第1話 秋祭りが始まった!
その日は空が白み切らぬ早朝から、ガランゴロンと城を揺るがす振動で目が覚めた。
今日は特別な日だと言うように、城の四隅に設けられた尖塔から鐘が高らかに鳴り響く。
鐘楼から轟く大音量は湖を渡り、街を越え、シアーズ中に波紋を広げた。
やがて呼応するように街からも遠く鐘の音が聞こえ始める。
特別な日。
年に一度の収穫祭の始まりだ。
南方の小国シアーズは、どこもかしこも故郷マーナガルムと風習が違った。
マーナガルムで秋祭りと言えば、村や町単位で飲み食いし、踊ったり歌ったりするだけの今も素朴なお祭りだ。一応、大きな町には大道芸人が来たり、市場が立ったりもするが。
しかしシアーズでは違う。面積がほぼ都しかないこぢんまりとしたこの公国は、三日三晩、国を挙げて盛大な祝典を催すのだ。
世界中の演奏家や吟遊詩人が集まっているのではないかと思うほどの喧騒。
腕のいい者は三日目に城で演奏を披露できるとあって、どの人も服装や楽曲に気合を入れている。
その他には剣闘技や武闘会、力自慢大会なんかも行われる。
シアーズではあまり武闘関係は盛んではないが、もう少し南に下った海辺の国リコスティは、剣と拳の国。コロシアムでは毎日のように賭け試合が行われている。父様とヒューゴ先生が身分を隠して参加してたやつだな。
リコスティ王国は、秋祭りの時期をわざわざシアーズとずらして有名選手を派遣してくれる。観戦はプレミアチケットだ。
俺に直接伝えたりはしないが、ウチの体力馬鹿たちが見に行きたそうにうずうずしていたので、おじいさまに頼んでチケットを取って貰ったよ。
甘やかし過ぎかも知れないが、まぁ、いつもお世話になってるしね。俺は興味ないから交代で見に行ったらって言っといた。
マーナガルムからは槍試合の部にワルター分隊長がゲスト出場する。
「お前らも出たい派じゃないの?」
ちょっと聞いてみたが、セインたちは澄ました顔で笑うだけだった。
「今は分隊長殿に手柄を譲りますよ」
ふふ。負けず嫌いなんだからな。決勝まで進めたとしても、分隊長相手じゃまだまだ一対一じゃ勝てないからな。
今はまだ、ね。
将来に期待してるよとばかりに奴らの背をポンポンポンッと叩いていく。
俺の三日間の予定は、一日目は式典オンリー。二日目は合間を縫ってマルたちと遊びに行く。
そして三日目は午前中がまた式典で、午後からアイリーンとデートだ。
女の子とデート。
そのワードは俺をとんでもない感情のるつぼに引きずり込んでいた。
ほんの一ヶ月とちょっと前までは母親とのデートで満足していたと言うのに。
ふわふわと舞い上がって足が地につかなかったり、反対に悪夢にうなされて飛び起きたり、気が気じゃない日々を送っている。
護衛だが、二日目がアレクとルッツ、三日目にセインとユーリを予定していたのだが、思わぬところでユーリの抵抗にあった。
ユーリは絶対アイリーンとの方について来たがると思って、わざわざ気を使ってやったのに。
「俺は武闘大会とかあまり興味ないのです。二日ともお供させていただきます」
爽やかな笑顔で言い張るユーリに困って後頭部をかく。
「あのね、ユーリくん。さすがにもうスリ退治とかしないからね?」
「お供させて、いただきます」
普段から細い目を更に細めた満面の笑顔でユーリはズイズイと迫ってきた。何を言っても頑として意見を譲らないので困った。
仕方ないのでルッツに二日間、休みをあげる事になった。ルッツは前に街へのお忍びについて行ったので今回はいいだろうと言う話に落ち着いたのだ。
「ごめんね、ルッツ」
見上げると無口な彼は、いいえ、と言うように首を振っていた。優しい後輩で良かったな、ユーリ。
って言うか休みを貰って謝られるとか、ウチの職場どうかしてる。
城内は毎日のように大騒ぎ。中でも調理場は猫の手どころか鼠の手も借りたいくらいのてんやわんやで、俺たちスイーツ同好会の活動は中止せざるを得なかった。
「な、なんで? なんでなんです、師匠!? 試合が終わったら新しいスイーツが食べられると思ったのに!!」
マルはちょっと……かなり……いや結構、半狂乱で俺を揺さぶったが、調理場が使えないんじゃどうしようもない。
「痛い、痛いってマル……落ち着いてよ。まぁ、仕方ないじゃん。お祭りで美味しいものをたくさん食べましょーよ?」
「そんなぁ〜……ううーっ」
マルは落ち込んでしばらく部屋から出て来なかった。
クッキーとか何か日持ちするものを作っておけば良かったかな。ポロの試合の後、しばらくだらけてる間に城全体が忙しそうになっちゃったんだよな。
そんなこんなで、俺なんかローズや侍女の着せ替えの相手くらいしかやる事がなかったのに、妙に慌ただしい気持ちで当日を迎えた。
初日の式典は割愛。俺はまたフリフリの服を着せられて、おじいさまの横で笑ってるだけだった。
だが、一連のスリ退治とポロの試合を経て、俺の評判は望んでもないのにうなぎ登りだ。以前とは招待客が向けてくる視線が違った。
舞踏会に出席していなかった人の中には、こんな小さな子がと驚きの声を上げる人もいたほどだ。
翌日、ジョエルとモリスが城まで来てくれた。
あの試合の後、モリスを怪我させた件を親御さんが怒るかと思いきや、実は非常に上機嫌だと言う。
ジョエルとモリス兄弟のアインスガー家は零細貴族で、彼ら自身も貴族の子息会で浮いてる、ちょっとハブっ子たちなのだった。
仲良くしているマルだって次期当主の息子とは言え四男だ。
それがポロの試合を経てマルのみならずジョエルとモリスの評判も良くなり、なにより俺と繋がりができた。
利に聡い貴族たちは早くも、お宅の息子さんにウチの娘はどうだと粉をかけ始めているらしい。方々からお誘いがかかって、アインスガー家は嬉しい悲鳴を上げているとか。
なんだか二人にも春がきそうで俺としても嬉しい。彼らには無理させてしまったからな。
今日のジョエルとモリスは一張羅を着ていた。式典の服から着替えた俺とマルの方があっさりしてるくらいだ。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「あっ、ありがとうございますっ」
「まぁまぁ。今日はお祭りに遊びに行くだけですから、気楽にしてください」
着慣れない礼服に身を包む彼らは、照れくさがっているような、晴れがましいような表情で俺に笑いかけてきた。
試合に勝つって凄いんだな。出会った当初はおどおどしていた二人が、まるで別人のように生き生きしている。自分の力を出し切ったからだろうか。
モリスはまだ左腕に包帯を巻いていて、三角巾で吊っている。この腕を吊ると言うのも俺の考案だ。
「ルーカス様が考えてくれたこれ、すっごく具合がいいですよ。おかげで普段の生活は、ほとんど支障がないです」
動いても痛みが少ないとモリスは有難がっていた。
「僕が試合に巻き込んで、怪我させちゃったわけですしね」
「そんな! 避けれなかったトロい僕がいけないんです!」
しばらく、僕が、僕がと譲らず張り合ってしまって、お互いに顔を見合わせて笑い合う。
今日は特にお忍びと言うわけではないので、四人で元気良く城門から出かけた。
市の立っている広場まで馬車で送って貰う。
馬車を降りたらそこは、ザ・お祭りって感じだった。
普段はだだっ広いだけの広場がテントで埋め尽くされている。年季の入ったテントは茶色く煤けていて、近づいて見るまでどこが何屋なのか分からないのが逆にワクワクする。
日用品や雑貨、木製品、鉄製品。骨董品に宝飾品。地方の特産品を扱っている店もあった。ハムやウインナー、ジャム、ワインに酢、チーズなんかが山盛りに重ねられている。
食べ物の屋台も、もちろん大盛況。どこを見回しても人人人だ。
派手な羽飾りで着飾っている人。仮装している人。奇妙な格好をして、仮面で顔を隠した一団などが楽しげにはしゃぎながら通り過ぎて行く。
広場の端では大道芸や、劇なんかの催し物が行われているようだ。あちこちで非公式の力自慢大会も繰り広げられている。
この広場だけでこの数なら、都全体のテントの数は千や二千どころじゃなさそうだ。
「どこから行きますか……?」
皆に尋ねようとしたら、マルの恨みがましそうな視線と目が合った。
「もちろん食べ物ですね!」
仕方なく俺が宣言すると、マルは途端にご機嫌になって先頭を歩き始めた。
「食べ物の屋台はこっちですね。俺が案内しますよ、師匠!」
先を行く背中に、子犬のようにヒョコヒョコ動く小さな尻尾が見えるような気がする。
俺より年上のくせに可愛いんだからな。
ジョエルやモリスと一緒にクスクスと笑い声を漏らすと、マルは顔だけ振り返ってジト目を向けてきた。
俺たちの身なりが良すぎるので、すぐに貴族の子息と分かるのだろう。周囲の人々がぶつからないように距離を取ってくれるので、人混みとは言え歩くのは楽だった。
時折、ヒソヒソと囁く声が聞こえてくる。ぽっちゃり体型でプラチナブロンドのマルと、チビで赤毛の俺の組み合わせは目立つのだ。
次期公主の四男と、公主の孫がつるんでいるのは国中に知れ渡っているので、おれたちが誰だかすぐに分かるのだろう。
ただし、よっぽどでないと目下の者から目上に話しかけるのは不敬にあたるので、俺たちは微笑ましそうな視線に見守られるだけで話しかけられたりはしなかった。
日本と違って有名人だからってスマホを向けられるなんて事もなく気楽だな。
今日のおつきはアレクとユーリ以外に、あと二人。
一人目はマルの従者のユークさん。この人は長男以外の三兄弟の家庭教師兼、従者をしている人で、二十歳過ぎの青年だ。もう上の二人は手がかからないので、ほとんどマル専属になってるらしかった。
アインスガー家からは執事さんが来ている。落ち着いた感じの初老の男性だ。本来は家の仕事を取り仕切っている人らしいが、ジョエルとモリスに従者がいないのでついて来てくれたらしい。
第二とは言え一国の王子なのに護衛だけで従者がいない俺はちょっとおかしい。
今まで、そう言う方面は全部ローズがしてくれてたからな。でも女性ではつき添えない式典もあるし、いつまでも乳母がついているのもそろそろ恥ずかしい年頃なのかも知れない。
その点も父様が来た時に話した方が良さそうだな。くれぐれもローズが気に病まないように話を持っていかないと。
前後を固める護衛のアレクとユーリ。目立たないように後ろに控えるおつきの二人。
大人たちに見守られながら、俺たちは祭りの喧騒に負けないくらいワイワイと大声で話しながら歩いていた。




