第6話 諍い
アレクが俺に何か答えようとする前に、怒気をはらんだ声が耳をついた。
「アレクセイ! お前がついていながら何の騒ぎだ!」
分隊長ではない、セインだ。
セインは俺には見向きもせず、アレクだけを睨みつけて馬で近寄って来る。
アレクはすかさず馬上で背をピンと伸ばし、きっちり四十五度の角度に頭を下げた。
言い訳はしない。言い澱んだりもしない。
「申し訳ありません、副隊長殿ォッ!」
こいつら同い年で友人のはずだが、仕事中はずっとこんな態度だ。
縦割り社会って怖いなー、と思う。
「セイン、すみません。僕が勝手に走り出したんです」
手を伸ばして取りなそうとするが、セインは俺の事など歯牙にもかけなかった。
「殿下はまだお小さいのだ! お前がつられてどうする!」
俺は無視して、頭ごなしにアレクを怒鳴り続ける。
アレクは顔も上げず、ずっと謝っていた。
「仰る通りです、申し訳ございませんッ!」
「他国を通っていると言う緊張感が足りないのではないか!? 後で罰として……」
それ以上、聞いていられず、俺はルナの手綱を繰ってセインとアレクの間に割り込んだ。
「セイン! 僕が勝手にしたと言ったでしょう! このことでアレクを罰するのは許しません!」
俺からの強い叱責に、歩みは止めないながらも騎士団の他の面々は怪訝そうにこちらの様子を眺めていた。
「ですが……」
なおも険しい顔で言い募ろうとするセインに負けないよう、目に力を込めて睨み返す。
「罰するなら僕を罰しなさい! どうせ騎士団の罰なんて例のアレでしょ。腕立て百回ですか、腹筋ですか! やってやりますよ!!」
俺の宣言に二人は困ったように顔を見合わせた。
「殿下が、ですか……?」
失礼な。
まぁ、体力に自信がないのはごもっともだが。
「もし良ければ、一日十回で、十日の分割にしていただければ有難いですね」
俺が言った途端、ハッハッハっと軽快な笑い声が前から聞こえてきた。
見ると、ようやく分隊長が近寄って来るところだった。
この人は、この旅の責任者のワルターさん。三十代半ばの、がっしりとした身体つきのおっさんだ。
「お前らの負けだ。アレクセイ、列に戻れ。セインは殿下の後ろに」
顎で指示されて、アレクはハ!と短く頷くと、馬を駆って分隊長の抜けた穴を補った。
ワルター分隊長は俺たちと同行している騎士団の中で唯一の三十代。若い者に負けず今でも胸板が厚く、筋骨隆々だ。
指示には従いつつも、セインは不服そうだ。
「お咎めなしでは他の団員に示しがつきません」
「本人がやると仰っているんだから、やっていただこうじゃないか。殿下? 本当に十日の分割でよろしいのですかな?」
急に話を振られて、俺は慌てて頷く。
「あ、はい。十回なら多分できます」
コクコクと頷く俺を分隊長は値踏みするようにジロリと睨みつけた。
「いずれは百回程度、軽くこなしていただきますぞ」
「……善処します」
さすが他国に派遣される部隊の隊長に選ばれるだけあって、穏やかそうな顔つきに見えていたが、一筋縄ではいかなそうだ。
「分隊長殿……」
ワルター分隊長は笑いながら、なおも異存がありそうなセインの肩をバシッと一発、叩いた。
「ハッハ! お前ら、寄り集まって殿下を鍛える相談をしていたんだろ? ちょうどいいじゃないか」
あぁ、あれはアレクの独断じゃなかったわけね。
言われてみれば、アレクはお馬鹿というか気が回らないところがあるから、一人で発案できたとは思えない。
そうか、セインに吹き込まれたのか。
「お気遣い有難うございます?」
振り向いて伝えると、セインはバツが悪そうに口をへの字に曲げていた。
いつも容量良く涼しげな顔しか見た事なかったので新鮮だ。
口にはしないが、どうしてバラすんだと言うように苦虫を潰したような顔で分隊長を睨みつけている。
対する分隊長はそんなセインの態度は気にも止めず笑っていた。
「殿下、こいつがアレクを叱りつけたのを責めないで下さい。こいつ、俺より先に怒ることでアレクを庇ったんですよ」
「分隊長殿、そのようなことは……!」
慌ててセインが口を挟もうとしたが、いい、とばかりに分隊長は片手を上げて制す。
え? そうなの? セイン、お前、めっちゃいい奴じゃん。
分隊長に怒られたらもっと重い罰になるから、先にセインがきつく叱ることによってそれ以上、強く言えないようにしようとしてたってわけだな。
日本でも営業テクニックとかであるよな。
ミスをした若手を客の前でわざと上司が叱責することによって、反対にお客さんの方が、そこまで言わなくていいじゃないですかとか庇いたくなるやつ。
俺の会社にはそんないい上司はいなかったけどな。あいつらは怒りたいから怒ってただけだ。
「そのような意図はありません」
憮然として、なおもセインは呟いているが、その声は少し弱い。
「何も咎めようってんじゃない。お前らの事をもう少し、殿下に知っておいて貰った方がいいと思っただけだ」
意味ありげに分隊長が俺に視線を流す。
以前、エラムが俺を、人の心の機微に疎いと評した事があった。
本当だな。俺は鈍チンで、物事の表面しか見ていない。
誰もが色々な思いを抱えて、色んな思惑の中で生きているんだ。
誰かに見せる顔なんて、その人のたった一部。
俺はこいつらの別の顔をもっと知りたくなってきていた。何だか難しい課題にぶち当たった時みたいにワクワクしてくる。
「お手間を取らせてすみません」
「なーに、いいってことですよ。南の方にも旨い酒はあるでしょうしな」
つまり、差し入れすればいいってことですね。
りょーかい、とばかりに片手を上げとく。
こいつも食えないおっさんだな。
「ちなみに分隊長だったら、どんな罰だったんですか?」
「そーですな。腕立て、腹筋、スクワット計百回ずつと、晩飯抜き、一晩寝ずの番くらいで勘弁してやりますかな」
顎を触りつつ、分隊長が思案しながら答えた。
げっ、たったあれだけ騒いだくらいで?
タラタラと背中を冷汗が流れ出す。
ごめん、アレク。もしそーなってたら、俺には肩代わりできなかったわ。
顔に引き攣った笑いを浮かべる事しかできない。
「もし、もしもですよ……騎士団の方が後方で話したりして道草食ってたら……どうなるんですか?」
「そんな腑抜けは我が隊にはいないと思いますけどね」
不吉さを感じさせる声で、分隊長はそこで言葉を区切った。
夏の陽光の下だと言うのに、両眼がギラリと冷たく光る。
「斬ります」
一刀両断。
視線を向けられただけで、身も凍るような気配が後方へと吹き抜けていく。
俺はギュッと手綱を握りしめて、ルナのたてがみの一部を見つめ続けた。
カタカタと小さく歯が鳴る。
「イ、イゴキヲツケマス……」
あまりの恐怖に片言になってしまったぜ。
「お分かりいただけて何よりです」
分隊長はすぐに雰囲気を元に戻して、強面の顔にニッコリと笑みを浮かべた。
うわー、俺、この人の事、なんで穏やかそうだと思ってたんだろう。騎士団の中では比較的、柔和な人に見えてたんだが。
軍人なんて魔物ばっかりだわ。
まだ隣にいたオレイン先生にヒソヒソと話しかける。
「オレイン先生、これからはちゃんと気をつけましょうね」
「残念ですね~。まだまだ珍しい植物がいっぱい見られたはずなんですが~」
「今度からは前で見ましょう。それなら遅れる事はないです」
「さすが殿下です。ナイスアイデアですね~」
小声とは言え、俺たちのアホな会話が聞こえなかったわけもないと思うが、側を行く騎士二人は聞かなかった事にして素知らぬ振りをしてくれた。
大人だね。
そろそろ前方の様子を見に行くつもりなのか、ワルターは自馬の手綱を手に取った。
セインの横に並び、もう一度、肩をポンと叩く。
「いい主じゃねーか。お前らも、もっと殿下の事を知れ」
そう言って分隊長は、手をヒラヒラと振りながら前方へ戻って行った。




