第3話 君とワルツを
その姿が目に入るだけで、広間にいるはずの大勢の人々は掻き消えて、この場に二人だけという気持ちになる。
飾られている花も色褪せるような。
アイリーンはおじいさま方の話を嫌な顔もせず聞きながら、たまに上品そうに小首を傾げて頷いたりしていた。
あぁ、可愛いな。
いつまでもここで見ていたいが、そう言うわけにも行かないだろう。
俺は柱の影でマルに捕まれた襟を整え、髪型が崩れていないかも確かめた。
大丈夫。
今の俺は前世とは違う。
母様に似て女顔というのが気に食わないが、見た目は悪くないんだ。
年下で背が低いってのも、現時点でアイリーンが気にしてないならマイナス要素じゃないんだろう。背はその内、追いついてみせるさ。
大丈夫、大丈夫。何度も自分に言い聞かせて足を踏み出す。
「すみません、遅くなりました」
やっとのことで戻って来た俺に、大人たちの視線が突き刺さる。
俺がいない間に話を聞いたんだろう。ワルター分隊長はニヤニヤと顔に笑いを浮かべていた。くっそ、ワルター、後で呼び出しだ!
遅れてアイリーンは頬を染めると、気恥ずかしそうに目を伏せた。
可愛いけど、マルの奴、何を話したんだ? ちゃんと聞きだしてくればよかった。
「おぉ、ルーカス、遅かったな。大きい方か?」
おじいさま、そう言うのはいいから。
「途中でマルに会って話し込んでしまったんです、すみません」
「さっきマルティスならここに……」
言いかけておじいさまは、かなり正確に事態を把握したようで、その目をキラリと光らせた。
誰も何も言わない。
そうか、俺のターンか。
「アイリーン嬢も、ろくに挨拶もせず失礼しました」
軽く頭を下げる俺に、アイリーンが溢れんばかりの笑顔を向けてくれる。
「どうか私の事はアイリーンと。公主様が珍しい異国のお話を聞かせて下さったんです。貴方が、たくさんの国を旅して来られたと」
「では、僕のことはルーカスと。後で旅の話をお聞かせいたしましょうか?」
「えぇ、ぜひ、ルーカス様」
やればできるじゃないか、俺。普通に会話できてる。
前世を通して、女の子と会話するなんて何年ぶりだろう。
アイリーンが俺の名を呼ぶ時の涼やかな声。俺は自分がルーカスと言う名前で良かったと心から思った。
大人たちは俺たちからそれとなく距離を置いて。
もうすぐ、今、流れている曲が終わる。
今だ。今しかないだろ、俺。
「どうですか、次の曲で踊りませんか」
「嬉しいです。踊るのは大好きなんです」
差し出した俺の手をアイリーンが取る。そっと指先同士が触れる。震えそうになる腕をなんとか抑える。
進み出た俺たちに気づいて、今まで踊っていた人々は曲が終わると三々五々と壁際に寄り、その場を開けてくれた。
俺たちの周りだけぽっかりと丸く空間ができる。
お互いに向かい合って、俺は片足を引くと、片手を胸の前に当てて軽くお辞儀を。アイリーンはゆったりとスカートの裾をつまんだ。
やばい。最初のステップって右足からだったか? 左足だったか?
昨日、散々、ローズと復習したのに思い出せない。
楽団の人たちは俺たちを認めて、メンバーで頷きあうと可愛らしい子供向けの曲を奏で始めた。
ええい、もう踊るしかないだろ!
足を踏み出してアイリーンに近寄る。同じように一歩、アイリーンが近づく。
手に手を取ってリズムを刻む。
三拍子、三拍子。
俺は自分の足元ばかりに目を向けて、ほとんどアイリーンの顔も見れていなかった。
腕を組んでその場を回って。
お互いに上げた片手を触れるか触れないかのところで固定して、場所を入れ替わって。
クスクスと楽しそうなアイリーンの笑い声が耳を打つ。
「ルーカス様、背伸びして!」
アイリーンの手を取って、俺は引きつりそうになるほどうんと腕を伸ばした。その下で身を屈めてアイリーンがくるりと回る。
長い黒髪が遅れて、一緒にくるりとなびいた。
「ごめんなさい、大きな女で」
踊りながら、二人だけに聞こえるくらいの声でアイリーンが囁く。
「僕が小さいのがいけないんですよ」
「あら、ルーカス様は普通くらいだと思うわ」
「すぐに追いつきますね」
踊りが好きと言ったアイリーンの言葉は本当なんだろう。まるで緊張した様子もなく伸びやかにステップを刻んでいる。
俺はついていくのに必死だ。
楽しそうに長く伸ばした手。
軽やかな足元。
踊るために生まれてきたようにのびのびとターンしながら、息を弾ませてアイリーンは笑った。
「お待ちしてます」
微笑む顔も可愛いと思ったが、踊っている時のアイリーンには敵わなかった。
いつしか曲は終わっていて、俺たちは息を上げてその場に立ち尽くしていた。
やった。
なんとかやり切ったんじゃないのか!?
ひとまずアイリーンの足は踏まなかった。はずだ。
かなりアイリーンの踊りの技量に助けられていたような気もするが。
最後にもう一度、お互いにお辞儀。
いつの間にか誰も踊っていなくて、皆が俺たちを見守っていた。仕方なく、アイリーンの手を取って群衆に向かってもお辞儀をする。
途端に、わっと喝采が上がった。万雷の拍手の中を、俺もアイリーンも恥ずかしそうに頬を染めてコソコソと退出する。
微笑ましそうな大人たちに混ざって数人、ぶすっと顔を曇らせている男の子たちがいるのに気づいた。そうか、あれがアイリーンを狙ってたとか言う子息たちか。
お前ら、顔は覚えたからな。
皆の視線を避けるために外を指さす。
「庭に出ますか?」
アイリーンが俺の質問に目線で頷いて了承を示したので、俺たちは二人で庭に抜け出た。




