第9話 誰でもカンタン、ラブレターの書き方
ある日、渋い顔をしてマルが俺の元を訪れた。
「師匠、アイリーンの友人筋から伝わってきたんですが、一度も恋文を送ってないって本当ですか」
「え、なんですか、それ」
恋文。
直訳すると、ラブレター。
なんなのそれ。この世界、そんなものを送らないといけない風習があるの? ウチの国では聞いた事ない。
「まずいですよ、それは! 男から恋文を送らないと、話が進まないじゃないですか。アイリーンは振られたのかと思って、酷く落ち込んでるみたいですよ」
ええー。そんな決まりがあるんだったら、先に教えといてくれよ。
もしかして舞踏会の翌日くらいには送っとかないといけなかったんじゃないの。
日本でも、デートから帰ったらお礼のメールを送れとか言うよな。俺はデート自体、した事がないわけだが。
遅きに失した感はあるが、ともかく俺はマルに恋文の作法を教わる事にした。
「で、何を書けばいいんです? 本日はお日柄も良く、とかですか?」
「それは祭りの時とかに区画長が述べる式辞でしょう。恋文って言ったら詩に決まってますよ」
詩。
直訳するとポエム。
それは俺には無理だわ。俺は早々に思考を放棄した。
「マルティスくん、代筆してくれる人はいないんですか?」
「さいってーですね、師匠」
それは駄目らしい。なんなんだよ、この国ー。俺に芸術関係を求めるなよ!
「どんなに下手でも、心を込めて書いてこその恋文ですよ」
マルに諭されて、俺は渋々ながら机に向かった。
書庫から借りてきた『誰でも簡単に詩が作れる!』みたいなタイトルの本を横に、ウンウンと唸り声を上げる。
ハウツー本ってどこの世界にもあるんだな。しかも意外や、よく読まれているようだ。折り目がついて、端が擦り切れている。
芸術の国でもこういうのが苦手な人は一定数いるようだ。もしかして、おじいさまも読んでいたりして?
俺は出だしをちょっと書いては、上からグシャグシャと線で書き消してを繰り返していた。
ろくに書いてもいないのに丸められた紙が机に積み上がっていく。紙だってタダじゃないのにもったいない。
そうは思うけど、書けないんだよ~~!
何度目か分からないが丸めた紙をやる気なく積み上がった紙の山へと投げる。しかしそれは方向が逸れてトンッと机から落ちると、わずかに床を転がった。
「ルーカス様ぁ? さっきから何やってんです?」
「ぎゃああぁぁぁぁ!!!」
なんの気なしにユーリが紙を拾おうと背を屈める。途端に俺は雄たけびを上げて椅子から飛び降り、目にも止まらぬ速さでそれを奪い取った
手の中で紙をクシャリと握り潰す。
俺を見下ろすユーリの薄茶の瞳がキラリと光った。
「ねぇ、アレク先輩。我らが主が何か楽しそうな事を隠していらっしゃるようですよ」
「なに。それは聞き捨てならないな」
馬鹿二人がニヤニヤと俺の前に立ち塞がる。俺は机を守るように大きく手を広げて二人を阻んだ。
「来るな! 来たらただじゃおかないぞ!」
「ほう? 具体的にはどうされると?」
アレクはやたら真剣な顔を作って俺と対峙するが、所詮アレクだから格好良くなんかない。
俺はグッと黙り込んだ。
どう頑張ったって、こいつらに腕力では敵わないからな。
こうなったら権力を行使するしかない。
腰に片手を当てて、ビシィッと二人を指差す。
「給料だ! お前らの給料を減額する!」
「残念。俺たちはまだ国から給料貰ってるんでしたー」
「わああぁぁ。酷いよ、やめてよー」
あっさりとアレクの小脇に抱えられて俺は、あわわわと後ろを振り返りつつ手足をジタバタ動かした。
暴れる俺を無視して二人は机の上を覗き込み、クシャクシャに丸まった紙を一枚、広げた。
「ぬばたまの夜のごとき黒き髪を持つ君よ……って、なんです、これ?」
他人宛の、しかも未完成の恋文を声に出して読まれる以上の羞恥プレイがこの世にあるだろうか。
俺はほとんど半泣きになっていた。
「もうやめてってばー!」
なんとか身を捩ってアレクの腕の中から逃れようとしていた時。
俺たちの側にヌッと人影が現れた。
かと思ったらゴイン、ゴイン、ゴインッと続けざまに拳骨を落とされる。
痛い。
床に下ろされた俺は涙目で殴られた頭を抱え込んだ。
「何事だ。お前ら、騒々しすぎるぞ」
そこには拳を丸めたセインが立っていた。こいつ、最近、俺にも容赦なくなってきたな。
「まぁまぁ、セイン先輩もこれを見て下さいよ。ルーカス様が面白過ぎるから」
殴られた事実もどこへやら。一瞬で立ち直ったユーリはセインの目の前に紙を差し出した。
「これは……?」
眉を寄せてセインが紙を受け取る。
「例のアイリーン嬢に向けた恋文みたいっすよ、こ・い・ぶ・み」
ユーリの声を頭上に聞きながら、俺は行儀悪く床にあぐらをかいた。ブスッと頬を膨らませてそっぽを向く。
ここまで来ると、もう知るかって感じだ。勝手に馬鹿にしとけばいい。
アレクはなぜかユーリの前に片膝をついて下手な芝居を始めた。
片手を胸に、もう片手を宙に差し出して、
「おぉ、愛しのアイリーンよ」
とか言っている。
ユーリはユーリで、アイリーン役のつもりなのだろう。自分の頬を両手で包んで、
「きゃっ、ルーカス様ったら」
とか気持ち悪く首を振っていた。
俺はギリギリと奥歯を噛んで二人を強く睨みつけた。
こいつらを家臣にするとか早まったかも知れない。正式に任命されていない今なら、まだ取り消す事だってできるんだからなッ!
「人が心を込めて書いたものを笑うのはいかがなものか」
パンパンッと紙を打ち鳴らして、セインは二人に冷ややかな視線を向けた。
今度は、俺は嬉しさに目を潤ませた。
「セインー」
俺の味方はお前だけだよ!
立ち上がってセインの足元にまとわりつく。
「マルに恋文を書けって言われたんだけど、どうにもうまくいかないんだよ。手伝ってくれる?」
セインは女性を蕩けさせるその顔で、優しい微笑みを俺に向けてくれた。
「勿論、お手伝いいたしますが、文面はルーカス様が考えるんですよ?」
「うんうん、分かってるよ!」
セインに連れられて机に戻る。
後に残された間抜けな二人なんか知るもんか。
「それで何にお困りなのですか?」
最初からこうすれば、セインに相談すれば良かったんだ!
「どうもシアーズ……って言うか山岳連合付近では、男が女性に詩を作って贈る風習があるらしいんだよね。詩なんて作った事なくてさ」
「ルーカス様の得意分野そうですが」
「僕ができるのは暗記とか計算だけで、文学関係はからっきしさ」
「なるほど」
まだ手に持ったままだった紙に目を落として、セインが納得したように大きく頷く。
それを見てどんな感想を抱いたのか問い詰めたくもあったが、せっかく味方してくれたんだからスルーしとく。
「ルーカス様は、アイリーン様と会われた時にどのように感じられたのですか?」
セインが子供を諭すように優しく聞いてくれる。
改めて聞かれると恥ずかしいな。
俺は脳裏にアイリーンと出会った時を思い起こした。
舞踏会でのあのシーンが、たった今、目の前で起こっているかのように鮮やかに蘇る。
「最初は美人だなと思ったんだけど……笑うと可愛いんだ。パッと周りが明るくなるような感じがしてさ。あと、ダンスが得意なんだって。凄いんだよ、ステップとか。ばっちり音楽にも合っててさ」
正直、ダンスの途中までは自分の足元しか目に入っていなかった。
その後はアイリーンばかり見ていて、どう踊ったのか、どうやって踊り終わったのかも覚えてないくらいだけど。
話し始めた俺はどんどん早口になって止まらなくなってしまった。
言わなくていい事まで口にしてしまう。
「アイリーンは僕に会った時、愛の女神が囁いたような気がしたんだって。僕もそれに近いものは感じたな。さすがに神の声は聞いてないけど。大勢の人の中でアイリーンだけが淡く光ってるように見えて、まるでセレスティン様が教えてくれているようだった。アイリーンがそこにいるよ、って」
ようやく息継ぎをした時、部屋にいる全員が俺をマジマジと眺めているのに気づいた。
カーッと顔が熱くなる。
こんな事まで言わなくて良かったんじゃないのか。
だけど、誰も何も言わなかった。
誰も笑わなかった。
代表するようにセインが俺に紙を返しながら真面目な顔で口を開いた。
「それを、そのままの気持ちを書けばよろしいのですよ。言葉を飾る必要などないのです」
「え、でも、直接的過ぎやしない?」
セインはふわりと顔いっぱいに微笑んだ。イケメンビームが突き刺さる。
「私が今まで、女性関係で間違った事を申しましたか?」
ブンブンと首を横に振る。
そうだ。セインは愛の化身。セイン神の言う事を聞いておけば間違いなんてないんだ!
俺は意気揚々と、セインの指導の元、なんとか手紙を書き終えた。
アイリーンの元に届けるのはシアーズの召使に行って貰った。
三馬鹿たちは不満そうだったが、こんな大事なものをお前らに預けるわけがないだろ。
それに、セインに行かせるのはちょっと不安があった。相手方の侍女と仲良くなりそうで怖かったのだ。
そんな感じで俺たちは文通を始めたのだった。




