No.16 悪意の拍手②
ピリッと空気が張り詰める。
そこに一人増えただけで、どこか呑気だった雰囲気が消え、肌を突き刺すような緊張感へと変貌していく。
ルーナに倒され床に転がる自分の部下に見向きもせず、まるで見えていないかのように腕を足を胴を踏みつけながら歩いてくる青年の存在が、そうさせていた。
「あの野郎、自分の仲間を……!」
「まあ待てユグド、落ち着けよ。アレは事を構えるのは、ここじゃあちとマズイと思うぜ」
「……!団長、何か視えたの?」
「ああ。全身に漂う嫌な魔力反応……。間違いねぇ、いつもの『被験体』と同じだ」
クリストが放った『被験体』という言葉に、ユグドラシルとルーナの表情が固くなる。
「おい、フリウス。戦う前にひとつ、訊いていいか?」
「ええ、いいですよ。と言っても、答えられないこともありますが」
「じゃあ訊こう。お前、何と混ざった?」
「……さあ?なんでしょうね。当ててみてはいかがですか?もっとも、分かるならの話ですが」
「いやいや、さすがにノーヒントってのは無理だろ!できれば見せちゃくんねぇか?お前の半分側をよ――」
フリウスと飄々とした調子で会話するクリスト。そうしながらも、開いた手帳の白紙のページに、お手製のインク切れしないことで評判の魔道具ペンで猛烈な勢いで文字を書きなぐっていく。
「えと、なになに?『脱出経路はどうなってる』、か。ねえユグド、どうなってるんだっけ?」
「……作れたには作れたんだがよ、奥に妙な結界があってそれ以上は進めなかった。まあなんだ、脱出は無理ってこったな」
「『なんとかできるか?』だってさ。どう?できる?可愛い可愛い団長のお願い聞ける?じゃなきゃムスコさん潰すけど」
「おいやめろよ、オレのムスコさんはまだ新品未使用なんだから……。オホン、話を戻すがそりゃ無理だ。あの結界、結構ガチのヤツだぜ?あんなの破れんのは団長くらいのモンだろ」
「『にゃるほど……』って、なんで猫っぽくなったの?いや、可愛いけども。大事だから二度言うね、可愛いけども!」
フリウスと何気ない世間話のような気軽さで言葉を交わしつつ、ボソボソと小声で話す二人の会話を聞いたクリストの思考が急速に回転する。
そして、少し迷った後、手帳の白紙部分にある一文を書いた。
「……!了解」
「うん、わかったよ」
2人がこくりと頷いたのを気配で感じ取り、クリストは手帳をしまう。すると、床に空いた大穴を間に挟んで立っていたフリウスが、ふと笑う。
「作戦会議は終わりましたか?」
「……あ、や〜っぱりバレてたのね。ま、おかげさまでバッチリ終わったよ。待たせて悪いな、ありがとさん」
「いえいえ。ちょっとしたサービスですよ。僕もこの力を使うのはそれ相応のリスクがありますし、あなたがたにしっかり対応して頂かないと――」
そこで一度言葉を切ると、俯いた。
次の瞬間、がばあっと勢いよく上げられた顔には、数秒前までの柔和な笑みは影を潜めていた。かわりに、犬歯をむき出しにした口から獣のようなうめき声が漏れる。
「うっかり標的まで殺しかねませんのでねぇ!」
ビギィ!と限界まで見開かれた瞳から血が流れる。そして、変化が始まった。
歯は鋭い牙へ、瞳は黄色い獣の瞳に、腕は太く逞しく、頭部からはより高性能な獣の耳が、爪は肉を引き裂くほどに鋭く尖り、極めつけに腰のあたりから生える一本の尻尾。
その姿は、見る者にいやおうなしにその名を連想させた。
「お、オオカミ男……!?」
「そうとも!アレが魔道教団のクソったれ共に関わった愚者の成れの果てだ!」
「ゴァ――オオオオオオァァッ!!」
もはや人間には理解不能な雄叫びを上げたフリウスは、爛々と輝くその黄色の瞳に殺意を漲らせる。そこには、人間の理性など一欠片も残っていないのは明白だ。
「ち、やっぱ理性ぶっ飛び状態か!ユグド、ルーナ、作戦は伝えた通りだ!頼む!」
「任せて!……ソラミア、ごめん!」
「へ……って、きゃああ!?」
なるべく邪魔しないようにと隅の方で黙っていたソラミアの体を軽々と担ぎあげたルーナと、それに追随するユグドラシルはクリストに背を向ける。そして、フリウスとは真逆の方向へと駆けだす――つまり、逃走を選択した。
『俺一人置いて逃げろ』という、クリストからの命令を忠実に遂行するために。
「無事でね、団長!」
「死ぬんじゃねーぞ、カッコつけ野郎!」
「ハッ、誰が死ぬかよ!俺は意外と不死身なんだからな!」
理性を失っているとはいえ、一応『標的を捕らえる』という行動理由は残っているフリウスがあとを追おうとするが、その前にクリストが立ちはだかる。
「……ガウッ!ウウアッ!」
「どうどう、熱くなるなよ。仕事熱心なのは感心だが、たまには息抜きも必要だろ。ってなワケで、俺と遊んでってくんね?」
「……ガルルゥッ……!」
その言葉を理解したのだろうか、フリウス?は前傾姿勢――突撃の構えを取りながら唸る。ジャキッ!と両手の爪が伸び、完全戦闘態勢といった様子だ。
それを見たクリストは、ふっと目を閉じて微笑んだ。そして、次の瞬間にはその顔に刻まれているのは、猛獣のごとき獰猛な笑み。
体を半身にして緩く拳を握りながら、隠しきれない歓喜の感情を混ぜて呟いた。
「ははっ――さあ、ゲーム・スタートだ!」
その言葉を合図に、フリウスが弾かれたように駆け出す。その脚力は人間の限界を超え、二十メートルはあった距離を一瞬でゼロにする。
体感的には、瞬きした程度。
まぶたを閉じ、開いた瞬間にはもう目の前に迫ったフリウスの右腕が振りかぶられている。
「――グガルァァ!」
ビュゴォ!と空気を切り裂いて迫る刃のような鋭利さを秘めた5本の爪が、クリストの頭部を狙う。だが、その爪が振るわれる頃にはもう、小柄な体はフリウスの胴体へと肉薄している。
「おお――るぁッ!」
あえて自分から前に出ることで一撃を回避したクリストは、お返しとばかりにフリウスの鼻っ柱目掛けて右の拳を打ち込む。パキィ、と鼻の骨が折れる小さな破砕音が確かに聞こえた。
「……ッ!ルガアァァウォォォ!」
「……っるせえよ!」
思わずボタボタと血が滴る鼻を押さえてよろめいたフリウスに、クリストの追撃が襲いかかる。左の拳が頬を捉え、間髪入れずに左足の蹴りが胴にめり込んだ。
「ゴルアッ……!ガ、ゴフッ……!」
「っはは!おい、もっと頑張れよ!?」
べちゃ、とフリウスの口から吐き出された血塊が床を汚す。直後、それを勢いよく踏みつけたクリストの両手が、フリウスの髪を無造作に掴み取る。そして、思い切り下へ引きずり落とすと同時に、右の膝を蹴りあげる。
「ふっ――!」
結果、クリストの右膝がフリウスの顔面へと突き刺さった。牙の数本が根元から折れ、バチィ!と目の奥で火花が散った刹那、今度は側頭部へとクリストの蹴りが打ち込まれる。
スパァン!といっそ小気味よい音を立てたフリウスの体がぐらりと傾く。そのフリウスの胸元と腕を掴むと、崩れた体勢を利用して軽々と投げ飛ばした。
「そーりゃっ、と!」
「……ッ、ァア!ゼェ、ゲホッ、ゴプッ……!」
受身も取れず背中から壁に叩きつけられ、全身をくまなく激痛が走り抜けた。ぐしゃりと床に崩れ落ちながら、喉奥から込み上げてくる錆び付いた鉄の味の液体を吐き出す。
「うーん、まあ準備体操にしちゃ十分だろ。それじゃあ本番を始めようぜ。本気、出して見せろよ」
ゆらりと幽鬼のように立ち上がるフリウス。グルルと牙をむいて唸るが、その牙はよく見れば一本も折れてはいない。さらに言えば、最初の拳で鼻の骨を確かに砕いた――というよりへし折ったはずなのだが、フリウスの鼻には真っ直ぐに骨が通っているのが分かる。
「混ざった半分側の治癒特性が出てるか。狼で治癒が高いとくれば……ま、なんとなく候補は絞れてくるな」
「グルルォッ!ガアウッ!」
まさしく野生の唸り声を上げるフリウス。と、その姿がなんの前触れもなく突然に消えた。いや、正しくは『影に沈んだ』と表現すべき現象だった。比喩でもなんでもなく、まるで水の中に落ちたように沈みこんだ。
そして、衝撃は背後から来た。
クリストの腰の少し上あたり、ちょうど背骨の真上を何かが捉えた。そして、その何かは小柄な体を前へと突き飛ばす。
「ガッ……!?」
宙を舞うクリストの目が、右足を蹴りあげた体勢で止まるフリウスを見た。だが、その姿もすぐにまた影に沈み、そしてまた衝撃。
今度は、骨が軋む音を聞いた。一拍遅れて、それが自分の左腕から発せられたものだと気づく。何者かが、自分の背後から左半身を横薙ぎに蹴りつけたのだ、と。
そのまま壁に叩きつけられ、肺の中の空気と一緒に鉄臭い粘ついた液体をぶちまけたクリストは、頭から床に落下した。皮肉にも、つい数秒前に自分にやられたフリウスと同じように。
「ぐ、げほっ!ちぃ、俺も攻撃魔法使えりゃあな……!」
忌々しげに呟くクリスト。
その首をフリウスは無造作に掴み、ギリギリと吊り上げる。
「……が、ああっ……!」
「ルガアァッ!オオッ!」
ドスッ!とフリウスの拳が容赦なくクリストの腹に叩き込まれた。そして、それが二回、三回。蹴られるたびにクリストの口からは大量の血液が吐き出される。
「げふ、がはっ!は、ぎいっ!ああァっ!」
「ルゥ……、アオォッ!」
口の中が鉄の味で溢れかえる。すると、フリウスはポイッとクリストの体を真上に放り投げると、その場で体を勢いよく回転させて――
重力に従って落ちてきたクリストの腹へ、遠心力をプラスした渾身の蹴りを喰らわせた。壁とフリウスの足でサンドイッチされた激痛たるや、危うく内蔵を吐き出すかと思ったほどだ。
「――っぶ!が……は、っぅ……」
ビシィッ!とクリストの背後の壁に蜘蛛の巣のような亀裂が入る。その亀裂は端が天井や床まで届くほどの大きさで、フリウスの蹴りの威力を物語っていた。
どしゃりと自分が零した血溜まりの中に沈むクリストの体。その体に馬乗りになり、フリウスは何度も拳を振り下ろす。
「オオッ!ガア、ウオオッ!オオオアァ、ウオォォッ!」
頭、顔、腕、胴。上半身に余すとこなく激痛が生まれる。人間の腕力を超えた一撃が振り下ろされるたび、鮮血が舞い床を紅い水たまりが浸食していく。
やがて、打撃のたびに電撃でも受けたように痙攣を繰り返していた指が動かなくなると、フリウスはそっとクリストの体の上から退く。
元々まぶたの上まである長めの前髪に隠れ、深紅に濡れた表情は読み取れない。
「……ガルゥ」
満足げに一鳴きしたフリウスは、再び影の中へと潜航していった。全ては『標的を捕らえろ』という、自分自身からの命令を遂行するために――
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フリウスが立ち去って数分後。
音の消えたその場所にて、動くものがあった。
「げほっ、ああ、ちくしょう……。あの野郎ボッコボコにしてくれやがって……。こんな見るからにか弱い少年相手に、手加減って言葉を知らねぇのか……」
のそりと血溜まりの中から身を起こすのは、小柄な体格の少年。言わずもがな、クリストである。
クリストは袖で顔を拭きつつゆっくりと体を起こすと、ソラミアたちが走り去って行った方向へと視線を向けた。その脳裏に、先ほどのフリウスの姿が浮かぶ。
「……シャドウウルフ。影に在る牙か。いやぁ、なんとも優良物件と混ぜられてんだな、アイツ」
ははっ、と笑うその声からは、確実に与えられたはずのダメージの欠片も感じ取ることが出来ない。あくまで通常、何事も無かったように声には芯が通っている。
そんな少年は、自嘲気な笑みとともに、誰ともなく呟いた。
「……ったく、やれやれ。いくらソラミアを拐わせるためとはいえ、やられ役ってーのは辛いモンだ……」
よっこいせ、と年寄りじみた動作で立ち上がり。
その相変わらずの飄々とした笑みを浮かべ。
仮面を被っていた本物の悪意が口を開く。
「俺がここまで身を削ってんだ。せいぜい踊ってくれよ、役者たち。俺の書いたシナリオ通りに、な……」




