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第33話 転機

 

 その日も俺は朝から、雪かきとは名ばかりに外で兵士たちと遊んでいた。

 俺の作る雪像は精巧で本物のようだと、兵士たちに人気だ。

 ぜひ雪ではなく粘土で制作してくれとか、この間の女の子はもう作ってくれないのかとか言われたりしている。


 運動神経はからきしな俺だが、妙なところに才能があったようだ。

 ただ、さすがにフィギュアは広めたくないんだよなぁ。

 せいぜい、動物とか可愛いモチーフ止まりにしておきたい。


 ちなみに冬は広場で運動はできないが、屋内訓練所があるので剣の稽古は続いている。

 走り込みは塔の階段を上れとか無茶ぶりされて仕方なしにやっている。学校の階段で練習する、雨の日の運動部のノリだな。


 雪かきは腕力を鍛えられるってんで推奨されている。

 乗馬も残念ながら雪上訓練があるので、冬も続行中だ。あまりないとは言え冬に戦が皆無というわけではないのだ。北国の人は本当に逞しいな。


「ほら、できましたよ」


 昨日から作って固めていた雪像の細部を整えてお披露目する。さながら周囲は小さな札幌雪祭りだ。


「ほー、狼ですな」

「これもお上手だ」

「シンプルに作られてるのに、ちゃんと狼だと分かるのが凄いですね」


 雪かきの手を止めて、兵士たちが称賛してくれる。

 この世界、デフォルメって考え方がないからな。

 雪ウサギを作って持っていったら、母様なんか感激して、溶けないようにって窓の外にたくさん並べてるぞ。


 さて、エラムが来る前に雪かきでかいた汗を拭いた方が……。

 と思っていると、廊下をバタバタと走っていく人たちが見えた。


「ん?」


 オレイン先生と、助手たち?

 その向かう先は、俺たちの住む東棟。


 血の気がザーッと引いていく。

 彼らが血相を変えて治療に向かう人物なんて、この城には一人しかいない。


「母様!」


 道具を放り出して駆け出す。

 どこをどう通って母の部屋の前に辿り着いたのか覚えていない。

 しかし部屋に向かう廊下は近衛兵に固められていて、俺は頑としてそこを通して貰えなかった。


「どなたも通すなと言われております」

「僕はいいでしょう!!」

「ルーカス殿下は特にと言いつかっておりますので」


 誰も部屋から出てこないので、状況が分からずイライラする。

 ローズも最初は気が動転していたようだったが、俺があまりにも取り乱しているからか反対に少し落ち着いてきたようだ。


「ルーカス様、お部屋で待たれた方が……」

「なんでだよ、ローズ! 僕は母様の側に行きたい!」


 肩にかけられそうになった手を振り払って地団駄を踏むが、ローズは辛抱強く何度も俺を宥めた。


「ここで騒ぐとソフィア様のお身体にさわります」


 静かに諭されて、俺は力なく肩を落とした。


「こんなに雪まみれで。濡れたままですとルーカス様の方がお風邪を召されますわ。ソフィア様が心配なさいますよ」


 母の名を出されると反論もできない。

 俺はローズに連れられてトボトボと部屋に戻り、言われるがままに服を脱いで身体を拭いて貰った。

 自分が何をしているのか、半分、頭に靄がかかったようでよく分からない。

 心配でジリジリと身が焦がれるようなのに、時間はちっとも過ぎていかなかった。


 結局、その日は何の報告もないまま夜を迎えた。

 次の日、俺は生まれて初めてエラムの授業をサボった。サボったというか、追い出されたのだ。


「殿下、殿下! 聞いていらっしゃるのですかな!?」


 バンバンとエラムが本の表紙を叩いて注意を引くが、俺は、えぇとか、はぁとか生返事だ。

 正直、何を言われているのか良く理解していなかった。

 一晩中、ほとんど寝ていないものだから、気を抜くとコクッと船を漕ぎそうになる。


「もう今日はよろしい! 殿下は部屋で休まれてはいかがかな?」


 途中でキレたエラムに追い出されてしまった。

 エラムはエラムなりに気をつかってくれた……んだと思いたい。

 困ったな。勉強でもしてた方が気が紛れてたんだけど。


 他にやることもなく、所在なげに母様の部屋の近くをウロウロと歩く。

 いつまでも時間が経たないように感じたが、その日も普通に昼が来て、夜が来た。


 父の使いが迎えに来てくれたのはその翌日だった。

 あまり通されたことのない、父の自室に入室を許可される。

 父は扉の前まで出迎えてくれた。


「待たせてすまなかったな、ルーカス」


 顔を上げるのが怖かった。

 父の顔が絶望に染まっていたらと思って。

 聞きたくない言葉が聞こえてくるんじゃないかと思って。


 でも、父の声に疲れは滲んでいたが、暗くはなくて。

 恐る恐る半泣きの顔を上げる。


「と、父様ぁ……」

「よしよし、大丈夫だよ。母様は大丈夫だ」


 両手を広げて父は俺を抱き上げ、頬ずりをした。その腕の中は暖かくて安心する。やっぱりこの人は俺の親なんだなと感じた。

 前世の俺から見たら同年代の親なんて若すぎるにも程があるが、ルーカスにとっては確かにこの人が父親なんだ。


「オレインたちの処置が早かったので、大事には至らず、今は快方に向かっているとのことだ。すぐには無理だが、その内、面会もできるので安心しなさい」


 父の言葉に、良かったと、ホッと溜め息をつく。

 今は、と言われたのが何だか怖かったが、終わったことを蒸し返さなくてもいいだろう。大丈夫なら、それでいい。


「前の日までは具合が悪そうに見えなかったのに、急でびっくりしました」

「そうだな。ルーカスのおかげで部屋も暖かくなって、最近は体調も良かったのにな。なんでも、侍女の話では廊下に出た途端に急に倒れたらしい」


 母が倒れた時の状況を初めて聞いて、俺は冷や水を浴びせられたように衝撃を受けた。

 ヒートショックだ。

 日本では新聞やウェブ記事で、冬にさんざん注意されてたじゃないか!!


 暖かい部屋から冷たい場所へ、温度差が大きいところへ移動すると起こり得るのは分かっていていいはずだった。

 高齢者に多い現象とは言え、母は心臓が悪いんだから俺が十分に気をつけなきゃいけなかったんじゃないのか!


「僕の……僕のせいです……」


 ワナワナと腕や足が震える。

 父は合点がいかない様子で態度が急変した俺を見つめていた。


「ルーカスは関係ないだろう? むしろ、お前のおかげでソフィアは……」

「僕なら分かってたはずなんですよ! いや、分かっていないといけなかったんだ!!」


 頭を抱えて喚く。

 腕の中で暴れる俺を、父は必死で抱き留めた。


「落ち着きなさい。お前はまだ小さいんだから、こんなことが起きるなんて分かったはずがないじゃないか」


 ルーカスならそうかも知れない。

 でも、『俺』は違う。

 俺は知識を持っていた。

 その知識を一番大事な人に活かせなかったなんて。


 俺はあんたとほとんど同い年だ。なんならこの世界の年齢も足したら年上なんだと、全てをぶちまけたくなる。

 ついさっきまで身体の年齢に引きずられて精神が幼くなっていたのに、急に前世の記憶が鮮明になったり、目まぐるしくて頭がクラクラする。


「僕……僕は……」


 頭を抱えて呻く俺を、父は辛抱強く宥め続けた。


「夜もほとんど寝ていないと聞いたぞ。お前は疲れているんだ。ちょっと休みなさい」


 父は赤ん坊にするように、軽く部屋の中を歩き回りながらポンポンッと俺の背中を叩き続けた。

 安心して眠たくなってくる。

 頭が朦朧とする。


 その中に遠く忘れていた記憶が蘇ってきた。俺ではなくルーカスの……ルーカスだけの大事な記憶。


「とう、さま……むかし、こもりうたをうたってくれましたね……」


 半ば、夢の中で呟く。


「そんなことも覚えているのか。凄いな。お前が喋り始める前の事だぞ」


 きっともう、ずっと忘れないよ。

 父様の肩に頭を預けておねだりする。


「もういちど、うたって」


 少しの沈黙の後、父は渋々と口を開いた。


「いいけど、笑うなよ」


 笑わないよ。


「それと、誰にも言うなよ」


 それはどうかな。多分ね。

 答える言葉が声になったか怪しかった。

 調子っぱずれの低い音がやけくそのように部屋に響く。


 笑わないと約束したのに、俺はそれを聞きながらニヤニヤと顔に笑いを浮かべていたらしい。後で父から恨みがましく文句を言われた。



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