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第26話 試合終了!

 

 大歓声を上げる観客とは違い、俺は黙ってエイドリアンを見つめた。

 俺は何を見ていたんだ。

 こいつをラスボスみたいに戦ってきたが、そこにいたのはただの十歳の少年だった。


 ずっと心に想ってきた子をポッと出の赤毛のチビに取られそうになっている男の子だ。

 そりゃ、勝ちたいだろ。

 卑怯な手だろうが頭を働かせるさ。

 エイドリアンは泣き顔の中に清々しい笑みを浮かべた。


「殿下はあんな事をしでかした我々に、怪我が酷くないか()の有名な神医(しんい)まで差し向けて下さった。なんと心の広い方か。最初から到底、私が勝てる相手ではなかったのです」


 エイドリアンは、申し訳ございませんでした、と馬上で深々と頭を下げた。

 そんな事をしていたのかと、その場に集まって来たチームメイト三人も俺に感心したような視線を向けてくる。


 やっべぇ。なんか美談になっちゃってる。

 俺は表面上は無表情ながらも、内心、ブルブルと首を振っていた。

 あれは、後で怪我が元で負けたとか難癖つけられないためにオレイン先生に様子を見に行って貰っただけだったのだ。


 しかし、そんな事を考えつく心が穢れた奴は、ここには俺しかいなかったようだ。

 教えを受けた師が腹黒すぎるのがいけないんだっ。

 賞賛の目を向けてくる周囲の視線が痛い。俺は愛想笑いを浮かべるしかできなかった。

 泣き笑いの顔でエイドリアンは俺を眩しそうに見つめた。


「あの方の隣には貴方のような方こそ相応しい。元よりこの心を伝えようとも思ってもいませんでした。身分も性格も違いすぎますから……遠くから見守っていられればそれで良かったのです」


 肩を震わせながらもエイドリアンはよどみなく語った。


「たまに笑顔を見るだけで一日を頑張れた。自分から話しかけるなんて、できるはずもなかった。ましてや思いを告げるなど……我々は路傍の石。美しい方の背景にいるだけで満足して、彼女を躓かせる小石になどなってはいけなかったのだ……」


 エイドリアンがウッウッと、しやくり上げる。

 いつしか俺の瞳からも涙が頬を伝っていた。

 やっぱりエイドリアンは俺だった。

 分かる、分かるよ。


 美人か否かに関係なく、自分から女性に声をかけるなんて考えるまでもなかった。拒絶されるのが怖いから二次元にハマった。

 電車ではできるだけ女性の側に近寄らないように気をつけ、会社での会話も必要最低限。休憩室で笑いさざめく彼女たちを眺める、俺はただの壁紙だった。


 俺たちは黙って見つめあった。

 俺から彼へと馬を近寄らせる。

 俺たちは馬上でガシリと固く抱き合った。


「エイドリアン、分かる、分かりますよ!!」

「ルーカス殿下!」


 体育会系のノリって良く分からないと思ってた。

 でも戦いを通して分かり合える事って、確かにあるんだ。

 今やエイドリアンはワァワァと声を上げて泣いており、俺は優しく彼の肩をポンポンッと撫でた。


 場内からは惜しみない拍手が俺たちに降り注いでいた。

 そこにはもう敵も味方もいなかった。

 ラグビーで言うところのノーサイドだ。


「エイドリアン、僕からひとつだけアドバイスがあります」


 俺の言葉にエイドリアンは涙に暮れた顔を上げた。余りに酷い形相なのでハンカチを貸してやる。

 俺は男にハンカチをあげてばっかりだな。たまには女の子がいいのにな。


「玉砕するとしても想いは伝えるべきです。口に出さないから、心がこじれて頑なになってしまうんです」


 俺だって前世で最初から太ってたわけじゃない。小学生くらいの頃はまだ普通で、同級生の女の子と遊んだりもしていたのだ。


 放課後。

 学校の門のところであの子を見かける。

 帰る方向は途中まで一緒なのに、さよならの挨拶もできなかった。


 今日こそ言おう、きっと言おうと毎日のように決意した。あの角を曲がる前に……いや、曲がったら。

 そうして俺は毎日、家への道が分かれるところで彼女の背中を見送った。

 卒業式の日まで、ずっと。

 あの時から俺は未だにくすぶる心を抱えている。


 今でも好きだとか、そう言う事ではない。小学校時代の憧れのあの子は面影ももうあやふやだ。

 だけどあの時、勇気を持って伝えられていたら。せめて声だけでもかけられていたら。

 俺の人生、ちょっとは変わっていたんじゃないかって思うんだ。


「エイドリアン、男にはやらなければいけない時があるんです」


 俺の真剣な視線を受けてエイドリアンの表情が晴れやかに澄み渡る。

 エイドリアンは俺を見つめて力強く頷いた。

 彼はゆっくりと馬を降りた。それからギクシャクと、同じ方の手足を同時に出す壊れたロボットのような動きでアイリーンの元へと向かって行った。


「アイリーン嬢」


 ゴホンと咳払いして話かける。

 背筋を伸ばしてアイリーンの前に立つエイドリアンの背中は眩しいほど(おとこ)らしかった。


「貴女の気持ちは分かっておりますが、この心を伝える私をお許しください。ずっと前から貴女の事がス……」

「ごめんなさい!」


 アイリーンの返事は早かった。最後まで伝える事も許さず言葉を被せてくるなんて。

 お、女の子って残酷だな……。

 さっきまで恰好良く見えていたエイドリアンの背中は灰のように白く煤けてしまっている。


 彼は肩を落としてトボトボと自分の馬の方へ戻って来た

 でも本当にカッコよかったぜ、エイドリアン。きっとお前はもう前世の俺みたいにはならないよ。


「なんかすみません」

「いえ、殿下の言われた通り、口に出したらすっきりしました。それにアイリーン嬢はなんと言うか……ああ言うところが良いのです」


 馬に乗り直しながらエイドリアンが答える。すっかりいい顔になってやがる。

 でも、なんか分かるような気がするな。この試合に代理で出ると言い張るアイリーンに詰め寄られた時、実はちょっと背中がゾクゾクした。

 やばい性癖に目覚めないといいけど。


 俺たちは並んで馬に乗ったまま観客に手を振って、興奮冷めやらぬ場内を一周した。

 誰もが笑顔で拍手したり、大きく手を振り返したりしてくれる。


 自分たちの休憩場所として設けられたスペースの、そのひとつ手前で俺は馬の足を止めた。

 そこは途中までアイリーンが座っていた、バルド家の観覧席だった。


 バルド子爵本人と、浅黒い肌を持つその妻。アイリーンのお母さんらしき女性やお姉さんたちもいる。

 話には聞いてはいたが子爵以外は皆、肌が黒く、エキゾチックな美しさを持つ女性ばかりだ。仕事の都合がつかなかったのか入り婿たちは来ていないようだ。


「と言うわけで子爵、まんまと貴方たちの企みに乗る事になったわけですが、いかがですか?」


 俺に話しかけられて、子爵は大きな口を開けてガッハッハと笑った。


「いやはや、若い頃の自分を褒めてやりたいですな。たった一言で、これだけ大きな獲物を釣り上げるとは」


 子爵はニヤつく自分の顎に手をかけ、白さが目立つその髭を満足そうに撫でている。

 どれだけ年を取っても悪餓鬼のような瞳がキラリと輝く。


「孫の代まで待った甲斐がありました」

「実際にはもっとお待たせする事になると思いますが」

「なーに、老いぼれの時間はあっと言う間に過ぎるもの。年を取っていい事なんてそれくらいしかないのですぞ、殿下」


 地面と馬上で俺たちは視線を交えあった。

 この古狸め。こいつと親戚になるとかあまりいい気分はしないが仕方がない。アイリーンと一緒にいる条件にもれなくこのじーさんもついて来るなら、それ込みで引き受けるさ。

 俺はニッコリと可愛らしく見えるだろう子供っぽい笑顔を作って、いたずらじーさんの視線を受け止めた。


 俺が先に馬を進め始める前にもう一言、子爵が口を開く。


「殿下、アイリーンは放浪の一族の末裔。どこの国へ行ってもなんなく順応するでしょう。どうぞ、どこへなりとお連れくだされ」


 これは母様の事があっての気づかいだろう。

 元から身体が弱かったとは言え、母様は知らない国に嫁いだストレスで更に命を縮めた。

 アイリーンにはそのような心配は無用と言っているのだ。

 隣に座っていた子爵の娘、おそらくアイリーンの母は、


「またお父様ったら、勝手を言って」


とか、ぶつくさと子爵を扇で叩いていたが、俺たちの婚約に反対ではないらしい。俺には軽く目線を送ってくれた。

 その内に、この一家には挨拶に行かないといけないだろうな。


「お気遣い感謝いたします」


 俺は頭を下げて馬を進めた。アイリーンはここでルッツに馬を返して、自分の家族の方に戻って行った。

 すぐにクドクドと母親にお小言を食らっている。おてんばなところを叱られているのだろう。

 さっきまで大活躍していた女傑とは思えないほど、ぶすっとした顔で横を向いていた。


 お姉さん方や従姉妹らしき年上の女性たちは、アイリーンに話しかけたくてうずうずしているようだ。

 クスッとその光景を横目で見送って、俺は前を向いた。


 我慢しきれない様子で俺を待ってくれていた人々の、輝かんばかりの笑顔と言ったら。

 俺は自然に心の底からの笑顔を返した。


「ルーカス様!」

「おめでとうございます!」

「お疲れ様です!」


 口々にそんな事を言いながら彼らは駆け寄って来た。すぐに大勢の人に、もみくちゃにされる。

 誰もが興奮して、てんでばらばらに大声を出すものだから、誰が何を言っているのかぜんぜん分からなかった。


 マルとジョエルは馬を降りて、痛みも忘れた様子のモリスに迎えられて抱きつかれていた。

 俺は馬上で、ニコニコと周りの人の話を聞いていた。

 その内、違和感に気づいたアレクが眉を寄せて尋ねてくる。


「ルーカス様? そろそろ馬を降りたらどうです?」


 そうしたいのはやまやまなんだけどね。俺はハハッと乾いた笑いを立てた。もう手綱から手を離す力もない。


「いやー、筋肉痛で身体が動かないんだよね。下ろしてくれると有難いんだけど」

「それは気づかず失礼しました!」


 彼らは大慌てで俺に手を差し出してきた。

 良く晴れた秋空の馬場に、ほとんど泣き出さんばかりの俺の大声が響き渡る。


「いたたたた! もうちょっと優しく持ち上げてよ! 無理だってば、無理! これ以上、足は上がんないから!!」


 その様子を見守るおじいさまたちも、バルド一家も、エイドリアンたち一行も、城の人たちも皆、なんとも言えない微笑みを浮かべていた。

 もう、なぜだろうね。いつも最後までカッコよく締められないのは。

 ゆっくりと地面に下ろされて俺は、オレイン先生の手当てを受ける事になったのだった。


カウント30

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