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第1話 ある農民の物語


 古びた馬車は街道をノロノロと進んでいた。

 歩いた方が早そうな速度だが、馬車にもそれなりの利点がある。

 人間では持てない量の荷物を運べるし、街道を直接歩いて他の馬車が巻き上げる土埃に塗れるのも回避できる。

 長距離を歩いて体力を消耗することもない。

 それに何より旅の仲間と隣り合って、のんびり風景を眺められるところがいい。

 身体を突き上げるように揺れるこの激しい振動さえ我慢できれば。


 その馬車は農村から街へ野菜を売りに向かっていた。

 まだ日の明けきらぬ道をガタゴトと揺れながら進んでいる。

 幌もなく剥き出しの荷台にはうず高く葉野菜が積まれていた。その野菜に埋まるように、二人の少女が進行方向とは後ろ向きに腰かけていた。


 一人はかろうじて成人している程度だ。十五、六歳ほどのスラリとした長身を旅装に包んでいる。背中まで流れる真っ白な髪が印象的だ。

 首元と頭に迷彩色と言うのだろうか、濃緑と茶色が混ざった色のターバンを巻いていた。

 健康的に日に焼けたその顔は、誰もがハッと振り返るほど整っている。

 太い眉の下の琥珀色の瞳は意志の強さを湛えているが、笑顔になると八重歯のような牙が口元に覗く。それが妙にアンバランスな幼さを感じさせた。


 隣の女の子はまだ七、八歳くらいに見える。親子ほどは年が離れていないので姉妹だろうか。

 幼い身体に大きなマントのフードを頭からすっぽり被っているので、ほとんど顔は見えない。しかしチラリと覗く口元は連れの女性と同じか、それ以上の美貌を感じさせた。将来が楽しみな顔立ちだ。

 フードの端から縮れた黒髪が、ほろりと見え隠れしている。


 馬車が向かうのは商業国家サラクレートの最南西の街、クロフターだ。

 御者台に座って馬を操る農民には通い慣れたいつもの道だが、少女たちにとっては目に映るもの全てが目新しいようだ。

 荷台の野菜越しに巨大な外壁を仰ぎ見て指差しながら、きゃっきゃっと騒いでいる。


 農民は背後に彼女たちの笑い声を聞きながら目を細めた。

 こんな若い女の子が二人だけで薄暗い街道をトボトボと歩いているのを見かけた時には驚いたが、思い切って声をかけて良かったと思った。


 サラクレートで主に信仰されている愛の女神セレスティン様の教えは、太陽の光のようにあまねく全ての者に愛を向けるように、と言うものだった。

 その教義の元に商人たちは寄付を惜しまず、街でも村でも人々は助け合って暮らしている。

 クロフターはこの世界には珍しく、スラムのない街だった。自分が暮らしているわけではないが、農民はその事を誇らしげに少女たちへ語った。


 クロフターの街をぐるりと囲む数百年前に作られた外壁はもはや手狭で、壁の外にも家々が連なっている。その為、簡易な入国審査の関所が街道の途中に設けられていた。

 辺境の街ではあるが、南側は帰らずの森と呼ばれる古代樹の森が広がっているので隣接する国がない。

 そのおかげで、こちらの街道は争いも少なく平和そのものだった。たまにやって来る盗賊を警戒すればいいくらいだ。


「本当に、ここまででいいのかい?」


 関所の前に止めた馬車からピョンと飛び降りる二人を眺めて、農民は浮かない顔になった。せめて街の中まで連れて行かないと、世慣れていない二人は危なっかしく見えたからだ。

 小さな少女がフードの下で屈託のない笑顔を見せる。


「えぇ、大丈夫ですわ。ここまでご親切にどうもありがとうございました」


 継ぎの当たっていない真新しいスカートの裾を持って、少女がちょこんと膝を折ってお辞儀する。

 服装といい物腰といい、どう見ても平民ではない。

 農村の子なんてのは誰もがお古で継ぎはぎだらけの服を着るのだ。

 街でだって上流階級以外の子が身に着けることができるのは中古品で、それを一週間でも洗いもせずずっと着ているほどだ。


 最初は姉妹かと思ったが、もしかしたらいいところのお嬢様と従者なのかも知れない。そう思うと、背の高い女性が油断なく周囲を窺っていて隙がないのも頷ける。

 一体、どうしてこんな年齢の子供を連れて女性二人で旅などしているのか。

 尋ねたくはあったが、部外者の自分が口を挟んでいいものではないだろうと男は押し黙った。


「これ、少ないですけれどお礼に」


 少女が背に担いでいたナップザックから貴重な旅の食料を取り出して差し出してくるのを、男は大きく手を振って辞退した。


「いいよ、別に何か貰おうと思って乗せたわけじゃない」

「でも、きっと朝食もまだでしょう? いいから持っていらして。私たちは村に入ってから何かいただきます」


 何度か遠慮と押しつけのやり取りを繰り返すが、少女は頑なに譲ってくれなかった。その内に彼女の言う通り朝食抜きのお腹がグ~ッと鳴り響いて、農民は顔を赤くして包みを受け取った。

 正直、街に行く日は昼頃まで何も口にできない事も多いので食べ物はありがたい。


「私が作りましたの」


 少女の笑顔は春の光のようだった。顔全体は見えないが、もうすぐ開催される新年の春祭りで光の神子に選ばれてもおかしくないくらいだと男は思った。

 若い男にはまだ子供がいなかったが、女の子もいいものだなと思う。

 誰もが最初の子は跡取りである長男を望むが、こんな女の子が家にいたら生活に潤いを与えてくれるだろう。


 胸にぽっと、暖かな光のような温もりが灯る。

 神殿の神官様は人に親切にしたらお返しがあるとよく言う。それはこういう事かも知れないと男は思った。何かいい物が貰えるって意味じゃないんだ。とても清々しい気持ちだ。


「今から忙しいんでしょう? 急いだ方がよろしいのではなくて?」


 そうだ。少女の言う通りだ。彼女たちを乗せたものだから今日は時間が押している。今から行っても、もう市のいい場所は押さえられているかも知れない。

 だが、それでも構わないと思うくらい男の気持ちは浮き立っていた。


「あぁ、じゃぁもう行くよ……あんたたちにセレスティン様のご加護があらんことを」

「ええ。貴方にもどうぞご加護がありますように」


 馬に鞭を当て、後ろ髪を引かれるような気持ちで馬車を進ませる。

 本当に不思議な少女たちだ。

 村と街を往復するだけの面白みのない人生の中で、こんなに美しくて訳ありそうな人物に出会ったのは初めてだ。


 俺は何かの物語の一部に登場したんじゃないだろうか。

 そんな気持ちを胸に過ぎらせながら、いつまでも遠ざかる自分に手を振っている二人を振り返る。

 男は自分に出来る最後の親切とばかりに、関所を通り過ぎる際、もうすぐやって来るだろう彼女たちの審査を厳しくしないよう顔馴染みの門番たちに頼み込んだのだった。


 

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