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第31話 家族


 俺は小刻みに首を振ってロボへ合図したが、取り合ってくれる気配はなかった。ロボはあからさまに、この事態を楽しんでいる。

 最初からこのつもりで俺を連れて来たんじゃないだろうな。


 くっそ、ロボの援護は期待できない。

 自分で切り抜けるしかないのか。

 震えて崩れ落ちそうになる足をグッと踏ん張って、なんとかその場に留まる。

 俺は目の前の巨熊へと指を突きつけた。深く息を吸い込んで、腹の底から声を張り上げる。


「雄々しき熊族の長よ! 卑小なる我らに胸を貸していただけると言うお言葉、身に余る光栄に存じます!」


 最初によいしょしたのが良かったのか、熊は俺の言葉を耳にして、ん?と動きを止めた。

 今だ。耳を傾けてくれている間に、一気に畳みかけるしかない。

 胸の上に手を置いて、切々と訴える。


「しかしながら我らとしても突然の長の言葉に戸惑っている次第。もし良ければこの話はなかった事に……ならないみたいなので、準備の期間をいただけないでしょうか?」


 なかった事にと言った途端に、熊やロボたちのみならず、スーやイーたち兄弟、ビアンカにまで「何言ってんだお前」みたいな視線を向けられたので慌てて話を切り替える。

 まったく血の気の多い人っていうか、獣たちだよ。


『準備ぃ?』


 熊はまだ頭に血を上らせた様子ながらも、俺の言葉を怪しむように首を捻った。

 ギロリと隻眼で睨みつけられ息を飲む。

 間近で見る巨熊は正直、今まで渡り合ってきたどんな敵より怖かったが、恐怖なんかに負けてる場合じゃない。

 ここで引いたら本気で死ぬぞ、俺。


「なにせ急な話ですので、せっかくこれほど御高名な熊族の長に腕試しをさせていただけると言うのに、こちらの力不足で無様な戦いになってしまっては申し訳が立ちません。せめて兄弟で話し合い、特訓する時間をいただけないでしょうか?」

『良かろう。どのくらいにする。中天くらいか』


 中天って正午かよ。今から二時間くらいしかないよ。この熊のおっさん、短気だな。


「いや、せめてその、一週間くらい……」

『いっしゅうかん? いっしゅうかんとはいつだ?』


 そうか。神獣の一族は暦を持たない。なんて伝えればいいんだろうか。

 素早く考えを巡らせると、以前、俺が目覚めたすぐの頃、ロボが月の満ち欠けでおおよその時間を教えてくれた事を思い出した。

 熊は夜行性ではないとは言え、同じ神獣の一族だ。恐らく通じるだろう。


「セレネーが満月になった次の日ではいかがか!」


 この世界に七つある月の内、第二の月、金色のセレネー。地球から来た俺にとってはこれが一番、月っぽく見える。

 青とか緑とかピンクは、やっぱりちょっと違和感あるんだよな。


『それなら分かりやすい、承知した!』


 熊は意外と単純なのか、俺の言葉にあっさりと了承した。これで話は終わったとばかりに踵を返して、さっさと川向こうに帰ろうとする。

 俺は慌てて彼を呼び止めた。


「あ、あの、俺たち兄弟全員を一度にお相手していただけると言う事で問題ないんでしょーか?」


 おずおずと切り出すと熊は肩越しに振り返って、ひとつしかない目で俺をジロリと睨みつけてきた。


『全員とは何匹だ?』

「ここにいるだけです。俺を入れて全部で五人ですけど」


 隣のスーや、後ろに控えているイー、アル、サンを掌で示すと熊はフンと鼻で笑った。


『その程度、物の数にも入らんわ。纏めてかかってくるがいい』

「あと、この姿ですので見ての通り俺は牙も爪もないんですが、道具を使っても差し支えないでしょうか?」

『道具だぁ?』


 不機嫌そうな大音声が空気を震わせる。熊は普通に答えているだけのつもりかも知れないが、なにせ身体が大きいものだから声もバカでかい。

 俺はヒッと身を縮こまらせた。


「あの、剣とか弓とかです」

『ハッ、そのようなもの。我の毛皮に傷をつけられると思うなら、何でも持ってくるが良い』

「ちょっと大き目のものでも構いませんかね?」

『くどい! 一度、許可すると言ったものを重ねて聞くな! 何でもと言ったはずだぞ。好きにしろ!』


 もう話は終わりだな?とばかりに俺をひと睨みして、熊はプイと前を向いた。それきりジャバジャバと水をかいて川を渡って行ってしまう。

 すっげーな、あれだけ大きかったら泳がなくても川を渡れるんだな。

 って言うか、結局、こちらに来た理由は言わず終いだったな。なんの用だったんだろ。

 熊の身体が東の森の中へと消えるのを見て、俺はヘナヘナとその場にへたり込んだ。


「ルー、どうしたの! また熱?」

「ハハ……」


 顔を覗き込んで来るスーに答える事もできなかった。ガタガタと手足が震えている。顔も弛緩し切って、情けない笑いを浮かべるのが精一杯だった。

 俺、生きてる。

 とりあえず一週間は。


『なかなか堂々とした交渉だったぞ、ルーク』


 ほがらかに近寄って来るロボを、俺はキッと睨みつけた。


「なんで勝手にあんな事言ったんですか!」


 俺の憤りなど、どこ吹く風。ロボは悠々と俺の前に立っていた。


『時が来たのだ、ルーク』


 時が……。

 ロボの言葉は、ただでさえ熊との戦いにおののく俺の心を、更に不安にさせた。

 俺がこの森から去る時が来たとロボは言っているのだろうか?


「それは……」


 口を開いても、言葉が続かず途切れてしまう。

 いつか来るだろうと思っていたその時が、こんなにも間近に迫っていたのか?

 頭が真っ白になって、答えることができない。


 今まで本当の意味で、俺が自分の足で踏み出した事は一度もない。

 この世界に転生したのも偶然だ。国から旅立ったのも、屋敷から逃れてこの森に辿り着いたのも、状況に流されてだった。

 国に帰る。たった一人で? この力強いロボの庇護の元から出て行かなければならないのか?

 そう考えただけで真っ昼間なのに視界が暗闇に閉ざされたように感じて、何も目に映らない。


 人には抗えぬほどの力を持つ黒き魔物。黒幕だと思われる少年の甲高い笑い声。俺を物みたいに見てきたジークの冷ややかな視線。

 そんなものを一気に思い出して心が冷える。

 あの中にもう一度、足を踏み出すなんて。

 そんな事が俺にできるのか?


 ロボは、黙り込んでしまった俺を静かに見つめていた。日の光を受けて金に近い双眸がキラリと輝く。


『立ち塞がる理不尽は全て跳ねのけて進むのだ、我が息子よ』


 俺は俯きかけていた顔をハッと上げた。

 ロボは嘘をつかない。

 我が子と……ロボは俺の事を息子と呼んでくれた。


 あれは熊に向けた誇張ではなかった。ロボはとっくに俺を家族の一員として迎え入れてくれていたんだ。

 だから、俺が洞窟でウダウダと寝て過ごしていた時も、勝手に村で行動していた時も、何も言わずに見守ってくれていたのだろう。

 俺が自分の足で歩き始めるその時まで。


 胸の中にじんわりと暖かいものが広がっていく。

 失ったと思った家族がこんなところで待ってくれていた。

 前世のおっさんの記憶なんて持っていても、俺はまだまだガキだな。親にお膳立てして貰って、手を引かれないと立ち上がれないなんて。


 そうだ。夢の中でワルターも言っていた。マーナガルムの男は、決して理不尽には屈さない。

 ましてや俺は今や、狼族の末席にも名を連ねているのだから。


「分かりましたよ、ロボ父さん」


 俺はグイと目尻を拳で拭った。

 ロボを見つめ返す俺の瞳も、不屈の意志を秘めて光って見えるといいなと思った。俺が今まで出会ってきた力強い人々と同じように。


 それでいい、とばかりにロボが深く頷く。

 ただ図体がでかいだけの熊など軽くいなせなくて、どうして神に悪なすものに立ち向かえる。

 俺の行く道はきっと、こんなものを障害とも思えないほど辛く、険しい。

 ロボはそう伝えたかったんだと思う。


 そうと決まればこんなところでグズグズしている暇はない。

 いつだって時間は少なく、仕事は多いんだ。

 そして、やると決めたからには俺に負ける気などさらさらなかった。


「行くよ、スー! イー、アル、サン!」

「うん!」


 呼びかけると、兄姉の口々からウォンと鳴き声が帰ってくる。

 早速、森を指差して駆け出す俺の後に続いて、皆が一斉に走り始める。俺は、隣に追いついてきたイーの背にヒラリと飛び乗った。

 森へと消える俺たちの姿を、ロボとビアンカが寄り添って優しく見送ってくれた。


 

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