第28話 おじいさまのいたずら
今で何度目か分からない決まりきった挨拶に愛想笑いを返しながら、早くも俺はこの状況に飽き始めていた。
朝から何も食べてないんだよなぁ。いい加減、ちょっと何か腹に入れたい。
外は上天気で、楽しそうな歓談の声が時折聞こえてくる。
マルは四男だからか、主催者側には呼ばれていない。叔父さん一家は奥さんと長男がいるだけだ。どうせもう外で食べまくってるんだろう。いいなぁ。
あと何組くらいいるんだろう。
会場の様子をチラッと横目で眺めた時、その子に気づいた。
今回の舞踏会は俺に紹介するためか、年の近そうな男の子や女の子も訪れていた。
その中に、ハッと目を引く子がいたのだ。
年の頃は十歳前後の女の子だ。その肌の色は濃い琥珀を思わせるような褐色だった。
長く艶やかな黒髪が背中を覆っている。東洋を思わせる真っ黒な髪だが、顔は彫りが深く、前世で言うと中東の人っぽかった。
嫌味でない色の赤いドレスが、日焼けとは違う褐色の肌によく似合っている。
最初に目を引いたのは確かにその肌の色だった。ずっと白色人種にばかり囲まれてきた俺には珍しかったのだ。
ここまで南に来ると、違う肌の色の人がいてもおかしくないんだなと思う。
けれど、それだけではなくて。
その子の周りだけ、ふわりと微かな光に包まれているような不思議な感覚がする。
チラリと横目を向けただけなのに、どうしてか視線が合った気がした。
ドクン、と。
一拍、心臓の音が飛ぶ。
変だな。緊張する時間帯はとっくに過ぎてるのにな。
目の前の人が何を言っているのか碌に聞きもしないまま頷きを返して、俺は内心、首を傾げた。
急に会場の温度が上がったような気がする。日が高くなってきたからだろうか。
にじむ手汗をこっそりズボンで拭く。
「おうおう、アドミラル! いつまで経っても呼ばれないから忘れられてるのかと思ったぜ!」
その時、口が悪く濁声の男性がおじいさまに近づいて来て、注意をそちらに引かれた。
随分、気安い感じだな。年が近そうだから友人かな。
「ぬかせ、ジスラン。ちょうど順番通りじゃろ」
「ハッハッ、バレたか。それでこちらがお前の自慢の孫と言うわけだな」
老人に視線を向けられて、丁寧にお辞儀をする。
「お前と違って利発そうだな」
「儂に似て、の間違いだな。ルーカス、こいつはこんな言動をしとるが歴としたこの国の貴族で、二街区の区長をしておる、バルド子爵だ」
「そして、君のおじいさまの悪友でもある」
その初老の男性、バルド子爵は大きな口を広げて顔いっぱいに笑いながら手を差し出して来た。
手を取ると、上辺ばかりの握手とは違い、力いっぱい握られてブンブンッと腕を振られた。
この城下町しか街がないシアーズでは貴族の領地と言うものがなく、街をいくつかの区画に分けて管理させているのだった。そこの区画長と言えば、他の国で言えば領地を持つ貴族と同列のはずだった。
それなのに、かなり豪快な人だな。
「それはそうと、ちゃんと連れて来たぞ、アドミラル」
自分で悪友と言うだけあって、悪だくみをしているような顔でバルド子爵はおじいさまに向かって片目を瞑った。
「おぉ、アイリーン嬢か。小さい頃に会ったきりじゃな」
おじいさまがバルド子爵の背後に視線を向ける。
そこには子爵の大きな背に隠れるように、あの子がいた。
あの、褐色の肌の黒髪の女の子だ。
気恥ずかしがっているのか子爵の後ろから出て来ないので顔はよく見えない。
「ルーカス殿下、紹介しよう。儂の孫娘だ」
「ルーカス、実はこいつな、ジプシーの踊り子と結婚しよったのだ。だからバルドのところの子や孫は皆、風変わりでな」
「ジプシーと言うな。放浪の民だといつも言って……ほれ、アイリーン、前に出んか」
おぉ、ところ変わればと言うか、踊り子と結婚する貴族もいるのか。口ぶりから言ってどうも正妻の上、恋愛結婚のようだ。父様と母様の恋愛話も吹き飛ぶな。
なかなか進み出ようとしない孫娘に業を煮やして、子爵はグイと女の子を俺の前に押し出した。
突然、間近で顔を合わせることになって、お互いにぱちくりと目を見合わせる。
あ、可愛い。
「ルーカス、お前の婚約者だ」
はい?
何か聞き慣れない言葉がおじいさまの口から飛び出たような気がして、俺は怪訝に祖父を見上げた。
今、なんて言いました?
今夜食う?
コンニャク?
コニャック?
違うな。婚約……婚約者か。
「ええー! そんな話、聞いてないですよ!」
思わず周囲に響き渡るほどの大声を出してしまった俺に、近くにいた母様や分隊長が何事かと視線を向けてくる。
ドッキリ成功と言うように、悪祖父二人はニヤニヤと笑っている。
「そりゃ、今、初めて伝えたからな」
「ま、儂らの口約束ではあるんだがな。お互いの子供を娶わせようと言っておきながら、どちらも女しか生まれなかったものだから、随分遅くなってしまったわ!」
ガッハッハと高らかな笑い声を上げる子爵の前で、可哀想にアイリーンは身の置きどころがない様子でおろおろと祖父たちを見上げていた。
この調子ではアイリーンも今、初めて聞かされたに違いない。
憂いに満ちた濃い緑の瞳が至近距離で俺を映している。黒く長いまつ毛がピンと上向いているのが見えるほどの近さだ。
ドギマギと、心臓の音がやけに早い。
そりゃ、こんな年下で背も低い男なんて嫌ですよね。と思ったら、急に落ち込みたくなった。
「ちょっと九つと年は上だが、あいにく孫の中ではこの子が一番、若くてな。どうです、ルーカス殿下。年上女房は嫌いかな」
「そ、そうではなくて……」
子爵が肩に手を置いて年上だと伝えた瞬間、アイリーンは目に見えてビクリと悲しそうな顔になった。
こんな年でも女の子は女の子なんだな。年の話をされたら嫌に決まってる。
俺は口に出しかけた言葉を変えざるを得なかった。
「いやあの、僕はあまり年は気にしません……」
あんな顔を見てしまったら、気にしないって答えるしかないじゃないか。
まずいな。話が完全にこのじーさんたちのペースだ。巻き込まれて抜け出せない。
助けを求めて分隊長や母に目を向けるが、別の人と話していて展開を把握できていないのか、二人とも不思議そうにこちらを見てくるだけだ。
ほとんどお愛想に近い俺の言葉を聞いて、ふいにアイリーンがほころぶような笑顔を見せた。
そこから光が広がって、他に何も見えなくなる。
「ほら、アイリーン、早く殿下に挨拶しなさい」
子爵がアイリーンを急かす。
トンッ、と背中を押されてアイリーンがつんのめりそうになりながら、スカートの裾をつまんでちょこんとお辞儀をする。
「アイリーンと申します」
涼やかな鈴が鳴るような声が凛と響く。
顔を上げても、アイリーンは俺に微笑みかけてくれていて。
俺は頭が真っ白になって、何を答えたのか、いや、ちゃんと受け答えができたのかどうかもよく分からなかった。
To be continued...
第二章を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次話はイラスト入りの登場人物紹介です。
苦手な方は『第3章 第1話 戦略的撤退』にお進みください。




