第18話 約束の日
椅子に近寄った俺は、そこに置いていた品物の中からゴソゴソと小さな箱を取り出した。
後ろ手に隠しながらローズの元に戻って、ちょいちょいと手招きする。
「ちょっとしゃがんで、目を閉じてよ、ローズ」
「え、なんですか?」
「絶対、開けちゃ駄目だよ」
腕を引っ張って強引に屈ませて、目を瞑らせる。
そう、俺は昼間の宝石商でローズのためのプレゼントを購入したのだった。
他の皆は最終的には自分で選択したとは言え、国からの指令で同行して来ただけだ。自分の意思で俺について来てくれたのはローズしかいない。
それにいつも影のように寄り添い、俺を支えてくれるローズはこの世界で第二のお母さんとも言えた。実際には実母よりも一緒にいる時間は長い。
この世界、母の日はないから、たまにはこうしてねぎらわないとね。
ローズもけっこう頭が固いから、報酬を自分のために使っていないような気がしていた。買っておいて正解だったな。
ピンクのスカーフの中心にカメオ彫りのスカーフ留めをパチリとつける。
セクハラにならないよう、胸に触らずつけるのは苦心したぜ。いつもぴっちりした服に隠してるけど意外とローズ、巨乳だからな。着痩せするタイプだ。
あそこを記憶が戻る前の俺は……ゴクリ。
って、そんな事を考えてる場合じゃないな。
俺はローズの腕をポンポンと叩いた。
「もう目を開けてもいいよ」
「これは……」
「いつもローズにはお世話になっているから、僕からのプレゼント!」
ローズはわなわなと手を震わせて自分の胸元を見下ろした。
これは喜んでいるのかな、どうなのかな。ローズは表情が読みづらいから判別できない。宝飾品を身につけているところを見た事がないので、好みもよく分からなかった。
「こんな高価そうなもの、いただけません!」
「心配しなくてもそんなに高くないって。ほら、シアーズは海に近いでしょう。これは貝殻でできてて、近くのリコスティでは珍しくないんだって」
スカーフより少し濃いピンク色の土台に、乳白色の貝殻で女性の姿が浮き彫りにされたカメオだ。周りは銀で縁取られ、ちっちゃな真珠がポツポツとついている。
このカメオを見た時、俺は真っ先にローズを思い出した。ツンと澄ましたような横顔。ひっつめた髪。でもその瞳だけはどこか優しく、誰かを見下ろしているようで。
「本当は、妃殿下のためにお買い求めになられたのでは……」
「なに言ってるの、良く見てよ、これ。ローズにそっくりでしょ。一目見て、まるでローズのために作られたみたいだって思ったよ」
俺はスカーフを持ち上げてカメオを見せようとするが、ローズはいまいち信用していないようだ。
信用していないというか、信じられないのか。照れているのか。カメオを見ないようにさっと目を逸らす。
もー、頑固なんだからな。
ここは、やっぱりアレをしないといけないんだろうか。日本人気質の残る俺としては気恥ずかしいんだけどな。
えーい、ままよ。ここは異世界。俺は六歳。親子みたいな関係ならおかしくない、はずだ!
「いつもありがとう。ローズ……お母さん。大好きだよ」
俺はしゃがんでいるローズの肩に手をかけて、頬にそっと顔を寄せた。触れるか触れないかを掠めてパッと顔を離す。俺にはこれくらいが限界だ。
ローズは顔面蒼白で身じろぎもしなかった。顔が般若のようになっている。
あれ? これ、外しちゃった? こういう流れじゃなかった?
と思ったのも束の間、俺は震える腕に抱き寄せられ、痛いくらいに抱き締められていた。
「勿体ないお言葉を……愚かな女の戯言としてお聞き流し下さい。私は腹を痛めて産んだ我が子より、ずっと貴方の方が愛おしかったのです」
隣室に聞こえないように潜めた声ながらも、ローズはむせび泣きながら俺に囁きかけた。
嘘だろ……あのローズが泣いてるなんて。
「貴方が喋り始めた時、この方の人生にはどんな苦難が待っているのだろうと不安になりました。老婆心ながら、どんな試練でも乗り越えていけるようにつらく当たった私をお許しください」
なんだ。そんな事か。そのくらい、ずっと前から分かってたよ。
俺は、記憶が戻った時、初めて見たローズの顔を思い出した。あの時、ローズは眉間に皺が寄るほど強く眉を顰め、俺を射殺さんばかりの目で睨みつけてきていた。まだローズを良く知らなかった俺は、化け物を見るような目つきだと思ったものだ。
だけどそんなの、とっくに知っていた。ローズは心と表情が真逆になってしまうのだ。ローズが怖い顔をしている時は心配している時、反対に優し気だと怒ってる時だ。
どれだけ長く一緒にいると思ってんだ。
父や母より、エラムよりも長い時をローズと一緒に過ごしている。それこそ俺の記憶が蘇るずっと前から。
俺も貰い泣きで目の端に水滴を光らせた。
ローズの背にぎゅっと腕を回す。
「この旅も嫌な予感がしたのです。私がついて行かなければ、と。けれど貴方には私など必要なかった。もう私の手など必要ないほど、大きく成長されていたのですね」
「そんなことない、そんなことないよ! いつまでも僕の側にいてよ、ローズ!」
しがみつく俺の腕をそっと離して、ローズは涙でぐちゃぐちゃの顔に微笑みを浮かべた。
あ、これは呆れてる時の顔だ。
「そのようなことでは困ります」
「あ、はい」
「いつまでも乳母の手を必要とする方にお育てしたつもりはありませんよ」
グチグチとまたお小言モードに戻って、ローズは懐から出したハンカチでゴシゴシと顔を拭いた。照れているのかも知れない。
けれど、その指先が秘かに胸元のカメオに触れているのが見えて。
俺も指で目元を拭うと、気まずくならないようにわざと明るい声を出した。
「いつまでもって、具体的にはどのくらい?」
「そうですね。十歳くらいでしょうか?」
じゃあ、まだまだ先だな。すぐに国へ帰るとか言われなくて良かったよ。
十歳。それは俺が兄アルトゥールや、セインたちと約束した年齢だ。ローズも覚えていたのだろう。兄の成人の儀までには母の病気を治して国に帰ると俺たちが話していたのを。
もうとっくに就寝時間が過ぎていますよと言うように、ローズが俺の肩を押してベッドへと促す。窓の外は夕焼けを通り越して星が瞬き始めていた。
俺は踏み台を使って大きなベッドによじ登った。
「でも、十歳じゃ困るな。ローズには僕の成人の儀にも来て貰わないと」
「まぁ。そんな年まで乳母がいる方など聞いた事がありませんわ」
「いいから、ローズは僕の成人の儀にも出席すること! 約束ね?」
十五歳なんて日本ではまだまだ中三だ。中学校の卒業式と思えば、親が来るのは普通だろう。日本の成人式と思えばどうかな……ちょっとマザコンかな。
蝋燭の灯りだけが揺らめく暗い部屋の中、ローズは俺の頬に手をかけて顔を寄せた。
間近で、焦げ茶の瞳が瞬く。
「かしこまりました、殿下」
子供に言い聞かせるような声にむっとする。そんな甘えっ子じゃないって言っても、どうせ軽くあしらわれるんだろう。
そうじゃなくて俺は自分の成長を親に見せ、感謝を伝える場所としての成人式をだな……とか考えている内に、ローズは身を離して俺の身体に布団をかけた。
国でも、旅の間も、シアーズについてからもそれは変わらずローズの仕事だった。
今日も色々あって疲れたからか、かなり眠い。
「ルーカス様? 明りはいかがいたしますか?」
部屋を出る前にローズが聞いてきたので、布団から目元だけ出して伝える。
「えーと、消してもいいです」
「本当に?」
「大丈夫、です!」
いつまでも同じ俺だと思うなよ。盗賊退治に出かけたあの晩から、けっこう暗いところにも慣れたのだ。
ローズが蝋燭消しを明かりに被せたのだろう。シュッと小さな音がして部屋が暗さを増す。燭台を全て消す頃には、廊下からの灯り以外、部屋の中が真っ暗になった。
ちょっと早まったかな。
「おやすみなさいませ」
俺の気が変わらない内にか、ローズは挨拶をしてさっさと部屋を出て行ってしまう。
「おやすみ、また明日」
その背中に声をかけて俺は布団を頭から被った。ぎゅっと強く目を閉じる。目を瞑ってりゃ日本だろうが異世界だろうが、そう大きな違いはない。
パタリと閉じた扉からローズの足音が遠ざかって行く。
隣室では今日も誰かが寝ずの番をしてるんだろう。ちゃらんぽらんに見えて、あいつら意外と真面目な騎士だから。
柔らかな布団に包まれた俺は幸せな眠りに落ちて行った。
約束が果たされる日は来ないと、まだこの時の俺たちには知るよしもなかったのだ。




