第6話 神からの伝言
翌朝、俺はまだ日も明けやらない中途半端な時間に目が覚めてしまった。
まだ真っ暗じゃん、と思いながら目を擦る。
スーは横で寝ているが、最近、ちょっと暖かくなってきたからか抱き枕代わりに抱っこするのはやめてくれたようだ。
その代わりスーはベッドから半分落ちかけで、大の字で腹を出して寝ていた。色気も何もあったものじゃない。
この世界の下着は長袖の肌着に、股引っていうのかステテコって言うのか薄い布地の長ズボンを紐でくくっていて、ぜんぜんエロさがない。
俺はスーを起こさないよう、そーっとベッドから降りて、カツラを被って外へ出た。
食堂では昨晩、酔い潰れてそのまま寝てしまったおっさんたちが屍累々だった。
あーふ、と大きな欠伸を漏らしながら、裏口を開けて井戸へと向かう。
俺は朝起きたら顔を洗いたいタイプだ。
井戸から水を汲み上げるのはまぁまぁ大変だが、俺だって桶に並々入れなければ引き上げられる。
外もまだ暗かったが、うっすらと空は白みつつあった。
この世界の人は皆そうなのか、それとも俺の瞳の色素が薄いからなのか、暗闇の中でもちょっとした光があればけっこう先まで見える。
反対に真昼の直射日光なんかは、かなり眩しかったりする。
この日、村は白い霧に覆われていて隣の家も見えない状態だった。
ひんやりとした朝靄に包まれて、そそくさと井戸に向かう。
村の人や宿の人たちはまだ誰も起きていないようだった。
近隣から何も物音がしない。昨日、遅くまで騒いでいたおっさんたちはともかく、珍しいな。
祭りの次の日とかでもなければ、もうそろそろ人が起き出していてもおかしくない時間帯だ。
俺が井戸のつるべに手をかけようとした時だった。
不意に朝靄の中に黒い影が映ったように見えた。
ビクリと手を止めてそちらを凝視する。黒い色にはいい思い出がない。
しかし白い霧を押し分けて現れたのは魔物などではなく、人だった。ただ、全身に黒い服を着込んでいるだけの女の子だ。
大柄なスーより少し小さいが、外見年齢は同じくらいだろうか。十五、六歳くらいに見える。
少女はとにかく奇妙な恰好をしていた。こんな服装はこの世界では見たことがない。
ゴテゴテと黒いレースやリボンで飾りつけられたドレスに、紐まで真っ黒な編み上げブーツ。
ふんわりとウェーブして頬の先でくるりと先が巻いている黒髪の上にも、小さな黒い帽子がちょこんと乗っている。
そしてこの霧の中ではまったく無意味だろうに、黒いレースの日傘を頭上に広げていた。
どう見てもゴスロリ……ゴシックロリータだ。
前世でも普通……ではなかったかも知れないが、たまに街で見かけるような、あのゴスロリのイメージそのままの服だ。
違いと言えば、こっちの方が手作りのレースを使っている分、豪華に見えるくらいか。
俺はあんぐりと口を開けて、少女がツカツカとこちらへ歩み寄って来るのを見つめた。
彼女は俺より数歩先で立ち止まると、ジィッと俺を真正面から見据えた。
神秘的な薄紫色の瞳が俺を直視する。
「やっと見つけたわ。貴方がルーカス・アエリウスね」
俺はハッと顔色を変えた。この街で、俺をルーカスだと知っている人はいない。ましてや今の俺は女の子の恰好をしているのだ。
身構える俺に、少女は気軽に肩を竦めた。
「あぁ、そんな警戒しなくてもいいわ。私は敵じゃないもの。味方かって言われると疑問だけど」
あまりにも無頓着なのでおかしな感じがする。
少女は淡々としていると言うか、かったるそうと言うか、あからさまに俺自身には無関心だった。面倒な仕事を早く片づけたいと言った様子だ。
手持ち無沙汰そうに日傘の柄をクルクルと左右に回している。
「私はただのメッセンジャーなの。私も暇じゃないのに、まったく。ゼノスったら人使いが荒いわ」
ゼノス。それが彼女の雇い主の名前らしかった。聞いた事のない名前だ。
その人が俺に何の用なのだろう。
黒い魔物と何か関係があるんだろうか。
「き、君は誰なんだ……?」
聞きたい事は山程あったが、乾ききった口を突いて出てきたのはその一言だけだった。
少女は隠す気もないのか、あっさりと答える。
「私はリリス。この世界最後の魔法使いよ。多分ね」
ま……魔法使い!?
この世界に魔法はない。ないはずだ。いや、古代、神がいた時代には使えたのか。神子の力はその名残だ。
混乱している俺の考えが纏まらない間に、さらに衝撃的な一言が少女リリスの口から飛び出す。
「黒衣の魔女と呼ぶ人もいるわ」
黒衣の魔女。それは三千年も前に生きていた人物の通り名だった。
神獣たちと共に堕ちた八番目の月マーナルと戦い、その後は弓の勇者バロナバーシュを育てた伝説上の人物だ。
いや、確かに全身黒いけどさ。黒衣ってちょっと違わない。
なんか魔女って言ったら黒いローブに、とんがり帽、みたいなさぁ。
それに黒衣の魔女って言ったらもっとこう、ナイスバディでさ。妙齢の妖艶な女性のイメージがある。
目の前のリリスはちまっとしているって言うか、レースをふんだんに使っている服だから判別しづらいが、あまり胸はないように見える。
「ちょっと、どこ見てるのよ」
俺の視線に気づいたリリスがムッとして眉を寄せる。
「す、すみません……」
俺の失礼な考えに気づいたのだろう。最初からやる気なさそうだったリリスは見るからに不機嫌になった。
「私の事なんてどうでもいいのよ。とにかくゼノスからの言づてを伝えるわ。まだ国には帰らないで欲しいの。この国でも別のところでもいいけど、もう少し旅を続けて欲しいんですって」
リリスは日傘を持っていない右手の人差し指を立てた。その指で空中にクルクルッと二度ほど円を描く。
国に、マーナガルムに帰る前にどこか別の場所を巡って欲しいというジェスチャーらしかった。
「な、なぜ?」
「知らないわ。神には神の計画があるんでしょ」
再度、心底どうでもいいという感じでリリスが肩を竦める。彼女に伝言を頼んだのが誰だか知らないが、どう見ても人選ミスだ。
リリスは何にも関心を持っていない。
薄紫色の瞳は俺の姿を映しながらも、その視線は俺を素通りしてしまっている。
彼女の言葉を疑う理由は今のところないが、本当に伝承の黒衣の魔女なのだろうか。戦場で先頭に立ち、人々を導いて戦い抜いた英傑とのイメージの落差が激し過ぎる。
それに神の計画ってなんなんだ?
この世界にゼノスなんて名前の神はいない。いないはずだ。
あぁ、駄目だ。次々に衝撃的な発言をしながら、リリスの言葉は圧倒的に情報量が少なすぎる。
これじゃ何も判断しようがない。
それなのに彼女は伝えるべき事は伝えたとばかりに踵を返して、この場を去ろうとしている。




