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第35話 旅立ちの約束

 

 俺たちは連れ立って、洞窟へと歩いて帰った。

 俺の横には寄り添うようにロボがゆっくりと歩みを揃えてくれている。


「そう言えばずっと聞いてみたかったんです。父様との約束は、一族の者を一度だけ助けるって話だったんでしょう? なぜ何度も俺を助けてくれるんです?」

『お前の父親との約定はそうかも知れんが、お前とはなんの約束もしていないしな』


 ロボの答えはあっさりしていた。

 なぜそんな当たり前の事を聞いてくるのか分からないと言わんばかりだ。

 少し考えるように黙った後、ロボは言葉をつけ加えた。


『子供たちとお前の約束もまた別物だ。我が関与するものではない』


 それは……スーたちを連れ出していいと言っているんだろうか。

 驚いてロボを見つめるが、相変わらず狼の顔は何を考えているか読み取れない。

 しかし、その金の瞳は微笑むように優しく細められていた。

 俺は甘えるようにロボへと顔をすりつけた。


「もうちょっと森にいたっていいんでしょう? テオドアとの約束もありますしね」

『あんな奴の領域など知った事ではないが、いつも、お前のいたいだけいていいと言っている』


 物覚えの悪い奴だな、と言うような視線を向けられる。

 そうか。時が来たというのは俺が立ち上がる時ってだけで、まだ森にはいていいのか。

 まだ……もうちょっとだけ、俺は父さん狼と母さん狼に甘える子供でいたい。


 ビアンカも、好きなだけいていいのよと言わんばかりの優しい瞳で俺たちを見守ってくれていた。

 話しながらだったので歩みの遅い俺たちに焦れて、スーが後ろからピョンと俺の背中に飛びついてくる。


「ルー、いつまで話してんのー? いい加減、お腹減ったよ!」

「そうだね。朝ご飯もまだだったもんね。すぐにご飯にしようか」


 みんなで笑い合いながら洞窟への道を辿る。

 狼族との生活はすっかり俺の日常になっていた。



 朝食後、俺は洞窟の外の涼しいところで最近、使った道具の手入れをしていた。

 この一週間、作業に没頭して片づけとか何もしていなかったからな。


 物々交換で手に入れた道具類は基本的には壊れかけで、もう捨てても構わないと村の人が思ったものばかりだ。

 丁寧に使わないと、あっと言う間にボロボロになってしまう。


 大変ではあったけれど、過ぎてしまえば充実した一週間だった。

 俺はやっぱり、あぁ言う単純作業を黙々とこなすのが好きみたいだ。


 後で、動物が落ちて怪我しないように穴も埋めにいかないとな。

 そんな事を考えながら石で鉈を研いでいる時だった。

 スーがやって来て、背中合わせに俺の後ろに座った。


 甘えるようにスーが背中に体重をかけてくる。子供の高い体温がじんわりと背に広がる。

 秋口の森は作業をしていると汗が滲んでくるくらいだから、あんまりくっつかれると暑いんだけど。


 スーは珍しく樹上を見上げて、じっと黙っていた。

 俺も話しかけなかったから、しばらく森の中にはシュッシュッと刃に石を走らせる音だけが響いた。


 のどかな一日だ。

 この森に来てから俺は、基本的には何も強制されていない。勉強も鍛錬も、ここには何もなかった。

 ただ、自分が生きていくために働かなくてはいけないだけだ。

 もし俺に前世の記憶がなければ……いや、記憶があっても平民に生まれていたら、こんな生活に疑問も抱かなかったはずだ。


 こんな穏やかな日々を捨てても、お前は先に進みたいのか。

 俺の中のずぼらで臆病なおっさんが言う。

 だけど、俺はもうルーカスだから。

 勿論、皆のところに戻りたい。

 そのための賭け金が俺の命だとしても。


「ルーは家に帰るんだね」


 スーが俺の心を読み取ったようにポツリと呟く。

 俺は作業の手を止めず、前を向いたまま答えた。


「あぁ、俺は帰るよ」


 帰って、兄アルトゥールと正妃に聞かなければいけない。

 貴方達は俺の母の死に関わっているのか、と。

 その想像は俺の心を寒々と凍らせた。

 暖かい真昼の森の中にいると言うのに、一気に周囲の温度が下がったように感じる。


 そんな事、考えたくもなかった。

 何も知らない子供のままでいられたら、どれだけ幸せだっただろう。

 だけど面と向かって聞かなければ、俺は何も始められないんだ。


「ルーが行くなら、スーも行く」


 スーの答えは分かりきっていたけれど、即答だった。

 俺は手を止めてスーを振り返った。


「ちゃんと分かって言ってんの? 何年も森には帰れないかも知れないし、怖い人や魔物に襲われるかも知れないんだよ?」

「だったら、なおさらスーたちが必要じゃん。ルーだけで戦えるの?」


 仰る通りなのだが、俺はどうしてもスーたちを森から連れ出すのに抵抗があった。ここにいれば平和で幸せな日々が続くと分かっているからだ。


『なになに、二人だけで何の話をしてんだよ。ずるいよ』


 急にやって来たアルが前足を俺の肩にかけて、文字通り俺たちの間に首を突っ込んでくる。


「もー、アル、重いよ」


 まだまだロボやビアンカには敵わないとは言え、兄狼たちはもはや大型犬くらいの大きさがある。

 小さい頃から俺が色々食べさせて栄養状態もいいから、もしかしたら成獣になったらロボより大きくなるのかも知れなかった。

 鬱陶しくて俺はアルを手で振り払おうとしたが、反対に遊んでいると勘違いされたみたいだ。ワフワフと唸りながら体重をかけられて、顔を舐められる。


「もー、やめてってば!」


 やっとの事でアルをグイと押しやれば、いつの間にか近くにイーとサンも来ていた。

 いつも真面目そうに厳めしい顔をした長兄のイーと、優しくニコニ事笑っているようなのんびり屋のサン。


『ルーが行くなら勿論、僕らも行くよぉ。ねぇ?』


 サンが目を細めて皆を見回しながら言う。


「それは……」


 俺は答えられなくて口ごもった。皆がついて来てくれるなら、これほど心強い事はない。精神面でも戦闘面でも彼らは大いな支えになってくれるだろう。

 だが、いくら俺より身体が大きくたって、彼らはまだ生まれて一年も経っていない子供だ。

 俺の事情に巻き込んでいいなんて、どうしても思えない。


 イーが珍しく表情を緩めて、フッと笑ったように見えた。ロボがいつも俺を見て笑う時みたいな、仕方ない奴だなと言うような表情だった。


『ルー、俺たちは生まれてからずっと一緒にいた。皆で行こう』


 イーの言葉はシンプルだった。いつだって彼らは無駄な事は考えない。思い悩まない。誤魔化したり、自分の心に嘘をついたりしない。

 皆を見つめ返す視界がぼんやりと滲んでいく。


 俺は腕を伸ばして、三匹と一人を抱き寄せた。俺の短い腕じゃ、実際に手を回せたのはイーとアルだけだったけどさ。

 五人全員で円陣を組むように顔をつきあわせて、額をくっつける。


「……分かったよ。皆で行こう」


 俺の宣言は掠れて小声だったけれど、こんなに近くにいたらはっきり聞き取れたはずだ。


 もうすぐ森に秋がくる。母様たちを失って初めての秋が。

 もう一年なのか。まだ一年なのか。

 長かったようで短くもあった日々を思い返して、俺は目を閉じた。目尻が熱くなるけど、泣いたりしない。俺は一人じゃないから。

 こんなに頼もしい兄姉たちが共にいてくれる。


 指で目尻を拭う俺を、誰もがニヤニヤと笑うように見つめていた。

 こんなんじゃ、いつまで経っても弟認定から外れそうにないな。 

 俺は照れ隠しに顔に盛大な笑みを浮かべて順繰りに兄姉狼たちを見回した。



 To be continued...



六章までお読みいただいてありがとうございます。

かなり久しぶりのTo be continuedです。

途中、長期間の休止を挟んでお待たせして申し訳ありませんでした。

これからも遥かなる帰宅をどうぞよろしくお願いいたします。

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