第10話:後悔してもいいんですか?
喫茶店”アングレカム”は三人の女性で経営しているお店である。
突然、親から喫茶店の経営を押し付けられた店長の梨子。
大学受験に落ち、人生路頭に迷い中に拾われた杏樹(あんじゅ)。
卒業前に就職先があっけなく潰れてしまった、美優(みゆ)。
ある意味で、それぞれが望んだ未来に進もうとした一歩目でつまずいた。
そんなどこか似た境遇者同士の“アングレカム3人娘”。
同じ高校ではあったが、卒業後、一緒のお店で働くまで知り合いでもなかった。
縁とは不思議なもの。
一人では限界だと思い、人事採用活動を始めた梨子は友人たちに連絡した。
『誰かお店を手伝ってくれる子、募集中』
そうして、集まった彼女たちは、こうして一緒の職場で働いている。
接客業のアルバイト経験はあっても経営は素人。
手探りながらも奮闘し、何とか一周年を迎えようとしている。
本日は快晴、アングレカムの営業が間もなく始まる。
「杏樹、お掃除終わった?」
「終わったよー」
「そっちの準備はいい、美優?」
「はい、こちらは大丈夫ですよぉ」
「よし、開店準備終了。今日はお客さん、いっぱいくるかしら。期待しましょ」
アングレカムの営業時間は午前11時から午後6時まで。
特にこれからのランチタイムが主な稼ぎ時だ。
まだ開店まで十分程度あるので、カウンター席に座りながら雑談する。
「昨日はユーチューブを見て一日が終わった」
「杏樹、寂しすぎることをカミングアウトしないで」
「私、思うの。リア充って見てると腹立つ」
「……人生潤ってない残念女子のような発言をしないの」
小柄な体格、可愛らしいロリフェイス。
童顔な杏樹は一部の男性客から人気のウェイトレスだ。
高校在学中は大手ファミレスで働いていた事もあり、接客は一番うまい。
ただ、彼氏は現在いない歴=人生というどこか残念女子でもある。
子供っぽい可愛らしい顔で、「そー言えば」と口元に笑みを浮かべた。
「店長、来週の水曜日、オフってもいいですか?」
「何か用事?」
「実はですね、私のおっかけしてるユーチューバーのライブが……」
「却下。つまらない用事なら休ませません」
「ひどいっ。ゆ、有給とかは?」
「あら、このお店に有給なんてないわよ? 知らなかった?」
「――!?」
頬を膨らませて「ひどすぎる」と拗ねる。
深海ザメがお友達。
社会の闇は東京湾より深いのだ。
「退職届を書くときは、去る四月のことを覚えておいででしょうか。有給休暇をとりたいと、届け出を出したら、『うちに有給なんてないわよ?』と答えられたと書きます」
「いやだなぁ、冗談よ。冗談。有給ね、有給。ただし、理由によりけり」
「……絶対、何かと理由をつけて不許可にされそう」
「ふふふ」
「杏樹ちゃん、そんなおっかけしてるより、現実の男の子と向き合いません?」
そう余裕の発言をするのは美優だ。
おっとりとして、色っぽい仕草で男子を魅了する容姿。
胸元も豊かなため、控えめな杏樹をよく弄っている。
「美優みたいにリア充じゃないもの」
「アイドルとか芸能人とか、そんなの追いかけるよりもマシなのは確か」
「店長まで言うし」
「うふふ。私でよければ、お相手を紹介してもいいんですよ?」
誰が相手でも敬語口調だが、小悪魔っぽい一面もある。
彼女はお店の経理も担当しており、梨子を支えてくれている。
そして、この面子では唯一の“恋人”持ちでもある。
「い、いらない。アンタの好みと私とは全然違うから」
「えー」
「杏樹はこうみえてイケイケ系より、控えめ系が好きだったりするものね」
「いいじゃない。私、草食系ハムスターが好きなんだよぉ」
「ハムスターは雑食系ですけどねぇ。草だけじゃなくて肉も食べますよ」
「う、うるさい。大人しいタイプの子が好きなんだい」
男性の好みが自分の性格とは合わない。
それが恋人のできない遠因なのかもしれない。
「美優もあんまりからかわないの」
「今日は店長がちょっと優しい」
「私は常に優しいわよ、杏樹? 大学受験に失敗して浪人生にもなれず、捨て猫同然の貴方を拾ってあげたのはこの私でしょう?」
「うぐっ。また古い話を持ち出してくる」
親から反対されて浪人もできず、どーしよ、と途方に暮れていたあの頃。
苦い記憶を思い出させられた杏樹である。
「はい、拾われた猫でした。にゃん。ありがとう、店長」
「よろしい、頑張りなさい」
助けられているのは自分の方なので、梨子としても従業員は大事にしている。
「そうだ、桜雅君と店長ってどんな関係なの?」
「なんで、桜雅の話?」
「今日の夕方、倉庫整理してくれるって話を聞いたから」
「あぁ、ちょっと在庫状況が気になって頼んだのよ」
力仕事があるので、時々、桜雅を召喚するのだ。
臨時ボランティアを有効利用させてもらっている。
「桜雅君と店長。昔からの付き合いらしいけど、ぶっちゃけどうなの?」
改めて問われると、梨子は「幼馴染」といつも通りの返答をする。
「幼馴染? 恋人の間違いではなくて?」
「違います」
「でも、いつも一緒にいるのに。ちなみに、昨日のオフは?」
「一日中、桜雅と一緒だったわ」
「ほら、ラブラブじゃん! いいなぁ、年下彼氏がいて」
「だ、だから、桜雅は彼氏とかじゃなくて」
「いちゃいちゃしまくってるのに、それを認められない。がっかりですわぁ」
「……杏樹に言われると不愉快なのだけど」
正直、男子に縁のない杏樹には羨ましい話である。
「はぁ。私なんて、ひとりっきりのオフなのに。朝から晩までユーチューブ見て過ごしてました。そして、気づく。あれ、もう夜じゃん……寝よ」
「少し同情する。ホントに寂しすぎるわ、この子」
「杏ちゃんは、おひとり様に慣れきってますねぇ」
「……うぅ、返す言葉がないやい」
杏樹とは正反対に、充実した休日を過ごしているのは美優だ。
「私は恋人と一緒に遊んできましたよ。スイーツの食べ歩きを満喫です」
「また? 相変わらず、スイーツ好きね」
「私よりも相手の好みなんです。どうです、杏ちゃん。羨ましいですか?」
「別にぃ。羨ましくなんてないですよぉ?」
「ふふふ。非リア充さんの遠吠えです」
負け犬の遠吠え扱いされて、不機嫌そうな杏樹は、
「一人の方が自由きままでいいんだよ」
「好きな人と一緒に過ごす時間。おひとり様の時間。どちらが人生にとって、素敵な時間なんでしょうねぇ? いいえ、これは比べてはいけませんね」
「……!」
「人生、人それぞれ。杏ちゃんの人生も、自由ですもの」
「な、なんでだろう。すごく負けた気分になる。太れ、めっちゃ太りまくれ」
「あいにくと、甘いものを食べても、栄養はこちらにしかいかないので」
立派な自分の胸元に手を置いてアピール。
ぽにゅっと服越しに揺れる。
「ちくしょー。わ、私の胸はどうせ、ちっさいですよ。えぇ、貧乳ですとも」
「大丈夫です、杏ちゃん。そんな貴方にも需要はあります」
「ん? どういう意味?」
「貴方のようなロリ系好きな方には好まれるでしょう。およそ、変態系ですが」
「へ、変な言い方はやめてくれる? この間、警察官に中学生と間違えられて、泣きそうになった。とっくに高校も卒業してるのにさぁ」
子供っぽい自分の体型に自信が持てずにいる。
そもそも、“アンジュ”はフランス語で“天使”と言う意味だ。
可憐な名前に似合ってしまった容姿、それゆえの悩みは尽きない。
ぐぬぬと苦い顔をする彼女は、
「まぁ、いいや。話を戻して、店長。桜雅君との年の差って3歳じゃない」
「そうね。それがどうしたの?」
「私たちくらいの数歳差って、結構なものでしょ」
「確かに、お姉さんくらいの差はあるけど」
「時々、世代差、感じませんか?」
「言い方にトゲがない?」
年齢差を感じないというのは嘘だ。
たった3つの差が、大きく感じる時がないわけでもない。
社会人になれば、それくらいの年齢差はさほど大きくはない。
しかし、若い彼らには時に大きな溝を感じる程にもなる。
「店長、油断大敵なんだよ」
杏樹はびしっと指をさしながら、
「正直、桜雅君はモテるじゃん。周りに同じ年頃の女子がゴロゴロしてる」
「……否定はしないわ」
「先日も知らない相手から告白されたって聞きましたよ」
「そうなの?」
「あー、私も聞いた。なんか、美優にアドバイスを求めてたよね」
「はい。要約すると自分がモテすぎて困る、と」
「嫌味なやつか!?」
「正確に言うと、告白を傷つけずに断る方法はないかと聞かれました」
告白した相手を思い、何とかうまく断れないかとお姉さん方に相談したのだ。
「あれ、私は聞いてないんだけどな」
「店長にわざわざ伝える事もないでしょう」
「そもそも、本命にモテアピールしてどーするのさ」
「……そ、それで、美優は何て答えたの?」
「桜雅クンには、そんなものはありませんって答えましたよ」
「なんでぇ?」
「下手に期待を持たせる方が酷でしょう。可能性がないのなら、しっかりと断ってあげた方が相手にもいいと伝えました」
「なるほど。その方が次に繋がるか」
基本的に女子の方が気持ちを切り替えやすいもの。
恋愛の失敗を下手に引きずらない。
男は逆にいつまでも引きずるダメなものである。
「とにかく、そんな感じでモテる桜雅君にはライバルが多いわけで」
「店長も、彼女気取りでいると意外な伏兵に持っていかれてしまうかも、ですね」
「……な、なによぉ。桜雅だよ?」
「そうやって、余裕ぶってると、誰かに取られちゃうって話」
「後悔してもいいんですか?」
「後悔なんてしません」
「知らない間に、幼馴染を寝取られて。店長、可哀想です」
「いい仲だと思ってたのは自分だけ。痛い勘違いとか」
「や、やめてぇ!? 変な方向に話をもっていかない」
気恥ずかしさを隠す梨子は、
「も、もうこの話はお終い。お仕事の時間よ。さぁ、頑張りましょう」
そう言って、お店の看板を出しに行くのだった。
逃げていく後姿を見つめながら二人は、
「すぐ逃げるし。店長はヘタレさんか」
「恋愛経験のない杏ちゃんには言われたくないでしょう、うふふ」
「うぐっ。ぶ、ブーメランが返ってきたよ」
「でも、“恋愛関係”か“現状維持”かに悩んでるのは確かなようです」
桜雅と梨子。
微妙過ぎる関係に、進展の気配もなく。
「……言われなくても分かってるってば」
いつかは自分たちの関係を変えなくてはいけないということ。
梨子自身だってさすがに自覚する年齢である。
桜雅との居心地のいい時間を失いたくはない。
だけど。
「私は桜雅のことが……」
良い意味でも悪い意味でも、変わりつつある関係。
その転機を迎えているのに、何もできないでいるのだった――。




