第23話 神子のジンクス
そんなこんなで、もうすぐ俺は五歳になろうとしていた。
その頃には国民の生活は、かなり様変わりしていた。
料理以外に俺が考案した安価な寒さ対策が爆発的に広まったのだ。
それは、わら細工である。
わらで作ったわら靴、いわゆるわらじに、胴蓑、すげ笠などの、昔の日本で使われていた防寒具だ。
実は、薪ストーブが流行った結果、薪の消費量が少なくなり値段が下がった。
そうなると、今まで薪が買えず藁を燃やしたりしていた貧民層も幾ばくか薪を買えるようになり、今度は藁が余った。
作り方を知っていたわけではないが、どうせ余っているならと、わらじなどの概念を伝えたところ、ふだんから木の枝などで籠を作り慣れている農民たちは簡単にわらじを編んでくれた。
材料は、ほぼタダ。
雪深いこの国で、暖かく雪の上でも滑らないわらじは大好評だった。
そんなこんなで、あれよあれよという間にわら細工職人たちが各地に誕生した。冬の収入が少ない時期にうってつけの仕事になったらしい。
湯たんぽから始まった陶器作りも徐々にだが進行している。
皿や湯飲みなどはまだ試行錯誤の段階だが、湯たんぽは作っても作っても追いつかないほど売れている。
ストーブ職人やわら細工職人、陶工など、今までなかった職業ができたことで失業率も改善した。
そして断熱という概念も広まった。
今まで土間で直に暮らしてきた人々は、床を底上げし、そこにスライドできる木枠を埋め込んだ。木枠にはわらから作った安価な紙が貼ってある。
そう、障子だ。
これが夏は取り外せて便利と人気になった。
かくしてマーナガルムの国民たちは、冬は障子を閉め、皆で囲炉裏を囲み、その中でわらじを編むという……って、ここ、どこの日本の田舎ですか!
異世界情緒がなくなってきたよ、もう。
そう思っているのは俺だけで、国民たちは目新しい品物に囲まれ、最先端の生活をしていると思っているみたいだけど。
城の畑でオレイン医師との共同開発も順調だ。
なんとこの世界、肥料という考え方がなかった。
畑に灰を混ぜたりはするらしいが、その程度だ。
オレイン先生はぽややんっとしているように見えるが、こう見えて頭がいい。
「腐葉土、ですか~……確かに、生息地と同じ土で育てると成長がいいとは言いますね~」
「それをもう少し発展させて、土に栄養を与えるんです」
「なるほど、なるほど……」
森の腐葉土のことや、うろ覚えだが肥料の作り方などを伝えると、すぐさま実践してくれた。
肥料は発酵に年月がかかるのでまだ試行段階だ。
森の腐葉土が取り尽くされたりしないように、このことはまだ城の中に留めている。
数年後に効率のいい肥料の作り方が確立されればわざわざ山に取りに行く必要もなくなるわけだから、その頃に広めるつもりだ。
もしかして将来のマーナガルムには昔の日本みたいに肥溜めができたりしてな。
はは。まさかな。
反対に大急ぎで伝達したのは衛生面だ。食事の前に手を洗う、定期的に身体や髪を洗う、ゴミや排泄物を放置しない。
それだけで病気の罹患率や死亡率がぐっと下がった。
石鹸もなかなか好評だ。
暇な時に村の女性や子供が集まって皆で作ったりしているらしい。
その内、国外に売り出すつもりとかなんとか。
かくして、もともとは厳しい寒さと国土の狭さから貧しさに喘いでいたマーナガルムは、衣食住が整い、防寒対策もされて過ごしやすい国になりつつあった。
死亡率が下がるということは、子供が死なないということだ。
大勢の子供たちが楽しそうに町中を駆け回っている。
子供がたくさんいても、肥料ができれば飢えることなんてないはずだ。他国に侵略しなくても国の中にまだまだ仕事は作れる。
夕食前のひととき、俺は城を囲む城壁に上り、遥か先の城下町を見下ろして感慨にふけっていた。
前世で見慣れたビルが立ち並ぶ都会とは違う、マーナガルムの風景。高い建物はなく、石造りの家が隙間なくみっちりと並び、全体的に煤けた灰色の街だ。
城下町の外はほとんど山か森だ。人が暮らしていける場所は少ない。
それでも。
俺はこの光景が好きだ。
家々から夕飯の支度の煙が上がる。
風に乗って人々の喧騒が聞こえてくる。
見飽きることのない風景だ。
ふと、背後に気配を感じて振り向くと、父フィリベルトが立っていた。
いたずらっ子のような笑顔を浮かべ、しーっと口に人差し指を当てている。公務を抜け出して来たんだろう。
俺はやれやれと肩を竦めた。
どっちが子供か分からない。
側に控えていたローズも眉を寄せて父を見たが、結局は文句を言わなかった。
「父様、久しぶりっ!」
走って行くと、父はすぐさま俺を両手で抱きかかえた。
「よーう。元気してたか、ルーカス」
「父様こそ」
片腕に乗せられると視線が父より少し上になった。
俺も大きくなってきたはずだが、まだまだ父には軽いようだ。顔を見合わせて笑い合う。
「こんなところで何してたんだ?」
「街を見ていたんです」
城壁から遥かに下を指さす。
この城は城下町から少し離れた高台に立っている。後ろは急峻な崖で、近くに谷があり、川が走っている。
街から城へは急な坂道で、馬かロバがいないと歩いて上るのは難しいくらいだ。
敵が攻めにくい場所に作られているわけだな。
「遊びに行きたいのか?」
「え、いえ。そうではなくて。まぁ、その内は行きたいですけど」
夕食前とは言え、この世界の晩御飯は早いので、時刻的には三時くらいだろうか。まだ日差しが燦々と降り注いでいる。
谷からの風が俺や父の赤髪を揺らして吹き抜ける。冬は寒さが厳しいが、夏は過ごしやすい、いい国だ。
「人々が楽しそうで嬉しいなって。僕、この国が好きです。もっと良くしていきたい」
早めに国政に携わりたいと、暗にほのめかしてみる。
今はエラムやオレイン先生の力を借りて少しずつ知識を広めているが、国王の命で行えばもっとできる事があるはずだ。
まだまだこの国は貧しい。
もっと力をつけていかないと。
俺の気持ちを知ってか知らずか、父はガハハと笑って俺の髪をかき回した。
「今でもルーカスには十分助けられてるよ」
「もー、父様ったら、またー」
頬を膨らませて乱れた髪を直す。
「いつもありがとな。いや、本当に……」
笑う父の顔が、少し上にある俺の顔を見上げて急に神妙になった。
「俺のところに生まれてくれて有難うな」
視線を合わせて伝えられる言葉にたじろいだ。
あまりこういうしおらしい事を言う人ではないからだ。
俺が大人の記憶を持っていると知って言っているわけではないだろうが、どぎまぎする。
「きゅ、急になんですか、父様」
「いや、お前が喋り始めたあの日から、ずっと伝えたかったんだ」
父はまっすぐに俺を見つめた。
「知っているか。神の加護を受けし者の人生は試練に満ちている」
「ええ。エラムから聞きました。いわゆる俗説ですよね。今のところ、僕の人生は何ともないです」
オレイン先生も、父に助けられた時のように野獣に追い回されたり、国と国の引き抜き合戦で板挟みになったり、自国に来ないならと暗殺されかけたりしたことがあるらしい。
かなり波乱万丈な人生だ。
ただ俺の場合、この前世の記憶が本当に神の恩寵かどうか分からないんだよな。
大体、まだどの神の加護を受けているのかもはっきりしていないのだ。
案外、俺のはギフトではなく、単にひょっこり記憶を思い出しただけかも知れないと思ったりする事もある。
「今のところって、お前、まだ五歳にもなってないだろ?」
あまりに堂々した俺の態度に、父は呆れたような声を出した。
「ともかく、俺たちはお前に助けられているのに、そのせいでこれからのお前の人生が苦難に満ちていたら……とか思ってたんだが、なんだかなぁ」
父はガックリと肩を落とす。
「お前ならそれも軽々と乗り越えて行けそうな気がしてきたよ」
能天気そうに見えて、この父もそんなことを考えていたのか。まぁ、どんな子供だろうと親の心配事はなくならないって事だな。
「僕の今の苦難はエラムだけですよ」
「それは……いずれ通った道だ。諦めろ」
父は苦笑しながら俺を床に下ろす。
そうだろうな。父が呼ばなくても、神童の噂を聞きつけたエラムが城に押しかける光景は容易く想像できる。
早いか遅いかの違いだけだろう。
早ければ早いほど、早く卒業できる……はずだ。
「陛下――、フィリベルト陛下――!」
「やっべ」
そこに階下から家臣の声が聞こえてきて、父は慌てて城壁の影にしゃがみ込んだ。
「やっぱり公務を抜け出して来たんですね」
俺は片眉を上げて父に手を差し出した。
「ほら、僕と行きましょう。一緒に謝ってあげますよ」
「お前……たまに、ほんとに子供かって思う顔する時あるよな」
俺の手を取って立ち上がる父に、ギクリと頬を引きつらせる。
「ハハ……なに言ってるんですか、父様。さぁ、行きますよ!」
父の腕を引っ張って、足早に階段の方へと向かう。
最近、子供でいるのにも慣れてきて、あまり演技しなくなってたんだよな。危ない危ない。ちょっと油断してた。
もっと気を引き締めていかないといけないな。




