第27話 風邪
次の日、俺は気疲れからか風邪を引いてしまった。
思えば、この世界に生まれてから初めてじゃないだろうか。
二日連続で初めて体験なんて凄いな。
とか、その時は頭が朦朧としていて思えなかったわけだが。
「おはようごじゃいます……」
寝起きはいい方なのだが、珍しく寝過ごして侍女のエレナに揺り起こされてしまった。
昨日、遅くまで考え事をしていて眠れなかったからだろうか?
目を擦りながらベッドに起き上がろうとする。
「あ、あれ……?」
しかし、俺の身体は意に反してポスリと布団に逆戻りしてしまった。
なんだか身体が熱くて、頭がぼんやりする。
「ル、ルーカス様!?」
ローズとエレナが悲鳴のような声を上げた。
ドタバタと駆け寄って来たローズは俺の額に触れた。いつもは暖かいローズの掌を、ひんやりと感じて気持ちいい。
「大変、こんなに熱が……すぐにオレイン様を呼んで来て」
「はい、只今!」
慌てた様子で部屋から出て行くエレナの足音をどこか遠くに感じる。
「大丈夫。今、起きますから」
起き上がろうとする俺を、ローズは鬼のような形相で止めた。
「バカなことを言わないで下さいっ! 大人しく寝てなさいっ!!」
「は、はい……」
眉間に皺を寄せて、両方の眉を吊り上がらせたローズの顔は本当に怖かった。
モゾモゾと布団に入り直して、肩までかけ布団を持ち上げる。
一瞬だけはっきりした頭で、般若と言うのはこういう顔を言うんだと思った。
正直、普段、静かに怒られる時より怖かった。
けれどローズはそういう人だ。怒る時は冷静に怒り、反対に心配した時などは顔が怖くなる。優しさがなぜか表情では真逆になってしまう人なのだ。
俺の乳兄弟であるローズのとこの三男坊ケルビンはそのことが分かっておらず、いつもお母さん怖いとか言って泣いている。甘ったれた奴だ。
ふふ。だけど俺は知ってるからね。
ローズがほんとは優しい人だって。
熱のせいか俺は妙にハイテンションでニコニコと、ローズの渋面を見上げていた。
後でローズが、大急ぎでやってきたオレイン先生に、
「熱のせいか、ずっと気持ち悪くニヤニヤと笑っていらっしゃって……大丈夫でしょうか?」
とか、こっそりと耳打ちしているのが聞こえてきたような気がしたが、気のせいだということにしておこう。
オレイン先生は俺の目を開かせて見たり、喉の奥を覗き込んだり、全身をくまなく診察してからやさしい笑顔を見せた。
「恐らくただの風邪だと思いますよ~。全身が淡く光っているだけですから。他に特に悪そうな部位はないですね~」
先生は医師の神の神子で、その人の悪いところが光って見えるという魔法的な能力を持っているので、診断を誤ることはない。
なのにローズはオレイン先生の言葉を聞いても浮かない顔をしていた。
「今までお風邪なんて引かれたこともなかったのに」
「ひとまず熱を下げる薬湯を調合しておきますね~。夕刻にまた様子を見ましょう」
夢うつつの中、オレイン先生か、彼の助手が薬草をゴリゴリと砕いている音が聞こえる。
しばらくして俺はローズに背中を支えられて軽く起き上がらされると、コップを口にあてがわれた。薬湯が口に入ってくるが、すぐにプイッと横を向く。
「うぇ~、薬湯苦いからきら~い」
いつにない俺の態度に、妙な沈黙が部屋に漂った。
「ねぇー、ローズぅ、ハチミツ入れてよー」
潤んだ目でローズを見上げて、服の裾をクイクイッと引っ張る。
「え、あ、はい。それはいいですけど……」
ローズは挙動不審にどもりながら俺に答えた。部屋にいる全員が顔を見合わせている。
「ルーカス殿下がわがまま言うところなんて初めて見ましたね~」
「普段はこんなこと仰らないんですが」
「ルーカス様……それほどお辛いんですね。お労しい」
侍女のエレナなんかグスッと涙ぐんで鼻を啜っている。
後から思えばこの時、熱のせいか大人の記憶が曖昧になっていて、この世界の俺が前面に出ていたような気がする。
年相応の、五歳の俺か。
前世の記憶を思い出さなかったらどんな奴に育ったんだろう。
きっと母や侍女に溺愛されて、甘えっ子になっただろう。
なぁ、俺の記憶が蘇って、お前はどう思ってるんだ? 迷惑だったか? 普通の子でいたかった?
そう聞いてみたかったが、もちろん答えはなかった。だって五歳のルーカスだって俺自身だからな。
なに、自分自身に話してんですか。
自作自演ですか?って笑われそうだな。
「ねぇ、寝るまで側にいて」
「……はい、ここにいますよ」
薬を飲み終わった俺はローズの手を離そうとせず、そう言ったらしい。
いつになく優しげなローズの返答を聞きながら、俺はうつらうつらと熱っぽい夢の狭間を漂っていた。
国内の派閥の問題や、進まない神子認定、神の声を聞いた事など懸念を上げればきりがない。
ただ、ローズとエレナにつきっきりで看病され世話を焼かれている俺は、この時はまだ確かに幸せな子供だった。




