第24話 鏡よ、鏡……
おじいさまとの再会を果たした母様は、その後、気が抜けたのか寝込んでしまった。
オレイン先生に厳重注意を食らい、おじいさまはしばらく入室禁止になった。あまりにもやかまし過ぎるので母様の負担になるという理由だ。
さしものおじいさまも高名な神子には逆らえず、すごすごと引き下がった。
自分が煩くしたせいで母様に何かあっては、と言う気持ちもあったのだろう。
俺はと言うと、母様の部屋の前でウロウロしていたら騒がないならという警告つきで入室を許可された。
オレイン先生にも信用されてないなんて傷つくな。
「母様、お加減はいかがですか?」
扉からひょっこり顔を覗かせると、母様はベッドの上で青白いながらも嬉しげな笑みを見せてくれた。手招きされて部屋の中に入る。
ゆったりとした部屋着に着替えた母様は、以前、俺がプレゼントしたスカーフを肩からはおっていた。
もちろん青……っていうか水色の方だ。
「オレイン様やお父様は大げさなのよ。旅の疲れが出ただけです。大丈夫よ」
近寄った俺の頭を細い手で撫でてくれる。
その骨ばった指先が暖かった記憶はほとんどない。母様の心臓は少しぽんこつで、身体の隅々まで血を届けることができないのだ。
診察を終えたオレイン先生は機材を鞄にしまいつつあった。
嗅ぎ慣れた薬草の匂いの中に、あまり知らない香りが漂っていた。
「もしかして薬湯の配合を変えました?」
「さすが殿下ですね~。長旅の疲れが取れるように少し眠くなる薬草と、むくみが取れやすくなるものを加えていますよ~」
オレイン先生は自分も疲れているだろうに嫌な顔もせず配合について教えてくれた。いつでもほんわかしていて、先生を見ているだけで癒される。
母様もきっと、先生の事をいつも心強く思っているだろう。この医師をマーナガルムに招いたのは、父様の一番の功績じゃないだろうか。
もう少し詳しく話を聞きたかったが、母様が眠くなる前にと別の話を切り出す。
「そう言えば、母様、鏡持ってます?」
「そう言うと思ってましたよ」
ふふっと笑って、母様は侍女に手鏡を持って来させてくれた。
自分の顔を見るのに緊張するってのも変な話だな。
前世で俺は鏡ってもんをできるだけ見ないようにしていた。目を向ければ見たくもないものを見るはめになったからだ。
顔を洗うのはシャワーにかかる時。歯磨きも鏡のない台所でしていたので、一人暮らしを始めてから洗面台を使った事がほとんどない。
それが今、前世とは真逆の意味で見たいような見たくないような気持になるなんて。
侍女が持ってきてくれた鏡はよく磨かれていて、日の光の下では前世のものと遜色なかった。
色白で小顔の少年がこちらを見返している。
顔を彩る明るい赤毛。
大きな水色の瞳。
顎とか細い。
これが俺の顔かと思うと、なんだか生っちろそうとか言う感想しか出てこない。
もっとちゃんと客観的に見よう。俺、こう言うのどっかで見たことがあるぞ。あれだ、あれ。ウィーン少年合唱団だ!
サスペンダーつきの半ズボンとか似合いそうなやつだ。
確かにおじいさまとの対面の時はフリルがたっぷりついたシャツを着ていたし、男の子の服を着たがる、こまっしゃくれた女の子に見えない事もなかったかも知れない。
「感想はどーう?」
俺が返した手鏡を受け取って母様は、からかうようにキラリと目を輝かせた。
「思ったより女顔と言うわけでもないので安心しました」
「あら、変ね。この鏡、イグニセムで買ったから、とても映りはいいはずなのに」
母様は真顔で頬に手を当て、鏡面に自分の顔を映しては、矯めつ眇めつしている。
ハハ。それ、高度な冗談だったりしますか、母様?
「ほら、今でもこんなに映りはいいわよ、ルーカスちゃん」
「わー、分かりましたから、母様! それをこっちに向けないでください!」
まるで鏡に姿が映れば魂を吸い取られると信じている昔の人のように、慌てて顔の前で両手を振る俺に、周囲の大人たちからクスクスと笑い声が起こる。
しかし、そんな俺たちの様子に顔を和ませていない人が一人だけいた。
「ル~カス殿下~? 入室は静かにできるなら、って言いましたよね~!?」
振り向くとそこには怒髪天を衝くオレイン先生が立っていた。
「す、すみませ、せんせ……」
「退室なさい!」
あたふたと謝るも、時すでに遅し。
ビシィッと扉を指さされ、助手の人にポイッと部屋の外につまみ出されてしまった。
遅れてセインたちも部屋を辞してくる。
「あぁ言う時は止めてくれないと駄目じゃないか」
八つ当たりというか、ほとんど冗談で言ったつもりだったのに、セインは、
「畏まりました」
と言って、懐から取り出した手帳に何やら書き記し始めた。
どうやら、妃殿下の前で騒いだ時はお止めする、などと書いたようだ。
セイン、ちょっと律儀すぎやしないか。
ユーリなんかその後ろで、りょーかいしっましたー!とか、元気良く片手を上げてるだけなのに。
他の人は冗談だって分かってるよね?
心配になって見上げたら、うんうんと頷くアレクと目が合ったので、彼も友人の生真面目さを心配している一人らしかった。
俺たちは微妙な顔を見合わせて、セインがメモ帳をしまうのを待った。
それから、どうせこれ以上ねばっても怒ったオレイン先生が扉を開けてくれなさそうだったので、仕方なく自室に戻った。




