第5話 アレクセイと言う男
平地に入ってからは植物の植生も様変わりしている。
「ルーカス殿下、あれが自生しているバレリアンですよ~」
「あぁ、やっぱり日陰とか湿った場所に生えるんですね」
「そうですね~、日向は苦手なので、こんな道の近くで見られることはあまりないですけどね~」
「この辺りの水はけとかを調べてみたいですね」
馬に乗った俺とオレイン先生は道端に生えている薬草を眺めていた。話に夢中で、一行より少し遅れつつある。
この辺りでは、寒冷なマーナガルムでは育てる事が難しい植物が豊富だった。
しかも季節は夏。
草花は森に道に、至るところで緑を謳歌している。
一般人からしたらただの草も、俺たちにとっては宝の山だ。
馬車の中から薬草を何種類、言い当てられるか遊んだりもしたが、そう言えばこの人、もう一柱、草花の神アーレイディアの加護も受けているんだよな。
オレイン先生はとても珍しく、二神の加護を受けている神子なのだ。
そんな人に薬草談義で敵うわけがない。
しばらくして俺たちは馬車を降りた。馬で森に近づいて薬草を探すためだ。
採取まではしないが、もっと間近でしっかり眺めたくなったのだ。
本来なら先生には母を見張っておいて欲しかったが、それを伝えると先生は苦笑しきりだった。
「本当にルーカス殿下は心配性ですね~。そんな、ちょっと目を離したくらいで何も起こりませんよ~」
「本当ですかー?」
「殿下は僕を見くびりすぎじゃないですかね~? こう見えて、もう八年以上も妃殿下の主治医をしてるんですよっ」
腰に手を当てて諭されて、それならと一緒に馬車を降りた。
先生もずっと馬車の中では気が滅入るだろうしな。
それに俺もエラムほどじゃないが、この世界に来てから知識欲が旺盛で、目の前で教えて貰える誘惑に勝てなかったのだ。
旅の間はする事がない。
授業もないし、ランニングもできない。
旅疲れはあるが、こんなにのんびり過ごすのは初めてじゃないだろうか。
森林浴とばかりに森の風を浴びて、大きく伸びをする。
うろちょろする俺たちに業を煮やしたのか、護衛の騎士団から一人、馬の首を返してカツカツと近づいて来る奴がいた。
こいつは城で俺によく突っかかってきた例の三馬鹿の先頭にいた奴だな。
アレクセイ・ルフス・バロッズ。通称アレク。
城にいた頃は率先して俺を笑い者にしてくれた一人だ。
今は分隊長や母の目があるからか、表面上は丁寧だが。
こいつは単純だからセインより操りやすい。
アレクも金髪碧眼だがセインと違ってキラキラしていない。髪は藁みたいな黄色い感じの色だ。短く頭部だけ残していて、あとは全部刈り上げている。
容貌が悪いわけではないが、少し細長くてひょうきんな顔立ちをしている。
「ルーカス殿下、オレイン様、あまり隊列から外れないでいただきたい!」
アレクは俺たちの前に馬を寄せて、苛ついた様子で伝えてきた。
そもそも騎士団の奴らだってこんな任務、自ら志願したわけではないだろう。
俺自身はそのつもりはないが、俺は彼らが主といただくアルトゥールの政敵で。
何年、国に帰れないかも知れず。
表面上は友好的かも知れないが、気を抜けない他国を進む旅。
母の体調を気遣って馬車は遅々として先に進まない。
まだ二十歳前の彼らが、そんな状態で苛立たないわけがない。
「すみません。まだ馬車が見えているから大丈夫と思って」
「こちらの気苦労も知らずのうのうと……」
「あれ~? 何か言いました?」
「何でもございませんっ」
フンっと鼻息も荒くアレクは馬に前を向かせると、さりげなく俺とオレイン先生を警護しやすい後方に位置した。
おおー、騎士の鑑だね。
いけ好かない王族相手でも仕事の手は抜かないんだな。ちょっと見直した。
「さすがの僕でもこの距離ならすぐに追いつけましたよ」
「それは……」
馬車を指さして言うと、アレクは少し思案するように言い澱んだ。何か言いたいことがあるのか、俺と馬を眺めながら渋い顔をしている。
やがて、心を決めた様子でアレクは口を開いた。
「ルーカス殿下は乗馬があまり得手ではないと伺いましたが、実際はどうなのですか?」
「苦手ですよ。ていうか僕は身体を動かすことは全般苦手ですね。今もこの子に乗せて貰ってるようなものですよ。ねー、ルナ?」
別に隠すようなことでもないので聞かれたことに答えながら俺は愛馬のたてがみをサスサスと撫でた。
あまりにもでかい軍馬だらけのマーナガルムで、比較的細く、気性も穏やかな栗毛の牝馬だ。
俺はこの子に地球で月を意味するルナと名付けていた。
額の真ん中に三日月みたいな白い毛が生えているからだ。
マーナガルムでは聞いたことがない異国風の名前を訝しる人もいたが、本の虫と思われている俺のことだ。どこか他国の名前をつけたんだろうくらいに受け止められていた。
「剣の腕はどうですか。あれから少しは上達なされましたか」
なんだか今日のアレクはやけに突っかかってくるなぁと思う。
いつもは遠巻きに俺を眺めてヒソヒソ言っているだけなのに。そんなに俺をバカにしたいんだろうか?
「いやぁ、ヒューゴ先生には才能ないって太鼓判押されちゃってますしね。訓練も途中になってしまったから何とも」
後ろ頭を掻きながら、誤魔化すようにハハハと笑う。
俺はひとつのことに集中する能力はあるけど、一度に色々なことはできないんです。
フェイントなんかかけられた日には、首も胴体も簡単に真っ二つにされる自信があるぜ。
俺の答えを聞いたアレクは手綱を握った拳をワナワナと震わせた。
そんなに自国の王子が運動音痴なのが気に食わないのかなー。
まぁ、騎士たちは体育会系だしな。
そんな事を考えていると、顔を上げたアレクは俺をキッと睨みつけて言い放った。
「それでは訓練を続けないと!」
「は?」
あまりに真剣な顔で言われたので、何を言われたか分からず聞き返してしまう。
「貴方と妃殿下に何かあっては、国に顔向けができないのだ。襲撃があれば我らはご自身で逃げることが難しい妃殿下を中心に守る。だから貴方には万一の時は、我々が駆けつけるまでご自分で身を守れるほどの腕はつけて貰わねば!」
正論だ。
俺は目を見開いてアレクを見返した。
なんだか嬉しくなってきてくしゃりと顔を崩す。
だから、俺はマーナガルムの人が好きだよ。
仕事に真剣で、猪突猛進で、言わなければいけないことがあれば王族にだろうが歯に衣着せない。
単純で、単細胞で、純真で
他国に狼の国とバカにされても、それがなんだと笑っている。
俺たちは大狼神の国の者だと胸を張って。
そんな、逞しくもお人好しな北の山岳に住む人々。
俺の方が知識があると思って。
なまじ前世の記憶があるから、二十歳前のガキだガキだと思って、彼らのことを馬鹿にしていたのは俺の方だったんじゃないのか。
俺が壁を作ってしまっていたんだ。
「なっ……なにを笑っておられるのだ、ちゃんと聞いておられるのか!」
「聞いてますよ。僕はなんだかアレクセイのことが好きになってきました」
顔いっぱいにニコニコと笑うと、アレクは口をパクパクさせて耳まで顔を真っ赤にさせた。
「なっ、なっ、なっ、何を言っておられるのだ!」
「え? 僕のことを心配して言ってくれたんですよね?」
「そうではない! いや、そう、そうでないわけでもないが、我らの仕事に支障があるという話を……」
「嬉しいです。ずっと騎士団の皆さんと訓練したいと思っていたんです」
口に出したら、それが嘘でないと自分でもやっと腑に落ちた。
俺はずっと羨ましかった。
アルトゥールと一緒にいる騎士団が。
アルトゥールが受け入れて貰えている騎士団が。
同じ国に生まれたのに俺はそこに混ざれないのか、と。
同じ父の子に生まれたのに俺だけ剣の才能はないと言われてハブにされ続けるのかと。
妬むあまりに自分から理由をつけて彼らを遠ざけていたんだ。
「ル、ルーカス殿下?」
「あれ?」
ポロリと瞳から涙が零れ落ちる。
おかしいな。
こんなつもりじゃ。
「目にゴミでも入っちゃったんでしょうか」
慌てて服の袖でゴシゴシと目を拭う。
俺たちのやり取りを近くて微笑みながら見守っていたオレイン先生が横目で、嘘ですよね、と言うように優しく微笑んだ。
城での俺の六年間は狭い世界に留まっていた。
同年代の遊び相手はおらず、大人たちは畏怖の目で俺に接してくる。
たった一人、遊んでくれたアルトゥールに傾倒するはずだ。
俺はこんなに……こんなにも淋しかったんだ。
やっと自分の心理状態を理解して、反対に俺の心は晴れやかだった。気持ちいい夏の風が俺の前後を吹き抜けていく。
「今日からよろしくお願いしますね」
アレクに向かって馬上から深々と頭を下げると、思ってもいなかった展開に彼は慌てた。
イレギュラーに弱い。
「えっ、今日からですか!?」
「ヒューゴ先生の教えそのイチです」
俺はウィンクするように片目を閉じて、人差し指を立てて見せた。
「敵は明日まで待ってくれない。だから今すぐ始めます。では、乗馬からですね。先に馬車に並んだ方が勝ちですよ!」
「え、あ、ちょ、ずる……」
笑い声を上げてルナの手綱を打つ俺に、アレクは一足遅れて腰を浮かせて足で馬の腹を蹴った
つられてオレイン先生も後をついてくる。
疾走する三頭の馬はしかし、俺たちが先行したはずなのに、すぐにアレクに追いつかれてしまう。
姿勢かなー、姿勢がいけないのかな。
ヒューゴ先生なら、またそうやって考えてるからだって言いそうだな。
「ルーカス殿下ー? ちょっと卑怯じゃないですかね!」
「アハハハハ!」
「笑っても誤魔化されませんよ!」
俺たちが全力で戻って来たものだから騎士団の面々は一瞬、何事かと身構えて振り返った。
しかし、俺があほみたいに笑っているのを見て緊張を解いたようだ。
「あー、負けちゃいました。残念」
結局、アレクに追い抜かされてしまい、彼は渋い顔で俺を振り返った。
馬車に近づいてきたので、緩やかに速度を落として、馬を歩かせる。




