる男が、そこにはいた。
「フリウス・レイズ……ッ!」
「覚えて頂けているようで……なにより。久方ぶり――いえ、先刻ぶりですね、おふたりさん」
苦しそうに、ぜぇはぁと肩で息をしながらも、フリウスは気丈に柔和な笑みを浮かべてみせた。




