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第7話 黒衣の魔女

 

 俺に背を向けたリリスが右手をヒラヒラッと軽く振る。


「じゃぁ、確かに伝えたから。受け入れるか拒否するかは貴方が決めて」


 俺に丸投げされても困るんですけど!

 そのまま立ち去りそうな背中に慌てて声をかける。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

「なんなのかしら?」


 チラリと顔だけリリスが振り向く。その瞳は不愉快そうに細められていた。

 呼び止めたはいいが、何を聞けばいいか考えはまとまっていない。

 どう言えば正解なんだ。何を言えばこの無気力な少女から情報を引き出せる? 多分、彼女が答えてくれるのはあと一度くらいだ。

 頭をフル回転させるが、結局、俺が口にできたのはありきたりな質問だけだった。


「ゼノスって誰だ?」


 その時、今までほとんど表情を崩さなかったリリスが、ほんの少しだけ顔を歪めた。何に対しても投げやりそうな彼女を傷つけたらしき様子を見て、俺の方が驚く。

 リリスは俺がゼノスを知っていて当然と思って話していたのだ。

 話が通じないはずだ。

 答えてくれないのではないかと思うほど長い沈黙が流れた後、リリスは逡巡しながら口を開いた。


「そうね……貴方に分かりやすいように言えば、ゼノスはマーナガルムの飼い主よ」


 淋しそうに目を伏せる。その表情はとても演技とは思えなかった。

 彼女が本当に三千年前の黒衣の魔女と同一人物なのであれば、マーナガルム神が亡くなる場面にも居合わせたはずだ。

 共に戦ってきた仲間を見送る。

 その寂寥は俺には知り得ぬ感情だった。俺は幸いなのか、未だに誰の死も看取っていない。

 もういいわねと言うようにリリスがプイと前を向く。


「ま……」


 待ってくれと言う、俺の言葉をリリスは最後まで聞いてくれなかった。


闇影遮断(シャドウヴェール)


 ウワワンと狭い部屋で反響するような不思議な音の語調が響く。右手をリリスがサッと一振りするところまでは見えたが、次の瞬間、俺の前からその姿は掻き消えていた。

 これが魔法か。

 恐らく呪文の言い回しから察するに、視界を阻害するような効果に違いない。


 俺にはもう、リリスを追うことはできない。

 同じ魔法使いであれば呪文を打ち消したりする事もできるのかも知れないが、リリスは言っていた。彼女が最後の魔法使いだと。

 であれば、この世に彼女を追える人はいない。

 困惑したまま井戸の縁に手をつく。


 何だったんだ、今のは。俺は本当に黒衣の魔女と出会ったのか? そして、彼女の言葉の意味するところはなんなんだ。

 マーナガルム神の飼い主だって?

 マーナガルム様やバルベール様は元々、神の使役する神獣だった。伝承ではそう語られている。

 だけどどの神に仕えていたのかなんて、今まで考えた事もなかった。


 神獣を従えていたのなら……リリスの言葉が正しいなら……ゼノスはよほど高位の神に違いなかった。

 なのになぜ俺は……いや、この世界の人々はゼノスを知らないんだ?


 俺の神。俺を転生させ、俺に加護を与えているのはゼノスだと唐突に理解する。神殿が認定に手こずるはずだ。

 今はこの世界からまったく忘れ去られている神が俺を呼び寄せたのだ。

 その神が、俺に国に帰らず旅をして欲しいと願っている。


「ゼノス様……?」


 俺の呟きは霧に覆われた裏庭にポツリと響いて消えた。

 引き受けるか拒むかを自分で決めろとか言われても、これだけの情報で決断できるわけがない。

 くっそ、リリスめ。初対面なのに印象悪いぞ。それに、あんなけだるげな魔女を伝言役に寄越す神を本当に信用していいのか?

 言いたい事があるなら自分で来いよ!


「あぁ~、もう!」


 考えが纏まらず、頭を掻きむしってその場にしゃがみ込みたくなる。

 けれどそうする前に裏庭に続く勝手口の扉が開いて、ドヤドヤと人々が歩いて来る足音がした。


「おぉ、ルルちゃんじゃないか~。おはよう~」


 俺の姿を認めて、即座に脂下がった表情を見せてくる。それは昨日、一緒に酒盛りで盛り上がったおっさんたちだった。

 俺は慌ててピシリと背を伸ばした。心の内の動揺は押し隠して顔に微笑みを浮かべる。


「ギルさん、ダンさん、リックさん。おはようございます」

「ルルちゃん! 俺たちの名前、覚えてくれたの!?」

「一緒にお食事した仲じゃないですか。もちろん覚えてますよ」


 感激にプルプルと打ち震えているおっさんたちを適当にあしらう。俺の中のルルのキャラ作りはどうなってんのかな。

 なんかこれじゃ、可愛い女の子って言うより悪女っぽくね?

 しかしおっさんたちはまったく気にした様子なく、嬉しそうに顔をだらけさせている。こんな路線でも別に問題ないみたいだ。


「じゃあさ、じゃあさ、朝ご飯も一緒に食べない?」


 井戸に来たってことは水浴びか水でも飲みに来たんだろうに。おっさんは当初の目的も忘れて俺の手を取って引っ張って行こうとする。


「あ……」


 急に手を引かれて上半身がグラリと揺らぐ。バカ力で引っ張られたら痛いなと、ぼんやり考えている時だった。

 いつの間に現れたのか音もなく俺の背後にスーが立っていた。

 スーは、おっさん……ギルさんの手をテイッと手刀で打ち抜いた。


「いって!」

「スーちゃん!?」

「ルーが嫌がってる。やめてあげて」


 グイとおっさん連中から引き剥がされて、スーの腕の中に匿われる。助けてくれたのはありがたいけど、この角度、当たってますよ?


「もー。子供扱いしないでってば、お姉ちゃん! それにいつも押しつけてこないでって言ってるでしょ!」


 言いながらスーの腕を持ち上げようとするが、力ではどうにも敵わなかった。肩に回された腕はびくともしない。


「スーはお姉ちゃんだから」


 とか言いながらスーはエヘヘへとにやけた笑いを浮かべている。

 後半部分はまったく耳に届いていないようだ。俺の頭の上には未だにふたつの塊が乗っかっている。

 おっさんたちが、羨ましい、とか呟きながらゴクリと唾を飲んだ。実際はカツラがあるから、そんなに感触はしないんですけどね。


「どうして、いっつも私の頭にそれを置くの!」

「高さがちょうどいいの」


 カツラがズレたらどうするんだよ?

 抗議を込めて上目づかいでスーを見上げるが、頭上のデカパイに阻まれてほとんど顔は見えなかった。

 ただスーはちゃんとケモミミにはターバンを巻いて、尻尾は服の下に隠してるみたいだった。そういうとこは覚えてんだな。

 頬を膨らませてあからさまに不機嫌になった俺を見かねてか、おっさんたちの一人が助け舟を出してくる。


「まぁまぁ。良かったらスーちゃんも一緒に朝ご飯どうだい? 奢るよ」

「スー、モツ煮がいい!」


 途端に、現金にもスーは俺を放り出して、おっさんたちの方にすっ飛んで行った。ちょっと、あんまりじゃないですかね!


「ここのモツ煮は美味しいからなぁ」

「三人前!」

「さっ、さんにん!?」

「ギルさん、姉の言う事、真に受けなくていいですからね」

「あー、ルー、酷い!」


 憤慨するスーを見て、おっさんたちはアハハハハと明るい笑い声を響かせた。皆でゾロゾロと食堂へと向かう。

 裏口を抜ける際、扉に手をかけてほんの少しだけ井戸を振り返る。

 陽の光に照らされて靄が晴れ渡った裏庭には、神の使者が現れた痕跡など何一つ残っていなかった。


 

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