第10話 真っ白な賄賂
商業都市リーメイトの領主はひきがえるみたいなデブだった。
これほど分かりやすい悪人はいないぞ。
粗食が常のこの世界で、どうすればそこまで太ることができるのか。逆に感心する。
そう言えばマーナガルムでは強くて精悍な男性がモテるのだが、他国ではふっくらした人が好まれるところもあるとか。
太れるというのは財力があるということだからな。ただ多分、そんな国でも、このひきがえるは行き過ぎだろう。
「これはこれはルーカス殿下。ご足労をかけて申し訳ございません」
お前が呼びつけたんだろう、という内心は顔には出さない。
「退屈してたんで、ちょうど良かったです。母様が来られなくてごめんなさい」
可愛らしくペコリと頭を下げる。
暇だったのはお前のせいだぞ、と暗に言葉に込めるが、ひきがえるが気づいた様子はない。
「妃殿下のお身体が優れないのであれば、もう数日、この街で過ごしてはいかがですかな? 殿下とて、まだ街の見学もされておられないのでしょう? 配下の者に名所を案内させますぞ」
俺たちを気遣う振りをしながら、ひきがえるはジロジロと俺の顔立ちを眺めてくる。気持ちが悪い。
俺の外見から、母様がどれほど美人なのか割り出したいのだろう。
金と女好きとか、どんだけキャラが立ってんだ。
「お心遣い有難うございます。ですが、母も祖父に早く会いたい様子。少しでもいいからおじいさまとの時間を長く過ごさせてあげたいのです」
胸ポケットからハンカチを出してグスッと涙を拭う振りをする。
こう言っておけば、余命少ない母が最期の時を故郷で過ごすために先を急いでいると勝手に受け取って貰えるだろう。
勿論、おじいさまとは長く一緒に過ごさせてあげるつもりだが。
俺の言う長くとは数年単位だ。間違っても数ヶ月とかじゃない。その後は当然、母様も一緒に国に帰るに決まっている。
「それはそれは。できれば儂も力になって差し上げたいが、国に通行証を照合するのに時間がかかっておるのです。面目ない。なにせ前例のない通行証ですからなぁ」
かかったな、カエルめ。
餌もなく簡単に釣り上げられる領主に、内心、呆れ果てる。
「そこをなんとか。リーメイトの領主様はこの国で多方に顔が利くと伺っております。閣下のお力でどうにかなりませんでしょうか?」
胸の前で手を組み、ウルウルと目を潤ませてひきがえるを見上げる。
「ほう、彼の国まで儂の名が……いや、お力にはなりますとも! しかし、各方面に根回しをするにも、何分、懐が心もとない。神童と名高い殿下ならお分かりになりますでしょう?」
どの口がほざくのだというほど、太い指に指輪をジャラジャラとつけた手でひきがえるは自分の胸元を撫で下ろした。
「もちろん、閣下お一人にお手をわずらわせるつもりはありません。あれをここへ」
顔だけ振り返って、視線で分隊長に指示をする。彼は不満がありありと分かる顔で箱を持って進み出た。
脇にいた文官に手渡すと、文官は中身を改めて領主の近くへと進んだ。
「これは?」
「僕は異国の料理を再現するのを趣味にしておりまして。それは我々の料理番が作った、ダックワーズ、と言う珍しい異国のお菓子でございます」
「お菓子……?」
箱に並ぶそれを領主は訝し気に眺めた。
ダックワーズは日本ではそれほどポピュラーでもないが、少しオシャレな女子は知っているメレンゲ菓子だ。
こんな風に小判型をしているものをクッキーのように食べるのは日本くらいなものらしい。
ほろほろとした口どけがなんとも言えない、独特の食感だ。
俺が死んだ後の日本では、マカロンやカヌレの次に流行ったりしてないのだろうか。
砂糖と少量の薄力粉、本当は地球ではアーモンド粉を使うが木の実を砕いた粉に、卵の白身があれば作れるので、この世界でも再現は難しくなかった。
作ったのは俺じゃなくて、マルコだが。
「ささ、どうぞ、お召し上がりください。甘くておいしいですよ」
俺はニコニコとひきがえるにお菓子を勧めるが、彼は渋い顔をしている。思惑が外れたという感じか。
所詮、俺が子供だからこちらの意図を勘づけなかったのかと、苦々し気な顔で箱に手を伸ばす。
ひとつ、ダックワーズを手に取って、おぉ?とひきがえるは首を傾げた。
次々に他のお菓子を半分持ち上げて、その下を眺めている。
「そう……そういう事ですか。いやはや、殿下もお人が悪い」
途端に、ひきがえるは気色満面、ご機嫌になっていた。
「いえいえ。閣下もお好きでしょう、黄金色のお菓子」
「なんとも小憎い趣向ですな。この白い菓子の下に、同じ数の金色の菓子とは」
摘み上げたダックワーズをひとつ、顔の前に掲げてひきがえるは気持ち悪い笑い声を上げた。
越後屋、そなたも悪よのぉ、ってあれを一回、やってみたかっただけなんだよな。
機嫌よくダックワーズを口に含んで、領主は驚きにゴホゴホと思わずむせかえっていた。
「な、なんだこれは、甘い? そして柔らかい。噛まずとも口で溶けて……なんとも言えない味だ」
次々に箱に手を伸ばして、全部なくなってしまいそうな勢いだな。
「そんなにお気に召していただけたのでしたら、料理番にレシピをお教えしますよ」
「それは重ね重ね、お気遣いいただき有難い!」
嬉し気に領主は気持ち悪い相好をクシャリと崩した。
せいぜい甘いものばっかり食べ過ぎて動脈硬化でも起こしてくれ。
経験者が言ってるんだから、あそこまで太っていたら、ありえない未来でもないと思うぞ。
どんな薬草でも使い方次第では毒にもなるように、美味しい砂糖だって取り過ぎれば身体に毒だ。
俺は久しぶりに前世の最後の記憶を思い出して、嫌な気持ちになった。
あえて考えてないようにしていたが、何年経っても前世で死んだ時のあの痛みは忘れられそうにない。
この世界で俺は絶対にああはならない。運動もするし、食べるものにも気を使う。
決意も新たに領主の館を辞した俺は、不機嫌な騎士たちに囲まれて宿に帰った。
何か文句あれば言えばいいじゃないかと思うが、無言とか性格が悪い。
宿に帰ると、母や侍女たちの護衛にあたっていたセインたちに迎えられる。
「どうなりました?」
「一両日中に通行の許可は下りるでしょう。出立の用意をしておいてください」
俺に指示をされて侍女たちは慌ただしく旅立ちの準備を始めた。馬丁たちにも伝えに行っている。
「どうしても払わなきゃいけなかったんですかー?」
唯一、空気を読まない、いや、最初から読むつもりのないユーリが話かけてくれるが、その表情も芳しくない。
「男が一度決まったことにガタガタと文句を言わないでください」
俺は不機嫌に腕を組んで、ユーリだけじゃなく、全員に聞こえるように言い放った。誰が嬉しくて、あんなデブと謁見して金を渡したいもんか。
(しかし国民たちの血税があんな奴の懐に入るのは気に入らないですね。ふふ。どうやって仕返ししてやりましょーか)
口の中でブツブツと呟く。
顔に影を落として薄暗く笑う俺に何かを察したのか、騎士団たちはガタガタと剣の手入れをしたり、旅支度を始めたりして、なぜか俺に近寄ろうとしなかった。




