第11話 仲直り
商業国家サラクレートの首都はでかい。
「うわー、母様、見てください! 三階建ての建物ですよ!」
この世界に生まれて、多層階建ての建物がこれだけ並んでいるのは初めて目にする。俺はまんまるに目を見開いていた。
建物だけでなく、天にそびえるような高い塔まである。
道は広く何台もの馬車が行き交っている。
人口も過密で、数十人の団体なんて多い方じゃないかと思っていたが、この国では俺たちは見向きもされていなかった。
立ち並ぶ石造りの洋館。多種多様な人々。
異世界と言えばこんな街だろうというイメージだ。
完全におのぼりさんになって、俺たちはあんぐりと口を開けて街を進んだ。
あの百戦錬磨のマーナガルムの騎士たちが、借りてきた犬みたいに見えるほどだ。
「ここは、イグニセムにも近いからかしらね。きっとルークはイグニセムも気に入るわ。あそこは物事の最先端ですから」
大国に滞在した事のある母様が教えてくれる。
別に首都は通り道ではないので素通りしても構わなかったのだが、俺はこの国の王様に謁見を申し込んでいた。
名目は旅の便宜を図ってくれたお礼。真相は……言わなくても分かってくれるよね?
王との会食中、俺はリーメイトの領主を褒めちぎっておいた。
あのひきがえるがどんなに素晴らしいかを王の耳に吹き込んだのだ。
いわく。
「それはそれは通行証ひとつにも気を配って、入念な検査をなさっていらっしゃいました。陛下も、要衝の地の領主があれほど慎重な方なら、とてもご安心でしょう」
「僕のような若輩者がお目にかかったこともない他国の方も館を訪れているようでした。本当に彼の方は多方面に顔がお広いのですね」
「その装飾の素晴らしさと言ったら。我が国は田舎で、あまり宝飾品も多くないですから驚いてしまいました。この国は宝石も特産でいらっしゃるんですか? もしお安いなら帰りに正妃や叔母たちのお土産に買い求めたいですね。え? 違う? それなのにあんなに指輪や首飾りを? さすが大国の領主。羽振りが良いんですね」
などなど……。
最後の方には王は腕をワナワナと震わせていた。
わざとらしかったかな。心の中でペロリと舌を出す。
しかし嘘は言っていない。それに処罰してくれとか、被害を受けたとかは一切、言ってないぞ。
調査されるのはそちらの御自由です。
俺たちはこの件には何も関わるつもりはないですよ、と明確に線引きを示して王宮から退出する。
フン。あの賄賂も、この国に借りを作らせたと思えば安いものかな。
王都に寄ると宣言してからは、なぜわざわざ寄り道をと怪訝そうな騎士たちだったが、側に控えていた彼らは会食が進むにつれてだんだん顔色が浮かなくなり、最後には真っ青になっていた。
今は例の領主の館を出てきた時とは違う沈黙を漂わせて、俺の後ろにつき従っている。
「俺、絶対、殿下を怒らせるのはやめよう……」
宿に帰って、誰からともなくポツリと呟く声が聞こえた。
「なにあれ、めっちゃ怖かったんですけど!」
「普通、あそこまで追い打ちかける?」
「それを笑顔でやってのけるとか……」
君たち、聞こえてますよ。
やだなぁ、俺、怒ってないなんて言ってないじゃないか。
王宮で笑みを張りつかせていたせいで、ちょっと引き攣っている頬をサスサスと手でほぐす。
椅子に座っていた俺の前に、分隊長のワルターが膝をついて首を垂れた。
「以前は差し出がましい事を申し上げました。これまでの我らの非礼をお許し下さい」
「な、何しちゃってんの、ワルター! 立って、立って!」
慌てて椅子から飛び降りて、その腕を引っ張って立ち上がらせる。
「お前たちは、僕や国の事を考えて言ってくれただけでしょう? 僕はひとつも気にしていません!」
無視されたのはちょっと寂しかったけど。誤解が解けた今となっては些細な事だ。
本心だと示すために、真剣な顔で両手を広げる。
「いえ。くだらないプライドに凝り固まっていただけだと分かりました。騎士とは剣。剣が主のなさる事に疑念など持ってはいけないのだ、と」
分隊長は今まで見せた事のないひたむきな表情で俺を見つめていた。六歳の護衛対象を見る目つきではない。
俺を値踏みするような。
ルーカスの中にいる『俺』まで見透かすような強い視線。
再び跪いても俺に立ち上がらさられるだけだと思ったのか、ワルターは胸の前に片腕を置いて、深く頭を下げた。
「元より王家に命を捧げし身ですが、これよりは今まで以上に心を込めて御仕えさせていただく所存です」
「それは嬉しいですけど、固い、固いですって、ワルター!」
俺は必死でこの場を和ませたくて、背の高い彼の肩を叩くのは難しいので腰の辺りをバシバシと叩いた。
「今までと同じように、色々教えてくださいよ。僕が間違った時にはちゃんと叱ってください。あまり甘やかさなくていいんです」
突然の事態にワタワタしてしまって考えがまとまらない。
この張りつめた雰囲気をなんとかほぐせないかと思考を巡らすが、この時、俺は少し平静を欠いていたに違いない。
「そうだ、握手です! 仲直りの握手をしましょう!」
いい事を思いついたとばかりに宣言する俺に、騎士団の面々は怪訝そうだった。そりゃそうだろう。この世界、仲直りで握手するなんて風習はない。
「握手ですか?」
「そうです。以前、本で読んだんです。仲直りで握手をする国もあると。さ、ワルター。これからもお願いしますね」
一度言ってしまった言葉を引っ込める事もできず、強引に分隊長の前に手を差し出す。
近づいてきたそれは六歳の俺とは違い、大きくて硬い働く男の手だった。
力強く包まれる。
俺の手を握って、ようやく分隊長はふっと表情を和らげた。
「いやー、正直、胸がスッとしましたぞ。あのデブ……おっと、領主が失脚する日が楽しみでなりませんな!」
「それは大丈夫でしょう。王様も青筋を浮かべてとても喜んでいらしたみたいですからね」
お互いにフフッと笑いあう。
何だか流れで他の人にもしないといけないムードになってしまって、気は乗らないが続いてセインの前に移動する。
「お前の顔は気に食わないですが、その冷静で抜け目ないところは頼りにしています。これからもよろしくお願いしますね」
キラキラ王子は軽く顔を振って、サラッと髪を揺らしながら手を差し出してきた。
「持って生まれたものは仕方がないですが、これからも殿下の期待を裏切らないように頑張ります」
爽やか笑顔でガッシリと俺の手を両手で握ってくださる。握手だって言ってんだろ、握手だって。
お前のそういうところが気に食わないって言ってんだよ、ゴラァ!
それから数人と握手して、もうこれなんの儀式?と、うんざりしかけているところに三馬鹿の順番がやってきた。
俺はやけっぱちでニコニコとアレクの前に立った。
手を伸ばす前に、隣に立っていたユーリが肘でアレクを突いてくる。
「先輩、アレも謝っといた方がいいんじゃないすか?」
「な、なんだよ?」
「アレですよ、アレ。訓練所の」
あぁ、まだ城にいた頃、初めてこいつらと会話した時の話ね。そんなのもう忘れてたけど。
ユーリに耳打ちされてようやく思い出したのか、アレクはあーっと呟いて顔面蒼白になった。
あの頃のアレクってイキってくれちゃってましたもんね。
それを言えばユーリもいたのだが、彼の中では多分、つきあいで隣にいただけみたいになってるんだろう。気にしないにもほどがある。
「あの、殿下、あれはその……」
しどろもどろのアレクを安心させようと笑顔を浮かべる。
「気にしていません。あの頃は知り合いでもなかったですしね。今ではアレクが仕事熱心で真っ直ぐな騎士だと知っています」
褒めたつもりだったのに、三馬鹿たちはブルッと背を震わせて縮み上がった。
「ぜ、絶対怒っていらっしゃる」
「だから、俺はやめましょうって言ったのに」
「俺も」
珍しくルッツまでボソッと喋った。
「いや、言ってねーから! お前ら、絶対言ってないから!」
アレクはブンブンと首を振って味方がいないかと周囲を見回したが、誰も視線を合わせてくれなかった。不憫な子だ。
「もー、気にしてないって言ってるでしょう。僕は嘘はつかないですよ」
「ほ、本当っすか?」
「ほんとのほんとです」
あ、これ前に母様と同じような会話したな、と懐かしく思い出す。
美少女のような母様相手なら何度繰り返してもご褒美なやり取りだったが、男相手だとうざいだけだ。
さっさとアレクたちの手も取って勝手に握手してやった。
アレクは納得しきれないように、それからもしばらく俺の温もりの残る右手を眺めていた。




