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第2話 マルティス、やらかす

 

 マルは俺の剣幕に眉を寄せた。仕方ない奴だなと言うように、やれやれと首を振る。

 それから皿を持ったまま肩を竦めた。


「じゃぁ、ダンスに誘えよ」

「なんですって?」


 何を言われたか理解できず、俺は眉を寄せた。なぜそう、無視かダンスかの二択になる?

 俺の声が大き過ぎたのだろう。周囲の人目を引いてしまい、俺たちは慌てて中庭の木立の影にしゃがみ込んだ。コソコソと声を潜めて話し合う。


「お前、今、何に出席していると思っているんだ。舞踏会だぞ」

「だからって、僕がアイリーンとダンスする理由にはならないでしょう?」

「舞踏会で婚約者とダンスしない主賓なんているか」

「だから、まだアイリーンは僕の婚約者と決まったわけじゃないんですよ!」


 あぁ、アイリーン。その名前を呼ぶだけで、俺の胸はギュッと心臓を握られたように苦しくなった。

 俺がくどくどと煩いので、次第にマルは面倒くさくなってきたようだ。

 早く食事に戻りたいのだろう。


「婚約者にするかしないかは、お前が決めるんだ、ルーク」


 指を突きつけられて宣言される。


「いいな。ダンスするか、無視するかだ。無視するなら徹底的にしろ。笑いかけるな、話しかけるな。じゃないとなし崩しにおじいさまたちに既成事実を作られるぞ」


 さもありなん。

 あの二人なら、それくらいの事はしてのけるだろう。

 普段の俺ならそのぐらい相手取れたかも知れないが、どうにも今日は自信がない。


 だが、アイリーンの気持ちはどうなんだ?

 いきなり婚約者だなんて言われて困ってないだろうか?

 もしくは俺が嫌だと言うなら、おじいさまたちが何と言ってもこの話はなかった事にして貰おう。


 けれど、俺が婚約者だと伝えられても輝かんばかりの笑顔を向けてきてくれたのは?

 これは俺の独りよがりなのか?

 同僚の女の子とか、コンビニの店員が笑いかけてくれただけで恋に落ちる、中年の気持ち悪い男の妄想なのか?


 あの子とはなぜか心が通じ合っているような、今まで感じた事のない感覚がする。

 広間で初めて目が合った時。

 おじいさまたちの前で顔を見合わせた時。

 俺の思い違いでなければアイリーンの方も、説明ができないこの奇妙な引力を感じているような気がした。


 せめてアイリーンの気持ちが分かれば。

 俺はちょっとでも様子が見えないかと、広間の方をひょこひょこと伺った。


「あのー、お願いがあるんですけど。マルはアイリーンと面識があるんですよね? 僕の事、ありかなしなのか、それだけでも聞いて来てくれません?」

「なんで俺が」


 マルはありありと嫌そうな顔をした。早く行かないと食べ物がなくなるとでも思っているのだろうか。チラチラとご馳走が並ぶテーブルに目を向けている。

 実際には立食パーティと言ってもほとんどの人が話したり遊んだりしていて、こんなに食事に拘っているのはマルたち兄弟だけだ。

 なんだか昔、争って食事をしていた国の若い兵士たちのことを思い出す。


 そうだ。

 俺はいい事を思いついて、俺にできる最高の手札である伝家の宝刀を抜いた。


「お礼に今度、異国の美味しいお菓子を作りますよ」


 その途端、マルの顔つきが変わった。

 今度は俺がビビる番だった。

 詰め寄ってきたマルに襟首を絞め上げられる。


「それはホントだろうな! なんて菓子だ! どれくらい美味しいんだ!?」

「うぐっ、くるしっ……ちょっと落ち着いて、マル。なにって何がいいんですか? プリンとかクレープとか、ティラミスとか?」

「そ、そんなにあるのか……じゃぁそれ全部」

「えー。三つもですか?」

「アイリーンの気持ちを聞いてきて欲しいのか、欲しくないのか?」


 そう言えば俺が断れないと確信しているのだ。マルは片手にまだ皿を持ったまま両手を広げて選択を迫ってきた。


「分かりましたよ」


 渋々と俺は頷いた。どうせもう国では、けっこう地球の料理を作ってしまっている。旅の間も相当やらかした。今更、お菓子のひとつや二つや三つ作ったところで同じだろう。

 俺からの返答を聞くや否や、マルは即座に踵を返した。


「よし。行ってくる」

「えっ、もうですか!?」

「こんなのグズグズしてたって仕方ない」


 意外とマルティスは思い切りがいい。ずっと持ったままだった肉がてんこ盛りの皿を、近くのテーブルにドンッと置いた。

 ナプキンでしっかりと手を拭いて広間に向かうマルの背は堂々としていて、とても頼もしく見えた。

 俺はぽつねんと低木の影にしゃがみ込んでいた。

 主賓の一人なので、こんなところにいるのを見つかるのはあまり良くないのだ。


 待っている間は何時間にも感じたが、結構、マルは早めに広間から戻って来た。脇目も振らず、さっさと俺の方に歩いて来る。

 本当に聞いてきたのか?

 誰かと間違えてないか?

 信用できずに、じとーっとマルの顔を見上げる。


 マルは俺の前で足を止めると、またもや気取った様子で肩を竦めて首を振った。

 その顔はいい報告なのか、悪い報告なのか。


「愛の女神が囁くのを聞いたんだとさ」

「ど、どういう意味です?」

「だからー、お前ら揃いもそろって同時に一目惚れしたんだろ? 良かったじゃないか」


 マジか。

 そんなことあるのか。


 父様は大狼神(たいろうしん)マーナガルムが俺を導くだろうと言っていた。母様は、楽神(がくしん)エントールに呼ばれているようだ、と。

 そして、今、この世界に生を受けてほとんど初めて俺に関わってきた女の子が、愛の女神セレスティンの声を聞いたと?

 それはただの比喩なんだろうか。


 でも不思議と嫌な気持ちはしなかった。

 俺は誰かに呼ばれてこの世界に来た。そのはずだ。じゃなきゃ前世の記憶なんて蘇るはずがない。

 どこの誰が俺に何をさせたいのかは分からないが、このレール、乗ってやろうじゃないか。

 俺の人生で初めて出てきた待望の女の子キャラだ。

 逃す手はないよね。


 でも、相手も俺の事、悪くないって思ってるって先に知ったのは、なんだか照れ臭いな。

 へへ。


 にやついた笑みを浮かべる俺を気持ち悪そうに見下ろしてマルは、しかし、お菓子への誘惑の方が勝ったのかも知れなかった。

 まだしゃがんだままだった俺に手を差し出してくる。


「ほら、だから早くダンスに誘いに行けよ」

「ええっと、今すぐですか?」

「今すぐ!」


 グイッと腕を強く引かれて立ち上がる。決意はしたが未だ渋る俺に呆れて、マルはこっ酷く背中を押してきた。

 痛いな。


「さっさと行って来い! お菓子の事、忘れるなよ」


 俺は息を飲んでコクコクと頷くばかり。

 ギクシャクとロボットのような動きで広間の方へと向かった。



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