第35話 パパと謁見してみた
うぉー、謁見の間だ。
俺は先導の家臣に連れられて扉の前に立って、落ち着きなく辺りをキョロキョロと伺っていた。
今まで謁見の間に入った事なんて数回しかない。
それも全て王族サイドに立っていただけなので、拝謁の扉……家臣側から入るのは初めてだ。
俺、こんなところで叱られるの?
近衛兵に扉を開けられて中に進むと、一段高くなっている玉座に父、脇に見知った数人の文官が控えていた。
玉座の後ろには赤地に二匹の灰色狼の顔をかたどった、マーナガルムの国旗。
石造りの大きな玉座は父の堂々とした体躯で埋められていて、こうして見ると本当の王様みたいでカッコいい。
まぁ、王様なんだけど。
近衛兵たちは扉を閉めると部屋の隅に控えた。
俺は緊張でゴクリと唾を飲み込んだ。
マナーの先生に習った通りに、片膝をついて頭を下げる。
「ルーカス・アエリウス・エル・シアーズ、お呼びに従い、王の御前に参じました」
フルネーム名乗るのも久しぶりだな。
頭を垂れて待っていると、父はヒラヒラと手を振ったようだった。
「あ~、そんなに畏まらなくていい。ちょっと記録を取るためにこっちに呼んだだけだ。いつも通りでいい」
あらら。せっかく上手に決めたのに。
立ち上がって顔を見上げると、父は口の端を上げた。
「っていうかお前、やってみたかっただけだろ?」
ハハ。ばれてーら。
しかしあの父もこうして玉座に座っているとイメージが異なるな。
父と改まって話したことがないので、どんな口調で接したらいいか分からない。
いつも通りでいいって言ってんだから、いいのか。
「それで何の用ですか、父様?」
「お前、切り替え早いねー」
父は呆れたように嘆息したが、どうやら話し方は本当にいつも通りで良かったようだ。
向こうも普段と同じくざっくばらんな感じで話してくる。
「お前がうろちょろ嗅ぎ回ってた件だよ。知りたかったんだろ?」
お。その件か。関わらせてくれるとは思わなかった。
アルトゥールとの兼ね合いがあるからか、子供らしくいて貰いたいからか、父は国の政から俺を巧妙に遠ざけていた。
する事がないから、勉学、訓練、鍛錬の日々なのだ。
親の願い通りに遊べばいいじゃんと思うだろうが……ハハハ。いつのまにか知らない間にこんな毎日になっていた。
ほんとに、なんで俺はこんなに考えなしなんだろーな。
自分で考えて落ち込んでいる俺に構わず、話は進んでいく。
「ソフィアを里帰りさせる話が進んでいる」
「え? 離婚ですか?」
「なんでだよ、馬鹿! 離縁なんてしねーよ!!」
思ってもみなかった話に驚いて聞き返してしまったが、そうですよね。こないだも俺の前でイチャイチャしてましたもんね。
「なんでそう曲解するのかなー。言葉通りに受け取れよ。里帰りだよ、里帰り」
父は玉座の持ち手をバシバシと叩いて言った。
「えー、でも、シアーズ公国って遠いですよね」
「ま、そりゃそーだが、ウチより気候がいいだろ?」
そういうことか。療養か。
あー、家庭の危機かと思ってびっくりした。
各国の使者には途中を通過する許可を取ってたってわけだな。
ひとまずホッと胸を撫で下ろすが、この話には一つ問題点がある。
母の体調だ。
シアーズ公国に到着しさえすれば、それから後は確かにマーナガルムにいるより過ごしやすいだろう。
だが、この世界には飛行機も新幹線も車もないのだ。どうやって移動させるつもりなのか。
「そこまで母様の体調が持つんですか?」
シアーズ公国まで、馬で駆け通しても二週間と少し。普通の旅人なら三週間くらいだろうか。
母ソフィアは馬など持っての他。今の体調では馬車も厳しいくらいだろう。
端的に聞くと、話が早いとばかりに父は頷いた。
「それでお前を呼んだんだ。こっちで解決したかったが情けない事にお手上げでな。ルーカス、お前、揺れない馬車は作れるか?」
揺れない馬車か。
技術的には作れない事もないだろう。馬車の構造なんて知らないが、車なら少しは分かる。
車は馬車から発展したんだ。反対に応用もできるだろう。
アスファルトで舗装された道路がない以上、あくまで揺れづらい馬車になってしまうだろうが。
それを考慮しても、俺には母を移動させるメリットは少ないように感じる。
「僕は反対です。寒さが問題なら、他にも色々アイデアはあります。許可をいただければ次の冬までには廊下も暖かくします」
「ルーカス、お前の考案した装置は素晴らしい。国民も皆、恩恵を受けている。そのことは踏まえた上での質問だ」
俺の計画が行き詰っているのはエラムにも相談してるから把握済みか。
それでも、まだ冬までは時間がある。
一足飛びに遠い国に療養に行くという話題が出てくる意味が分からない。
「なぜなんです? なぜ、わざわざ危険をおかしてまで遠い国に?」
返答次第では、俺は馬車なんて作らない。そういう気持ちを込めて、キッと父を見上げる。
しばらく沈黙が漂った。
父は言いづらそうに眉を寄せていたが、やがて深い溜め息とともに言葉を吐き出した。
「マーナガルムでは、ソフィアは次の冬を越えられない」
濃い悲しみに彩られた低い声。
父は俺から目を逸らさず、言い切った。
俺は信じたくなくて、駄々をこねる子供みたいに声を張り上げる。
「信じられません! 最近は体調も戻って、元気そうで……」
「オレインの見立てだ。心臓の光が濁り過ぎているそうだ」
「信じません! 誰か……誰か他の医師に……!」
「ルーカス! お前もオレイン以上の医者はいないと知っているだろう!」
俺の声につられるように父も大声を上げる。俺の思いつくようなこと、父様は幾度も幾度も考えたに違いない。
確かにそうだ。
神の祝福を受けし神子。
そんなオレイン医師の診断を覆せるのは、もはや神そのものしかいないだろう。それはつまり、そういうことなのだ。
「信じたくありません……」
俺の呟きは広間に消えた。
半べそを浮かべる俺に、父は身を乗り出して手で制した。
「待て待て待て。早合点するのはお前の悪い癖だぞ。そうならないように、皆で考えているんだろう?」
本当に?
服の袖で目尻を拭いながら見上げると、父だけでなく側に控える文官たちも力強く頷いた。
俺たちのために、たくさんの人が関わってくれている。
それだけで、もし未来が変わらないのだとしても、心が前向きになってくるのを感じた。
「暖かい地方で療養すればそれほど心臓に負担はかからない。十分、延命は可能だとオレインは考えているようだ。それから先は……お前ら、二人して実験を繰り返してるんだろ? 時間との勝負だな」
刻々と落ちる、母様の命の砂時計。
俺たちはそれをひっくり返したくて堪らない。
時間。そう、時間だけが問題だ。
薬草の品種改良に、より良い薬効成分の抽出。最悪、手術や輸血をオレイン先生に伝えることも視野に入れておいた方がいいのかも知れない。
オーバーテクノロジーとか構うもんか。
使える知識を使っていかなくてどうする。
「それにこれはソフィアの願いでもある。行くも留まるも厳しいなら、より可能性のある方に賭けたい、と」
ぽわぽわしているように見えて、意外と芯の強い母様らしい。あの人が弱音を吐いたり、泣いたりするところなんて一度も見たことがない。
「ソフィアは言っていたよ。ルーカス、お前と一緒に生きたい、と」
それが母の望みなら、行くしかないじゃないか。
きっと母様の故郷は俺の第二の故郷になるだろう。
「僕も行くんですね」
「あぁ」
「父様は?」
「雪が深くなる前には一度、訪れたいと思って調整している」
「おじいさまに初めて会えますね」
「あのじじぃのことはいいんだよ」
父がチッと舌打ちをしている。おじいちゃんと一体、何があったんだ。少し興味はあったが笑うに留めておく。
視線で示されて、もう一度、父の前に緩やかに片膝をつく。
「ルーカス・アエリウス・エル・シアーズ。これは王命だ。涼しくなる前に……できれば秋前までに馬車を作り上げろ」
「謹んで王命を承ります」
首を垂れる俺の前に、文官の一人が進み出て、巻物を広げた。
「ついてはルーカス殿下に当面の研究費用として国の予算から銀貨百枚を与えるものとする」
もう一人が横から袋を持って現れたので、両手を伸ばして受け取る。
六歳の身体には、硬貨が入った袋はずっしりと重かった。
書記官が俺たちのやり取りを紙に書き留めている。
そして俺と父は顔を見合わせていたずらっぽく笑いあった。




