シン・Q
光が、世界を包んだ。
誰も、それを止めることが出来なかった。
自分達を率いてくれた彼、佐藤崇文がその光に浴びるのを……ただ、見ていることしか出来なかった。
光が収束し、視界が戻る。
その光の中心地に、彼は居た。
静かに、まっすぐとリリチェフを見つめている。
何の変化もなかったか?
そう思い、仲間達に一瞬だけ、希望が生まれる。
次の瞬間――。
「私は愛の果実。甘くて、とろけて、そして、種を撒くの。まるで、風さんに私の心が攫われるみたいに――」
佐藤が、血迷った。
いや、他に表現しようがなく、血迷っていた。
皆の目が、点になる。
茫然とか、唖然とか、そういう言葉では足りない。
時間が完全に、硬直していた。
「や、やめっ……止めさせろおおおおおおお!」
唯一それを知る酒善は叫ぶ。
悍ましき呪詛を、酒善は既に知っていた。
「いたずらな風さんに攫われる私……ふわふわと、それはまるで天使のよう。――そう、私は天使だったの。皆に愛を届けるのがお仕事な、ラブリーエンジェル……。皆に届いて、この想い。私の――愛のラブ・レター!」
そう言って、きゃぴっと逆ピースアンドウィンク。
酒善は吐いた。
他の男達も吐いた。
リリチェフはドン引きした。
確かに尊厳がぐちゃぐちゃになって無様になるのが好みだが、色々と違う。
無様というより無惨。
酷いというか惨い。
とてもではないが、見るに耐えない。
正気なんて一切なく、SAN値直葬の瞬間である。
それは本人ではなく周りの尊厳が死んでいくような、そんな『視るウィルス』。
電子ドラッグなんて可愛い程の、狂気の爆弾だった。
そんなことを思っていると、突如として佐藤は煌めきだした。
いや精神的にではなく、物理的に。
ピカピカというか、キラキラ。
良くわからないが物理的に光りながら、くるりと一回転。
正直、ただただ悍ましい。
「溢れるこの想いを、世界中の人に、届けたくて!」
何か言ってる中年佐藤。
言ってるというか、イっちゃってる。
皆一同に、リリチェフを見つめていった。
じっと、お前の始めた物語だろ? と言わんばかりに。
リリチェフは半泣きになりながら、両手を顔の前にあげぶんぶんと首を横に振っていた。
そうして光が落ち着くと、佐藤の恰好が可愛らしい女の子のものになっていた。
恰好だけ。
細身の中年おっさんが、魔法少女っぽいひらひらスカートにハートステッキ。
たぶん、バイオ〇ザードのゾンビの方が百倍可愛い。
「私、降臨! 溢れる愛は平和の証、ラブリーエンジェル……ハッピーキュア・シュガー! ファンの皆は『シュガーちゃん』って呼んでね」
酒善は吐いた。
他の男達も吐いた。
今度ばかりは耐えきれず、リリチェフも吐いた。
「七つの大罪総なめしてもこんな邪悪生まれないぞ……おい黒幕どうにかしろ」
酒善はそう、ジェイルとリリチェフ二人の黒幕に行った。
「私の担当外だ。というかこんなの、プログラムにない。なんだあの変身。いや進化? いや変態か。変態だな違う意味でも」
VRに皆を閉じ込めた根暗男ジェイルは混乱していた。
「わ、私だってこんなの想定外よ! 私はただ、BLの供給を無限にしたかっただけで、こんな核兵器を生み出したかったわけじゃ……」
そんな会話の中、シュガーはふわりと空に浮かぶ。
飛行機能なんてこのゲームにはないのに。
そしてそのパンチラにて全員が吐くという最悪のコラテラル・ダメージを巻き起こしながら、彼女? 彼? いやシュガーちゃんは皆の前にきゃるんと立った。
両腕でステッキを女の子みたいに抱えながら。
そして、若干裏声混じりで話し出した。
「ようやくわかったの。私のすべきこと――」
「いや今のお前のすべきことは一刻も早く正気に戻ることだ。というか早くその姿を誰の目にも触れさせないようにしないと、本当に死人が出る」
酒善は口から吐血しながらそう言葉にする。
メンタルダメージのみなのに、HPゲージが既にレッドゾーンに到達していた。
「可愛いって、罪だものね。きゃはっ」
「ヴぉえっ!」
「でも、まだ駄目なの。だって私には、使命があるもの! この世界を平和にするって、使命が……」
「いやお前の存在が一番世界を乱す」
「傾国的な?」
「古代兵器的な」
「美しさ爆発中。キラッ」
酒善は吐血し倒れた。
てれててってってー。
シュガーちゃんは経験値六と、汗くささを三手に入れた。
限界を超えダウンした酒善と後退し、ジェイルが交渉役に。
黒幕の癖にどの面代表役をとは思うが、この最悪の環境破壊兵器を放置できない。
ジェイルは人の命など虫程の価値も感じない、自分本位な人間である。
そのジェイルさえも、他の人間と世界のためなんて正義感のみで立ち上がる程に、シュガーちゃんは悍ましい存在だった。
「平和にすると言いますが、具体的に何をするつもりですか? 貴方の姿を見ずに済むなら大抵の人が平和ですけど」
「確かに……私はたった一人しかいない。これじゃあ世界を平和にするのは難しいわ。私が百人いたら別だけど」
「そんな世界滅んでしまえ。いえ私が滅ぼします。私の尊厳と誇りに賭けて」
「でもね、ラララ……私達はオンリーワン。皆素晴らしい心を持ってるの」
「今すぐ捨てたいですけどね、こんなに苦しいなら」
「そう、私達はわかりあえるの! だって、私達人と人は、手を繋げるから」
「はぁ」
「だから私が世界中に愛を振りまくの。具体的に言えば、"私のポエムを世界中に届けて"、皆が"私みたいな美しい姿になる"ように」
「思いつく限りの拷問を煮詰めた地獄さえ、まだ愛くるしく感じるくらい最悪だ――」
ジェイルは顔を青ざめさせながら呟く。
後ろにいる男達も、何人かその地獄を想像しただけでダウンしていた。
「おい君! 洗脳したのは君だろう!? なんとか出来ないのかね!?」
ジェイルは足がっくがくで震えているリリチェフに叫んだ。
これまでの調査結果で、BL汚染は抵抗力が高い者や感染期間が短い者は元に戻ると把握している。
佐藤の変態化はBL汚染よりなお悍ましい変化だが、状況は類似している部分も多いはず。
そう、ジェイルは推測していた。
「はっ。そ、そうだったわ! アルト君!」
リリチェフが叫ぶと、すっと、音もなくどこからか少年が現れた。
リリチェフに負けず美しい容姿をしているが、こちらはリリチェフと異なり、どこか不気味に映る。
それは、人間らしさを全く感じないからだとわかった。
直立不動のまま、宙に浮いて移動する姿。
鉄面皮よりも更に感情を感じさせない表情。
それはまるで人形……いや、機械のようだった。
「……彼は、誰だ?」
ジェイルは怪し気な目のままリリチェフに尋ねる。
「アルト君。私が勝手に付けた名前だけどね。このゲームで生み出された、新しい生命体よ」
「そ、そんな馬鹿な! 仮想空間で、命が生まれることなんて……そんなの、SFじゃあるまいし……」
「でも、事実よ。少なくとも私はそう思っているし、その力も……っと。話してる場合じゃないわ。アルト君! お願い、すぐに解除を……」
そうリリチェフが声をかけるのだが……少年の様子は、どこかおかしかった。
ゆっくりとシュガーちゃんの方に少年は近づき、その正面に立つ。
そして……少年は静かに、涙を流した。
「僕には、感情がない。だから、感情を知りたいと願い、彼女の傍に居た。今でも、感情はわからない。だけど……たぶん、これが……感動なんだと、思う。貴女のポエムを聞いて、僕の目から、自然と涙が零れたんだ」
間違いなく勘違いで、その衝撃は破壊力的な意味である。
「素敵な応援ありがとう。私のファンになってくれたかな?」
「ファン? ……ああ、そうだね。それもきっと良いかもしれない。君の傍にいたら、きっと私も、心が目覚めるから」
「もしかしたら、もう目覚めているかもしれないよ? 君が気づいていないだけで」
「かもしれない。……僕は、きっと君の歌を聞くために、この世界に生まれたんだ……」
そう言って、二人はそっと握手をした。
「最悪だ……。本当に最悪だ……。世界はもう……終わりよ……」
リリチェフは真っ青な顔のまま頭を抱え、そう呟いた。
「どういうことだ!? 状況を説明しろ!」
「私のBL洗脳の力の源はアルト君。でも、今私のBL洗脳は全て解けた」
「それは良いことではないか?」
「マスター権限が、私からシュガーちゃんに行った。この意味が、わかる?」
ジェイルはゾワリと背筋から駆け上るような恐怖に包まれた。
リリチェフがしてきた洗脳の力を、あれが手にしたという事実。
そしてあれの目的は全人類にポエムを聞かせることと、全人類を魔法少女コスさせること。
それは紛れもなく、"最悪"で"厄災"だった。
「更にもう一つ、バッドニュースがあるわ」
「もうお腹いっぱいなんだが、何だね?」
「私の洗脳は、既に解けてる。つまりあれは……あの姿は、彼が抑え込んでいた、彼の本性よ。もう、消えることは……ない」
「――ガッデム」
ジェイルは、神を恨むことしか出来なかった。
その時、ジェイルの肩を誰かが強く掴む。
それは、酒善だった。
酒善は口から血を零し、顔を青ざめさせていた。
「手を貸せ。倒れてる奴らを確保して、一刻も早くこの場を離れるぞ……」
「酒善!? ここを離れるというのは……」
「俺達じゃ、あの化物は止められない。手を借りるんだよ! 出来るだけ大勢に」
酒善はそう叫ぶ。
本能的に、気づいていたからだ。
これは比喩でも何でもなく、本当に世界の危機であると。
シュガーちゃんと洗脳の力は、仮想空間限定ではない。
あれは、現実世界にも通用する。
だからこそ、シュガーちゃんは"世界中"なんて言ったのだ。
この仮想空間だけでなく、現実も含めてという意味で。
だから、アレを止めなければならなかった。
この仮想空間の外に出ないように、厄災を、外に出さないために。
それこそが、この仮想空間に閉じ込められた、皆の本当の使命だった。
酒善は気付いていた。
あれが止まることがないと。
本当に、言葉通りに、世界中全ての人を、老若男女問わず魔法少女コスさせた上に吐きそうなポエムを歌い続けると。
そんなこと許せるわけがない。
そんな世界、耐えられるわけがない。
つまりこれは、世界を救う最後のチャンスであった。
酒善、ジェイル、リリチェフは真剣な表情で頷き合い、そして倒れた仲間達を皆で協力し支えながら、その場から離脱した。
「ありゃりゃ。皆帰っちゃった。アンコールの準備してたのに」
「仕方がないよ。忙しかったんだ。だからこそ――時間のある時ゆっくりと、君の愛を伝えよう。その為の協力も、僕は惜しまない」
「きゃはっ。ありがとう頼りになるファン君。じゃ、頑張ろうね。頑張って二人で――世界に、私のラヴを伝えていこうね」
にこやかに、嬉しそうに。
中年おっさんは、まるで自分が完全無欠のアイドルかのような立ち振る舞いをしていた。
そうして、世界に愛を届けんとするラヴの伝道師二人と、その愛を阻むレジスタンスたちとの、最後の戦いの幕が今開かれた――。
ありがとうございましたごめんなさい。




