第25話 兄と弟
他に五歳になって変わった事と言えば、勉強以外に剣の稽古とマナーの時間が増えたくらいか。
マナーは週に二回。それ以外が剣の稽古。
幼稚だったケルビンも五歳になるとしっかり喋るようになってきた。背丈も俺よりかなり高い。
勉強ならともかく剣の稽古くらい一緒にするかと思って誘ってみたのに、あからさまに嫌な顔をされた。
「お前ってどんくせーじゃん。一緒に素振りなんてやってらんねーよ」
「ぐっ……」
「こらっ、ケルビン! お前じゃなくて、ルーカス殿下でしょう」
「はいはい、殿下。俺は兄ちゃんたちと練習するからついてくんなよ」
小さい頃は、ルールーって言って後をついて来て、それなりに可愛かったのになぁ。いつの間にか出来の悪い弟扱いだ。
そんなわけで俺とケルビンは未だに仲が悪い。
ずっと同じ家(城)で暮らしてて、同年代の子供なんて城にお互いしかいないのになぁ。ケルビンでさえこんな感じなのだから他に友達ができるわけもなく、俺はいつもぼっちだ。
もちろんエラムは毎日通って来ている。午前中が勉強で、午後がマナーか稽古という生活スケジュールに変更になった。
あのじーさん、たまには風邪とか引かないかな。
その朝も、俺は散歩がてら城門近くまでエラムを迎えに行っていた。
なにせこれを過ぎると昼過ぎまで部屋にこもりきりになってしまうからな。
城門に近づいた時、西棟が騒々しい事に気づいた。
「なんだか騒がしいですね。どうしたんでしょうか」
見えるわけもないのに俺が背伸びして西の方に目を向けると、エラムはどこか渋い顔をした。
「あれでしょうな。西の方は改築すると聞いております。その人足たちが来ておるのかと」
「改築」
エラムの言葉を繰り返して俺は目を輝かせた。
聞いてなかったけど、大きな城なのだから改築する頃もあるだろう。多分、俺の住んでいる棟の話じゃないから誰も教えなかったんだと思う。
ただし、知ったとなると話は別だ。
「先生、せっかく改築するなら僕の考案した設備を使って貰えばいいんじゃないでしょーか! 西側も暖かい方が絶対いいですし! そうとなればさっそく……!」
前に作った断熱や床暖房の模型を持って職人に話をしに行こう。
なんだったら兄から話を通して貰ったら早いだろう。
勢い込んで踵を返そうとする俺の襟首をエラムはグイと掴んで止めた。
「殿下、殿下。お待ちなさい」
「な、なんで止めるんですか」
背後から急に掴まれたものだからモロに首に入ってしまい、俺は涙目でエラムを振り返った。
エラムはやけに神妙な顔で俺をジィーッと見つめた。
「殿下はあれですな。頭がいい分、人の心の機微に疎い」
え、なに? 俺、今、ディスられてる?
めっちゃオブラートに包んで空気読めないって言われたよね。
そりゃないっすよ、先生。
こちとら空気読めないと生きていけない日本のサラリーマンですよ。何はなくとも空気読みスキルだけはバリバリあるに決まってるじゃないですか。
「そんな事ないと思いますけど」
むくれて反論するが、エラムは気の毒な人を見る目つきは変えず、わざとらしくハーッとため息をついた。
「ここでは何ですな。部屋で話しますか」
言われてみると、城門の近くなので門番たちが何事かとこちらを伺っている。
何でもないよー、と示すために彼らにニコッと笑いかけて手を振る。侍女だけでなく、なぜかこうすると若い兵士たちに評判がいいのだ。
それからエラムに連れられて部屋へ戻った。
部屋に入って扉が閉まるとすぐ、俺はエラムに向き直って彼を見上げた。ぷぅと頬を膨らませて先に口を開く。
「我が師よ、あんまりではありませんか! 僕が何を分かってないと?」
母や侍女ならすぐさま、ごめんなさいとか言って甘やかしてくれる自信の表情だったのだが、残念ながらエラムには通用しなかった。
「本当のことですからな」
顎の髭を擦りながら、ばっさりと切り捨てられる。見下ろしてくる視線が冷たい。まったくもってドSなじーさんだよ。
俺はソファによじ登ると、もう一度エラムに向き直って座ったが、じーさんは講義する時のように立ったままだった。
「ルーカス様はアルトゥール殿下と面識がおありですな?」
聞かれて頷く。
急に兄の話になったことに俺は戸惑いを隠せなかった。西棟の改築と、アルトゥールがどう関係があるのだろうか。兄が西棟に住んでいるからか?
きょとんと見返すばかりの俺に、エラムは質問を重ねた。
「兄君のことはどう思われております?」
「え? 立派な方だと思いますけど?」
エラムが何を言いたいのか分からず、俺の答えも疑問形になる。
「とても優しいし、年に見合わず聡明で、素晴らしい方です。お手本にしたいと思っています」
つらつらと口から出てくる賛辞はお世辞ではない。俺の本心だ。
前世の俺から見れば年下にも程があるが、それを差し引いても俺はアルトゥールの事を常々、尊敬していた。
ブラコンと言ってもいい。
それほど俺は兄アルトゥールに懐いていた。この城の中で母の次に好きなのはアルトゥールだ。父は面倒臭いから順位から外しておく。
俺の言葉を聞いてエラムは、うむうむと、したり顔で頷いた。
「年に見合わず。それは殿下も同じですな」
「はぁ……」
他の人から見たら俺は神童なのだろうが、自分がただの三十歳過ぎのおっさんだと知っているから何とも言い難い。
自分の評価に微妙な顔の俺に構わず、エラムは話を続ける。
「さて、とある国に十歳の聡明な皇太子と、それを上回るほど神童と呼ばれる五歳の第二王子がいるとしましょう。家臣や国民はどちらに期待すると思われますかな?」
とある国っていうか、まんま俺と兄さんのことじゃんと思うが、そこまで言われてやっと俺にも客観的に俺たちの関係が見えてきた。
前世の感覚を引きずっていた俺は今まで思いつきもしなかったが、なんと俺たちは政敵同士なのだった。
次男とは言え母の身分は悪くなく。俺自身は神童との名声も高い。そして国で誰もが知る元宰相が後ろ盾で。
アルトゥールの立場を唯一、脅かすのが俺だなんて。
「僕は王の座など欲しくありません!」
思わず声を張り上げてしまった俺をエラムが手で制する。
「もちろん儂も殿下がそんな愚か者だとは思っておりませぬ。ただ、そうと思わない者たちがいるのも事実」
エラムに教えられて初めて、俺は今の城の状態を知った。
知らない間に城の中には、第一王子派と第二王子派の派閥ができていたのだった。
貴族や騎士たちは第一王子派。下働きの召使や若い民間の兵士たちは俺、第二王子派。
周囲の思惑も知らず俺とアルトゥールが仲良くするのを苦々しく思っている者も少なくないのだとか。
いや、俺は鈍感で気づいていないだけだったが、兄は知っていたのだろう。知っていて、鈍ちんの俺を守るためにわざわざ顔を出して仲良しアピールをしてくれていたに違いない。
頭が下がる。
そんな兄の気苦労も知らず、俺はのほほんと毎日を過ごしていたのか。
「僕……僕は、父様の仕事を手伝えると思って……」
思わず言葉が詰まる。
俺がしたくもない勉強をしていたのは、いずれ父や兄の役に立つそのためだけだ。
それが兄の立場を脅かすなら、俺なんて放蕩王子になっても構わないのに。
俺が黙り込んだせいで静かになった室内で、エラムもまた口を開かなかった。
あの口煩いじーさんが追い打ちをかけてこないなんて珍しい。そう思って顔を上げると、今までにないほど穏やかな顔つきでエラムは俺をジッと見下ろしていた。
生暖かい視線、ではないと思う。多分。
「貴方はそのままで良い」
俺の怪訝そうな視線を受け止めてエラムは静かに語った。
「頭はいいが、少しばかり抜けている。そのくらいがちょうど良い」
なんだか酷い言われようなんだが。
エラムはエラム。平常運転だったわ。
ちょっと感動しかけて損した。
「だが、周りの人間の動向には十分、注意なされよ。殿下たちにそのつもりがなくても周囲が煽るということもありますからな」
釘を刺してくるエラムに、俺はもちろんコクコクと頷いた。
あまりに動揺しすぎてその日の授業はあまり頭に入ってこなかった。




