第28話 お見舞い 前編
翌日。俺はすっかり具合も良くなって颯爽と起き上がった。
昨日の熱は、やっぱりただの知恵熱だったんだろうと思う。
「もう治りましたってば」
「それを判断するのは殿下ではなく先生です。大人しく布団にお入りになってください」
しかし、もう大丈夫と言ってもローズは頑として許してくれず、今日は一日、ベッドで過ごすことになった。
汗で濡れた寝間着を着替えさせて貰って、むくれて布団の中に戻る。
エラムが来るようになってから予定が入ってない日なんてなかったから、暇過ぎて何をしたらいいか分からない。
こっそり本を読もうとしたら、目くじらを立てたローズに取り上げられた。
本くらいいいじゃんよー。
と思うが、こんな時のローズに逆らうほど俺も命知らずではない。
「風邪とかだっせーな」
「好きでひいたわけじゃないんだから放っといてよ」
なぜか朝から俺の部屋を訪れていたケルビンは、そんな風に悪態をついて母親であるローズに部屋から追い出されていた。
……あいつ、何しに来たんだ?
あれでも一応、心配してくれたんだろうかな?
その日はたくさんの人が俺を訪問してくれた。
まずは朝一で様子を見に来てくれたオレイン先生。
「もうすっかりいいようですね~」
「先生からもローズに言って下さいよ。起きても問題ないって」
「まぁまぁ。昨日の殿下は、ほんとにおかしかったですから~。大事を取って一日くらい寝ててもいいと思いますよ~」
診察を終えて道具をしまう先生に訴えるが、味方になってくれそうにない。
「そんなに変だったんですか?」
「ローズさんの手を握って、『寝るまで側にいて』って……」
「うわああぁぁぁ!」
オレイン先生の言葉を最後まで言わせず、叫び声で遮る。
「そんなに恥ずかしいですかね~」
「わ、忘れてくださいー……」
布団に頭を突っ込んで悶える俺に周囲から笑い声が上がる。
「お大事に」
芋虫みたいに布団にくるまった俺をポンポンッと軽く叩いて、オレイン先生は助手たちと部屋を去って行った。
続いてエラム。まぁ、エラムとは毎日、顔を合わせてるけど。
「殿下。お加減は如何ですかな?」
不機嫌なローズに不承不承、部屋に通して貰ったエラムは、最初は良かった。
ちゃんと見舞いの品だって持って来てくれたし、具合も気遣ってくれた。
暇ならこの部屋で授業を再開しますかな?とか言って、ローズに横目で睨みつけられたのもご愛嬌だ。
だが、しばらくすると手持ち無沙汰になってきたのだろう。
「しかし殿下も意外と軟弱ですな。儂の若い頃など、風邪のひとつも引きませんでしたぞ」
などと説教が始まったのには閉口した。
エラムは文官ではあるが、風邪ひとつで大騒ぎになるこの世界でこの歳まで生きてるんだから、それはそれは健康なんだろうなぁというのは分かる。
「明日から儂特製の健康ドリンクを一緒に飲みますかな?」
「え゛っ……」
あまりの展開に喉から変な声が出てしまう。
これは……どう断っても持って来られそうだ。っていうか、エラム、そんなもの毎日飲んでたのか。
どんな味なのか、何が入っているのか恐ろし過ぎて聞きたくない。
「最近、オレイン殿からご教授いただいた薬草で、さらにパワーアップしたスペシャルドリンクですぞ!」
「我が師よ、お、お気持ちは嬉しいのですが……」
どうやって断ろうかと汗をダラダラと流していると、ローズが間に入ってくれた。
「どうやら殿下はお加減が優れない様子。お引き取りいただけますか」
「む。儂は殿下の健康を思って……」
「お引き取り、いただけますか?」
有無を言わせぬローズの眼光に負けて、ブツブツと文句を言いながらもエラムは帰って行った。
この城の最強人物は実はローズなんじゃないかと思う。
昼過ぎには母様がやって来た。俺の部屋に母が訪れるのは珍しくて、何だか新鮮だ。
最初はドアが開いた音はしたのに誰も入って来なくて、不審に思って視線を向けた。
するとそこに、扉の陰に隠れて、母様がひょっこりと顔だけ覗かせていたのだ。
思わずプッと吹き出してしまう。
「あっ、ひっどーい、ルーカスちゃん!」
「なにやってるんですか、母様」
クスクスと笑い声を立てると、母ソフィアはムッと唇を曲げた。
そういう表情になっても可愛らしくしか見えないのだから、本当に人間って顔なんだなぁと思う。
「私もルークのお見舞いに行きたかったのに、部屋には入っちゃいけないって言われてしまったの」
「あー、そうですね。移ったら大変ですからね」
一昨日、母様の面会に行かなくて良かったなと思う。
恐らく今回の熱は風邪ではないと思うが、念には念を入れておいた方がいいからな。
生まれつき身体が頑丈でない母様は、ちょっとした体調不良でもすぐに寝込んでしまうのだ。
「看病もできなくて、不甲斐ないお母様でごめんなさいね」
「来て下さっただけで、とっても嬉しいですよ」
いつも明るい母様だが、内心は俺の子育てにあまり関われなかった事を気に病んでいるみたいだ。
今回の事も気にして欲しくない。
いつも以上に可愛子ぶりっ子をして、とっておきの笑顔を見せる。
「本当に?」
「勿論です」
「ほんとのほんとに?」
「ほんとのほんとです」
母を安心させるために大きく頷く。
俺が何度も言い聞かせたので、やっと信じる気になったのか母はホッと息を吐き出した。
ほんとの本当に決まってるじゃないか。
こんな美少女がお見舞いに来てくれて嬉しくない奴なんているわけない。
惜しむらくは、それが自分の母親だと言う点なのだが……なんで俺には幼なじみキャラとかいないのかな?
ローズのとこの三兄弟だけとか残念過ぎるわ。
「早く良くなって頂戴ね」
小さく手を振って五分くらいで母は自分の部屋に帰って行った。
心配かけたくなくて笑顔で俺も手を振り返したが、姿が見えなくなってちょっぴり淋しい気持ちになったのは内緒だ。
外見年齢はともかく精神は三十代なのに、母親がいないと淋しいなんてあるわけない。
それから意外な人もやって来た。
「先生!」
その人物の姿に驚いて急いで起き上がろうとすると、ヒラヒラと手を振って制された。
「あー、いいって。寝てなよ、王子様」
三十歳半ばくらいで、身体つきのがっしりした男性。濃い金髪は角刈りで、顔のところどころに無精ひげの剃り残しが見えている。
左眉の上と顎に傷跡が走り、右足は膝から下が義足と言う勇壮だ。見た目から一目で歴戦の戦士だと分かる。
この人は、この間から俺の剣の先生になったヒューゴさんだ。
平民出身ながら、国が派遣している傭兵団の団長にまで伸し上がった人だ。
右足の怪我が元で引退して、今は後継の育成に携わっているらしい。
その関係で俺の稽古もつけてくれているのだ。
まぁ、今は素振りしかしてないけど。
兄も何度か手合わせして貰った事があるようだ。手合わせ、いいなー。俺も早くそこまでいきたいな。
それと、実は父様の親友なんだとか。
けっこうものぐさと言うか、あまり形式に拘らない人のように見えていたので、お見舞いにまで来てくれるとは思わなかった。
「けっこう元気そうじゃないか。ほらよ、見舞いの品だ」
リンゴに似た、この世界の果物を投げ渡され、両手で受け止める。
「有難うございます?」
「それ食ってりゃ風邪なんか引かないってよ。ウチのばーちゃんが言ってた」
あー、こっちの世界にもそういう格言があるんだな。
本人はベッド脇に置かれていた椅子を引き寄せて座り、エラムが置いていった果物籠の中から勝手に葡萄に似た果物を摘まんで食べ始めている。
「後でいただきますね」
まさか手渡された丸ごとをそのまま食べるわけにもいかず、有難く枕の横に置いた。
「と言うか、一日寝込んだくらいで先生に見舞いに来ていただけるとは思いませんでした」
「なーに、王子様が休んでも、俺は月給で金を貰ってるからな。傭兵ってのは貰った金分の仕事はするもんさ」
そういうことか。俺が休んだ稽古の代わりに来てくれたってわけなんだな。
傭兵のポリシーってのが良く分からないが、ヒューゴ先生自身が納得しているなら問題ない。
「っていうか、その先生ってのはやめないか?」
「では、師匠?」
「なんでだよ。ヒューゴでいいって言ったろ」
ヒューゴ先生は不服そうだが、傭兵に傭兵のポリシーがあるように、俺にも譲れないところがある。
「教えを乞う方を呼び捨てにはできないですよ」
「律儀なもんだなぁ。兄貴そっくりだ」
「お褒めにあずかり光栄です」
ヒューゴ先生は口の中で、褒めてねーよ、とか呟いたようだが、ニッコリと満面の笑みを向けておく。
アルトゥールに似ていると言われて、どこが褒め言葉でないんだ?
「しっかし、お前ら二人ともほんとにフィル……おっと、陛下の子供か? 生真面目過ぎるだろ」
「それは多分、勉強の方の教師が悪いんですよ」
「いやぁ、陛下もあのじーさんに教えて貰ってたはずなんだが」
そんなことを話してヒューゴ先生は、きっちりと稽古の時間分だけ俺の部屋にいて去って行った。
本当に給料分しか働かないんだなぁ、面白い。




