第4話 入国はなかなか難しい
宿屋のおかみさんの情報は正しかった。新年祭が近いからだろう。街は人の出入りが多くなっているようだ。
辻馬車もそこそこの人が乗っていたし、外壁の前は行列だった。
街の住民や近隣の人たちは簡単なチェックで門を出入りしているが、旅人はそうはいかない。俺たちは溜め息をついて行列の最後尾に並んだ。
時間がかかるのはやっかいだが、人が多ければその分、群衆の中に紛れられる。そう思って春に出発することにしたのだ。多少の時間のロスは仕方ない。
「お姉さんたちどこから来たの」
「へー、帰らずの森からねぇ」
「姉妹なのかい? こんな小さな妹さんを連れて大変だね」
俺たちは前後の人にやいのやいのと話しかけられて、やたらと親切にされた。行列に並んでいるのがほとんど男の人だったからだろうか。
「申請自体はそんなに難しいことはないよ。ものの数分で終わるかな。でもその後の書類審査に時間がねぇ……」
「どこもお役所仕事が遅いのは同じだな」
「そういうことだな。お嬢ちゃん、良かったら菓子でも食べるかい?」
こんな感じでおじさんたちは申請の仕方を教えてくれたり、おやつをくれたりした。
関所前では上手く考えたもので、順番を待つ旅人たち相手に貧しそうな子供たちが食べ物なんかを行商していた。
あれだけ朝ご飯を食べたのにグキュルルルとお腹を鳴らしたスーは物欲しそうに行商の子供たちを眺めていたが、俺が頑として許可しなかったので寂しそうに指を咥えた。
この世界ではご飯は朝と晩の二回だけ。
間で軽食を取る人たちもいるが、それは上流階級とか、身体を酷使する職業の人だけだ。スーにも、ちょっとは粗食に慣れて貰わないといけない。
そう思ったのに、見かねた前後のおじさんたちがスーを甘やかして買い与えるものだから、まったく教育にならなかった。
こンのおじさんキラーめ。
通行証を持っている旅人は審査の後、入国税さえ払えばそのまま街に入れるが、俺たちは申請待ちだ。
似顔絵描きが俺たちの容姿を写し取る。これを元に要注意人物でないか照合するのだろう。
子連れの女性なんか警戒する意味あるのかなと思うが、女盗賊だっているし、子連れのスパイってのも考えられるか。
「また数日したら様子を見に来るように」
外壁の関所の門番にもわりかし丁寧に対応されて、俺たちは外に出た。
ただ街に入るだけに数日かかるのかー。入国審査って面倒くさいんだな。そう言えば旅をしてた時も、関所で数日待たされたこともあったな。
関所なんてなかった前世がどれだけ自由だったか思い知る。
前世、か。
もうこっちの世界に生まれて八年も経ったから、以前の記憶なんて淡い夢のように感じることもある。
中年サラリーマンだった俺が、今や女装するようになるなんてな。自嘲するように口の端を上げて、まだまだ小さい子供の掌を見下ろす。
城にいた時より傷だらけで、赤切れている。
それでもこれがルーカスの掌だ。
俺は今でも自分がルーカス・アエリウスでいられることに、しみじみと感謝した。こうして五体満足で人の住む街に戻って来られるなんて思ってもみなかった。
神に生かされ、アイリーンに呼び戻されて。
たくさんの人に助けられてここまで辿り着いた。
それを思えばたった数日の足止めなんて、どうってことない。
さて、これからどうしようかな。
この街は外壁の外にも家が連なっていて、そこそこ店はある。旅に必要そうなものを見て歩いてもいいが、仕事が決まるか分からないのにあまりお金を使いたくなかった。
それに用事が終わったと知ったスーは、俺のマントを引っ張って最初の村の宿に帰りたがった。
「ねぇ、ルー。今日はもうやることないんでしょ? だったら朝のところに戻ろうよ! 寝るとこがなくなったら大変だよ。ね、ね?」
目をまん丸くしてキラキラと輝かせて、何を考えているかモロ分かりだ。
ちょっと聞き込みをしたところ、宿は街に近ければ近いほど高く、遠いと安くなっていくようだ。それなら最初の村が一番安いってわけだな。
辻馬車代も勿体ないので、俺たちはテクテクと歩いて来た道を戻った。
スーは人狼なので人間の姿の時でも脚力は半端ないし、俺も森で過ごす間に身体は丈夫になっていた。元々、歩いたり走ったりするのは嫌いじゃない。
「おや。やっぱり戻って来たんだね。良かった、まだ部屋は空いているよ」
おかみさんはにこやかに俺たちを出迎えてくれた。まだたった二度目なのに、見知った顔に会うとホッとする。
「ベッドはひとつでいいね?」
おかみさんが俺たちの体型を見ながら言う。
この世界では宿なんて相部屋が常識で、混雑時には見知らぬ男性同士で相ベッドという事もあり得るくらいだ。
スーと一緒のベッドに寝るのは抵抗があったが、女の子同士だと思われているのだから頷かざるを得なかった。
案内された部屋は狭くて、ベッドひとつだけでほとんどの面積を占めていた。
他の人と相部屋じゃないのはありがたいな。女の子二人連れだから気を使ってくれたんだろうか。
「身体を拭きたいんですけど、水を使ってもいいですか?」
「井戸を使ってもいいけど、廊下や部屋に水を零さないでおくれよ」
井戸の水を汲み、借りたタライに入れ替えて、部屋でタオルを絞ってゴシゴシと身体を拭く。
暑苦しいカツラを取ってベッドの端に腰かけて、俺はやっと人心地ついた。
「はー、女の子を演じるのも肩が凝るよ」
「じゃぁ、そんな恰好しなきゃいいのに」
スーは答えながら、シャツをズボッと脱ごうとした。俺は慌てて立ち上がって、スーに向かってシーツを放った。
「バカー! 俺の前で服を脱ぐなっていつも言ってんでしょ!」
スーがムッと口を曲げる。
「スーだって身体を拭きたい。それに前は目の前で着替えても何も言わなかった」
「前ってそれ、もっと小っちゃい時でしょ! 今の自分の体型考えてよ!」
「スーはスーだよ?」
スーは自分の身体を見下ろしているが、良く分かっていない表情だ。自分が美少女で、しかもボインだって理解していないのだ。
もともとが野生の獣なので恥じらいってもんがない。
迷惑するのはこっちなんだよ!
前世でエロい体型のお姉さんがあられもない恰好で部屋に入って来て困るなんて漫画があったが、今では主人公の気持ちが良く分かる。
ぜんっぜんラッキースケベとかじゃない。
別にスーの身体に欲情したりはしないので、目のやり場に困るだけだ。
「とにかく、俺も含めて男の前で服を脱いだら駄目だからね!」
かなり強い口調で言い聞かせる。このくらい言っても、言うことを聞くか不明だ。
洗濯用なのか部屋の中央の天井付近に紐が通されていたので、そこにシーツをかけてその向こうで身体を拭かせる。
それでもゴソゴソと服を脱ぐ衣擦れなんかが聞こえてきて、俺は頭を抱えてベッドの上でそっぽを向いた。
あれはスーだ。所詮、スーだから。呪文のように頭の中で繰り返す。
「ルー? 寝ちゃったの?」
俺が背中を向けてベッドの上で丸くなっているものだから、スーが怪訝そうに声をかけてくる。
ふてくされた俺は聞こえなかったフリをして、答えなかった。
するとギシッと音を立ててスーはベッドの端に腰を下ろしたようだった。身体を拭いたと言っても石鹸を使ったわけじゃないので、ほんのりと汗っぽい匂いが漂ってくる。
「ねぇ、ルー。ルーってば。まだ晩御飯も食べてないのに」
肩に手をかけてゆさゆさと揺さぶられる。
「うるさいなぁ」
手を振り払っただけのつもりだったのに、手の甲にむにゅんとした柔らかい感触が当たる。
見上げれば、かろうじてタンクトップっぽい下着は着てたけど、たゆゆんっと揺れる暴力的な二つの塊が目と鼻の先にあって……。
「うわあぁぁぁぁ!!!」
「あ、起きてた」
思わずベッド脇の壁際に張りついて顔を真っ赤にする俺を見て、スーがエヘラッと笑う。
「変なルー」
笑うと口の端に牙が覗いて急にあどけなくなる。こういうところを見ると、身体が大きくなったってスーはスーなんだなって思うけど。
俺は女の人、特にグラマーな人には免疫がないんだって!
狼族の成長が早いことに、こんな弊害があるなんて……。
「そういう恰好で近寄んないでって言ってるでしょ!」
「だからちゃんと服は着たよー。いいから早く晩御飯食べに行こうよ、晩御飯ー」
スーは気にした様子もなく、あっけらかんと俺の腕を引っ張っておねだりしてくる。
根負けして、むすっとしながらも俺は渋々とベッドから降りた。もちろん、部屋を出る前にスーにはきちんと服を着せた。
やれやれ。旅の始まりからこんな調子じゃ、先が思いやられるな。




